半沢直樹 最終回

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半沢直樹、とうとう終わりましたね~。

結末ですが、寸前に読めちゃいましたね。その裏をかいてくれるだろうと楽しみだったのですが、すんなり行っちゃった。ま、続編に期待を持たせて終わりってことなのでしょうが。

しかしこのドラマは面白かった。私としては現実味があるとは思っていなかったし、ましてや自分に重ねて考えるなんてことも皆無で、単に現代版時代劇というか水戸黄門を見る楽しさ、安心さ、気持ちよさがあって良いと思ってました。

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でも面白いもんで、最後の最後に自分の過去を思い出しました。別に思い出したくない出来事ってことでもないんですが、思い出さないようにしていたような部分はありそうです。頭に浮かぶといつもすぐにそれを打ち消してきましたから。

若い頃、ある中小企業の社長に乞われてその会社のサラリーマンになって、8年ぐらい勤めていたでしょうか。平の平から始まって、取締役営業部長にまでなりましたが、会社の業績不振が理由で先代の社長は代表権の無い会長に。そしてその繋がり、また社内の人事の都合と言うか取締役中最年少の私は新たに(私を飛ばす為に)創設された開発部部長に異動。その後、1週間して辞表を出しました。

このことってほとんど思い出すことが無いのだけれど、もしあれが無かったらきっと今の自分はないような気がします。

その後、独立、結婚、子供も生まれ、そしてオーストラリアへ渡ったのも、渡るという強い意思があったから実現したけれど、ではその裏づけはなんだったのか考えてみると、全て清算しても大丈夫な状態であったこと、またオーストラリアの長期金利が10%もあったこと。そして丁度、長男がそろそろ幼稚園の年齢で将来的な教育の計画を立てなくてはならなかったこと。当然、ヨメサンが反対すれば実現しなかったし、全てがオーストラリアへ向かうように動いていたような気がします。もちろん永住権が取れなかったらオーストラリアへは来ていないし、あれもこれも順調に行ったから渡豪できたわけで、どれか一つ歯車が狂ったらやっぱり今は無かったはず。

これはマレーシア行きも同じで、マレーシア行きを考えてからもう5年も経つけれど、もしあと1年早くマレーシアを知っていたら、あるいは後1年リーマンショックが遅かったら今頃間違いなくマレーシアにいるだろうし、あるいはマレーシアから次の地へ向かおうとしている頃かもしれない。

なんだか人生って計画を練ってそれに従って動いているようだけれど、考えてみると風の吹くままに流されている、そんな気がします。

そしてこの歳になって思うことは、どんなに綿密な計画を立てようが、どれほど努力をしようが、それと結果とは何の関係もないかもしれないってこと。無計画、努力もしなくて良いとは思わないし、続けるしかないんだけれど、それが結果を左右するんじゃなくて、それがちゃんとしていればどんな結果でも受け入れることが出来る。そんな気がしています。つまり、計画も努力も所詮、言い訳、後講釈でしかないかもしれない。でもその言い訳とか後講釈って非常に大事で、それがないと人間って生きていられないのかも。

毎日を大事に生きるってのも同じ事で、そう生きたら良い結果になるわけじゃない。我々日本人は日本に生まれ育っただけで世界的にはトップクラスの収入、資産、教育を享受できるのも面白いと思います。

何だか人生って、うまく言い訳ができるように繕いながら生きるもの、みたいな感じがします。達成感と結果って関係ないんでしょうね。

天職に出会えたという実感がある人たちって全く違うことを感じながら生きているんだろうなぁ・・・・

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