チャレンジ精神

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チャレンジ精神っていうと若者のためにある言葉みたいなイメージを私は持っているんですが、これからのジジババも果敢にチャレンジしていくしかないように思っています。

私は62歳ですが、こんな歳になりますと友人知人との話題は大体決まっていて、年金、医療を含めた「老後生活の厳しさ」の話ばかり。お墓の話も時々出てきます。(笑)

巷で聞こえるジジババのチャレンジって「やりたいことをやろう」という、どちらかというと遊びに重点が置かれた「新しい生き方へのチャレンジ」がほとんど。「田舎に住もう」とか「海外でロングステイ」もそう。

ただここには大きな問題が見え隠れしていて、というか日本人は「お金の話」を極端に嫌いますし、よっぽど親しくないと財布の中身の話はしないのが普通。つまり、田舎に行こうとか海外ロングステイをしようと思うキッカケには「老後生活が厳しいから【逃げよう】」というのがかなりの重要な位置にあるのに、そこはあえて触れないように「楽しさ」を強調する。

これってプラス思考のようだけれど、実はマイナス思考なんですね。逃げ道を探しているわけですから。

でもジジババはちゃんとその辺の自覚がありますから、「美味しい話も」割り引いてちゃんと見ていますね。

ところが中途半端な年齢の人たちは「老後の怖さ」が実感できないようで、本当に表面的な「楽しさ」を追い求めている感じがしなくもないです。だからセミリタイアとか早期リタイアを薦める人も結構出てくる。

まぁ、それで悠々自適に熟年時代を過ごせれば良いし、老後の生活に入っても「それなりの生活が確保できる見通し」があるのなら良いと思うのですが、その将来設計には一切触れずに「今、やりたいことをやらないと損」みたいな「海外生活のすすめ」って本当に狂っていると私は感じます。

今の時代は「さとりの世代」ってのがあるそうで、良い時代を経験したことがない人達が「我慢」あるいは「多くを望まない」生活をアタリマエのこととして受け入れているとのこと。

私はここにかなりの危険を感じています。息子がそれを言ったら、「お前、馬鹿か?」と言います。

今、老後生活を送っているジジババを見て、裕福だと感じる人は少ないはずで、でも「ささやかな幸せ」を送っている人たちは確かにいる。でもそういう人たちは高度成長時代も生きて、しっかり給料ももらい、退職金ももらい、最後は「肩たたき」にあったにしろ(笑)、かなり恵まれた人たちだと私は思うんです。

でもその人達も「さとりの世代」と言っても良いくらい、質素に生きなければこの先、生きていけないことを知っているんですよね。

比較的幸せな人でもそういうレベルで、私はあの新幹線での焼身自殺を見て、「日本の終わりの始まり」だと感じました。中間層、あるいはそれ以下の人たちは老後を生き伸びることさえ難しい時代に間違いなく入っている。

そこで今の20-40代を見ても、ガンガン稼げる人は稀で、所得格差がどんどん広がっている。つまり、今の年寄りを見て、「あのレベルの生活をしたい」と思ってもかなり難しい時代になったのは間違いがない。ましてや半分諦めた「さとりの世代」なんて言われる若者の将来は一体どうなるのか。

ここに私は日本人独特の「他力本願」があるように思うんです。

親であり、会社であり、社会であり、国であり、それがどうにかしてくれるだろうという甘えの構造がある。国の安全保障もそうだし、近年、日本に増えつつあるクレーマーも「なんでも他の責任」と考える傾向の現れだろうと。でもそれが当たり前、当然のことと考えて自分に非はないと思っている様子。

これは日本のシステムがそういう風にできていると昔から私は思っていて、学校もそう、会社もそう、社会そのものに「民を守ろう」というある意味、素晴らしい思想が根底にあったと思うのです。規制が多かったのもそれが理由。でもそれが当たり前だと皆が考えるようになると「温室育ち」が増えるばかりで、昔から日本人が海外ではカモになるのもそういうことなんでしょう。

世界って本当に弱肉強食で皆が稼ぐことに真剣で、自分でどうにかしないとならないのを知っている。今の韓国や中国を馬鹿にする傾向があるけれど、あれはまさに「生きる知恵」であって、それが無い日本が果たして良いのか悪いのかは疑問。そりゃ皆が「最終的にはどうにかなる」という幻想を抱いて生きていれば、争い事もないし、我先に利益を追い求めることもなく、他国から見れば「日本の民度は高い」ということになるんでしょうが、それは「誰かが助けてくれる」「どうにかなる」という前提があるからだろうと思うんですよ。

武士は食わねど高楊枝とか、足るを知るなんてのも、それって「食えている人」の論理だと私は思っていて、家も食べ物も無くなったら「民度が高いはずの日本人」も簡単に変貌すると思っています。でも日本人にはこれまた海外にはない「潔さ」があって、もはやこれまでと思えば自らの命を絶とうとする傾向が強い。でも国が貧しくなってきたらどうなるか。今は普通一般の女性でもAVに出るようになりましたが、「景気が悪くなり、国が貧しくなるとAV女優に美人が増える」と息子は言いますが(笑)、その通りだと思います。金のためならなんでもする人もどんどん増えてくる。

貧しくなくても「競争は善」であり、敗者をとことんまで叩くのは経済の常識で、「共存共栄」なんて建前になって、アメリカ的なもの、新自由主義、新古典派主義、市場主義、グローバル主義、規制緩和なんてなんだか「良いもの」に聞こえる恐ろしい物を日本人は諸手を上げて歓迎してきた。それのツケを支払う時が必ずいつか来るはずで、その時に真っ先に淘汰されるのが「さとりの世代」だと思うんです。

日本は大きく変わろうとしている時に、まだ昔の価値観を引きずって「普通にまじめに生きていればどうにかなる」なんて甘い幻想を抱いていると生きては行けないだろうと。ましてや変に悟ってこじんまり生きようとしても「何かに頼らない限り」生きられる世界じゃない。

でも頑張るしか無いわけで、でも頑張り方、頑張る方向性が変わるってことだと思うんですよ。

この辺を言葉でうまく表現することは私に出来ませんが、今までの「頑張る」とは違うレベルのものが要求される時代だろうと思うわけで、それはすでに社会の現場では当たり前になっているはず。ブラック企業も本当にブラックなのか疑問なのはそこのところだし、ファーストリーテイリング(ユニクロ)の柳井さんがアタリマエのことを言っても叩かれるのが日本。

だからやっぱりチャレンジするしかないんですが、「楽をすることにチャレンジ」じゃ真逆なわけで、「諦めること」も解決にはならない。

このブログもたまにそのへんのことを書くのは、チャレンジしてみましょうよという意味もあるわけで、ただ毎日の出来事を書いているだけではないんですね。毎日延べで1500人程度の方が来るブログですが、私の書くことに同調して「よし、やってみよう」と言う方がたまに出てきます。これって人数としてはゼロに近いんですが、ゼロじゃないんですね。ここが私がブログを続けられる原動力なのですが、もしもたった一人でも「よっしゃ!やってみよう」と思う人が出てくればこのブログの存在意義があると思っています。

無理だとか、駄目だとか、出来ないとか、そういう否定的な考えを持っている人が大多数の世の中で、そのくせ、家族で何のあてもない「永住権もくれない」海外の国に気軽に移住しようなんて恐ろしいことを平気で考える人が少なくないのが面白いですが、結局、やりたいこと、好きなこと、できることはやろうとするんですね。でもそれをチャレンジとは呼ばないと思うんですよ。やれることをやるだけの話。

難しい、今の自分には無理、そういうことって山のようにありますが、それに向かうことをチャレンジと呼ぶのではないでしょうか。

でもやってみたら思ったほど難しくはなかったと「日本人なら」言えるかもしれない。

ここは大事なところで、あれも駄目、これも無理なんて言いながら、実は日本人て外人から見ると信じられないことを普通にやるんですね。これは海外にちょっと在住してみればすぐにわかることで、日本人には当たり前のことでもそれを出来ない人が海外にはたくさんいるのがわかる。でも日本人は「自分は出来る」という実感を持っていない。当たり前だと思っているだけ。

自分の実力、ポテンシャルに気がついていない日本人がたくさんいるんじゃないでしょうか。

ジジババでも「俺には無理だ・・」なんて弱音を吐いているブログをたまに見ますが、その人とて若い頃から現役時代にどれだけ凄いこと、門外漢が「不可能だ」と思うようなことをやってきたはずなんです。弱音を吐く人でも「若いころは・・」と自慢をしたいようなことはあるはずで、そしてそれってその通り凄いことをやってきたんですね。でもその自覚がないだけ。

つまり、自分が思う「難しいこと」でも本当はそうじゃないかもしれない。今までやったことがないから、知識がないから自信がないだけで、それをやり遂げる実力はあるのかもしれない。多くの日本人はそうやって生きてきたんですから。

やっぱりチャレンジするしか無いと思うんです。

ましてこれからは今まで通りでもどうにかなる時代じゃないんですから。

でも「何もしない」「余計なことはしない」というのも一つの積極的行動と考えることも出来るわけで、その辺の読みは難しいとは思いますが、やる気になれば比較的安全な作戦を立てることはできるはず。

結局、海外に出るとか、マレーシアでもオーストラリアでもどこでも良いですが、問題は将来起こりうることを想定して、今から準備し、チャレンジすることはするのが何よりも重要で、国情報とかそこに住む人達の情報なんか山ほど集めたところで何の意味もないってことだと思っています。

重要な事は、自分に何が出来るのか、何をするのか、食えるのか、稼げるのか、しっかり貯められるのか、家族が路頭に迷うことなく夫婦の老後も大丈夫なのか、心配すべきことってそれ一点のみだと私は思っています。そこがしっかりしていれば、何の心配もないわけで、逆にこれがおろそかだと天国も地獄になる。

ジジババはこのまま静かに消えていく道を選ぶのも良いですが、これから何十年も生きて、子供も育てなければならない世代が、「ゆとりの生活」だの「クオリティライフの探求だの」そういう夢物語を追いかけたら、いつか「現実の厳しさ」に直面するはず。

何が現実か調べるのは簡単ですよね。自分が理想と思う生き方をしている人達に「過去にどういう生き方をしてきたか」聞いてみればすぐにわかる。あるいは、どこにでも、どの時代にもいる「のほほん」と生きていきた人が60代、70代、結果的にどう生きることになったのか見てみればわかる。

海外生活も同じで、「幸せ~~~」なんて言っていた人が、60,70になってどうなっていったのかは調べてみればすぐわかる。でも70過ぎても「幸せ~~」と言い続けられる人がいるわけで、その人が現役時代から今もどういう生き方をしてきたのか聞いてみるべきで、それと自分を比べてみれば自分の将来の絵図も見えてくるはず。

でもねぇ、昨日のことですが、もうすぐ90になる母から電話があったんですよ。孫達はどうしている?って話になったのですが、母が言ったことは

「たった一度の人生なんだから好きな様に生きなさい」と。

でも私が息子たちにいうのは「好きなように生きていたら、最後は悲惨だぞ」いう言葉。(笑)

実際に「やるべきこと」がわかっているのにそれをやらずに好きなことをし続けても満足感ってないのね。「俺は大事なことから逃げた」という思いが一生つきまとう。そしてそれがいつしか劣等感、自己嫌悪に繋がる。それが今の私。(笑)

男と女の違いがここにあるかもしれませんね。責任を考えたら好きなことをやれば良いなんて私には言えません。でもねぇ、好きでもないことって長続きしないし、好きでやっている連中には絶対に勝てないのね。

答えなんかきっとないのでしょうが、軽いノリで若い人たちに「海外のすすめ」をいう人達には腹が立ちます。自分は幸せだから皆にもそれを分けたいし、そうなる道があるのだと知らしめたいのでしょうが、私が気になるのは、そういう人たちの将来、老後です。海外で好き勝手に生きて、60,70になったらどうするんでしょうか、どうなるんでしょうか。

ここは重要で、良いことばかり書いているブログも長い目で見てください。不思議なことにいつか消えてなくなっているのが普通ですから。そもそもそういう話って、新婚さんのデレデレした幸せな話ばかり聞くのと同じで、どれほど聞いても意味がないんですね。

結婚と全く同じで、「好き」ってだけで一緒になって「幸せ~~」とニコニコいう人の話を聞いて、自分も・・って思います?

好きであることは何よりも重要ですが、それだけじゃ生きられない。海外生活の良いことばかりいう人には「将来、老後はどうやって生きるのですか?」という質問をぶつけてみたら良いと思います。すでにジジババは別ですよ。この先、何十年も生きるわけでもないし、子育ては終わっていますし、年金の他に不労所得があったり、そして今のジジババってごっそり持つべきものは持っていますから。昔の日本って誰にでも「資産形成するチャンス」があったんですね。でもこれからは普通に働いていたらそういうチャンスはまず来ない。

もし若くて、本当に将来に不安があるのでしたら、オーストラリアに渡ることを真剣に考えるのも良いかもしれません。この国は本当に不思議な国で、自由に生きても誰にも文句を言われない、後ろ指も刺されない、仕事をしなくても陰口も言われない、老後は掛け金無しのそこそこの年金がもらえて、そして食えなくなれば国が面倒を見てくれる、変な国。

もちろん永住権がなければ「人に非ず」、この言葉が悪ければ「ただの訪問者、居候」と同じなのはどこの国とて同じですが、若くて才能がある人達をこの国は求めていますから、「お金がないと永住権は取れないんだよね?」なんてバカな話を真に受ける必要はなくて、レストランのウェイターでもタクシーの運ちゃんでも永住権を持っている外国人がごっそりいますが、彼らは何千万円も投資して永住権を取ったわけじゃないんですね。そしてそういう永住者、移住者が大多数で、投資で渡ってきた人はほんの一握りでしか無いってことを忘れるべきではないと思います。

この国は人間が人間として普通に生きていればどうにかなる国。良い国だと思いますが・・・私達はこの国を出ます。

理由は簡単。

私は62歳ですが、まだまだチャレンジしないとならないと思うし、このままオーストラリアで枯れたくないから。(笑)

道は必ずあると思っています。

人の行く 裏に道あり 花の山

 
 
 

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