「光屋@デサスリハタマス」に異変あり

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デサスリハタマスにある光屋は私としてはかな~~~り期待していたのは前に書いた通り。

でも先月、店を取り仕切っていたM氏が突然、辞めることになったと聞いてびっくり。

このことはこんなブログに書くことではないのはわかっているんですが、書かないのも私の信条に反するのでちょっとだけ。

私はM氏のことをかなり買っていまして、料理人としての腕前はピカイチだと思っています。それは彼の生まれ育った環境、そして前に彼が経営していた(KLタワーの近く)「天ぷら屋」を知っているから。

その彼がリベンジでKLに戻ってきたと聞いたときには本当に嬉しかった。

で、早速光屋に行ったのはいつのことだったでしょうか。

いい店だとは思うんです。メニューも豊富で(なぜか)「ウナギ」に注力していて、お酒も他店に比べて安いし。

でも「なんか違うなぁ・・」とは感じていた。それが光屋に関して私はブログで決してべた褒めしなかった理由だし、他のエントリーで「気になる店がある」と書いたのは実は光屋だったんです。ってそこまで私のブログを深読みしている人はいないと思いますが。(笑)

私には光屋は「M氏の店」とは思えなかったんです。

でも彼は全力投球したであろう前の「天ぷら屋」がうまくいかなかったし、その後、中国やシンガポールで仕事をして「何か感じること」があったんでしょう。他のブログを見ると「中国やシンガポールで活躍した」ように書いてありましたが、私にはそうは思えなかった。彼は妥協し、生きるためにああするしかなかったのだと私は思う。

そしてKLに戻り新たに店を興す時、「自分を出す」こと以上に「売上・利益」を優先したのだろうと思うわけです(決して手抜きだとは思わないにしても)。それはメニューを見、「彼の作る料理」を食べればすぐわかるし、しかし「売上・利益優先」は当たり前で自己満足でうまくいくわけがありませんから。

◯ 自分が望むこと
◯ 自分ができること 
◯ パートナーが望むこと
◯ ファンが望むこと (← 私)
◯ 一般客が望むこと
◯ 売上
◯ 利益

これの調整が難しいわけで、どこで何が合わなかったかわかりませんが、私にしてみると「M氏は自分ができること」を封印した店に思えたわけです。

彼は彼の腕を発揮して、それをリーズナブルな価格で提供できる店なのだろうと想像していましたがさに非ず。彼らしさが全く出ていない店だと私は感じました。いや、ちょっとは出ていたか。(他のブログで光屋での彼の腕を絶賛する人がいましたが、彼の実力はあんなもんじゃない)

とは言うものの、彼の腕を発揮してもそれがKLで受け入れられる(売上、利益)とも思えず。

M氏は私にしてみると「KLには出来すぎる人」に思えます。

またダボは偉そうなことを・・って読者は思うはずですが、これって同じ商売人として「他人事」には思えないんですよ。ただ客として店に行き、美味しいとか美味しくないとか言うのとは違うものを感じるのです。また商人って常にそういう見方をするんですね。どのくらいの金をかけて作った店かとか、メニューや席数、客の入り具合から売上・利益を想像するとか、そういうのは商人なら誰でもすることなんですね。

そして良いところを見つけたら、自分の仕事にもその「良さ」を導入することを考えるし、「問題点」があるなら、それが自分にもあるんじゃないかと自問自答する。こんなことは商人は誰でもするわけです。

で、光屋には何かしっくりこないものを私は初日に感じていました。

彼はまたリベンジをするはずで、でも彼の実力を前面に出す店作りをしたらどうなるのかってところが難しいはず。彼は一番最初にそれで躓いた経験を持っていますし。

「出来る人間の悩み」があるはずで、もし彼が普通の料理人なら悩むこともないはずで、でもそういう彼なら一緒にやろうというパートナーも現れない。

こういうことって海外では当たり前に起きていることなんですね。ゴールドコーストでも同じ、世界中どこでも同じで、「良いものを出せば客は来る」なんてことはありえないのね。でも市場を見ていると面白いのは、「ここにはXXXがないから、出店すれば大繁盛するはずだ」なんて脳天気な経営者、料理人って常に出てくるのね。でも多くは失敗して短期間のうちに消えていく。それの繰り返しが延々続く。

「XXXが無い」のは「無い理由がある」ってことに気が付かない。

私が前に「天、華家、鮨家など」を経営する「スシトレイングループ」に大いに期待していると書いたのはここにあるわけで、彼らは「海外でどう和食を展開するべきか」を熟知している。彼らはゴールドコーストで生まれ、オーストラリア全土に店を広げ、そして他の国にも種を蒔いていますが、逆に彼らは「日本では店を持たない(ある?)」。ここに彼らの根本的な考えが見えるような気がするんです。そもそも「日本人」を相手にしていないってこと。

これが海外で成功する為に押さえるべき唯一のポイントであり、絶対条件だと私は自分の経験(飲食業じゃないけれど)からも思うわけです。

では「日本人が賞賛する腕前がある職人」ってどうすればよいのか。

この答えは私にはないし、それが簡単にわかるのなら、Lot10の伊勢丹だって大繁盛するはずなんですね。

でもその答えの片鱗は「紫音@アラダマンサラ」に見ることができると思っています。

紫音は決して和食店ではないけれど、和食ファンに応える事ができる内容で、彼は彼の実力をきっちり発揮しているのだろうし、それが現地の人達にも受け入れられている。私があの店に行って凄いと思うのは、「オーナーシェフのS氏にブレがない」と感じる所。三位一体なんていうと大げさですが、

◯ 自分が望むこと
◯ 自分ができること 
◯ パートナーが望むこと
◯ ファンが望むこと (← 私)
◯ 一般客が望むこと
◯ 売上
◯ 利益

が見事に調和しているように思えるのです。もちろん店にしてみれば問題点はあるんでしょうが、そしてS氏の心の中が見えるわけもありませんが、「自分がやりたいことをやっている」という自信というか満足感というか、S氏と話をしているとそれを強く感じるのです。当然、日々勉強で「これで良し」と思ってるわけではないにしてもです。

私はいつも「あの店は美味しい、美味しくない」とか書きますが、こんな個人の感想なんてまるで意味がなくてどうでも良いことなんですよね。

美味しいにしても美味しくないにしても、それは「そういう風に店を作っている」だけのことで、美味しいものが作れない、良い素材を使えないわけじゃない。ニーズをちゃんと見て、どのレベルをターゲットとして店作りをするか、オーナーは考え、決めているだけのことで、売値、コスト(材料費と人件費)が決まれば味のレベルも決まってくるわけで、どう頑張っても美味しいものが作れないってわけじゃない。ま、ろくでもない物を作って自己満足している店もあるにしても、最高の素材で最高の味のものを出そうなんて店は無くはないにしても一般的ではないし、ギャンブルに近いと私は考えています。

たとえ有名店でもそれは同じで、近年、KLCCのマンダリンオリエンタル内のレストランが全滅に近いほど「味が落ちた」(コストを下げ、一般受けを考えた料理に変えている)のは、そういう風にいつの頃からか進路変更しただけなんでしょう。そうじゃないと生き残れないと判断しただけだと私は思うのです。

それを美味しいとか美味しくないとか勝手なことをいうのが我々一般客ですが(笑)、ああいう大手はどうでも良いにしろ、私は少なくとも「同胞」にはどうにか頑張って生き延びてほしいし、成功を手にして欲しい。そして頑張る同胞を応援する義務が我々にあると思うわけです。

特に和食とか「日本に通じるもの」を提供する店やサービス業に関しては、我々、海外に住むものとしては、「日本にある普通の店、企業」と同じように考えたら駄目だと思うんですよ。多少高かろうが、サービスに問題があろうと、「日本に通じるもの」を頑張って提供している店や企業は我々が応援しないと、「いつか我々が困る」ことになるんですね。

ま、そんなことをゴールドコースト時代から考えています。

マレーシアは日本人も日系企業も多いから、「同胞」とか「家族的」みたいなことは考えない傾向が強いのは間違いが何にしろ、「同胞同士、助け合う」考え方が無いのが良いとは思えないのです。

でもま、何故か日本人って「つるむのが好きなくせしてつるまない」ところがあって、世界中から「日本人街」は消えていくし、ニューヨークみたいに「XXX人街」がたくさんあるのに「日本人街だけはない」という不思議な事も起きている。

他の国に来て、同胞だけで固まって生きるのが良いとは思わないものの、かつてあちこちにあった「日本人街」が復興するようなことが起きたらよいなぁと私は夢見ています。

そして「同胞を応援する」気持ちは持ち続けていたいし、オーストラリア育ちの子どもたちにもそれはしつこいほどに言い聞かせて育てました。

マレーシアに限らず、世界に出た全ての同胞に頑張ってもらいたいです。

64歳のジジーになった私もまだまだ頑張るつもり。(笑)

(いつも生意気なことばかり書いて本当に申し訳ない。m(_ _)m)

 
 
 

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