自分の人生を変えるには「潜在意識をコントールする」しかない

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最近の日記で「マーフィーの法則」に関してちょっと書きました。これは「車を洗うと雨が降る」というあの手のマーフィーの法則ではなくて、潜在意識を利用して自分を変えるというジョセフ・マーフィーの「マーフィーの法則」ね。

先日、私がいつも見ているユーチューブチャンネルでこれの話題に触れていたので紹介したいと思います。

この及川幸久氏のユーチューブチャンネルですが、「世界情勢」に関して話されるものが多く、その見方も独特でかなり参考になると思っています。そんな中で「潜在意識をどう使うか」という話題が混ざるって感じでしょうか。

ただこの及川幸久氏は「幸福実現党」の人なのね。私は大川隆法氏には全く興味がないし、幸福実現党が何をしようとしているのかも知らないのですが、どちらかというとマイナスイメージを持っています。でもそれで一括りにして「全否定」するのは良くないと思っていまして、それはそれ、これはこれと割り切って考えています。

私が思う「マーフィーの法則」ですが、要は「自分で自分を洗脳する」ということだと思っています。

もし私達が100年前の日本の田舎に生まれ、非常に貧しい小作人の農家の子供として育ったと仮定しましょう。教育は必要ないと言われ、自分もそう信じ、とにかく毎日どうやって食べるのかが一番の問題。こういう環境下にあったらどういう自分になるか想像してみる。

逆に戦国時代の武将の子供として生まれ育ったらどうなのか。あるいは近代の大会社の創始者一族の跡取りとして生まれ育ったらどうなのか。

また最近、再び大騒ぎになっているお隣の韓国ですが、私達が韓国に生まれ、幼い頃から「日本は非道で最低な国」と教え込まれたらどうだったのか。

これと同じことが「誰にでも起きている」ってことだと思うんです。でも「自分にとってはそういう環境が当たり前」で、「その環境にあった考え方を持ち、その延長線上で自分の将来を考えるのが当たり前」じゃないんですかね。それを誰もおかしなこととは考えない。

「環境によって人は洗脳される」ということが大昔から今も、そして世界中で起きているという事実があるわけで、これを逆手に取って「自分で自分を洗脳する」ことも可能なんじゃないでしょうか。

それがマーフィーの法則だと思うんですよ。

私は前に書いたように、新橋という商人の町に生まれ育ち、周りの人達は親族を含めて殆どが商人、あるいは中小企業のオヤジですから、当然、「これが世の中だ」と思って生きてきたわけです。勤め人は親族にたった一人いただけで、彼は肩身の狭い思いをして生きていたのを私は幼い頃から感じていました。だからまさか自分も勤め人になるなんてことは考えたこともありませんでした。

また商人と言っても場所が新橋ということもあって、多くは繁盛店であり老舗であり、「商人はかくあるべし」という教えをどの家庭も持っているのが普通で、「ちょっとラーメン屋でもやってみる?」というのとは大きな違いがあり、「商人としてのプライド」も重視される世界でした。

私にはそれが「私の全て」だったわけです。そしてそれが「私の知っている唯一つの世界」だった。

でも年令を重ねるうちに、それは「多くの生き方のたった一つの生き方でしかない」のもわかってきたわけで、本当に世界には全くと言ってよいほど考え方も生き方も違う人達が存在するのが見えてきた。なおかつ海を渡ると「嘘だろ?」みたいな常識を持つ世界があるのもわかってきた。

要は「誰でもその狭い世界の中で生きれば、皆、同じ様になる」のが普通で、世界中の人は皆、「井の中の蛙」状態。

これに気がつけば、「もし自分が違う環境で育てば、全く違う生き方をするであろう」ことは簡単に想像できるわけで、そうであるならば「自分でその環境を変えてみたらどうだろうか」ってなるんじゃないですかね。

だから人は「生まれ育った故郷を捨て、新天地に向かう」わけで、そこでまた違う人生を送る。

そして「【深層心理をコントロールする】ことによってそれと同じことが出来る」ってことじゃないんでしょうか。

そしてそれは「自分の未来の姿をしっかり脳内に焼き付ける」ことから始まるんだろうと思うわけ。つまりそういう「疑似環境を自分の周りに作り出す」ってことかと。

もし自分が昔の田舎の貧農の家に生まれ、毎日苦労しながらその日の食べ物を得るのさえ一生懸命だとしたら、どういう自分の未来を「頭の中に持つ」んでしょうか。ここから逃げたいと思っても、自分の頭の中には「粗末な汗臭い服を着て、頭はボサボサ、顔も真っ黒で、日が昇る前から日が暮れても痛い足腰をかばいながらクワを持って働き続ける自分」しか存在しなかったら、どうしてその将来を変えることが出来るのか。

学歴もなく、手に技術もなく、家も貧乏で、収入も十分に得られない「非正規採用」だとして、自分が想像する将来は「どこかの安宿で寝たきりになり、目に涙をうっすら浮かべて死んでいく自分」だとしたらどうなるのか。

そんな将来は嫌だ!俺は変わる!と思っても、仲間には笑われるだけで、「だよなぁ・・」なんて自分でも納得したらどうなるんですかね。

でも「全く違う将来をはっきり自分の中に描き、焼き付けることが出来たら、そこから人生って変わっていく」のだろうと私は思うわけです。

私は商人の家に生まれ育ちましたが、ある時期から私の頭の中にあった将来の自分は商人ではなくて、全く違う自分でした。でもそうなったのは、そういう人たちとの出会いがあって、「俺にも出来るはずだ」という勘違いに近い夢を持ったから。この出会いってやっぱりインパクトが大きくて、「そんな夢みたいな話は嘘なんだよ」という世間一般は「それが出来ない自分を正当化するためにそう言っているだけ」なのに気がついたんですね。もし自分でも「だよなぁ、そんなうまい話は存在しないよな」なんて思ったら、その姿を自分の中に持ち続けることは出来ないのね。

もし私の親族、身近な人に「スーパーマン」がいて空を飛ぶことが出来たら、私も「俺もいつか空を飛ぶ」という目標を持てる。でも空を飛ぶという事実を見たこともなかったら、そんな夢を持つことはしない。(笑)

でも世界の偉人ってやっぱり凄いのは、「見たこともない、聞いたこともないことが【自分には出来る】」と信じてその道を歩んだってこと。

凡人にはそれが出来ない。でも他人のマネぐらいは出来るんじゃないですかね。私の中身は「他人のマネ」がごっそり詰まっているだけで、自分独自で考え出したものなんかなにもない。(笑)

この歳になって「歴史」に興味が出てきました。私は子供の頃から「歴史」が大嫌いで、西暦XXXXに何が起きたという羅列を覚えることに何の意味があるのかと思い続けていたんですよ。ところがある頃から、「歴史が変わったのは【歴史を変えた人物】がいたから」だとわかるようになり、そしてその人物は「まず自分を変えた」のが間違いないんですね。

そういう視点で歴史を見ると「自分を変えた人たちの例が盛りだくさん」なのが歴史だと気がついた。ここが面白いし、それは現在にも未来にも繋がる大事なところだというのもわかった。歴史を勉強しろってこういうことなんじゃないかと。

随分前ですが、「坂の上の雲」というドラマを見て非常に面白いと思いました。そして「坂の上の雲」という題名も気になったんです。

彼らが見ていたのは「坂の上(自分がいる場所のすぐ上)」ではなくて、そのもっと先にある「雲」だったのかと。自分はまだまだ「夢の見方が足りない」と反省。(笑)

 
 
 

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