マレーシアを好きなのかどうか

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実は、三人の方から、マレーシアの何が気に入ってマレーシアに来ようとしているのかと聞かれました。わたしのブログからはどうもその辺が見えてこないようです。

正直、びっくりしました。というか、私の心を読まれちゃったと思いました。私には今マレーシアを好きかと聞かれても、好きだと答えることは出来ません。なんせ行ったこともないのですから。では、何を期待しているのかということですが、実は期待らしい期待もないと言うのが本音です。その辺をわたしのブログから感じ取って、私に「なぜ?」と聞いてきたのだろうと思います。そして、きっとその方達はマレーシアが好きで好きでたまらないのでしょう。ですから私の様な者は異端に見えるのだろうと思いました。

こんな私の状態を書くと、マレーシア好きの方にはとんでもない奴だと思われるかもしれませんが、なんと説明すればいいのでしょうか、これが私の今までの経験でそういう風に考えるようになったから、とでも言うしかないようです。

かつて若いときに、私は熱病にかかったようになってグアムに通い、好きが高じて事業も興し、数年暮らしたことが過去にあります。また後にオーストラリアを好きになり、永住権を取って移民として渡ってきました。退職者の一時滞在でもないし、駐在組のような長期滞在でもなく、将来オーストラリア人となり、ここの土となるつもりでした。

ただ、何年も経つ間に、熱病のような情熱も落ち着いてきて、回りもよく見えてくるようになると、なんと言えばいいのでしょうか。結婚生活も何十年かする内に、結婚当時の盛り上がりが無くなるのと同じかもしれません。考え方が段々変わってきたわけです。

どう変わってきたか過程を書いたらキリがないのですが、結論としては、人間はどこに住んでも同じだと思うようになりました。絶対にここじゃなければ駄目なんて事もないのと同じに、こんなところで生きていけない、なんてこともない。住めば都って言葉がありますが、そんなもんだろうと思うようになりました。と、同時に、どこでも常に問題は山積みで、天国なんてどこにもない。そう言う意味で、日本でもグアムでもオーストラリアでもマレーシアでも基本的には私にとって同じです。

それと、自分は日本国籍を捨ててオーストラリア人になるのも不可能だというのもわかりました。オーストラリアに不満があるのではなくて、自分の奥底に流れる日本人の血を捨てることはできないことがわかりました。そしていつか、やっぱり最後は日本の土になりたいという気持ちが強くあります。

そんな私ですから、マレーシアにしても冷めた目で見ています。ここしかない!なんてことはまるで考えていません。

ですので、私は、将来的にもマレーシアに永住権を取って移住しよう、マレーシアの土になろうなんてことも考えないと思います。MM2Hという長期滞在で充分です。過去にグアムに住んだり、オーストラリアに移民として来たものの、結局は17年間の長期滞在でしかなかったわけですが、それと同じように、マレーシアも経験してみたいと思うのです。将来的にはマレーシア以外の国にも行くかもしれません。

マレーシアに来たいという強い気持ちがないのですね、と聞かれればその通りです。と、同時に、日本にもグアムにもオーストラリアにも絶対にそこに住みたいという思いもありません。

ただ、私は自分が日本人であるということを捨てられないのと同時に、グアム、オーストラリアを第二の祖国であると思うほどに愛することが出来ました。その思いは誰にも負けないと自負するぐらいの強い思いです。

そして今、その深い思いのある国々の中にマレーシアも入れてみたいと考えているだけです。グアムにもオーストラリアにも、もちろん日本にも一生忘れることのない素晴らしい思い出と、そして一生つき合うつもりの友人達がいます。そういう経験が出来て私は非常に幸運だと思いますが、今、同じように思える国を増やし、また生涯の友となるかもしれない方々との出会いを夢見ています。

私にとって、マレーシアはその中の一つでしかありません。

ただ、生活パターンは今までとかなり変わるだろうと想像しています。もともと地域に縛られる仕事では無いので、インターネットさえ繋がっていれば南極でも仕事が出来る状態ですし、子供達の面倒を見なければいけないこともなく、かなり自由がききます。ですので、マレーシアを拠点としてあちこち行ってみたいです。放浪者のような生活をしてみたいと若い頃から夢見ていたのですが、やっとその夢がかないそうです。

最後は日本に帰るつもりではいますが、私の思いを歌った古い詩があります。

男児志を立てて郷関を出づ
学若し成る無くんば復還らず
骨を埋む何ぞ期せん墳墓の地
人間至る処青山有り

意味としては、男というものは、いったん志を立てて故郷を後にしたからには、それが成し遂げられるまでは還るものではない。人間どこで死んでも骨を埋めるぐらいの、青々とした山はどこにでもある。

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