希望の大地オーストラリア

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私は調べ魔ですので、とにかく納得のいくまでなんでも調べまくります。

オーストラリアの移住を何となく考えていた頃に、関連書籍を買いまくりました。今ならごっそりあるでしょうが、その当時私が見つけたのは、オーストラリアを紹介しているロングステイの月刊誌、数冊の移住体験の本、あとは国際協力事業団とかのパンフレット程度の物。後は観光ガイドしかありませんでした。

観光ガイドをいくら読んでもしょうがないので、その少ない移住関連の本を何度も何度も読み返しては、行ったこともないオーストラリアに住んでいるようなイメージトレーニングをしながら、考えられる問題点などを探していたもんです。

まぁ、今思えば、どれもこれも素晴らしい内容の提灯記事ばかりで、それは今のオーストラリア、マレーシアの紹介と似たようなものばかりでした。どれを読んでも、早く行ってみたくてワクワクウズウズしたもんです。それこそかつて南米を理想の天国の様に宣伝し、その気になった日本人が向こうへ行って苦労した話もありますが、似たようなものかもしれませんね。心配も、今抱えてる問題も、移住しちゃえば全て解決しますなんてね。極楽浄土を説く生臭坊主みたいなもんです。

でもね、シドニーに移住した方が書いた本の中に、どうしても気になる記述があったんです。前にコメントにも書きました、うろ覚えの内容です。

信号を待っていると、向こうから小学生のグループが横断歩道を渡ってくるのが見えた。団子状態になっていて真ん中に何かがある。よく見ると、それは車いすに座った一人の少年だった。きっと彼らの同級生なのだろう。彼らはその車いすの彼を守り、自分たちが壁になり安全を確保しながら横断歩道を渡っていたのだ。

私は結構単純バカですから、こういうのを読むと感動しちゃうんですよ。で、自分はどうでもいいから、子供達に是非そういう環境で育って欲しいと思ったんです。その小学生のグループの中に自分の子供がいる姿を想像しました。

日本じゃお受験が始まる年齢でしたし、私も小学校二年から越境入学して進学校へ通って育った経験があって、日本の受験戦争に負けるような子供じゃ困るけれど、じゃぁ、それがいいのか?と聞かれると疑問だらけだったわけです。

よし!行こう!単純バカはこういうことを決めるのは早いんです。

まぁ、移住といってもなんじゃかんじゃ面倒でそう簡単にはいかないのですが、でも不思議なもので、いつも目の前の霧が自然に晴れていくような感じで道が開けてきました。そして移住してみれば、やっぱりねぇ。

甘かぁないよ

ってのがわかるわけで、今までいろいろ書いたように、子供達も苦労したわけです。でも、私は誇張して書いています。オーストラリアは凄い人種差別があるんだぁ、なんて思ったら大間違いで、ここは日本より差別がないと思っていますし、まぁまぁ、こっちの人は本当に人がいいです。人を助けるのは当たり前のことと考えているような気がします。交差点で地図を広げて立っていたら、五月蝿いほど「どうした?」って言ってくるのがオーストラリア人。

学校でもちょっと差別的なことはありましたが、実際には陰湿な差別じゃないんです。いわゆる無知からくる差別がほとんど。意味わかりますよね?相手を陥れるとか、軽蔑した差別じゃないんです。ハーフの人たちを、思わずあいのこと呼んでしまうような類の事で、言われた方は傷つくけれど、言っている方は傷つけようとしていないんですね。

そりゃ、確信犯じゃないなら許されるのか、ってこともありますが、色々やられているうちに、確信犯じゃなければ気軽に許しちゃうようになるんですね。で、私はそれで良いと思うんです。もし気になるようなら、それを指摘すると、相手はびっくりするんですよ。とんでもない、そんなつもりじゃなかった。本当にすまなかったと謝ってくるし、日本人には良くあるパターンの、逆ギレされたことは私は一度も経験がありません。

日本に住んでいる朝鮮系、中国系の人たちがどんな思いで生きてきたかを考えれば、オーストラリアに差別は皆無と言って良いと思います。今になって日本を見ると、日本は日本人同士の差別もあるし、そここに差別に溢れている国だというのがよくわかります。

まぁ、そんなこんなで、私の子供達は上に書いたような、横断歩道を仲間をいたわりながら渡るなんてことはありませんでしたが、でも、基本的な生き方として、そのようなものを教え込まれました。学校教育の中に人をいたわる、助ける、ボランティア、寄付、そういったものがあって、知らず知らずに、当たり前のこととして身についていくんですね。ここはオーストラリアの素晴らしいところだと思います。そういう子供に育ててくれたオーストラリアに本当に感謝しています。

オーストラリアは国土ばかり広くて、人口も少ないし、経済も半端だし、工業製品も遅れているし、偉大なる田舎という言葉が一番似合っているような気がするんですが、人の心というものに焦点を当てて見て場合、私はオーストラリアは世界一だ!!ぐらいに言いたいです。

私はある若い友人が言った言葉が忘れられません。

どうせ貧乏をするならオーストラリアで貧乏をしたい

この言葉が印象的で、何度も引用させてもらうんですが、それを言った友人はとうとう永住権を手にすることが出来ずに移住を断念しましたが、彼の言うその言葉の意味、重みは非常に良く理解できます。

毎年毎年、オーストラリアへの移住のハードルは高くなるばかりですが、もし、オーストラリアへ渡ってみたいと考える若者がいたとすれば、是非、是非、頑張って来て欲しいと思います。決して楽園ではないでしょう。極楽浄土、天国なわけもないですが、希望を捨てないで生きていける嬉しさみたいなものがこの国には充満しています。苦労のしがいがあると言えばいいでしょうか。あるいは努力は成果となって現れるとでも言えばいいでしょうか。日本的な将来に不安を感じるような社会じゃないです。有給休暇は年に4週間、これは法律で決められています。残業の毎日だとか、単身赴任、そんなのは私は聞いたこともありません。嬉しくなっちゃいませんか?

こちらは退職することはハピーリタイアメントと言いますが、その後の人生をいかに有意義に生きるかということを皆さんいろいろ考えて投資したり蓄財するわけですが、私の忘れられない銀行のポスターがあります。リタイアに向けた投資の広告だったのですが、浜辺で60過ぎの皮がだぶついたオヤジが、潮焼けした黄色の髪を肩まで伸ばし、今風じゃなくて2メートル以上もあるロングのサーフボードを抱えてにっこり笑って立っている広告写真でした。

うまい話はどこにもない。でもここには少なくとも夢があるし、それを手に入れる可能性は決して低くないってことなんです。普通に働いて普通に生活すれば普通に老後を生きられるんです。この普通の生活をするのに日本では苦労するわけで、そこがまるで違うと私は思います。で、頑張れば、ウォーターフロントの家でクルーザーを置いて、週末は釣り、ゴルフなんて生活は簡単とは言わないにしても、そういう生活をしている人は普通に、いくらでもいます。

ただ、下手に資産を持って、こっちで遊ぼうなんて考えるとそうは簡単にいきませんし、よーーく考えた方が良いんじゃないですか?と私は言いますが、普通の若者であれば、日本ではどうせこき使われるのなら、どうせ働くなら、どうせ汗をかくなら、そしてどうせ泣くなら、オーストラリアで・・・というのは良いと思います。

家族と一緒に心の底から笑って過ごせる国。それがオーストラリア。

と、いつもとは違う提灯記事を書いてみました。いかが? ^^v

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