モスリムと値引き

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いつの頃だったか、家族とインドネシアはバリ島へ行ったときの事を思い出しました。

買い物時の値引きのことです。

バリに行ったら買い物が面白いというのはよく言われている事で、叩いて値切って、もういらないよと言いつつまた値切って最初の値段の30%とか20%で買うというあれです。

確かにやってみると面白い事は面白い。何度かそれをやっているうちに嫁といつの間にか連係プレイも出来るようになって、もうこの辺が妥協点かなと思う頃に、嫁が、さぁ、行きましょうと店を出るわけです。私も嫁が欲しくなさそうだからしょうがないね、というような顔をして外に出るわけです。でも、彼らはそれを遮るようにしてどうにか売ろうとする。で、また値引き交渉。結構早く勝負がつきますね。こちらとしてもこんなに安くて良いの?っていう値段まで下がって、じゃぁ、しょうがないなぁ、とOKを出して買う。

こんな事を何度か繰り返していたのですが、すぐ飽きるんですよ。それと売り子の悲痛な顔、あるいは怒ったような顔も見るようになると、それは作った顔だとは思いながら、そんなにまでして安く買いたくないと思ってしまうわけです。ここがもしかしたら関東人の関東人たる所以なのかも知れませんが、値引きごっこもあまり面白い物ではありませんでした。

そんな時にフト、年寄りが異常なほどに少ない事に気がついたんです。あらら、と思って見渡すとみんな若い。不思議だねーと嫁と話しながら歩いていると、いましたいました、お年寄り。多くの店が並んでいるところからちょっと離れたところで座っておりました。物乞いです。

なにかこの年寄りが気になって、離れて観察をしていたのですが、物乞いとしての卑屈さが全くないんです。堂々として、仙人のようにも見えてくるし、店でどうにか自分の商品を売ろうとしている銭ゲバの若い商人とは全く別の人種に見えてきたんです。

どちらが本当のバリ島の人なんだろう?

そんなことを嫁と話していたのですが、なぜかその老人に敬意を表したくなるような変な感覚になってきたのです。売り子達のあの強引さを考えると、きっとあの老人も家に帰ると稼ぎに寄っては子供達にいじめられたりするのではないか、そんな気にもなってきました。

いや、そんなことはあるまい。老人を大事にするはずだと、バリの街を見ていると感じるものがあったのも確か。大阪人の何倍も商魂たくましく見える彼らの神に対する従順さというか、敬いの心はあちこちで感じましたし、どうも金儲けだけしか考えない人種ではないような気がしてきたのです。

そして嫁に言いました。この値段でも良いと思ってからもっと値引きをしてもらったけれど、それってどのくらいの金額になるかな、と。結構買い物をしたものの、値段自体が安いので値引きの総額もたいしたことはありません。多分数千円だろうと思います。そして、私はその分のお金をその老人に全部与えました。

どうもその老人を見ていると、値引きそのものを楽しむ自分が卑しい人間に思えてきて、申し訳なかった、とその分を老人に返したくなったのです。その老人にしてみると大金だろうと思いますが、びっくりする様子もなく、静かに頭を下げただけ。で、思わず私も頭を下げてそれに応えてしまいました。

一体俺は何をしたんだ?もしかしたらあの老人のような姿が物乞いを商売とした場合、完璧な姿なのかな、とか、いろいろ考えながら歩いていましたが、この値引き自体もやっぱり変だと思うようになってきたんです。値引き交渉も適当なところで止めるべきだな、と。

私も商人の育ちですから、値段を叩けるものは叩くのが当然という考えがある代わりに、実際には利益が出なくても売らないとなら無いときには売るというのもわかるし、適正利益がどのくらいかもわかりませんが、相手を儲けさせるのも大事な事なわけですね。損をしてまで売るわけがない、というのはなさそうでも実はよくある。彼らが損をしてまで売るのかどうか、その辺は私にはわかるわけもないですが、買う方である我々がこの値段でも充分安いと思った時点で値引き交渉をあえて止めるというのが当たり前だと思うようになりました。

そりゃ、彼らの思うつぼで、単なるカモかもしれないけれど、私はそれで良いと思ったんです。こちらにしてみると充分安いわけですから、彼らが何倍儲けようと関係が無いわけです。

私は若い頃、日本で流通関係で仕事をしていたのですが、そのことを思い出していました。いわゆる百貨店やスーパーである商品を売る催事屋だったのですが、百貨店の外商と上客を回って、客からはもちろん外商からも値引きをしつこく言われるなんてことも毎度の事で、原価を割って販売する事もありましたが、大体、問屋も百貨店も客も三者が利益を得られるところで値段って落ち着く物なんですよね。誰かが損をする仕事は続くはずがないし、逆にみんなが儲けられたらこんなに良い事はないわけです。

そんな事を考えていたら、バリで値引きを強要するのも適当な所で止めようと思ったわけです。こちらも安く買ったと満足する価格で、売り子もしっかり儲けたと笑える金額で、まるで問題がないんですね。で、その落ち着く金額というのは、客によってまるで違うわけです。裕福な人間は多少高くても構わないわけだし、本当にお金が無くてどうしても安くしてもらわないと困る人は最後の最後まで粘る。売り子の方もそれを心得ていて、金持ちからはふんだくって、貧乏人には安く売る。

もしそれが成り立つなら、これほど民主的な商売はないのではないかとさえ思うようになりました。定価販売が当たり前なんだと、私はそれを疑った事がありませんでしたが、値段は相手によって変わるのが当たり前で、そうあるべきなんだと、バリの街で気がつきました。値段が違う事こそが平等であるという考え方です。

そして、それこそがイスラムの教えなのではなかろうかと・・・

まぁ、バリ島はイスラム教徒は少ないわけですが、そんな事を考えて一人で納得していました。

で、マレーシア。イスラム教徒が多い町。その街で早く買い物をしてみたいと思います。そして、ちょっとイスラムの教えも勉強してみたい。

去年だったかな、テレビでエジプトの繁栄の歴史を見ました。カイロがあれだけ奇跡的な繁栄を保てたというのはイスラム教がバックグラウンドにあったったからだとその番組では結論づけていましたが、テロ事件以降、どうもイスラム教徒には怖さを感じていましたし、昔から言われている、目には目を歯には歯をというのも、一般的な無知な私のような日本人に恐怖を植え込むのには充分だったはず。

しかし、イスラム教の基本は助け合いの精神だというのをその番組で知りました。弱きを助けるために、金持ちがこぞってお金を使うんですね。競争して貧しい人たちのために食事を振る舞う姿に感動したものです。まぁ、日頃搾取をしている側もたまにはカモに餌をやらないとならないってこともあるんでしょうが、私はイスラム教の教えの良い面を見ようと思いました。

それと最近、アメリカのアメリカンドリームに関しても考え方が変わってきました。成功物語は自分だけのものじゃなくて、みんなの物であるんだと思うようになりました。アメリカには勝ち組はその富を自分の物として独り占めしない習慣があるんですね。だから、弱い者は自分が出来ない分、強い者を応援して、その人が勝つ事によって自分も生きていけるというのを知っているんだと思うようになりました。アメリカ人のボランティア精神とか、信心深さには頭の下がるときがあります。高額の税金を払っていながら、あるいはそれほど裕福でもないのに、ちゃんと収入の10%を教会に寄付する人は少なくない。

そんな事を考えると、バリ島でガンガン値引き交渉をして喜んでいた自分って何だったのだろうと思ってしまうわけです。そんな意味でも、マレーシアのイスラム教徒達の生活、考え方を見てみたいと思いました。今まで知らなかった彼らの良いところが発見できたら、と思うと楽しみで仕方がありません。

その点、中国人ってのは・・・・・ま、いっか。

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