金の切れ目は・・

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友人から電話があった。離婚が決まったと。うーーーむ。

若い時ならまだしも、50もいい加減すぎて離婚も大変だ。それも理由はお金。奥さんはまだ小さい子どもを金もなく外国でどうやって育てていくのだろう。

金の切れ目は縁の切れ目というけど、愛情たっぷりの夫婦でもお金がそれを壊してしまうという例のよう。金で買える愛はないけれど金で失う愛はあるってのは本当のことなんですねぇ。

金が無いと言ってもサラリーマンならまだどうにかなるかもしれないけれど、事業をやっていて金がないとなるとゼロが一つ二つ増えてしまう。奥さんが外に出て働いたところでどうにかなる額じゃないし、蓄えはとうの昔につぎ込んで、借金さえある。

こういうのって他人事じゃないんだね。明日は我が身。

でもやっぱり変だ。別れて苦労するより一緒にやり直せばいいのに。っていうか、今までそうやって頑張ってきたけどもう限界ってことなんだろうか。愛想をつかしたのかもしれないけれど、それは今疲れ切っているからそう思うだけかもしれないって思うんですよ。やっぱり別れないで頑張って欲しいなぁ。子どももいるんだし、せめて別居ということでやってみるとか・・・。でも他人が口を出せる話じゃないし。

これが日本ならこうはならないのかもしれないなんて事も思います。海外では頼る人も親族もいないし、仕事だって制約があるし。外国にいると小さな不安が異常に大きくなるような気もする。回りは全部外人の中に自分がポツンといる状態にフト気がついて、恐怖を感じたこともあったっけ。だからこそ家族の絆が一番大事なのに、それが壊れるってどういう事なんだろうか。

マレーシアだろうがオーストラリアだろうが、夢に溢れてハイテンションになっているときにはまるで想像も付かない事が、現実では待ってると私は思いますわ。見ること聞くことやることみんな幸せ~~なんていうのも、数年も経てばそれらは日常になって感激はなくなって、逆にそれまでハイテンションだった分だけ見えなかった問題点が湧き出るように出てくる感じ。気が浮ついている時に始めたビジネスも冷静になると違う物が見えてくる。それを越えることが出来て初めて定住が出来るわけだけど、その成功率ってどのくらいなんだろうか。決してそれは高くないような気がするのはゴールドコーストを見ていて感じること。

駐在組はまだ幸せかもしれない。バックがあるし、とにかく頑張っていればまた異動して新たな環境で仕切り直しができる。ヘマをしなければ少なくとも食う金には困らないだろう。あるいは退職組もそうかもしれない。リスクがあることには手を出さず、年金をもらうなり、今まで溜め込んだ蓄えがそれなりにあればどこでどう転んでも生きていけるだろう。変な言い方だけど、老い先短いというのは救いかもしれない。でも海外での自営組の難しさ、大変さってのは今になって益々感じるようになりましたわ。逃げ場がどこにもない。失敗した時にどこにケツを持っていけばいいのか。まだまだ先も長いのに復活劇は簡単には始まらない。日本人が日本人を食う構図ってのは世界中どこにでもあるけれど、そうなってしまうのもわかるから困る。

海外では精神科医のお世話になる日本人が結構多いなんてことも、海外に出る前に知っていた人っているんだろうか。私はそんなことは想像もしなかったし、オーストラリアへ行けることそのものが嬉しかったしその喜びで一杯だった。また何があっても家族4人で力を合わせれば越えられない困難はないと思っていた。

でも現実はやっぱり甘くないのね。私が今どうにか生きていられるのも本当に幸運だっただけ。ラッキ~~ってのはこういうことをいうのだろう。運を掴めなかった人達も少なからずいるし、こうやって離婚を決める友人は今までもいたけれど、一体彼らと自分に何の差があって幸運不運の違いが出るのか、それさえもわからない。

でも不運だとしても嘆いちゃ駄目なんでしょうね。それは所詮結果であって、将来の不安があるから今日一歩歩き出すことが出来ないなんて人生は死んだも同じ。また幸運だと思って喜んでいるといつ足をすくわれるかわからない。

やるっきゃない。やるっきゃないんだけれど、涙は見たくないなぁ。みんな幸せになって欲しいし、願わくば我ら一家もいつまでも笑って過ごせるような家でありたい。そして金が原因で崩壊する家庭にだけは絶対にしたくないと思った。生きるのって大変だ~~。これは何千年も何万年も前から続いていて、世の中がどれだけ進んでも決して楽にならないってのも何だか腹が立つ。

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