グアムウルルン物語 その5

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グアムウルルン物語 その5

今回の2週間のグアム滞在で随分グアムを知る事が出来たし、自分自身グアムが好きだと確信できた。きっと将来もグアムとの繋がりは切れないだろうと思ったし、そうしたかった。また、グアムがきっかけとなってきっと自分の人生も変わっていくだろうとうすうす感じた。帰りの飛行機の中で、この滞在期間中の出来事を思い出しながら、そんなことを考えていた。そしてちょっとだけ、彼らの優しさには裏の目的があるんじゃないかといういやらしい勘ぐりも無くはなかった。

しかし、大変なおみやげを持たされてしまった。フジカワの妹を探す事。彼女がどこにいるのか、いや、生きているかどうかさえわからない。私が受け取った情報はトニーたちが進駐軍で日本に渡ったときにフジカワを尋ねていった住所と、その時の記念撮影の写真だけ。町名も変わっているかもしれないしその住所もローマ字で書かれたものだったので心配だった。

ある日、当時付き合っていた彼女と一緒にドライブがてらその住所を探してみる事にした。場所は横浜。どうせわからないだろうと予想していたので、事前に調べる事もなく、行き当たりばったりであった。とりあえず、横浜につき、交番でその地域、町名などを聞く。運良くその町名は残っていた。そしてその町へ入った。適当に車を停めて、メモを見ながら歩いてみる事にした。町名はあっていたものの番地表記が変わっているのに気が付いた。だが、道路を掃き掃除している地元の老人を見つけ、聞いてみるとすぐにわかった。この辺りに違いない。その周辺は横浜と行ってもいわゆる港町横浜の雰囲気ではなく、はずれの小さな古い住宅地。大きくて立派な家も無く、小さなXXX荘というアパートが連なる地域だった。また、老人が多く住んでいるのが印象的だった。

この辺りに間違いはないとは思ったものの、きっちりした番地はわからないので、トニーから預かった4人で写ってるセピア色の写真を頼りに聞き込みをしてみることにした。人通りは少ないものの老人が多く、回りの建物も古いので、もしやという予感はあった。古くから住んでいそうな老人を見つけては写真を見せて聞いたが、皆知らないと言う。そりゃそうだよなぁ。私が持っているのは30年前の写真だし、見てわかる事もなかろう。それでも出来る限り一生懸命探した。グアムへ言い訳出来るくらいはやってみようと思い、聞き込みを続けた。

「ああー、フジカワさんかぁ、知ってるよ」という老人と出会った。やったぁ!!ところがよくよく聞いてみると、数年前まで近所に住んでいたけれど、引越しをしたと言う。だが、運良くその老人は「確か2町目の方じゃないかな?」と言う。近そうだ。早速移動開始。そして聞き込み。そしてとうとう、「あのアパートに住んでいるよ」という老人と巡り合った。顔が紅潮し、心臓がドキドキしてきた。そのアパートに向かいながら、歩いていたのが最終的にはダッシュになった。それはそれはオンボロアパートだった。表札は出ていない。木のドアを開けると、細い廊下にいくつかドアがならんでいる、あの昔良くあった、共同炊事場、共同便所の三畳か四畳半の木賃アパート。人の気配がないので、声をだして見る。「すいませーーーん。フジカワさんいらっしゃいますかぁ?すいませーーーん。」「あいよーーー」としゃがれた返事があった。やったやった。いたぞ!!見つけたぞ!!慌てて靴を脱ぎ、声のした部屋に飛んでいった。「すいません。ちょっと入っていいですか?」「誰ーー、あんた」と部屋の中から胡散臭そうな返事。「えーーと私は○○です」と思わず名乗ってしまったが、わかるわけもない。でも何と言ったらいいのか、慌てていてわからない。「えーーーー、フジカワさんを探していました。えーーー、グアムからです。」とやっと言えた。ところが、「グアムぅ?そんなの知らないね。」と言ってドアを開けてくれない。困った。人違いか。でも写真と名前で探したのだから間違いはないはず。多少落ち着いてきたので、「グアムに渡ったお兄さんはいませんでしたか?そのトニーと言う息子さんに、父の妹を探してくれと頼まれて来たのですが」と言っている最中にドアが開いた。びっくりした顔をしている。「ガム?ガムから来たの?」と聞く。え?ガム?ああそうか、歳よりはグアムではなくてガムと言うのを忘れていた。「いえ、グアムから来たわけじゃないんですがぁ」と話し出したら、手で入れ入れと合図をするので部屋に入った。四畳半だろうか、かなり小さな部屋に見えた。隅に布団が畳んで積んであり、部屋には似合わない大きな仏壇。オバーチャンと私と私の彼女が座ったら超満員の部屋だった。

どこから話していいのかわからないので、順を追って私が学生でグアムへ行ってそこでフジカワファミリーと出会った事から説明した。話しを聞きながらそのオバーチャンは涙を流しはじめた。兄が他界した事を知らなかったのだ。オバーチャンが落ち着くまで私は話しを止めたが、よくよく見てみると、写真で見たフジカワとそっくり。小柄ではあるが顔の長い、昔の歌舞伎役者みたいな感じ。とりあえず、仏壇にお参りさせてもらってから、また話しを続ける事にした。トニーから預かった写真を見せて、この写真見覚えがありますか?と聞くと、ウンウンとうなずく。だが、もちろん彼女はその写真は持っていない。トニーに預かった写真ではあるが、オバーチャンにあげることにした。この写真に写っている米軍の軍服を来た息子さん、つまり貴方の甥っ子さんが貴方を探すように私に頼んだのです。と言うと、トニーか?と言った。名前は覚えていたようだ。それから何時間話しただろう。ガンですぐに亡くなった事。お墓の様子。家族の事など、私の知っている限りのことを話した。彼女は私の目を覗き込むようにしながら、一言一句逃さないように聞いていた。

そのオバーチャンの話しによると、太平洋戦争勃発直後に兄が突然帰ってきて、強制送還された事を知り、それからフジカワが昭和40年代に入ってグアムへ渡るまで、ずーーっと二人きりで過ごしてきたと言う。親戚も何もおらず、二人きりの兄弟であったと言う。また兄はいつかお前もグアムに呼んでやると言う言葉を残して行ったらしく、彼女はそれを待ち続けていた。どういうわけか彼がグアムに渡ってから手紙のやり取りはなかったようだ。フジカワも可哀相な人生を送ったと思ったが、このオバーチャンも同様であった。どうにか、このオバーチャンをグアムに連れて行く方法はないものか、私は考え出した。ビザの問題もあるので永住は不可能だろうが、せめてたった一人の肉親だった、フジカワの墓参りくらいはさせてやりたかった。 しかし、一通り話しが終わると、今度は間がもたない。これからどうしたらいいのか分からなかった。携帯電話でもあればすぐにグアムへ電話をしただろうが、当時そんなものは無いし、もちろんオバーチャンも電話を持っていないし、アパートにも無い。とりあえず私の連絡先を伝え、またすぐ来ますと言って、お暇することにした。

家に帰って、今後の事を考えた。まずは見つけた事をグアムに報告しなければならない。皆が帰っている時間を見計らって、トニーに電話をした。トニーは何度も何度も本当かと聞く。私も何度本当だと言っただろうか。5回は同じ説明をした。彼はパニックになっている様子で彼が何を話しているのかわからない。だいたい彼は英語が下手であったし、私との話しなのに、ところどころチャモロ語(グアム語)まで混ぜていた。らちが明かないのでアイダに替わってもらい、また同じ説明をした。しかし、アイダもパニくって結果は同じであった。

私も今後どうしたら良いのかわからなかった。しかしまさか一ヶ月もしない内にフジカワファミリー大軍団が日本に押し寄せてくるなど、想像もしなかった。

その6に続く。

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