日本の素晴らしさの影にあるもの

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窮地に追い込まれている地域もあるようで、またまだ取り残された方々もいらっしゃって、救援活動が思うように進まない状況を知り、あらためて今回の災害の大きさを感じています。原発もそうですが、早く落ち着きを取り戻し復興が進む事を願っています。

で、あえて皆が頑張っている時に非国民のような事を書きます。

私は基本的に保守系ですし、冗談で私は右翼だというぐらい愛国心は強く、また売国奴のような政治家には強い憎悪さえ感じます。

でも今回の災害を通して日本人を見ていると、日本人の美しさと危険は裏腹なんだと思うようになったのです。

大事が起きれば一致団結し、私欲は抑えて利他を考える。また被災者には進んで手を差し伸べて助ける。これはこれで当然素晴らしい事なのですが、この団結力の凄さに疑問を感じるのです。

これは村意識に非常に似ていて、いやそのものかもしれないですが、皆が一つの方向に向いた場合、ちょっと横を向いたやつを叩く、容認しない。またそれが怖いから多くの人は同じ方向を向こうとする。あるいは何の疑問も無く同じ方向を向くのかもしれません。この災害に対して善人ぶった言動をネットの中で感じたことは少なくありませんでした。

日本人の統率力、自制心の強さには各国から賛辞が寄せられていますが、確かに嬉しい。読んでいて私も涙が出た事は何度もありました。でもその根底にある愛国心の強さ、日本人は素晴らしいという自画自賛とも言えるほどの日本人としての性善説。これが余りにも強過ぎるんじゃないかと今回感じたのです。

例えば前の日記に出した略奪(?)が起きた映像ですが、あれは略奪じゃない、構わないと言う人が意外に多いこと。そういう反応の多さには正直びっくりしました。私はあれが良いとか悪いとか判断はせずに、そういう悲しい事がおき始めているんだな、それが広がらなければいいなと思っただけなのですが、まさか容認する人が多いとは想像もしていませんでした。そしてその方々は、その映像を流す事にさえ文句を言い始める。

これって認めたくない問題を矮小化して存在しないことにしてしまう。見たくないものは見ない。臭いものには蓋をしろ。折角日本を救えと皆が立ち上がっているのにそれに水をさす事になると言う人までいる。そしてそれが大半。

私の周りではそういう人ばかりですから、多分このブログの読者もそうなんでしょうね。

また、私は菅さんは危機管理能力が無いと感じていたのですが、今回の菅さんの指揮ぶりの評価は五分五分であるのにもへーーと思いました。そもそも、こういう一大事の時にリーダーの資質を論ずる必要は無く、任せるしかしょうがないという意見も多いのでしょうか。

また東電に関してですが、東電に働く人のブログがにぎわっているようです。その主は「私たちも一生懸命頑張っています。だから私たちを非難しないでください。」と書いた。これに対し、「東電が悪いわけじゃない。これは災害なのだから皆で力を合わせよう。」という意見が多いのです。もちろん、冗談じゃないという意見もある。

この「皆で力を合わせよう」という言葉って神の声と同じで、この言葉の前には何でも許されてしまう傾向があるのを感じました。これにつべこべ言うやつは非国民、売国奴です。

「日本は素晴らしい。」「日本を皆で守ろう。」これらは私も全くその通りだと思うのですが、「一致団結」して「一つの方向だけを見よう。」というのは行き過ぎだと思うのです。ましてやそれを「優しさ」だ、「常識」だと言われてしまうとそれに反することは言えない、出来なくなってしまう。

東電の今回の説明を聞いていて、良し、偉い、やる事はやってるな、そのまま頑張れって思った人はどれだけいるんでしょうか。私は全くそんな風には感じないし、今回の原発騒動は人災である部分もあるような気がしています。でも、あのわけのわからない説明をしていた東電の方は揺ぎ無い愛社精神を持ち、絶対に疑いの無い東電の性善説を信じているはずなんですね。でもそれが他人には責任逃れに聞こえてしまう。

東電も国民もその感情そのものは同じだと思うのです。これは愛だ、間違っていないと信じている。

今回の災害はそれこそ戦争と同じような被害があると思っています。津波は軍の侵略だし、原発は核ミサイルの恐怖と同じだと思うのです。被災地は戦後の荒れ果てた姿と同じ。

つまり、私が言いたいのは、いつもこのブログで書いている日本の歴史に関してですが、その歴史を作ったのはまさに今、災害に皆が一致団結しているこの日本人が作ったと私は感じるのです。日本の歴史は過去の日本人が作ったのではなく、今この日本でそして我々日本人のこの「一致団結」「大義の為に細かい事は許す」「違う考えは認めない」そしてそれこそが「愛国心」であり「人としての優しさ」であり、「人としてやるべきこと」であるとしてしまう。こういう日本人の考え方こそが日本のあの歴史を使ったと思うのです。こういう風に社会が動き出したらそれに反対することなんかなかなかできないはず。

「一致団結」これって外人にはなかなかできない事なのは海外を知ってる人には良くわかるはず。一致団結どころか整列さえできない(オーストラリア人の多くはそうです)、また並んで待つことさえできない人々が海外にはいくらでもいる。

この日本人の誰もが疑わない日本人の長所。まさにこれこそが日本のあの歴史を作ったのだと、今回の地震を見ていた感じました。

今回の災害に関して海外からは日本人の団結力、自制心の強さに賞賛の言葉が続々と来ていますが、その裏に日本の怖さを感じた外国人もいるのではないかと私は思うのです。

私はいつも書いているように保守系です。また一般的には右翼だろ?なんて思われるようなこともここに書いています。ただ、私には「全体主義」の考え方は全くないのです。「個人主義」は絶対に守るべきだと信じていて、けっしてそれは「利己主義」ではなく、「自分の存在」を認めるのと同時に「他の存在」も認めるという考え方です。

そういう点から見ると、日本人の「美しい」といわれる行動には怖さも感じるわけで、感情を高ぶらせてないと行動力が出てこないのは人間の本能であるとは思うのですが、感情を煽る事によって「一致団結」し「日本を救おう」という方向へ向かわせる力が大きく働いているように感じます。私としてはそうするのではなく、感情に支配されずに冷静に判断し、やるべきことを淡々とやれる人間でありたいと思うのです。

日本人はつるむのが好きですし、皆で集まって「エイエイオーー!」とやるのが基本的に好きな民族なのだろうと思います。それこそが日本の国力であったのは間違いがないとも思うのです。

でもあるべき姿は違うと私は考えます。価値観も考え方も違う者が集まり、それぞれの「個」を尊重し、また「一体化」させることもなく、それぞれがやるべきだと思うことを淡々と強力しながら出来る人間でありたいと思うのです。

話が飛びますが、良く「ハングリー精神が重要だ」という論者がいますが、私は大反対です。確かに感情がもたらす行動力は計り知れない強さがあるのはわかります。でもハングリー精神の裏にあるものが私は気に入らないのです。それは「劣等感」であり、それを裏返した「優越感」が入り乱れる感情であり、「他を叩きのめす」という攻撃的な意思。他人を押し退けてでも「勝つことへの執着」。私にはどれも恐ろしさしか感じません。ですから子供を育てるに当たってこのハングリー精神だけは利用するのはやめようと思いながら育てました。私自身にもハングリー精神は全くありません。

でもそれをひ弱だと言われようが、使えねぇと言われようが、人間は豊かになろうと目指して生きて行くわけで、実際に豊かになって和が重んじられるこの時代に、この原始時代的な生き残り方法が良いとはどうしても思えないのです。

でもそれだからこそ今の日本は他国に負けるのだと言う方も多くいらっしゃるし、私の周りの、特に中国人を見ているとそのパワーには絶対に勝てないと思うくらいです。でも私は負けないために同じ土俵に立って戦うのは馬鹿げていると思うのです。「ハングリー精神」には強さはあるものの「智慧」がないようにも感じます。ですから私としては日本人が、いや人間が向かうべき方向とはこの「智慧」をいかに獲得してそれを利用するかということだと思うのです。

感情を高ぶらせて突撃するのではなく、やるべきことを自覚してそれを淡々とやれる人間でありたいと常日頃考えています。

そういう意味で、今回の災害を通して多くの日本人が「善」だとして疑わずに一つの方向へ突進する姿を見、私はそれを怖いと思ったのです。

国に大事が起きれば全国民が一致団結して一つの方向へ向くのが当たり前だという考え。それが「愛国心」であり、「善」であり、「優しさ」であり、「国の為、世の為」だと。それがまさにハルノートを突きつけられて戦争に突入したことを容認する考え方であり、また大事を成すためには日韓併合も必要な事で、そして勝つためには侵略も殺戮、略奪もある程度はしょうがないじゃないかという日本人の傲慢に繋がるのだろうと思います。

私が望む「美しい日本」とはそういう国じゃない。

日本が頑張っている時にこんなことを書く私を批判する人もいるでしょうね。自分は保守だなんて言うなと怒る人もいるでしょう。

屁理屈は大事が終わってからにしろと言う人も多いだろうと思います。でも考えながら歩くことをしないから、日本はあの国難に向かって行ったのではないでしょうか。

私にとってこの災害は、日本にとって「美」であることが実は功罪があるというのに気がつかされた一つの経験になりました。ただここに今書いたことは全部の日本人がそうであるとは私も思っていませんし、皆がそれぞれの思いを持ち、それぞれが出来る方法で協力しているのだと思います。ただ「そうするべきだ」という押し付けに似た動き、そうする人たちを美化しすぎる傾向、またボランティアによくある傾向ですが、自分に酔いつつそれを他人にもやらせよう、同じ考えを持たないものは人に非ず的な傾向があるのを感じたということです。

「愛国心」は悪いものであるはずがなく、是非今の政治家にもそれを強く持って欲しいとは思うのですが、この「愛国心」を煽る行動が世界を不幸におとしめる一つの要因であるという、その矛盾も間違いなくあると感じるのです。でも左翼が言うように「愛国心」が悪いものとは絶対に思っておらず、左翼の論理は「個人主義」と「利己主義」を同じものと考えている愚かさがあると思っています。

コメントには書きづらいと思いますので、是非メールでも結構ですのでご意見を聞きたいと思います。

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