明けましておめでとうございます。
年月が過ぎるのは本当に早く感じるような歳になったのによくも若い人たちに混じってブログなんか書いていると思うのですが、結構このブログってのも毎日の生きる張り合いになる部分もあって、これがなければ放ってしまうことでもブログに書くとなるとそれなりに真面目に考えないとなりませんしそれは自分の為にもなってきました。ということで、今年もまた今まで通りに独断と偏見の長~~~~い日記を書き連ねることになるはずですが、何卒宜しくお願いいたします。
去年は子供達が家を出てしまい、とうとうヨメさんと二人だけの生活になってしまいました。まだ子供達二人は学生ですが、きっともう二度と一緒に住むことは無いと思いますし、どんどん離れていくばかりでしょう。
一般的には二人だけになったらどうしようなんて計画を立てるのかもしれませんが、我々は全くそんなことも考えず、というかそうなってみないと何もわかりませんので自然の流れに任せていました。でも子供がいなくなって感じたことは、今まで自分は子供だけを中心に生きていたということ。親ばかなのは前から自覚がありましたが、子供がいなくなることがこれほどまでに精神的にも実際の生活の上でも影響があるとは想像もしていませんでした。子供だけ(ヨメさん少々)のために生きていたと改めて実感しました。
しかし考えてみれば、多くの人がそうであるように、意外に人間って自分のためだけに生きることはしていないのではないかと思いました。
気が付いたときにはもうすでに自分は生きていて、食べていかなくてはなりませんから夢だ希望だという前に、人生ってなんだかおもしろくないなぁと思いつつあれじゃこれじゃと考えて生きていくしかありません。
そしていつの間にかヨメさんがいて、二人分稼がなくてはならないと思い慌てているうちに子供も出来た。どうして人間って働かないと食えないのか、そんな当たり前のことが私にとっては非常に面白くなくて、そういう常識に常に反発しながら生きてきたような気がします。
稼がないと食えない。食わないと死んでしまう。
この当たり前のことが今でもどうにも面白くありません。認めたくないけれどでも仕方が無いわけで、やっぱり稼ぐことが自分の中心にいつのまにかなっていました。でもそれって決して自分のためという意識は無くて、ヨメさんや子供達が中心でした。そして仕事に目を向ければ一緒に働いてくれるスタッフもいるし、取引先も含めて大きな輪の中の一員として自分の好き勝手には出来ないし、「XXXせねばならない」という意識に常に囚われてきました。
こういう考え方ってもしかしたら日本的、あるいは農耕民族的な考え方なのかもしれませんが、決して自分の欲望を中心において生きてきたのではないと言って良いと思います。常に家族や会社や関わりのある人たちの為に生きてきた。そんな感じがします。
でも仕事もやめた。子供達も巣立ったとなると、ヨメさんと自分しかいません。目の前から突然生きる目標が消えてしまったような感覚さえありました。
昔から「立って半畳、寝て一畳」という言葉が好きでした。人間にはそれだけの広さがあれば十分、「足ることを知る」という言葉と同様に「自戒の念」としてこの言葉を捉えていました。
でも最近これは意味が違うのではないかと思うようになったのです。
足ることを知れ、欲張るな、という意味ではなくて、そもそも人間って、もし自分ひとりだけのことを考えたら、立って半畳寝て一畳しかいらないと考えているのではないかと思うのです。そもそも人間にはそれ以上の欲望はないのかもしれない。だから自戒しろという意味じゃなくて、そういうものだと当たり前のことを言っているだけのような気がしてきます。
良く動物は必要以上の殺生はしないと言います。でも人間だけが必要以上に殺生をするし、あれも欲しいこれも欲しい、もっと欲しいと際限なき欲望があると言います。でも、私はそれは嘘じゃないかと思うのです。人間も動物と同じように、必要以上の物をそもそも欲しがるようには出来ていないんじゃないかと。
でも、自分のためじゃない場合には必要以上に欲しがる。
ここが面白いところで、それは家族のためであったり会社のためであったり、あるいは国のため、自分とは離れたものの為に自分が何をすべきか考えた場合、必要以上のものを欲しがるような気がするのです。欲望は他人のためにある、そんな感じ。
愛があるから生きていける。でもその愛の裏返しは果てしない欲望のような気がします。でもそれは個人の欲望とは違っていて、愛の為には命をも捨てるし、武士道の根本もそれだと思うのです。自分が生きるために他を大切にするのだと説明する行動心理学は表面的なものしか見ていないのじゃないかと思うわけで、そもそも自分のためだけに生きれるほど人間は強くないのが事実じゃないかと思っています。これに関してはあの三島由紀夫が同じ事を言っていたのにびっくりしましたが、私はそれが真理だと思っています。
どうしてそんなことを考えたかというと、その切っ掛けは東日本大震災でした。命の儚さや文明の無力さを感じたのと同時に、人間の愛やたくましさ(そしていやらしい我欲も)も感じました。そして決して自分は傍観者であってはいけないし、世の中の多くの人が反発しましたが、石原東京都知事の「天罰発言」。災害に合った人たちのことを考えていない発言だと多くの人は非難しますが、私は全くそうは思っていなくて、そもそも災害に合った人と合わなかった人との違いを石原知事は考えていなくて、つまり、あれは我々日本人の、あるいは人類の問題であって、直接の実害があるなしでは無いと思うのです。そういう意味で、私は石原知事のあの言葉は全くその通りだと思いました(被害に合った人があれを聞いてどう感じるかは別問題)。
あの災害(原発事故も含めて)は自分には関係ないと考える人こそ、石原氏の言わんとしていることは理解できないと思いました。我々全てがあの災害の当事者だと私は思うのです。
もちろん資産どころか命さえ落とした方がいらっしゃるわけですが、では実害が無かった人は助かった良かったねという話じゃなくて、たまたま自分がそこにいたのかいなかったかの違いでしかないはずで、だからあれは決して他人事じゃない。また原発にしてもあの事故の責任は自分にもあると思うわけで、原発に関して無関心でいたことは非常に大きな罪であると私は思うのです。
この辺の説明を私はうまくできない苛立ちがあるのですが、親子のことを考えてみても、子供の死、あるいは子供に災難があれば自分にそれが起きた以上に悲しむのが親だと思います。人と人の繋がりの枠の話を私は今しているのですが、その思いの枠が広がれば隣人、あるいは同胞、あるいは人類全て、そして生きとし生けるもの全てに対して、あるいは地球でさえもガイアという一つの生命体と考えることも出来るはずで、どこまでを自分が愛して大事にするべき枠とするのか、どこまでが自分が今実際に気になる枠なのか、そもそもその枠は誰がどう決めているのか。それは人間の器の大きさなのか、そんなことを考えさせられました。
親が子供を愛するのは当たり前。でもその愛の枠はどうしてその子供で終わってしまうのかそれも不思議です。マザーテレサって一体何を感じ、何を考えていたのか今頃になって興味が出てきました。
しかし私は残念ながら地球の裏側で死んでいく子供達に涙を流したこともありません。助けようと思ったこともありません。ただどうして自分がそうであるのかが良くわからないけれど、何か変だと感じるのです。どうして自分の子供と同じように他の子供を愛せないのか。どうして手を差し伸べようとしないのか。
バカな話かもしれませんが、どういうわけか私はその手のことが昔から気になっています。動物も同じです。自分のペットは一生懸命可愛がるのに、同じような気持ちを鶏や豚や牛には感じません。生きている活魚をそのまま調理して、目の前にピクピクしているアジのお造りが出てきたら美味しそうだと舌なめずりをする。これって他国では犬や猫を食べたり、あるいは生きている猿の頭をかち割って脳みそを食べる料理があるわけですが、それと同じようにライオンが人間を食べたり、熊が人間を襲ったり、これら全て生命の営みとして同じ事なのにどうしてそれらを区別するのか。自分のやることは許せて、他のやることは許せない、あるいは関係ないことには何も感じないって本当はおかしいはずで、それは鯨の話も同じ。
一体なんでこんな話をしているのかということですが、今まで私の生きる目的であった子供達がいなくなったということで、そもそも自分の生きる目的ってなんだろう、もっと愛を注ぐ枠を広げられないか、広げるべきではないのか、そしてそれがこれからの自分の生きる目的になり得るのではないか、それをちゃんと考える時期が来たようなそんな気がするわけです。その切っ掛けは子供が家から出たことであり、そしてその直後に起きたあの大震災であったということ。
今まで自分の価値観や愛する対象が限定的であること、それ自体は変だと思いながら人間とはそんなものであろうと深く考えることがなかったのですが、去年はそれを考えさせられた一年でありました。
人は一人で生きていけない。これは動物も植物も全ての命がそうであるし、地球そのもの宇宙そのものがそういう風に出てきているはず。だからそれから目をそらさず今までそれを真剣に考えてこなかったからこそ、これからはそれを見て生きてみたいと思うのです。
キーワードは笑顔かな。
これは喜びとか笑いというイメージじゃなくて、なんとなく良かったねとニッコリ笑える生活。それを回りに広げてみたいと思うのです。
今までは家族のことばかり考えていました。で、どうにか将来的にも大丈夫だろうというところまでは来た。でも現実的には親兄弟親戚に目を向けると問題は山積みで、でもそれらには目をつぶって生きてきました。彼らは我々がそうであるように彼らの責任において問題を解決するべきだと考えてきました。またもし親兄弟親戚にまで目を向けて手を差し伸べると、結局は皆が総倒れになるという現実があるわけで、これは全世界の人間を飢えから救おうとしたら、全世界の人間が飢えることになるのと同じで簡単にはできない。
でもそれってそうじゃいけないはずで、今まで人類が生き延びてこれたのはそれぞれ個人の力に寄るものではなくて、やはり出来る者が出来ない者をサポートしてきた結果だと思うんです。それぞれが自分のことしか考えていないとしたら、もうとっくに人類の歴史は終わっていたはず。そもそも国の成り立ちもそうで、あるいは村でもなんでも良いけれど、それらは決して搾取のための組織ではなかったと思うんです。やはりそこに住む人たちは家族を守りつつも一族やコミュニティを大事にし、助け合ってきた。その枠が大きく広がり、それが村となり国となり世界となるはず。そしてそうやって世界は動いてきた。
でも自分は家族のことだけにしか目がいかなかった。しかし現実としては親族にも助けを必要としている人は決して少なくない。ましてや目をもっと広げたら・・・・。
自分に出来ることは限りがあるけれど、でもその限界を作ってきたのも自分で、家族がどうにかやっていければそれで良いと思っていました。でもそれは違うはず。
足ることを知る。あるいは立って半畳寝て一畳にしてもその思想が自分本位、自分勝手であるような気が最近してくるのです。逆にこの言葉を言い訳にして、やらなくてはならないことから目をそむけてきたような気さえするのです。自分だけよければそれで良いのか。いや、絶対にそうじゃないはずなんですね。そう考えなかった人が世の中には一杯いたから今の世界が成り立っているはずで、もし自分さえ足りていれば良いというのが真理であるなら、そもそも家族も成り立たないし、一族も村も国も成り立たない。
私はこの歳になるまでそれがわからず、ある意味子供のままであったような気がするのです。常に何かを得る側であって与える立場ではなかった。いや、家族に関して言えば与える立場ではあったけれど、私の枠は家族止まり。これは絶対にうまくないと思うようになったのが去年。そんな風に考えると、自分は自分がやるべき最低限の事だけをやってきただけで、本来やるべきことはいくらでもあるはずなのにそれをやらずして、これから老後を楽しもうという考え方で良いはずがない。
いや、出来ることならみんなでニッコリ笑えることを楽しめる老後にしたい。そんな風に思うのです。
私は小心者で人生を賭けるってほどのことをしたことがありません。逆に逃げ足の速さは自分でも特技じゃないかと思うくらいで、仕事でもなんでも深追いをしないで生きてきました。私の人生観としては仕事でも(相場でも)なんでもそうですが、一度の失敗で全てがパーになるのを見て育って来ましたので、リスクは極力減らす生きかたをいつのまにやらするようになって来ました。だから大きな失敗もなければ(いや、あったか 笑)、その代わり大きな成功もなかったし、何よりもこの歳になって自分のやってきたことに対して満足感がないのです。これって私にしたら大問題。
昨日、「坂の上の雲」の今回の分、4話をまとめて見ました。良かった~~。やっぱり人生って計算づくで挑戦もせずにこじんまり生きていても面白くもなんともないって見ていて思いました。またあの大震災で、自らが助けが欲しい側なのにボランティアに頑張る多くの人たちの姿を見て、自分としてはこのままのんべんだらりん生きていては申し訳が立たないと思うに至りました。
だからこれから、今になって、この歳から、私の本当の、そして我が人生初めての挑戦らしい挑戦を始めようと思うのです。それの第一歩。とっかかりは自立塾です。まず私自身が古い価値観、小さく凝り固まった自分から自立しなくてはならないのですが、目標としてはそして私が注力したいのは恵まれない子供達の自立サポート。今まで自分の子供達を愛して大事にしてきたけれど、それと同じ思いをどれだけ広げることが出来るのか。子供は人類の宝。そして未来を切り開いていくのは我々ではなくて子供達。その子供達をしっかり支援してみたいと思うのです。道は遠く果てしなく、お金もいくらあっても足りませんが、それに賭けてみたい、賭けてみようと新年、思いを新たにしました。