友達 その2

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

友達という題で日記を書きましたが、結構反響があるのでびっくりしています。

って、何も盛り上がってないじゃないかと思うでしょ。コメントも一つしか付いていないし。

これ、表じゃなくて裏で盛り上がってます。こういう内容にコメントをすることさえ恐怖を感じる人が多いのが良くわかります。

私がこういうことを書くのも本当はかなりうまくなくて、dabo_gcなんて名前はあちこちで使っていますし、本名を含めて私を特定するのは簡単なんですね。会ったことがなくても、ああ、あいつか、って誰でもわかる。

面白くない奴だと思う人もかなりの数いるでしょうね。下手にダボと知り合いだなんていうと、百難あって一利なしかもしれないし、それどころかこのブログにコメントを書いただけで、ダボと知り合いなの?なんて聞かれることもあるようで、違う名前を使ったり、秘密コメントにしたり、それもなんとなく怖いからメールにしたり。(笑)

私はどうして平気なのかなぁ。

私だって嫌われたくないし、敬遠されたくないし、ましてや村八分なんて嫌なんですが、そういうのに慣れちゃったのかな?(笑)

でも、私は大事だと思うことはやっぱり主張したいし、他人の顔色を見ながら生きるとか長いものに巻かれて・・なんてのは絶対に嫌だし、もしそう生きるとしたら、窮屈な日本を出て、友達も知り合いもいないオーストラリアに来て子供を育てどうにかやってきたこと全てを自らが否定することになるような気がするんですよ。

で、自分を主張しながら生きていても、ちゃんと友人関係は構築できるし、それも上辺を繕って維持している人間関係ではないし、私はすごく幸せです。ヨメサンもそれは同じだと思う。二人とも欠点ばかりで長所なんか少ないし、ましてや日本的常識から遠く離れちゃってる部分もあると思うのだけれど、そんなのは全く関係ない友人関係がちゃんと構築されている。有難いとも思っています。

で、私は「先輩面なんてする人はいないのに」って書きましたが、いや、いますよ、って話。ハイ、いますよね。私はイヤミの気持ちをちょっと込めて、あえていないって書きました。

でも、先輩面ってのも見方一つで、確かにそれで自分の居場所を作ろうとしている人もいるとは思うけれど、多くは善意であると思っています。ただ、その言い方一つで、カチンと来たり、ギョギョッと思うだけなのね。

ああ、この人にはもう何も聞くまいって思ったことは我々だってあります。

でもしょうがないですもんね。こっちは何も知らないんだから。教えてもらうのに文句を言うのは筋違い。有難いと思って接するしかない。

ま、こんなことはどうでもいいと私は思っていて、私として気になるのは、不安だらけの人たちが集まって情報交換をし、助け合うという互助会みたいな組織、あるいはグループなのに、そこで村八分が起きるという事実。これも結構頻繁に起きるのね。うちのヨメサンがこれをやられた経験があるのは前に書いたことがありますが、親友に騙されてグループから追い出されたことがあります。

ま、原因がなければ何も起きないわけで、じゃぁ、誰が悪かったのかって話になるんだけれど、私はその考え方がそのものに問題があると思うんですよ。

悪い奴なら、皆で追い出して当然なのか?ってこと。

アハハオホホと皆で楽しくやっている互助会みたいだけれど、私には、実はみなさんピリピリしていてかなり神経を使ってやっているのが見えるような気がするんです。で、「見ざる、聞かざる、言わざる」ってのが基本にあるように思えます。楽しいことにはわーーっと集まりますが、雲行きが変だなと思うとサーーーっと引くんですね。

で、中心人物が言うことは絶対で、それに反論なんか死んでも言わない。(笑)

中心人物が誰を好きで誰を嫌いかってのも逐一見ていて、自分もそれに同調する人は決して少なくないのね。

いや、好き嫌いじゃない。組織として守って欲しいこと、やってはならないことがあって、それを基準に考えると切るしかない人もいるんだというのがそういう人たちの主張。

ま、それは間違いがないのかもしれないけれど、私が考える互助会ってそういうんじゃないんですわ。

何があっても切らない、助けるってのが互助会だと私は思ってます。

そういう意味で、海外で必要な組織ってのは、しっかりしたルールの下に集まった情報交換グループだとは私は思っていません。これって放って置いても自然発生的にできるんですよね。まぁ、それをうまくコントロールして大きな組織にする意味がなくはないとは思いませんが、本当に必要なのは「駆け込み寺」だと思っています。

それこそ有名な、そして中心的な日本人グループから疎外されると、その地域では生きていけないなんて考える人は少なくないと思うのですが(特に女性)、逆に、そういうところから疎外されたような人が救われる道は無いの?ってところが気になるんです。

あるいは、精神的なものだけじゃなくて、肉体的、あるいは金銭的な問題を抱えたときにどこに助けを求めるのか?

この答えはもしかすると簡単で、ロングステイをさっさとやめて帰れってことなのかも。

まぁ、ロングステイってのは所詮遊びの延長ですから、そんなもんかもしれないって思うのですが、もし、移住だ、永住だとなるともう一歩踏み込んで人間関係を考えないとうまくないと思うんですよ。

前にも書きましたが、日本人会へ行った友人が、たまたまある日本人の老人が「もう食えない、助けて欲しい」と日本人会の事務の人に泣きついていたのを見たと聞きましたが、こういうことって私には他人事には思えないんです。

ゴールドコーストでも似たようなことはいくらでもあって、無視する人がほとんどですが、どうにかしようと有志が立ち上がったケースもありました。当地に来る人は多くが永住権保持者でしたので、就労の自由もあるし、社会保障も受けられますので、どうにか助けることは可能なんですね。

また、多くが永住権保持者ってことは、なんらかの仕事をしている人も多く、その関係でどうにかできることもなくはなかった。

ま、そのほかに、金を貸してくれなんて話は掃いて捨てるほどあって、でもま、これは一番難しい話で、貸してもどうにもならないケースが多いのね。でも私が思うに、仲間意識って結構強くて、なんだかんだ助け合っていたような気がします。

マレーシア関係で私がびっくりしたのは、マレーシアにも日本人がいろいろビジネスをしているわけですが、そういう日本人を助けようと言う観念がまるでない人が多いのに気が付いたこと。それどころか、日本人より現地の店、サービスの方が安いとか、あいつはうそつきだ、だまされたなんて話がやっぱり多い。

この感覚って私はゴールドコーストの(かつての?)日本人とは違っていると思っていて、もし何か買うのなら、何かサービスが必要なら、日本人の会社を使って日本人社会を盛り上げようよと言う考え方があったように思うんです。多少高い程度ならいいじゃないか、みたいな。

これって余裕があるかないかの問題じゃなくて、昔から世界にちらばった日本人がその地で生き抜く知恵として当たり前にやってきたことだと私は思っています。でもそういうものをマレーシア関連では感じない。

余裕が無い、自分の事で精一杯ってことなんでしょうか。私にはそこのところが良くわかりません。

私がゴールドコーストへ来てから2年目のときですか、日本人会の理事になりました。第4期だったかなぁ、5期だったかなぁ。日本人会の理事なんてなり手がいなくて、みんな逃げ回るような状態(今もそうかな?)で、でも一度はご奉公みたいな(笑)感じでやる人が多かったような気がします。

私がゴールドコーストへ来るのを決定付けた人がいます。それは永住権も取る前の話なのですが、誰も知り合いもいない、友人もいないゴールドコーストへ様子を見に来たときの事です。当時はインターネットなんかありませんでしたし、パソコン通信はありましたが、ゴールドコーストだ移住だなんて情報を得るのは難しく、数少ない書籍から様子を伺うだけだったんです。

で、当時はゴールドコーストには日本人会もなかったと思っていて、とりあえずブリスベンの領事館に情報収集に行きました。そうしたらそこにゴールドコーストの日本人会の入会申込書があったんです。ありゃ、日本人会ができたんだと思ってその用紙をもらい、そしてそこに名前が書いてあった担当理事に電話をしてみました。

突然で申し訳ないけれど、お会いすることは出来ないかとお願いしました。ゴールドコーストの永住に関していろいろ聞きたかったからです。

すると当時の担当理事、総務ですが、いつでも来てくださいといってくれたので早速アポを取ってその方の家にお邪魔しました。

歓迎してくれてああじゃこうじゃ、それはそれは何時間もお話を伺っていたのですが、その状況をちょっと離れた椅子に座ってニコニコしながら聞いていたオジーチャマがいたんです。その方に、話の最後ですが、ゴールドコーストはいかがですか?とお聞きしましたところ、「もっと早くに来ればよかった」とおっしゃったんです。

あの場面って今から20数年前ですが、今でも目に浮かびます。私はそのオジーチャマの笑顔を見ながら、よし!ゴールドコーストへの永住、決定!と思いました。かなりのお年寄りでしたが、そういう方がもっと早く来たかったというなら大丈夫だと思ったのです。

そのご家族とはその後、親戚づきあいのようにさせていただいて、20年以上経った今でもずーーっとお世話になりっぱなしです。当時小学生だったお子さんも今では結婚して立派にやっていますが、我が家の息子達もその彼を目指して育てたような感じでした。

で、来て二年目ですが、私はその方に恩を感じていまして、どうにか恩返しをしたいと考えていました。でもフト思ったのは、彼が日本人として、そして日本人会の総務担当理事として日本人社会に貢献していたのを思い出し、私はその恩は彼に返すのではなくて、彼がそうであったように日本人社会に恩を返そうと思いました。そして彼と同じ、総務担当理事になりました。

総務担当って要は何でも屋で、また会員との窓口になるようなポジションでしたが、私がまず作ったのは駆け込み寺でした。

当時のゴールドコーストって今のマレーシアに似ているような感じがするのですが、早くに永住してきた人でもせいぜい数年で、毎年毎年我々がそうであるようにどんどん日本人が渡ってきた頃です。ですから多くの人たちは右も左もわからずチンプンカンプン。

そういう人たちのバックアップをする組織がありませんでしたし、しかし日本人会の存在は大きく、そこに終結して催し物を通して人間関係の構築、助け合いがなされていましたが、普段、普通に生きるには問題がなくても、緊急のときにどうするのかってところが抜けていたように私は感じたのです。小さな子供を持つ家庭も多かったし、逆にお年寄りもいたし、問題なんかいくらでもあったわけです。

で、今でもお世話になっている日本人医師と相談し、彼の快諾も得て、24時間ホットラインを作りました。医療関係はもちろん、水道管が破裂したとか、自動車事故が起きたとか、泥棒が入ったとか、屋根から水漏れが始まったとか、とにかく何でもいいから困ったときには電話をくれと。友達が出来ないとか、寂しくて死にそうだ、支払いが迫ったけれど金がないなんてのもOK。私の携帯電話がその番号です。

多分、その手の問題は真夜中に多く起きるだろうと思っていたのですが、実は私がそれをやっていた2年間に受けた電話はたった2本だったのです。それは緊急でもなんでもない、食えなくなったので社会保障をどう受けたらいいのかと言う相談と、もう一つはビザ関係の相談のみ。

二年後に思ったのは、私って信用されてなかったんだなぁってこと。たった二本しか電話がありませんでしたから。(笑)

でも理事を辞めるときに、あるご老人から、何かあったら電話をすればすぐに助けてくれるという安心感は絶大でした。ご苦労様でした。とお礼(お世辞)を言われたときは嬉しかったです。

ま、それが今日の話題とどういう関係があるのかって事ですが、やっぱり友達には頼めない、頼みたくない、それどころか食えなくなったなんて知り合いだからこそ言えない話ですし、いくら友達関係を構築しても解決には難しい話はいくらでもあると思うんです。また、友達グループとしてもそんな話は持ってこないでくれと言われそうな事柄もあるはずなんですね。

で、そういう時の駆け込み寺ってやっぱりあってもいいんじゃないかと言うのが私の考え方。それもルールも何も無し。自分が悪いのが原因だろうと墓穴を掘ったようなことでも困ったことがあれば助ける。そんな存在がマレーシアにあったらいいなぁ、なんてフト思うんです。でも私が見ている限り、それは無い。

じゃぁ、お前がやれ?(笑)

私が先頭に立って何をしようと言う思いはまるでありませんが、私がKLに行ってから構築したいと思う友達の和って、ルールがどうじゃ、常識がどうじゃ、モラルがどうじゃ、ああいうやつは駄目だの排除するだのそういう友達の和じゃなくて、どんな人にでも「居場所」がある友達の和にしたいと思ってます。

光と影って対になっていると思っていまして、光の部分で皆が楽しく集まり遊ぶ場所、グループってあるし、どんどん増えると思います。それはゴールドコーストも同じ。でもそれとは違う影の部分の存在も認めて、臭いものには蓋をする、無視をするんじゃなくて、それも分かち合えるような付き合いがいいなと・・・・。

私はKLに行ってからやりたいことってまず頭に浮かぶのは写真。面白そうな被写体っていくらでもあるので、カメラを提げてぶらぶらしたいと思っています。で、そんなことにでも一緒に行きたいって人がいたら大歓迎で、何を話すわけでもなく、相談するわけでもなく、ただ一緒に歩いてプラプラするだけ。こんなことで救われることってあるんですよね。それは私も同じ。何があったと話せないことっていっぱいあって、でも、この人なら聞いてくれる、わかってくれるかもしれないと思うだけで、結局何も話さなくても救われる。

実はゴールドコーストの私達の人間関係ってそれで、いい歳のオヤジが今更相談できない悩みだってあるし、見栄もあるし、恥ずかしさだってあるし、他人にいえないことなんか山の様にある。でも友達といるだけで癒される。そして実際に何か事が起きたとき、絶対に彼らが助けてくれるという確信があるし、彼らに何があっても、その原因が彼らにあったにしても私達は彼らを助ける。

昔から世界に散らばった日本人達はそうやって生きていたはず。でしょ?

昔、ゴールドコーストの日本企業の間で日本人ブラックリストなるものが回っていたことがありました。永住権で渡ってきて仕事をしている人は多いけれど、どんな人か過去の事もわからないわけですよ。そこでいろんな資料、情報からブラックリストなんてものを作った人がいたんだけれど、我々が仲良く付き合っていた家族がその中に含まれていたことがあったんです。

まぁ、いろんな人がいるから注意するのは大切なんだけれど、その人だって奥さんもいれば子供もいるわけで子供同士も仲が良い。では、日本人コミュニティーから追い出すべきなのか、付き合わないほうが良いのか。私としては、そんなのは付き合い方一つだと思っていましたので、ブラックリストなんて全く無視していました。

でもそういう情報を大事にする人もいるのね。困ったもんだ。

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。