自己責任

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前の日記に「福島原発の事故」が気になると書きました。

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この中で、そろそろ自己責任を考えても良いんじゃないかと書きましたが、これに関して(かなりの勢いの)お叱りのメールを頂きました。

このブログの左を見て頂きますと、私にメールが送れるようになっていますし、メルアドも書いてあります。アットマークというところを@にすればOK。このブログってコメントも少ないですが、私にしか見えない秘密コメントの率が高く、またもっと内容が入れ込んでいる場合にはメールを頂くこともあります。本当はこういう秘密コメントとかメールの方が内容的には濃くて、出来ることならそれをオープンにしたいのですがそれも叶わず。

今回頂いたメールですが、福島原発の事故その後の放射能の広がり、汚染の広がり、そしてそれを隠すような世の中の動き、また原発の存在そのものに関して子を持つ親は本当に心を痛めていて、どうにか子を守りたいと一生懸命であると。政府や自治体、東電に対する働きかけもどんな思いでやっているのか貴方にはわからないのですか?という内容。

いや、私にもわかります。なんて簡単には書けませんし、心中は十分に察しているつもりですとしか言い様がないのですが、私の言う自己責任をちょっと取り違えているように感じました。

つまり、原発の事故や原発そのものに関して我々にも責任があると私は言っているのではないのです。(ここに関してあとで補足したいことがあります)

私が言いたいのは、子供への責任、まぁ、自分も含めてですが、どうするべきかというのは政府や東電ではなくて親の責任において考える必要があるということなんです。

避難、除染、いっそうの広がりがないような対応、危ない地域での規制とか、それらは事故を起こした東電、原発を推進した政府、受け入れた自治体の責任において続けるのは当たり前で、足りない部分があればもっときっちりやれと住民が声を上げるのも当然だし、そんなことはもう無駄だ、やめろと言っているのでもないわけです。

この辺、わかってもらえませんかねぇ。

彼らにもっとしっかりやれ、原発はもう停めろ、廃炉しろとどれだけ叫んでもその通りになるのかどうか。国民が一致すれば世界は変えられるだろうけれど、まるで進まないかもわからない。そんな状態で時間がたつばかりだったらどうする?って私は思うわけです。それで一番気になる子供の安全が確保できるのか?って話。

悪いのは誰かなんてどうでもいいわけですよ。それがわかったところで子供の危険が去るわけじゃない。(なんだか違う日記のコメントでも最近似たような話がありましたが)、責任は他人にあってそれを追及しても自分としては何も変わらないかもしれないとなれば、自分の責任において自分が行動を起こすしかないんじゃないでしょうか。

日記のコメントにも書きましたが、火事と同じだと思うんですよ。近所で火事があって、今もそれが燃えている。もちろん消防車も来て頑張っているのだけれど火は消えない。さて、自分の家は大丈夫か?消防署は火は収まっていて大丈夫だという。でもどう見ても大丈夫そうには見えない。火の粉も飛んでくるし、いつ自分の家に火がついても不思議じゃない。

そんな状況の時に、消防署に嘘をつくなとか、どうなっているんだとか、延焼しないようにどうにかしろと騒げば良いってもんじゃないでしょ。責任者出て来いと言ってもしょうがない。でも火が広がらないようにちゃんとやってもらわなくてはならないから、やり方がおかしければいちいち文句をつけることも必要。

では自分は逃げずにそこに留まるのか?

それを考えるのは自己責任だと言っているんです。

でも、逃げられる人は逃げた。でも逃げられない人はどうすればいいの?って話が次に出てくるし、一番の問題はそこですよね。

ここは冷たいかもしれないけれど、自己責任として考えるしかないと私は思っています。政府は逃げる必要はないと言う。だから逃げようとする人になんら手助けもしないし、保障もしない。政府の言うことは本当なのか否か。信じて逃げない、あるいは逃げたくても逃げられないとなれば将来起きるかもしれないことを受け入れる必要があるかもしれない。で、それを考えるのは自分でしかないわけで、政府に対して、退避命令を出せ、そして保障をしろと叫んで、あるいは線量がもっと低くなるように努力せいと叫んでもそれで自分の子供への危険がなくなるのかどうか。とりあえず、逃げたほうが良いと思うなら逃げるしかないんじゃないですか?

逃げられる人は幸せだと言えるかもしれません。でも子供を守るということにおいて、大丈夫かもしれないと思うならそれはそう決めた親の責任だし、やっぱり逃げようと思ってそれで仕事を失うことがあって食えなくなってもそれもやっぱり親の責任。一番困るのは、逃げるべきだと思ったのに逃げずに後で後悔する事。その責任を誰になすりつけようとしても、親の子への責任は絶対に消えない。

逃げても逃げなくても、最終的には政府や東電に保障問題でグダグダやることになるのでしょうがそれは後の話で、今、子供を救えるのは誰かってところが一番重要のはず。

ただ、何度も書きますが、この自己責任と事故を起こした張本人、政府たちの責任がなくなるとか、もうそこまでやれば十分だと言うんじゃありません。この辺がわからないとするなら私にはもうお話できることはありません。

話をちょっと戻しますが、福島の事故、原発そのものに関してですが、私は自分の責任を感じます。とは言っても私は推進派でもありませんが、見て見ぬフリをしてきた責任があると思っています。自分の町に原発が出来るとなれば大騒ぎでしょうが、知らない町に出来ても騒ぐことはしないし知らん顔。反対派の運動も冷ややかな目で見ていました。で、結局こういう無関心が事故を招いたのだろうと思っています。

それを自己責任という言い方はしませんが、関係ないと思ってはいけないという非常に大事な教訓だったと思います。そして、自分の町に原発ができるとなれば騒ぐという考え方も、一度事故が起きてしまえば、自分の町どころか、国、世界にまで波及するとんでもないことが起きるってことなんですね。自分の町=世界だというのが今回良くわかりました。

だから私は基本的に原発そのものに反対します。また核廃棄物をどうにもすることができないトイレが無いマンション状態だという点においては、それを無視する原発推進派は気が狂っているとさえ思います。

でも開いてしまったパンドラの箱。また原発に依存する経済体質がある限り、止めましょうと言って簡単に止められるとは思えず。

ただそう考えてしまうと物事は先に進みませんし、ドイツの例もあるし、止めようと皆が望めば止められる。当然それによるデメリットは受け入れるという前提が必要なわけですが(と同時に代替案も必要)、そういう方向へ世の中が動けばいいし、私はそちらの方向に賛同します。

でも、今の反対派を結集し、彼らに政権を渡したからどうなるものでもないような気がするのです。というか、反原発で政権が取れるのかどうか。

じゃ、どうする?

その辺は私にはまるで見えない部分ですが、自民党にいかに反原発を言わしめるか、その辺を考える必要があるし、それが出来なければ無理のような気がしています。保守の私としては、多くの保守系は口には出さずとも核武装を考えていると思います。だから原発を捨てるわけには行かない。これって結構大きな壁でどう切り崩すかってのも簡単ではありませんが、保守の中にも核武装否定論者もいますし、その辺からの話の広がりが重要かと。

きっと切羽詰っている方々には私のこういう悠長に見える考え方ってイライラするのでしょうが、それを私にぶつけてもどうにもならないことは忘れないで頂きたい。またこの件に関する意見はコメントでお願いします。

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