新古典派経済学

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難しい話をしようと思っているんじゃありません。そもそも私もそういうのは苦手。

ただTPPにしても世界や日本、経済がどうあるべきか話すときに一体どういう考え方を基本に持っているかがわからないと、まずその前提を確かめるのに膨大な時間が掛かるという当たり前のことに最近気がついたんです。

いくら学説に疎いにしても、資本主義社会が良いと信じている人と、共産主義社会が良いと信じている人が、日本はどうあるべきか意見交換をするときにそれぞれがどういう主義主張を持っているのかがわからないと話が進みませんよね。というか話を進めていくうちに、ああ、この人は共産主義者なのかってのがやっとわかったり。で、意外にそこから先は話が進まない。

TPPに関して意見交換をすることがたまにあるのですが、それと同じようなことを感じるんですよ。基本的にどういう社会を望んでいるのかってのがわからないと話をしても接点が見つからないんですね。相手が共産主義者ならその視点から見たTPPがあるわけですから、それがわかっていればこちらも話がしやすい。

でも、同じ資本主義でもいろいろあるわけで、また私のような保守系でもいろいろあって、なんだかなかなか話がかみ合わないのを感じます。昨今の問題点ってそこまで内容が難しくなってきたのかもしれないし、いや、やっとそういう小さな違いがはっきり違いとして出てくるような深さの話ができるようになったと喜ぶべきかもしれないと思うのです。

選挙も同じで、自民党ならOKってわけでもなくて、当然民主党ならOKではなくて、選挙民も結構細かいところを見ているし、自分が望むことも明確になってきているような気がします。これも時代の流れなんでしょうか。話がややこしくなっているのは凡人としては面倒だと思うのですが、でも選挙民としての責任を考えたときに、政治家が駄目なのはそれを選ぶ国民が駄目だからだという全くその通りの理屈があるはずで、国民の理解度というのが回りまわって政治をも動かすのだろうと思います。

で、最近はTPPが話題になることが多いのですが、このキーワードは「新古典派経済学」なのであろうことがわかってきました。そんなのは当たり前だという声が聞こえてきますが、経済学なんてまともな勉強をした覚えが無い私としては、というか私が若い頃は大学でマルクスレーニン主義は必須科目で、新古典派経済学なんて言葉もなかったし、あったとしても忘れているし(笑)、日常でそんなことはわからなくても困らないし、まぁ、知らないままで来てしまいました。

でも近年、どうも世の中がおかしいと思うのは、この「新古典派経済学」に対する違和感だというのがわかってきました。もしかしたら違うかもしれませんが、小泉政権をバックアップしたあの竹中氏、彼の考え方がまさにこれ。そしてTPP賛成派もそれ。維新の会の言葉の中に「骨太」という言葉が良く出てきますが、これを良く使っていたのが竹中氏で、もしかすると維新の会の裏にいるのは竹中氏ではないかという推測がものの見事に的中だったなんて話も聞こえてきます。維新の会はアメリカべったりじゃないかと思うくらいですが、言われてみると竹中氏とそっくり。もちろんTPPも賛成。

私はここの考え方に賛同できないという立場。まぁ思い出してみれば小泉竹中路線にも反対でした。彼らは国賊だと思うとあるSNSに書いたところ、彼らの信奉者に突き上げられたこともありました。私が異常だと思うことを、信じている人もたくさん居るということ。TPPも同じ。

小さな政府が良くて、市場の事は市場に任せろとか、自由貿易で自由な競争が良いとか、最低労働賃金は決めてはならない、自由な就労と共に解雇も自由に、等という様なとにかく自由が大好きで、つまり弱肉強食、格差、それを容認する考え方。ただ弱者が常に負ける、格差があっても良いという意味じゃなくて、でもそういう世界だから弱者も強くなり、自己努力で格差もなくなるという考え方の様子。

この考え方からすればTPPは大歓迎となるはず。これは国の主権をも犯す可能性があると私は心配するわけですが、そもそも国の関与は少ないほうが良い、規制も無いほうが良い、国境は無いほうが良いという自由主義者には理想的な社会となるはず。

でも小泉改革が残したものは行き過ぎた規制緩和によるちぐはぐだらけの世の中だと私は思うし、そして残ったのは格差。まぁ、それも小泉改革路線が途中で終ったから世直しも中途で終ったのだといわれればそれまでなのだけれど、どうにも私には彼らの理想とする世界が良いとは思わないのです。

いや、それで国は発展して経済も大きくなるかもしれない。でも彼らのいう世界で生きてみたいと思わないんですよ。

結局TPPもそうで、当初は混乱があっても国は良くなり大きくなるかもしれないけれど、TPPが狙うような社会が良いとは思えないし、魅力を感じないし、そんな世界で生きていたいとも思わない。

アメリカを見ると良くわかると思います。オーストラリアもそうかもしれないけれど、確かに豊かな世界かもしれない。でも地方に個性がない。どこへ行っても同じ。何でも自由かもしれないけれど格差が大きい。貧しいころはアメリカが眩しく思えたけれど、アメリカとは違う方向へ豊かになった日本だと私は思うのだけれど、そこから見えるアメリカはなんとも魅力の無いでかいだけの国。

今の日本でさえそういう方向へ向かっていると思います。大きなスーパーが出来て商店街は消え、地方の個性はどんどん薄れていく。流通革命が起きて安い商品が身近にあるけれど、それすなわちデフレと同じでその商品に関わって生きている人たちの減少、仕事や収入の低下でもある。

彼らのいう自由主義が有効なのは、それこそ貧しくてモノも十分になく、権力者がはびこり民衆は搾取され、もしかしたら共産主義がそういう社会を打開するのに一番有効かもしれないなんておもうような社会に、いやいや共産主義じゃなくてこれでやりましょうというなら良いと思う。でも今の日本はそうじゃない。そしてアメリカみたいになりたいと思っているとも思えないし、あのアメリカが良いとも思わない。

私は昔の日本がいいなぁ。どこへ行っても味があった。そこでその場所なりの生き方をしている人がいた。あれって貧しかったのだろうか。いやいや、私には豊かに見える。

年功序列も終身雇用もなくなって、自由競争時代で誰でも上にいける。逆を返せば誰でもが谷底へ突き落とされる状態。強いものが勝つ。強いものが尊ばれて金のあるところにはもっと金が集まる。それをもっと加速させて広い範囲で行動したいのがTPPを望む連中としか思えず。

そんな社会が平等で素晴らしいと思う人がいるのはその人の勝手。でもそういう社会はいらないと思う私も私の勝手。

これって原発問題も同じだと思うわけです。原発がいいとかわるいとかじゃなくて、原発のある社会に生きたいのか生きたくないのか、そういう問題だと思うわけです。

ま、選挙でなんでも決められる社会って素晴らしいわけで、多数決で決めればいいだけのことだけれど、常に弱者の立場でしか考えられない私のような人間には、もしTPP推進者が勝つような社会であるならば、そういう社会に子供を残してはいけないと思うわけです。自分はもうすぐ消えていくだけだからどうでも良いけれど、ライオンもトラもウサギもヤギもネズミも同じ折の中に入れてそれぞれ頑張れ!みたいな社会に子供を残していくのは親の責任としてうまくないと思うわけです。強者になれ、弱者にはなるな!なんてことは親として絶対に子供に言ってはいけない言葉。

まぁ、子供が何を望むかが一番重要だけれど、全く違う価値観で生きていける場所って世界にはあるし、自分達が自立できれば自分達の小さな王国も作れるわけで、私はそれに挑戦してみたいなんて馬鹿なことを考えるわけです。社会制度に左右されない生活。

平民の逆襲。(笑)

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