日本人的村社会

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私が日本人的村社会が大嫌いなのはいつも書いていることですが、それに関して補足。

日本人的村社会は日本にあるだけじゃなくて、海外にも日本人が集まると必ず出来るものだと思っていますし、それの嫌な面を私は何度も見てきましたし、体験させられることもありました。どこの国とはあえて言いませんが、どこにでもそれがある。(笑)

表向きは助け合い。これはどこでも同じだと思うし、それが機能していると思います。でも、ある日ある時、特定の個人を対象にした排斥劇が始まるんですね。これは見聞きするだけでも嫌な気分になりますし、まさか自分がその対象になるなんて想像もしていないときに自分が対象になることもあって、本当にその時にはびっくりします。驚愕なんてもんじゃありません。

どうしてそういうことになるかというと、余計なことを言うから。(笑)

そして歩調を皆と合わせないから。

昔から個性が大事というけれど、日本人のいう個性とは一直線に並んだところからちょっとだけデコボコが見える程度の個性なんですね。突出した個性を認めるほど日本人って成熟していないと思います。これって他人と違うこと、ユニークであることを尊重する民族がいるわけですがそれとは大違い。

私としてはこれは農耕民族と狩猟民族の違いじゃないかと思っているのですが、まぁ、それは横においといて、とにかく日本人社会は難しいと思います。でもそういう中でどっぷり浸かって生きている分にはそれが日常ですから、それなりに見ざる言わざる聞かざるを決め込んでうまく泳いでいればいいのですが、海外だとそれがうまく行かない、難しいと思うことがあるんですよ。

つまり私の場合はオーストラリアですが、ここではみんな言いたいことを言って生きている感じがします。誰に気兼ねすることなく自分の人生は自分の好きなように生きている。主張することは主張する。逆に多くの日本人がそうであるように、ニヤニヤして何も主張しないのはそこに存在しないのも同じと思われても仕方がない。当然、誰も気を使ってくれない。

だから言いたいことを言うのですが、それは他人を攻撃することじゃないんですね。俺はこう思う、君はああ思う、ほぉ、面白い考え方もあるんだね、でも俺はこっちの考え方を取るよ、みたいな。日本のように相手の考え方に賛同しないからといって、それを人格の全否定に取るような人は決して多くない。でも欧米の人でも歳よりはそのケがありますが。(笑)

ま、他人の意見は尊重する。と同時に自分の意見も尊重される。だからそこで自由闊達な意見交換も出来るし、なるほどと思えば自分の考え方も自由に変化させていく。まぁ、こういうのが普通の世界ってあるわけです。で、そういう風に生きているところに、日本人が点在しているとややこしくなるんですね。

いろんな人種が集まったところでいろんな話が出て、まぁ、それはそれで終わったとするじゃないですか。まぁ、別にそこには個人的なわだかまりなんかないはずなのですが、日本人が混ざっているとおかしなことも起きるんですよ。あいつはあの席でこんなことを言っていたとか、俺を馬鹿にしたとか。それが日本人間で広まる。

たとえば名前の呼び方ひとつもそうで、われわれ日本人は苗字を呼ぶのが普通。さん付けで。ところが外人の間では下の名前、それも呼び捨てで話をしますよね。で、外人のグループに日本人が数人混ざってるとややこしい訳ですよ。外人がToshiとかJoeとか呼ぶ日本人をこちらは佐藤さんとかって呼ぶわけね。おい、それ誰だよ、なんて外人は言い出す。(笑)

それが面倒だから日本人同士でもToshiとかJoeって言えば良いわけなんですが、これを嫌う日本人も少なくないのね。そして外人にはBye!なんて手を挙げて別れるときに、日本人同士はペコペコしないとならなくて、これってどうにも慣れなくて疲れます。外国なんだから全部外国流でやってくれればいいのに、相手が日本人だと日本流を求める人が少なくない。

つまり話の中でもそれが起きるわけで、グループの中で何か発言する場合、外人ばかりならなんの問題もないけれど、そこに日本人が含まれている場合、その人がどう思うのかいちいち考えながら発言しないとならないわけです。面倒ですよ~。

これをうまくやりくりできないと、あいつは・・・・ってことになる。

まぁ、こんなのはひとつの例でしかなくて、でも皆さん同じことを言うんですよ。

「外国に来たらその地の常識で生きるべき。日本の常識は持ち込まない。」って。

でもこの言葉を絶対に信用したら駄目です。これは外人との付き合いの中での話であって、日本人間では日本人の常識、価値観を必ず、必ず持ち込んできますから。

日本人なら当然だろうって思う人がいたら、それは間違っていると私ははっきり言いたい。

海外の日本人といってもいろいろいるでしょう?もう日本国籍もないし、日本語がほとんどわからない日本人もいる。またそこで生まれ育ったうちの子供たちもそうだけれど、日本人の常識だなんて言われてもわけのわからないことはたくさんあるわけですよ。これは大人も同じで昨日今日来た日本人ならいざ知らず、何十年もそこで生きているとその地の人たちと同じように考え、同じような価値観、常識を持って生きるようになるのが普通。で、毎日そうやって生きているのに、ある日ある時、日本から来た日本人に、お前はおかしい、日本人じゃないなんてことを言われるわけね。

うるせー、そんなこというならお前こそ日本に帰れ!なんて言いたくなる事は一度や二度じゃありませんでした。

これは特に日本人相手の仕事をしている人たちには日常茶飯事だろうと思います。

私もこちらで小さな事業をやっていましたが、別に日本人相手の仕事じゃないわけです。会社が日系っていうだけのことで。ところが客としてはこちらが日本人だと安心するんですね。で、日本人のお客様も多かったけれど、でも割合としては数十%はあったものの、日本人相手に日本式サービスを売りにしているわけじゃない。

でもそれって日本人客にはわからないのね。かと言って、日本的サービスは不可能ですとか、期待しないでくださいなんて言えないわけですよ。こちらとしては兎に角安くて良いサービスを提供しようと頑張ってましたが、それは日本的サービスという意味じゃないわけです。

日本人にとっては当たり前のことかもしれないけれど、当地ではそんなサービスはあり得ないってことがあるじゃないですか。例えば、そうですねぇ、何かの機器を販売したとします。で、それが壊れた、あるいは思ったように動かない。すると日本人客は、すぐに来い!今すぐ!今日中に直せ!ってなことを言う人がいる。

こういう人はオーストラリアの他社から物品でもサービスでも購入して、同じように言うのか一度聞いてみたいと思うことが何度もありました。

オーストラリアって国は、たとえば新車を買ったとします。そして何かの部品が壊れた。でもその部品がないなんてことがよくあります。でもそんなのは同じ新車が並んでいるんだからそれからその部品を取り外して使えばいいじゃないですかね。でも駄目だ。3週間待てなんてことを平気で言う国。

まぁ、それに似たようなことはいくらでもあって、マレーシアでいい加減地元の常識にはうんざりしている人は多いと思いますが、こちらも同じ。納期が掛かる物品やサービスなんて、いつ?なんて聞くと「Before Christmas」なんて返事がかつては良くありました。こちらは学生だけじゃなくて社会人も夏休み(クリスマス休暇と重なる)を何週間も取る国ですが、まぁ、それまでには終わらせるよっていう意味。

実際にそれを過ぎちゃうと延々休みに入りますから、クリスマス前にどうにかしてもらわないとその次は2月になるなんてこともザラでした。今ではかなり変わってきましたが、前はひどいもんでした。まぁ、今でも修理に行くよなんていわれても約束の時間には来ないなんてのも普通。でも大都市はそうでもないらしい。

ま、こんな国ですから日本人はみんな日常ではイライラしているんですね。だから日系の会社なら大丈夫だろうと思うわけです。ところがですね、日系の会社だからと言って、修理じゃなんじゃが今すぐできるわけがないじゃないですか。ましてやそのサービスの大本はオーストラリアの会社なんですから。

それとすぐに来い!と呼びつける癖が日本人にはあるんですね。これって何なんだろうと思います。私は電話関係の仕事をしていましたが、それの説明に来てくれといわれたことが何度もあります。電話サービスを受けるにあたり、説明に来てくれる業者って世の中にあるんでしょうか。出向くことは出来ないので直接話をしなければならない内容であるのなら申し訳ありませんがオフィスまで出向いていただけませんでしょうかと丁重にお願いしたつもりでも(普通は電話でのパンフ請求と申し込み書類のやりとりだけ)、怒る人がいたっけ。何様?みたいなタイプの人って結構いるんですよねぇ。(笑)

日系の会社で日本流のサービスを売り物にするのならしょうがないですよね。そしてそれが出来るのならかなりの日本人顧客をつかめるであろう仕事って結構あると思います。でも何から何まで日本人が日本流のやりかたで管理しているならまだしも、一般的な物品サービスを日系企業から買えば日本流のサービスを受けられると考えるってのが私には理解ができません。

お前のところはそんなこともできないのか!って怒鳴られますが、ではそれに対応できる会社がオーストラリアに存在するのですか?と聞き返したいくらい。言いたくても我慢しますがこのストレスもかなり溜まります。お客は「日本だったら・・・」って二言目にはそれを言いますが、それなら日本にお帰りくださいといいたいことは何度もありました。私としてはオーストラリアの会社から買うより破格の安さで売っているのに、サービスはオーストラリアの会社よりもっと良くしろと言うんですから、本当に面白いです。

でもやっぱり私は商家の出ですし、商売は客ありきだと信じていますから、そのプライドから日本人としてこうあるべきと思うやり方があるわけで、どうにかそれを提供できる会社であろうと努力してきました。値段は安くてサービスは異例の日本式だなんてそんなことが出来る会社はオーストラリア中探してもないわけで、もしそれで採算が合うのなら最強の会社になれる。でもサービスってコストがかかるんですね。他社よりも安く、なおかつサービスは日本流なんてやっぱり残念ながら不可能なんですね。

マレーシアに日本料理屋が多くありますが、そこで食べて、味が違う、高い、サービスが悪いと文句を言ってもどうしようもないのと同じなんですね。日本と比べたら絶対に駄目。せめて現地の他店と比べてそういうのなら店として反省すべき点も改善すべき点もわかりますが、日本と比べて文句を言う人はただのクレーマーでしかない。こればかりは店側がどんなに頑張っても無理だけれどそれがわからない日本人客は少なくない。

マレーシアで日本人相手の仕事をしている人がいるんですが(日本人の客が多いだけかな)、ロングステイヤーの中からこの人の仕事ぶりに関して結構悪い評判を聞くことがあるんです。でも私はそれを聞いても何も返事をしません。かつて、そりゃ日本人客のほうが悪いと言って喧嘩になりそうになったことがあるから。(笑)

私としてはその人も我侭で神経質な日本人相手に良くやっていると思うくらいですが(文句が出るのも実はよくわかる)、日本人客が望むものってもっとずーーっと高いレベルなのね。でも、じゃぁ、ほかのマレーシアの会社でその人以上に親身になってあれもこれもやってくれる人がいるの?って聞きたいくらい。

人間付き合いもこれと同じなんですね。日本人を見ると、すべて日本流が通じると思う人がいる。これって本当に困ります。

特に海外に出ると不安で、その不安を隠すために必要以上に強く出る。自分を大きく見せたいのか、そういう子供じみた人が目立つような気がします。で、そういう人たちがいくらでもいるのが海外の日本人村なんですね。経験のない方でも想像がつきますでしょ?

だからあいつは駄目だ!なんて話が出ると一気に広がって、皆で排斥しようなんてことも起きる。そしてそういう場面に遭遇したこともあるし、マレーシアの日本人社会でもその体験もあるし(笑)、またそうやって排斥された人がいるのを見てきました。怖いですよ~。

でも何度も書きますが、それはその村にとって重要なことだと彼らは考えるのね。村を良い状態に保つために、異分子は排除するべきだと多くの人が考えている。

ま、ここまではいつも書いているとおり。

でも今日は違うことを書きたいんです。って今までのは前置きかいっ! (笑)

実は日本人村から排斥されて、「死にたい・・」って泣いていた女性がいました。この事件に関して書いたことはあったかなぁ。

まぁ、詳しいことは書きませんが、その女性はマレーシアに長くて、まぁマレーシア的な日本人でもあったのでしょう。現代の日本人がいかに神経質かっていうのを知らなかったのかもしれませんが、ちょっと言った一言がある日本人を憤慨させた。それに火がついて、排斥運動が始まった。そしてこれに提灯がつくんですよ。そうだそうだ、そういうやつは追い出せと。

これにはいささかびっくりして、それはないでしょうよと私がその女性を擁護するようなことを書くと、今度は私も異端児扱いなのね。でも詳しい内容もわからずに一方的な話を聞いて、その女性を日本人社会から抹殺しようとワイワイグループが動き出すのって異常以外のなにものでもないと思います。

私がそれを治めることなんかできるわけもないですが、でもおかしいのはあんた達だという理屈だけは述べました。で、その女性に連絡を取って話を聞いてみたのですが、内容はずいぶん言われていたのとは違いますし、またその女性は電話口で「死にたい・・・」って泣いているわけです。

どういうことがあったにしろ、大の大人を泣かせて死にたいといわせるまでやっつけます?

でもこういうことはどこの国でも日本人的村社会では良くある一こまなのね。

なんでこの事件を書いたかですが、実はこの事件をきっかけにして他の心ある方々と知り合えたってことなんです。わけもわからず提灯を下げてワイワイやる人もいれば、こういうことはあってはならない、この女性を助けようと動いた人たちもいたってこと。

でもそれは裏で静かに進行していくだけで、では彼女の信頼を取り戻してあげようとかそういう風にまでにはならない。本当はそこまでやるべきなのかもしれませんが、やっぱりそれは難しいですよね。まぁ、私たちに出来たのは、ことの真相を知ること。そしてその女性を慰めることぐらいしか出来ませんでしたが、そういう人たちも自分がそうしているとはもちろん誰にも言わないし、それがまた周りにわかるとややこしいことになるわけで、黙ってやるわけです。

でもそういう人たちが少なくないのも事実だということ。これが私にとっての唯一の救いというか、そもそもそれが日本人的村社会の一面でもあろうと思うってことなんです。村社会が嫌いだと私はいつも書いていますが、村社会には村社会の守らなければならないものがあって、それを動かすことは出来ないんですね。だから村八分も起きるし、それは村社会のあってしかるべき行動の一部でもあるのかもしれません。いわゆる村社会としての自浄作用といえるのかも。

でもそれで生きていけなくなる人もいるわけで、その人にはそれなりにちゃんと裏で手を回して助けるという動きが村社会には対になって存在しているのでしょう。

ま、私としては日本人である限り日本人社会とは縁も繋がりもあり続けるとおもいますが、その中での自分のポジションとしてはその裏方の仕事を手伝いたいと思います。でも間違ってもわけわからないことを言い出す人の口車に乗って提灯ぶらさげて騒ぐ側にはなりたくない。で、そういう人たちの多くは、マレーシア大好き病に罹って頭に血が上っている人たちが多いのも事実。だからマレーシアも良いけれど、冷静さを忘れるなってのはこういうことでもあるんです。

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