また飲みに・・・・

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一昨日は夫婦二人だけで私の誕生日祝い。還暦だからこそ二人だけで静かにやりました(意味不明)。

で、やっぱり思ったのは酒に弱くなったということ。たいして飲んでいないのに頭は痛くなるわ、眠くなるわ、気持ちよく酔うには程遠いという感じ。でも、一般的には十分酔っているのだろうけど。

次の日、昨日ですが、朝起きてもどうも調子が良くないんですよ。うっすら吐き気がして、でも二日酔いとは違うような変な感じ。

まぁ、こんなのは放っておけば、あるいはちょっと胃腸薬でも飲めば治るからどうってことないのですが、問題は、昨日は日本から遊びに来た古くからの友人(ゴールドコーストに住んでいた)と飲みに行く約束があった。それがですねぇ、その友人って女性なんですが、まぁ、飲兵衛なんてもんじゃなくて、私が若い頃がぶ飲みしたのと良い勝負って感じ。

調子が悪いのなら飲まなければいいじゃないか、なんてのは飲まない人の考え方で飲兵衛はそれでも飲まなければならない責任、そして義務があるんですね。(笑)

家を出る頃になっても調子が悪く、本音は行きたくないなぁ、って感じ。でも出発。

待ち合わせの店は、もう20年以上の付き合いのある友人の店。サーファーズパラダイスとシェブロンアイランドの間というか、シェブロンルネッサンスの一角にある「嵯峨野」。とりあえず席に座って頼んだのはもちろん生ビール。

前の日に行った「天」とはまるでコンセプトが違う店だけれど、やっぱり生ビールに枝豆ってのは私にとっては定番中の定番で、それもこういう気楽な店で飲むのが嬉しい。

でもこのビールを口にしても、調子が悪いので、プハ~~~~、うめぇ~~~~、という感じにはならず。

そうこうしている内に友人も来て、3人で乾杯の後、飲み会が始まりました。飲み会となると調子が悪かろうが良かろうが、ビールだとすぐお腹が膨れてしまうので、日本酒・・・と思ったものの、想像しただけでオエって感じ。ですので、ヨメサン、友人が飲み始めたウーロンハイにすることに決定。

つまみはやっぱり焼き鳥。定番ですよねぇ。

それと大好物の鮭のハラス焼き。

その他、マグロの山掛けとか手羽焼きとか、定番のオンパレード。

ところがですね、凄い料理の種類があるメニューなのですが、大事なものがないのに気がつきました。それは中華のエビチリ。なんで中華のエビチリ?って思うかもしれませんが、この店のオーナーは中華の達人。かつてサーファーズパラダイスのど真ん中で超有名なハッピーハウスという中華料理屋をやっていました。この店は一世を風靡したと言っても過言じゃなくて、20年前は日本人の全てがお世話になったと言っても良い様な店。

その店はとうの昔になくなりましたが、オーナーの彼はあちこちに何件も店を出していて、どこでも彼の絶品料理であるエビチリは必ずあったんです。でもこの店にはメニューに無い。おかしいなぁと思って聞いてみたのですが、問題なく作れますとの事で出てきたのがこれ。

美味しかった~~~~X100倍。

エビチリなんてどこにでもあるだろうよ、と思う人も多いでしょう。中華料理屋もゴロゴロある。ところがですねぇ、何年もそういう中国人の中華を食べると飽きるんですよ。で、食べたいなぁ・・・と思うのが日本の中華。日本の餃子。日本のエビチリ。日本の中華ソバ。

何でも本場が良いってもんじゃなくて、我々が小さい頃から慣れ親しんだ中華が私はやっぱり美味しいと思うんです。ラーメンがそうですよね。中国人の中華料理屋であの旨さは無い。ワンタンメンもチャーハンも、私は日本の中華の味が好きです。で、海外だとどこを探してもそういうのは無いんですね。絶対に無いと言っても良い位。中国人はどんな辺鄙な小さな町にでも入り込んで中華料理屋をやっていると言っても良い位、どこにでも中華料理屋はある。大都市はもちろん、ゴールドコーストだって恐ろしい数の店。だから中国人の中華料理として美味しい店はいくらでもある。

でも、日本の中華が食べたいなぁ・・・って思うんです。昔、どんな小さな駅前にでもあった中華料理屋。これは決してラーメン屋じゃないんですね。中華料理の店。天津丼とか、八宝菜。五目ソバ。あの当時、北京ダック、フカヒレだなんて見たこともなければ聞いたこともなかったけれど、美味しいと思ったのがそういう中華でした。

で、そういう中華は海外で探してもまず絶対と言って良いほど無いんですね。そもそも日本人が中華料理を出すことがないのでしょう。でもハッピーハウスという店はそれだったんですねぇ。そしてオーナーの彼の腕はしっかりしていたので美味しかった。そして若者にも優しい料金。本当に良い店でした。

で、私たちは行けば必ず頼んだのがエビチリ。彼のエビチリは日本のエビチリで、どんな高級な中国人の中華料理屋のエビチリも、何か違うんだよな、と思う我々には最高の中華料理なんです。

で、それを何年ぶりかで食べた私たちは感動X感動X感動。

やっぱり美味しいね~~、なんて言いながら気がついたらウーロンハイも5杯目かな。調子が悪い、酒を飲む気がしなかった、なんて一体誰のいつの話だ?みたいな感じ。

こうなると止まらないのが飲兵衛。うちのヨメさんもその友人も筋金入りの飲兵衛ですから、飲むピッチも恐ろしいくらい早い。そう意味では私は負けていて、やっぱり調子が悪いのかな?なんて思ったり。

その内、オーナーも手が空いたのか、彼も飲み物持参で飲み会に参加。

彼曰く、こんなに飲むならボトルで頼めば良かったのに、ですと。言われて初めて気がついた。飲兵衛が3人集まっているのに焼酎をボトルで頼んでいない。こんなことは我ら飲兵衛の歴史でも無かったこと。以前は、座ってすぐ日本酒を一升瓶で注文したりしたのに、どうしたんでしょうね。

昔から良く知っているオーナーですから、一杯ずつ注文したら高くつくからと、そして今までの分はもうしょうがないとして、焼酎をボトル一本プレゼントしますとさ。\(^_^)/

そこで彼も加わって4人で大おしゃべり大会。

やっぱりみんな歳を取ったのでしょう、話題は昔話ばっかり。あんな人がいたっけねとか、あの人はその後どうなった?とか、あの事件は大笑いしたね~とか。でもやっぱり気がつくのは多くの人たちが日本に引き揚げた、あるいはもうすでにあの世とか、もう会うこともなくなってしまった。

こういう話で盛り上がれるのはその時代を一緒に生きたからなんですね。本当にいろんなことがありました。彼も店を作っちゃ潰し、また移転して再開したりの繰り返し、彼も波乱万丈と言って間違いの無い人生。そしてみんな一家言を持っていてしゃべらすと五月蠅い連中ばかり。以前はそういう濃い人生とでもいうか、濃いキャラの人が一杯いたねという話。本当にまさかこんな人が世の中にいるんだと思うようなおかしな人、ユニークな人が一杯居ました。で、我々もその中の一人なんでしょう。濃いよねぇ、まともじゃないねとみんなで大笑い。

あの当時から仲間内で話していたことがあります。やっぱり海外に出るなんてどこか変なヤツが多いねって話。日本に居れば不便も何もないし、友達も沢山居て、やることはいくらでもあるのに、知り合いも誰も居ない、将来どうなるかわからない、言語も文化も違う海外にどうして出るんだろうって。やっぱり変わり者なんだろうね、という結論。で、それぞれが半端じゃない強い個性を持っているのね。他人に何を言われたからって自分の考えを変えるようなヤワなヤツは一人もいない。 (笑)

飲んで食べて盛り上がって、気がついたら11時。店に入ったのは6時ですから、延々5時間も飲んで食ってしゃべったということ。でも面白いもんで、誰しも、さぁてそろそろとか、飲むのを止める、帰ろうとする素振りが無いのね。まぁ、実は昔からそんな感じで、外で飲むと店の閉まる時間があるから途中でお開きにするみたいな感じで、飲兵衛ばかりが集まる家でやるパーティーは凄かったです。

大体お昼の12時からスタートで一品持ち寄り、プラスBBQ、飲み物持参で始まるんですが、一段落つくのは夕方の5時ごろなんですね。で、帰る人は帰る。でも残る人は残る。ここから本格的な飲み会が始まるわけです。で、晩御飯も食べて、また飲み続けて、午前2時とか4時まで飲んで、皆さん我が家に泊まってなんてことをしょっちゅうやっていました。

これだけの飲兵衛って男だけかというとそんなことはなくて、女性の酒豪も随分いましたっけ。また当時60過ぎの女性も参加していました。年齢もばらばらで20代もいたし、永住組みも、駐在組みも様々な人がいたっけ。普通、同じような境遇の人たちが固まる傾向があるんですが、我が家は本当にてんでバラバラの人たちが集まりました。共通点は飲兵衛、パーティ好きってことかな?(笑)

でもそんな時代もとっくの昔に終わって、私も実は毎晩飲みに行くような生活をゴールドコーストでやっていた頃があります。居酒屋であったり、小料理屋であったり、そしてその後はオネーチャンがいるナイトクラブ。貴婦人という女性のいる結構大きなナイトクラブが一軒だけあったのですが、行けば必ず顔見知りが居て、一緒にどんちゃん騒ぎをやっていた時代もありました。まだ日本人には凄いパワーがあった。振り返るとそんな感じがします。

ま、そんな話で盛り上がりましたが、オーナーの彼もかなり酔っ払って楽しそうでした。共通の話をして、なおかつお互い気心はわかっているし、また恥ずかしい失敗もお互いにあって、そんなことを知り尽くしている仲ですから、彼も久しぶりに盛り上がったようでした。

結局どのくらい飲んだんだろう。ウーロンハイで言えば20杯は飲んじゃったかな。ボトル一本には満たないけれど半分以上ってところでしょうか。でも不思議なのは頭も痛くないし、気持ち悪くもならないし、へべれけにもならなかったこと。ヒジョーーに不思議。

ただ家に帰ってきてから困りました。ウーロン茶が効きすぎて、眠れないんです。あれだけ飲めば倒れるように眠るのが普通なんですが、ウーロンハイを飲みすぎるとこういうことがたまにあります。

で、気がついたら朝になっていて、朝焼けが綺麗だったので写真を撮ったということ。それからやっと眠れて、起きたのが9時ぐらいかな。

多分明日は死んだようになるね、なんて昨日の時点で言っていたのに、全く平気。

酒に弱いんだか強いんだか、ジジーなんだかまだ元気なのか、全くわかりません。

でも本当に楽しい一時でした。友達っていいね~~~。それも古い友達だから気取りも格好つけもなくて皆が素のままで付き合える。それぞれ頼れる親族なんていないのが普通だからみんなが助け合って生きていたあのころ。それでも失敗を重ねて最後は家族にも見捨てられ一人寂しく安アパートで死んでいった仲間(来た当時はかなりの金持ち)もいて、涙有り笑い有りの飲み会でした。歳を取って大事なのはこういう付き合いなんだろうな、とフト思いました。

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こちらの友人関係をいろいろと思い出してみると、二つのグループに分かれていたのがわかります。一つは日本人会を中心に広がったみたいな大きなグループ。この中の友人関係って雑多で、日本人的村社会も存在するのはこっちの方。それとは別の濃い仲の友人グループが存在して、どちらかというと一匹狼的なタイプが多いかなぁ。つるむ事はしないけれど友人の輪というのは間違いなく出来ていて、ここは村社会じゃないのね。本当にヤバイ問題だって長い間には起きるわけで、付き合いの浅い人はそういう時に知らん顔するけれど、そういうときこそ皆が結集して助けるみたいなグループ。やっぱりこれがあるから生きてこれたと思っていますし、それが日本の移民の歴史を作ってきたのだと私は勝手に考えています。

マレーシア情報を見聞きして私が違和感を感じることがあるんですが、マレーシアのロングステイヤーの中には地元で頑張っている同胞を助けようという意識がほとんど無いって事。それどころかあいつのところは高いとか、適当だとか、あれは日本人じゃない(笑)、あんなところを使うな、みたいな話を結構聞いたことがあります。

安さが何よりも重要な年金生活者の事情もあるのはわかるのだけれど、私たちがゴールドコーストで普通にやってきたことは、使えるチャンスがあるのなら同胞の会社を使おうということでした。多少高くても同胞のサービスを使うとか。これは日本人だからサービスが良いとかって意味じゃなくて、保護貿易主義的な考え方 (笑)。できるだけ日本人同士は助け合って売り上げも同胞の中で上がるように協力し合おうという精神。それはかなり強いものがあります。

海外って言語も文化も習慣も法律も価値観も何もかも違う世界で、その中に入って単身なり家族で生活するってそれこそ親も親戚も誰も居ない孤児と同じなんですね。そういう孤児同士、同胞が助け合わなくてどうするんだ?って思うわけです。(永住組みと(目は日本に向いていてエリート意識の強い)駐在組みとの仲が悪いことが世界各地であるけれど、その理由もわかりますよね?)

そんなところに日本的村社会なんて「絶対」にあってはならないし、存在する必要がないんですね。村社会は村そのものの存続と維持が大切で個人は無視される。そんな村中心に生きてそれぞれ個人の海外生活が順調に行くはずが無い。

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