外人の日本語

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皆さん、外人の日本語を聞いて、あまりのうまさにびっくりしたこと無いですか?で、聞いてみると3年勉強しましたとか。

前の日記に子供達が地元の学校で日本語のクラスを取っていたと書きました。日本語には何の不自由もない息子達にしてみると遊んでいるのと全く代わらない授業なわけで、全く勉強しなくても学校は元より州レベルでもトップクラスのトップの成績を取れました。

ではそのクラスに参加しているオーストラリア人(や他の国の子)はどうかというと、テキストを見ても最後のほうはかなり高度な日本語をやっていましたし、実際に話をしてみるとぶったまげるほど上達しているんです。

ゴールドコーストは日本人も多く、以前は観光客もごっそり来ていましたから日本語をしゃべるオーストラリア人って結構いるんですが皆さん大したもんで日本語を使いこなしています。でも日本人みたいに中学高校で6年間も勉強したなんてのはまず居ない。2年とか3年とかそんなのばっかり。

不思議ですねぇ。

どうして日本人は英語に弱いのか。

これに関して、日本での英語授業のカリキュラムに問題があるという人は昔からいました。読み書き主体、文法主体で会話中心では無いからと。

でもねぇ、私は全く違うと思っているんですよ。じゃぁ、日本の英語の授業を全て会話にしたら会話が上達するのか?私はそれでも駄目だと思うんです。

日本人が英語が駄目な理由って母音の違いとか言われていますが、私はそれも違うと思っています。

では何が悪いのか?

良い悪いじゃなくて、私には日本人の性格に問題があると思っています。人前で話が出来ないとか、あがり性だとか、そういう性向が非常に強いですよね。これって欧米人を見ているとまるで違っていて、恥ずかしいとか、顔が赤くなるとか、そういうこととは無縁に思える人が多いのね。

中国人、韓国人も日本人的な内向的な感じはありませんよね。大勢を前にして、とんでもないことをしゃべり続けるなんてことも平気でできる。彼らが日本人より英語がうまいのはそういう差があるからだと思うんですよ。

つまり、ちょっと覚えたことはどんどん使ってみるとか試してみることを日本人はしない。できない。だから益々前に進まない。

たまーーに、外人を見ると英語で話しかけてみるなんていう日本人の子もいましたが、そういう子はどんどんうまくなるでしょ。この違いだと思うんです。

英語が苦手だなんて思って英語を使わない人でも、他人の下手な英語を聞くと、俺はあれより旨いと思う、なんて心の中で思ったりすることがあるはず。でも自分は自信が無いからしゃべらない。

私はこういう日本人特有の性格を治さない限り、どんな英語のカリキュラムを変えても駄目だと思うんです。でも日本で議論されるのはいつもその部分。

逆を言えば、物怖じせずに人前で平気でしゃべれる子なら言語はもちろん、ディベート技能も格段に上達するはずなんですね。ここのところを意識して子供を育てるだけで、普通の日本人とはまるで違う結果が出るんじゃないでしょうか。うまくなったら喋るんじゃなくて、喋るからうまくなるんですよね。後先が逆。

海外で育つと現地の言葉を習得するのが早いっていうのも、それはそういう言語の中にいるからだけじゃなくて、外人特有の物怖じしない性格に育つからじゃないでしょうか。

日本では美徳とされている「でしゃばらない」こと。それが日本人の損する部分だと思います。

これは言語に限らずなんでもそうで、近隣諸国が言いたい放題言っても、日本人はそれにいちいち反応することを潔しとしないんですね。相手にしないことが良いことの様に思う傾向がある。だからロビー活動も海外の団体みたいにしませんよね。でも陳情は好きなのね。それはまさに字のごとく陳情であって、相手の懐に飛び込んで相手をこちらの思うように動かすということはしない。そんなことは卑劣だと考える。

日本が円安になったときに、海外からちょっと嫌味を言われましたよね。その時に麻生さんが言った言葉。

「他の国が自国の通貨が安くなるように誘導しているときに、俺達は何も文句を言わなかった。」って。

私はこれを聞いたときに、麻生さんでもまだこんなことを考えているのかとがっかりしたんですよ。文句を言わないことが美徳だと思っているのね。でも言わないと相手はわからないと思ったほうが良いし、わかっていても文句を言われなければまだまだ大丈夫と押して来るのが海外勢だというのがわかっていないんじゃないでしょうか。

個性が大事と言いつつ、飛び出た個性は叩く日本人。ディベート能力が大事だと言いつつ、反論されると真っ赤になって人格否定されたと怒る日本人。どうも白人に対しては物怖じしちゃう日本人。有色人種には偉そうにする日本人。人前に立つと手に汗をかいちゃう日本人。大勢の前で英語で話すなんて考えただけで足が震えそうな日本人。

この辺が変わるだけで、日本は大きく変わると思うし、英語だって中学で習ったことだけ出来ればペラペラと言ってもいいくらいなんだから、日本人の変わった性格、性癖を、これが日本人の美徳だなんて考えないで、ちょっくら変えたら面白いと思うんですがねぇ。

私が言いたいことを言うのを見て、ダボさんて自信がある人なのね、という人がいます。

そういう風に思うところがそもそも違うってことに気がつかないと~~~。自信があることだから話すんじゃないのっ!自信があろうとなかろうと、自分が思ったことは口に出すのが当たり前なのっ!

なんていうと、そんなハシタナイ、それは非礼だと思っちゃうのね。

こういう常識がある限り、日本人の英語が下手な国民第一位の汚名を晴らすことはできないと思ってます。と同時に、近隣諸国の言いなりになる。アメリカに対してもそう。全く同じでしょう。思ったことを口に出して表現できないってことは、存在しないのと一緒。

余計なことを言わずニコニコしているだけの日本人は、温和な人だと思われていると思ったら大間違いで、この人、馬鹿なんだろうな、と思われていると思ったほうが正解。

でもこの壁ってやっぱり高くて、なかなか日本人、ましてや古い教育を受けた人には超えるのが難しい壁なんでしょう。

そういう壁がなくなるだけで、海外で育つ意味があるかもね。というか、もしかしたらまさにそこが海外育ちの大きな長所で、皆がなにげなく感じている海外育ちの良さってそれなのかもね。多くの人がいう国際人(私はこの言葉が嫌いだけど)とかグローバルな対応ができる人間って、何のことは無い、自分が思うことを言える、恥ずかしがらない、と同時に相手のそれも認めることが出来る人のことかも。もしかしたらたったそれだけのことかもしれない。

グローバルな対応の出来る人間とは、何かを得てそうなるんじゃなくて、日本人のある部分を捨てればいいだけのことかもしれない。

問題点がわかれば、海外に出なくてもどうにかなっちゃうことって多くなるわけだから、こういうところにこそ文科省も学者も教育者も突っ込んで研究してもらいたいなぁ。

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