マレーシアでの子育て その4

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マレーシアの子育て その4

いくつか秘密コメントを頂いていますので、また紹介させてもらいます。今回は(いつもと違って)内容が濃いですよ~。

ただ、今回は調べると本人特定が出来てしまうであろう内容なので、その辺は適当にいじって載せますのでご勘弁を。

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最近dabo_gcさんに洗脳されているので、意義はないです(笑)。

私の短い人生の経験上、日本人って、アジア人のくせにアジア人が嫌いというか、見下してる方多いと感じてるのに、なぜかこの移住ブーム・・・不思議です。

高収入で安定した経済力をお持ちの旦那様がいても、精神病まれる方もみえますし、ブログでは楽しそうにマレーシア生活をエンジョイされているようにしか見えない方でも、リアルで交流するとそうでもないどころか、マレーシアがお嫌い?だったり・・・。教育についても、大きなお子さんをお持ちの駐在組のママさんたちは、レベルの低さにガッカリされているようだし・・・。

駐在組、結構マレーシア嫌いな人多いですよ? わざわざ教育移住しようって人とは、人種が違うんでしょうかね~? モントキアラに住んでいるような駐在さんや現地採用の方って経済的には恵まれていると思うんですよ。 安心・安全・便利ってお金で買えるし、みなさん買われているんですが、それでも「マレーシアが嫌」な人結構いる。

移住ブームで来馬される方たちも、なんだかんだ言って、資産があったり、技術があったりするのでしょうが、それでも大企業の駐在さんの収入程ある方ばかりじゃなハズ。 みなさん、口をそろえて、日本で生活するのと変わらない、食費なんか高いぐらい・・・と言っております。なのに、満足度が低い・・・と。 本当にマレーシアが、薔薇色の国であるのなら、少なくともお金の心配のない駐在組は、マレーシア大好きでもいいはずなんですが、結構そうでもないんですよね。

私みたいに、「マレーシア大好き」って言ってるとむしろ浮いちゃう感じです(笑) 物価が安いから・・・だけで移住先を決定されるなら、マレーシアは大失敗だと思います。未来永劫、物価が安いままだと決定されていたとしても。 我が家は、マレーシアが大好きで、毎日楽しく生活していますけどね^ ^ 。

私、昔からマレーシア大好きです。それでも、マレーシア最初の3ヵ月は、うつになりかけました・・・ もし、発展途上国に一度も訪れたことなく、「常春の天国」だと思って来馬してたら、病んでいたかもしれませんね(笑)

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(ここからダボ)

アジア人を見下しているのに移住ブームということですが、それは相反することじゃなくて、気軽に付き合えるという面があるのだろうと思っています。これってオーストラリアでも同じで、オーストラリア人は基本的に白人ですが、中身はアジア人だと思って付き合うと気軽に付き合える。そんな感じがします。これが格式高い欧州人だとしたらノイローゼになっちゃいますよ。(笑)

適当な人たちが多いからどうにかやっていけるんですよね。マレーシア、マレーシア人に対して文句を言う人たちがいるのはわかりますし、特に仕事で来ている人たちは結構毎日イライラしているのかもしれませんね。またロングステイ組でも愚痴が出ますが、そういう国だから言葉が不自由でもOKだし、気軽にやっていけるんでしょう。もしマレーシア人が日本人みたいに神経質な人たちだったら、「よくそんな語学レベルで来る勇気があるよね」なんて嫌味の一つも言われそうだし、言葉がわからなくてモジモジするような場面でも、無視されて置いていかれるなんてことになるんじゃないでしょうか。ただ、仕事で来た人たちはそんなことも言っていられないでしょうし、基本的に社命で来ているわけですから、鬱憤がたまるだろうと思います。

マレーシア移住ブームを作った人たちがいるわけですが、彼らの一貫した「安い」という主張に惑わされる人たちが多いみたいですね。じゃらんじゃらんの掲示板でも、その話は現実とは違うし、家を売って来る事を薦めていて、帰るに帰れなくなったらどうするんだ。責任を追及したい、みたいなことを書いていた人がいましたが、それも一理あると私は思っています。でも他人の主張を信じて、その気になって勝手に夢を膨らませたほうも悪いわけで、ここはやっぱり自己責任だと思います。日本人って本当に他人のことを信用しすぎだと思います。

信用するなってことじゃなくて、自分の脳みそは何のためにあるかってことですよね。そもそも「信用するしない」という行為が私はおかしいと思うんですよ。現実を自分で認識するのが大事であって、神様がいるのかいないのかわからないけれど「いると信じる」ってのとわけが違うんですから。

私が常々問題だと思うのは、マレーシアに居ながら、マレーシアを好きになれない人だっているわけでそれはそれで認めるべきだと思うんですよ。でもそれを口に出すと、どうして来たんだ?帰れ!みたいな雰囲気があちこちにある。あのジャランジャランという掲示板はそれの代表みたいで、子供の集まりか?みたいに思うことがあります。

これは良い歳のジジババが集まる場所でも同じで、否定的なことを口に出すのはタブー。意外に数人集まってマレーシアを口では絶賛しながら、本音はいつ帰ろうかみんなが考えていた何て滑稽なことも起きるんじゃないかと思うくらいです。

まぁ、夢を見たがる人が本当に多いと思います。真実よりその夢を大事にしているような感じ。

それを前向きな発想だと自画自賛する姿はやっぱり子供を見ているような感じがします。

もう一人の方の秘密コメントです。

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私が遠回しに言わんとしていることがココに…。

いくつもの言葉が話せるより、ひとつの高い言語力あってこそ、教養が身についていくんですよね。っで、はっきり言って、それが知能の発達につながるんだと私も思ってます。

ウチの方(英語なんかほとんど通じない人たちの住む地区)のローカル(現地人の)ママさんって、「自分は中国語の学校で勉強したから英語とマレー語は苦手(中国語なら分かると言わんばかり)」って大抵言うんですけどね、 なっ何と!自分の子が小学校3年生ぐらいになると「自分の時代はこんな難しいもの習わなかった。私にはわからない。」って言いだすんですよ。語学としての中国語はもちろんのこと、中国語で学ぶ全教科の内容がわからないんだそうです。「中国語はわかる」と言っていた人達がですよ!もう、ビックリでしょ?

そして、趣味の中国語教室のようなもので1年ほど勉強しただけで流暢に会話もできない私は、辞書と首っ引きになれば小学校の教科の内容を全て理解でき、子供が分かりにくいことを説明してあげる事もできるんです。(説明は日本語ですよ。中国語で説明なんて出来な~い!←これがのちに日本語維持の源となるとは思いもよリませんでした~ 笑)

これってまさに、ひとつの言語で高い能力を持つことの大切さじゃないでしょうか? 少し前に、自分がやってきたことを振り返ってネットで調べてみたことがあるのですが、偶然にも自分が子供に与えた学習環境がマルチリンガルに育てる上でかなり理にかなっていたらしいことに気が付き、驚いたことがあります。これまでに私がやってきたことは、バイリンガル・マルチリンガルで育つ子が陥りやすい「ダブル・リミテッド」とか「セミリンガル」とか呼ばれるものにならないようにするための策と同じものだったんです。

私は、単に「落ちこぼれないように」と思った工夫だったのですがね。 そして、私の周りに大勢いる、「話の内容が小学生程度の大人たち」って、この「ダブル・リミテッド」「セミリンガル」という気の毒な人たちだったわけです。 それまでは、雑談する限りは何の問題(障害)があるわけでもないと思われる人たちが、なぜこれほどまでに教養を身につけてないのか?なぜ、自分の子供の小学校の勉強ごときを見てあげる能力もないのか?ほんとうに不思議だったんですけど、これで、一気にナゾが氷解しました。(苦笑)

私はこういうことがすでに研究済みだったということさえ知らなかったのに、偶然自分がしてきたことが理にかなっていたので本当にラッキーだったと思います。 だから皆さんにも知らせておきたいんですどね。 せっかく素晴らしい能力を持ち合わせている子たちが、「学習言語の発達」がうまく行かないがために、持てる能力を開花させることができなくなり、残念な人生を歩むのは見ていられないので。。。 日本語はやりたくなかったら、無理にやらなくてもいいんじゃないですか?それによって、肝心の英語での学習に影響が出ることもあるでしょうから。

それより、わざわざ留学までして英語教育でやっていくと決めたのなら、(英語が流暢に話せるというところで満足せず)「英語で学習できる」というところまで行かせてあげないと。 日本で日本人の親のもとで普通に育って日本語が流暢でない幼稚園児なんていないですよね?幼稚園児の会話力の上に「学習」をするんですよね?そして、教養を高めていく。英語での教育だって同じ事なのに。英会話は流暢になったけど学校の勉強が、、、っていう子は、「話の内容は小学生程度の大人」まっしぐらだと思うんですけど、、、。

☆こんなこと書いて気を悪くする人が出るかもしれないので、秘密コメントにしています☆

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こういう現地情報ってネットじゃ見当たりませんよね。ブログをやっている方で、こう思っても書くのには勇気がいるのでしょう。遠慮しないでどんどん書けば良いのだけれど、日本人らしく「見られている場所では自制する」という日本的常識がすぐに働いてしまうのでしょうか。本音が書いていない情報なんて情報にならないと思うんですがねぇ。

しかしまぁ、何ヶ国語が出来るといっても実情はそういうレベルというか、まさか大人でも小学校レベルでしかない人がいると言うこと自体、驚きでした。当然、しっかり教育を受けている人たちは違うのでしょうが、数ヶ国語を高いレベルで維持することの難しさを想像することはできますね。またそうする事の意味があるのかどうか、その必要があるのかどうか、ハイレベルの多言語を狙うことによって他の事がおろそかになるんじゃないかとそれが気になります。言語そのものを武器にして生きるのは我々一般が想像する以上の難しさ、ハイレベルのものが要求されるのはわかりますし、普通、語学とはコミュニケーションツールでしかなく、一体何ができるのか、どんなスキルがあるのかが一番重要視される中で、多言語が使えますというのにどれだけの意味があるのかと私は思うんです。

そして、日本では日本人なのに国語を勉強するのと同じ様に、たった一つの言語でさえ、ハイレベルに保つのは簡単じゃないんですね。

なんだかマレーシアがバーゲン会場みたいな感じがしてきました(笑)。いろいろあるので、あわてて飛びついてみたけれど、自分が買えたものはそれなりの物でしかなかったような。でも山積みされた商品の多さに、目がくらんでしまう。なんでも手に入るような気がしてしまう。

「ダブル・リミテッド」「セミリンガル」と言う言葉を始めて知りました。大体想像がつきますし、なるほど~と思います。バイリンガルの良さの裏に潜む「セミリンガル」の怖さですね。光と影と言う意味で、あるいは一枚の紙の裏と表みたいな感じで、手に入れた~!と思った紙に書いてある言葉は「セミリンガル」だったなんてね。怖いですね~~~。

日本でも世界中どこでも同じことは、子供が勉強する時間は限られているってことだと思うんです。まぁ、一度目にしたら記憶に残るような天才は別にして、数学はもちろん、他の一般教養的は学問はあるし、そしてその上に専門性を構築していかなくてはならないわけで、やることはいくらでもあるのに、多言語の習得に時間を取られて良いのか?そんな気がしてきます。そしてまさにそれがマレーシアが抱えている問題点なのかもしれませんね。だから出来ない人から見ると凄いなぁと思う語学力も、現実はたいしたことがないなんてことが普通に起こるのかもしれませんね。でもその中で自分が出来ると信じていた言語さえも、実はたいしたことがなかったという怖い例が今回頂戴したコメントの内容なわけで、夢を膨らませていた日本人の親に取っては「驚愕の事実」と言ってもいいかもしれない。

まぁ、ロングステイにしても移住にしても、親子教育留学にしても、どこにも青い鳥はいないってことなのだろうと思っています。

ただ、前にも書いたように、私は日本の教育現場にどんな問題があるのかがわからないわけです。だからどこにも青い鳥はいないと言いながら、じゃぁ日本で良いのか?というところがわかりません。

結論から書くと、「日本人よ、外に出よう!」だと思います。

あれ?いつもという事が違うじゃないかなんて思わないで下さいよ。私は海外に出ることは良くないと言った事はないはずです。ただ準備もしない、夢ばかり追ってもそうは簡単に問屋は卸してくれないってことを書いているわけです。

海外に青い鳥がいるわけでは無いのははっきりしていますが、その代わり、ピーチクパーチクああじゃこうじゃ鳴く五月蠅い鳥はいないんですね。個性を伸ばしたらそれを叩く、あるいは自己主張をしたら黙れと圧力を掛ける偉そうなフクロウもいない。逐一行動を見張るような冷たい目つきのカラスもいない。でもたまにそういうのも居なくは無い。でもよくよく見ると彼らは日本から渡ってきた日本の鳥達だったりするんですね。海外にも日本流の価値観を持ち込んで日本的村社会を作ろうとする勘違い組。

ではなぜ海外では自由があるのか。これに関して書くと長くなるので要点だけ書きますが、海外には自由があるというより、海外では我々は異質なものとして区別されていると考えるほうが良いと思っています。自由だとか差別がないとかいうのは、それはきっと勘違いだと私は思うんです。この辺はこのブログのコメントにいつも登場するおおにしさんが言っていましたが、マレーシアには差別はない。でもはっきりした区別があるという点。つまり、差別をしないのは自由があるから、認められているからではなくて、「お前なんか気にしていないよ」という区別があるからだろうと思うのです。

これに関してはオーストラリアも同じだと思っていまして、私はオーストラリアで自由を満喫しているといつも書いていますが、それを認める社会であるのと同時に、オーストラリア人にとって我々は居ても居なくても関係ない存在だというところもあるんじゃないかと思うんですよ。

これは日本も同じで、同じ日本人だからいろいろ言いたくなることもあるわけで、では隣に外人が来て住んだとしたらどうです?彼らに細かいことを言ってもしょうがないって思いませんか?ただ、ここにはここのルールがあるんだから、それだけは守って欲しいと思う程度でしょ?そして顔を合わせればニコリとするわけで、でもそれは優しさでも自由を認めているわけでもなんでもないんですよね。「あんたはよそ者」という意味でしかない。

どこの国でも観光客には優しい態度を取るのと全く同じだと思うんですよ。それに感激してその国を絶賛する早とちりはどこにでもいるわけですが、私達はそれと同じじゃうまくないと思っています。よそ者だから所詮相手にしない、だからこそ良い顔もするだけで、もしもその存在が自分達の生活を脅かす存在だとわかった瞬間、手のひらを返すように変わるんでしょう。今の中国人観光客が世界でどう見られているのかと同じじゃないですか?

観光客に良い顔をするのはその観光客のためじゃなくて、自分の国を良い国だと思ってもらいたいという自己防衛のためでしかないんじゃないかと思っています。

これを海外の良さだと思ってしまう人も多くいるだろうと思うんです。実は私もそのうちの一人。でもそれで良いとも思うんですよ。干渉されないというのは大事なことで、その理由が個人主義だろうと、ただのよそ者扱いだろうと、干渉しないでくれるのは有難い。

でもちょっとそう考えると悲しくなりますが、オーストラリアにおいては個人主義が発達していますので、夫婦でも親子でもある一線は越えないのが普通で、ましてや他人にあああるべきこうあるべきと平気で言う日本的なずうずうしさに出会うことは稀であると思います。ただ、本当に彼らの中に入ろうとすると、強い抵抗に会うことがある。これはどこでも同じじゃないでしょうか。ま、それに関してはいつかまた書こうと思いますが。

それと私が感じることとして、日本の教育現場は崩壊しているなんていうと大げさかもしれませんが、子供たちが可愛そうであるのと同時に、親があまりにもそれに影響を受けすぎている感じがしないでもないのです。逃げることばかり考えていると言ったら大げさですが、その考え方の裏返しが、海外に対する過大評価に繋がるんじゃないかと。

私はゆとりのある教育って世界に存在するのか、それでも子供達はどんどん伸びるのかという点においては疑問を持っています。楽して何かを得ようなんて思ってもそんなのは世界中どこを探してもあるわけがないと思うんです。でも勉強をする良い環境があれば、子供はどんどん伸びるでしょうし、またイジメじゃなんじゃも無いところなら子供もすくすく育つでしょう。ただこの辺に関しては、私の息子達は嫌な思いを小さいときに随分したわけですが、それは彼らにとって良い肥やしになっていると思っています。つまり、イジメにしても、それは子供達が勉強の上で必ずぶつかる壁と全く同じで、一つ一つクリアして乗り越えていかなくてはならない一つの壁でしかないと思うんです。でもそういう壁って越えられる壁じゃないと困るわけで、上を見上げても頂上が見えないような高い壁であったら駄目。今日本の教育現場の問題点は多分そこだろうと私は想像するのですが、超えられない壁が多すぎるのかもしれませんね。でも当地オーストラリアで息子達が経験した壁は全て越えられる高さでしかなく、良い経験になったと思っています。

ただ、これはオーストラリアがというより、オーストラリアの中のそういう環境に居たからと考えるのが正解で、かなり危ない公立校や、大都市のダウンタウンに住むと全く違う筈なんですね。でも探せばよい環境は間違いなくある。きっとマレーシアも同じだと思うんです。マレーシアならどこでも大丈夫なんてことはあり得ないはずで、でも探せばよい環境はあるのでしょう。

ただ、教育に限らず、数年で帰るロングステイは別にしても、移住じゃ永住じゃ、それも単身、夫婦じゃなくて子連れとなれば、これから将来20年どころか30年、40年、50年とまだまだ続くわけですから、まず、経済的な安定の確保、万が一のときの対処法をきっちり考えないと、せっかく良い環境にあるのに帰らなくてはならないなんてことがかなりの確率で起こるということを、私はこのブログで主張し、警鐘を鳴らしているわけです。

マレーシアを渡航先として否定していると取られると困るのですが、もしご主人が病気で倒れたら、事故にあったら、子供が重い病気に掛かったらと、世界中どこでも起きていることが自分の家庭でも起きると仮定するのは大事だと思うのです。その時にどうするのか。その時はその時だという考え方だとかなりの高確率で帰ることになると私は考えています。原発事故じゃないですが、人生って想定外のことが連続して起こると言っても良いぐらいですから、収入の確保、健康保険を含めた社会保障、滞在許可の確保、それらは本当に大事だと思うんです。

特にビザに関して簡単に考える人が多いように感じるのですが、滞在許可って海外に出ると命の次に大事だと私は思うんですよ。他のもの全てがあっても滞在許可がないだけで全てはパーになるんですから。その点、MM2Hは利用価値があると思いますが、これは永住許可じゃないんですね。お金を持ってきて是非それを使ってマレーシアを楽しんでくださいと言うビザであって、マレーシアで現地の人たちと同じように稼ぎ、生活するためのビザじゃないって事。就労も許可されない、社会保障もないところで、本当に子供を育てて大丈夫なのか。そこは非常に大事な点であると思うのです。でも、とりあえず日本脱出を考えた場合、マレーシアは世界で唯一の避難先と言って良いと思っていまして、これほど簡単に滞在許可証が取れて、とりあえず生活し、子供の教育もできるケースって非常に稀だと思っています。でもそこで安心するのではなくて、子供が育ってくると自分が考えていた方向性とは違うものも見えてくるでしょうし、自分の家族にとってのマレーシアの欠点、問題点もはっきりしてくるでしょうし、次のステップはどうする?方向転換するとしたらどういう方向で?という考え方を常に用意するのは大事だと思っています。

それにしても、非常に興味のある内容のコメントでした。どうも有り難うございます。

本当にこのブログってコメント欄の方が内容が濃いと言われたことがありますし、また秘密コメントやメールの内容はもっと面白く、出来ることなら全部オープンでやりたいくらいです。

この日記の前の「へそくりの重要性」ですが、このブログ始まって以来のなが~~~~~い秘密コメントを頂戴しました。私いつも長文ですが、それに負けないぐらいの量だったのでびっくりしました。実はそれもオープンにしたい内容なのですが、あまりにも個人的な内容なのでそれは出来ないのが残念です。

いつか皆さんで覆面座談会でもやって公開したら面白いと思いました。 (笑)

皆さん、いつも有り難うございます。

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