まぁ、またどうでも良い話です。
ドイツのナチが行ったと言われているホロコースト、つまりユダヤ人の大量虐殺ですが、私はこれは実際にあったと思っていたし、400-600万人ものユダヤ人を殺したナチはいかに異常であったかとも思っていました。
でもこれも調べてみるとおかしな話がいっぱい出てくるんですね。日本にとっての南京大虐殺と似たところがある。
私は南京大虐殺は実際にあったと考えていて、あれは全部捏造だというのには反対。当時、日本軍として従軍した日本人でもそんなことは有りあえなかった、目撃者もいないといわれていますが、日本軍全体で南京で大虐殺をしたとは思わないものの、ある部隊が極秘任務を受けて数万人の捕虜を南京郊外で殺したのは事実であろうと思っています。でもそれは一部の部隊がやったことであって、それ以外の兵士が知らなくて当然。また南京入城も平穏に行われたのでしょう。そして当時、南京にいた各国の報道関係者もそんな事実は知らない。
じゃぁ、どうしてダボは大虐殺があったと思うのか?これはNHKの番組を見て、その極秘任務を実行した部隊の生き残りの証言があったから。最近では売国NHKと言われるぐらいですから、どうせ捏造だろうと切り捨てる人もいるのでしょうが、私はあの番組に出てきた、多くの証言、おして具体的に多くの兵士の手記に記されている内容から、事実であろうと判断しました。
ただし、中国が言う意味での南京大虐殺ではない。ましてや人数もまるで違う。
しかし、数万単位の捕虜を移送中に殺したのは事実だと思うということです。ですから、本来はこれを南京大虐殺というべきではないんでしょうね。その虐殺があった場所も特定されているようですから、その地名でも取ってXXXの大虐殺というべきで、南京大虐殺というと中国の言うことを全て認めたことになってしまう。
でも、日本人はそういうことはしない民族だという信じ込みは間違えていると思います。
ま、それはそれとして、ドイツのナチが行ったといわれるホロコーストも存在しなかったという研究者は結構居るんですね。
その手の話はネットの中にもたくさんありますし、ユーチューブでも英語ですがホロコーストはなかったと証明しようとする動画がいくつもでているのは興味深いところ。
ひとつの例としてこんなのがある。この動画は日本語字幕が出ます。作ったのは一ユダヤ青年ですが、あまりにも用意周到なのでバックに組織が付いているだろう事が想像できます。ユダヤ人が作ったと言うことそのものに作為的なものを感じるのですが・・・。
この手の動画の中でもっと興味深いのがあったのですが、それが見つからないのと、またそれが英語で日本語字幕がないこともあって探すのはやめましたが、その動画はガス室の作り、そして死体を焼く焼却炉、そこに重点を置いていました。
一度に数百人をガス室で殺すのは容易だとしても、それをガス部屋から運び出すのも大仕事、ましてやその死体を焼却するのにどれほどの焼却設備が必要であるか、科学的に検証したものですが、まぁ、我々が単純に考えても、焼却はかなり大変なことになるのは容易に想像がつきます。ところがアウシュビッツには小さな焼却炉が4つか5つ(数字は忘れました)並んでいるだけ。
この施設で大人数を虐殺し、焼却するのは不可能という結論でした。
歴史とは勝者が作るという当たり前のことを再確認したと私は思うのですが、しかしそれを前提とすると我々が知っている歴史って一体なんなんだろうと思いますね。何年に何が起きたというのは間違いがないしろ、その背景に何があるのかは全くわからない。それが我々の歴史かと思うとがっかりします。
ただ近代史に関してはいろいろ証拠があるわけで、後になって検証することが可能なわけで、ホロコーストにしても南京大虐殺にしてもいろんな説が出てきますが、そういうアカデミックな研究を潰そうとする存在があるのが悲しいと思います。学者はこれをどんどんやるべきで、ただどんな結果が出ようとそれを政治利用しないということで良いんじゃないでしょうか。
例えばこのホロコーストにしても、存在しなかったのでは無いかと書いた日本のマルコポーロという雑誌(文芸春秋)はユダヤ人団体から抗議を受けて廃刊にまで追い込まれた。言論の自由が保証されていない良い例であると思います。
でもまぁ、海外からの抗議ならわからないでもありませんが、日本の場合は国内から抗議の火の手があがること。それどころか、教育現場ではなぜか反日と言っても良い様な勢力が大きな力を持っているのが不思議です。
最近のニュースですが、日本人は日本人として生きようと声を大にする安倍政権を右傾化していると騒ぐ海外と呼応して、日本国内の教科書は自虐史観を今まで以上に煽る物が出てきたとのこと。
しかし、私がどうしても理解できないのは、反日に見える人たちは決して敵対する外国人ではなく、同じ日本を愛する日本人だということ。ただ、愛し方が違うのだろうと思うのですが、その愛し方が私には全く理解が出来ないのです。これは彼らが変なのか、私が変なのか、それは単に立場の違いでしかなく、どちらが正しいのか、あるべき姿なのかの判断は簡単では無いと思います。
ですから私は自分の主張をするにしても、大きな声を出したほうが勝ちみたいな方法は取るべきではなく、どうして自分と彼らと考え方が違うのかそれをまず知りたいんです。でも全く理解できない。
軍国主義が良くないとか、侵略は駄目、戦争も良くない。こんなのは当たり前の話で、戦争をする国同士だって同じ事を考えているはず。でもしなくてはなら無いときがあるのは否定できないと思うんです。
警官と同じに喩える私の考え方はおかしいのかもしれませんが、警官がピストルも警棒も持たず、平和な市民生活が送れるわけはないのと同じで、全て話し合いでかたがつくはずがない。でも人間はそうあるべきだという理想はわかりますが、それは全ての人間が同じ考えを持っているという前提での話で、宇宙人かと思うようなまるで違う思想や価値観を持つ人間、国家が過去現在未来において存在する現実の中でどう生きるのか、どう安全を守るのか考えた場合、それなりの備えと心構えは必要だとしか思えません。
スイスが永世中立国であるのは有名ですが、これは戦争放棄をしているんじゃないんですね。私が若い頃スイスに行ってスイスがどうなっているのか知りびっくりしたことがあります。私はスイスって世界で一番平和な国ぐらいに思っていました。あのスイスの風景がまさにそれを物語っていて、どこへ行っても綺麗でのどかな風景が広がる。カウベルを付けた牛がそこらじゅうに居て、のんびり草を食んでいる姿を見て、良いなぁ、なんて思いましたっけ。家という家には花が咲き乱れ、窓にも植木が置いてあって、平和そのものに見えました。
でもその平和を維持するために何をしているのかの説明を聞いてびっくり。家という家の地下には武器弾薬があるのが普通。これはピストルがあるとかそんなもんじゃなくて、機関銃や手榴弾を含む、戦争の道具としての武器弾薬をどの家でも装備していると聞きました。そして国民皆兵。つまり何ぞのことが起きた場合、全ての国民が兵隊として戦うとのこと。
へ~~~、と思いました。有事の際は5時間で全土を封鎖できるようになっているとの事。
まぁ、近代戦において一人ひとりが銃を構えてどうなるのかとは思いますが、自主独立を尊ぶ彼らの信条は素晴らしいと思いました。また、彼らだってそんな国民皆兵だなんてことが無いほうが良いに決まっていると思うんですよ。でも歴史の中で戦争ばかりやっていたと言って良い様なヨーロッパの事情を考えますと、自分の国は自分で守らなければ大変なことになるのを国民全員が知っているのだろうと思いました。
ここが日本と一番大きな違いだと私は思うわけで、日本は他国に侵略されたことその経験さえも無いんですね。異民族を相手に全国で戦うことも無かったし、首都陥落なんて屈辱も味わったことが無い。ましてや自国を捨てて逃げなくてはならないことも経験したことが無い。そして自国がなくなるなんてことは想像さえしたことがない。
まぁ、経験があるのは連合軍による空爆と原爆。私はこの経験は被害の多少とは別の重要な点があると思うんですよ。それは敵と真正面で向き合う戦いじゃないってところ。相手の顔が見えないんですね。敵を見たのは敗戦後進駐軍だけですよね。
ところが他国の場合は、まさに敵との死闘が目の前で繰り広げられる経験を持っている。私はこの経験があるのと無いのとじゃ随分感覚に違いがあるんじゃないかと思っています。ヤクザの抗争などでヤクザが怖いのは誰でも知っていますが、では実際に刃物や銃を目の前に突きつけられて殺されるという恐怖を味わった人は少ない。これと同じで、戦争にしても他人事に考える癖がついているんじゃないでしょうか。まぁ、これが平和ボケといわれるところだとも思うのですが、世界の現実を直視すればこれは他人事じゃないのはすぐにわかるはずで、だからこそ戦争はしてはいけないのがわかると共に、万が一の備えが何よりも大事だというのもわかるんじゃないかと思うんですが・・・。
北朝鮮の工作船ですが、過去においてどれだけ日本に来ていたんでしょうか。数十、数百、その数はあの拉致問題から考えただけでも半端じゃない数なのは簡単に想像できるわけですが、何年だか忘れましたが、工作船を銃撃して沈めたことがありましたよね。あれ以来、一度も来ないのはどうしてなのか。その辺もよく考える必要があると思います。
戦争なんかに巻き込まれる事は想像もしたくないですが、戦争をしないという事を第一義として、その為には相手の言うことは何でも飲むとなればいつか国も民族も消滅するでしょう。まさにイジメの構造と同じで、逃げているだけは何も変わらない。それどころかもっと酷くなる。
あの田母神さんが面白い言い方をしていました。
「お前ら、好き勝手なことばかりしていると・・・・・話し合いに行くぞ!!」
これが今の日本だと。 (笑)