今年も保守として生きる(笑)

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正月早々、またかよぉってな話題ですが、これは私にとってかなり重要な部分で、人生を楽しもう、KLでご褒美人生を満喫しようなんて考え方がほとんど無い私には、逆に、生きることばかり、稼ぐことばかり、(そして好き勝手に楽しむことばかり)考えて生きてきた自分の反省も含めて、日本人としてどうあるべきか、どう行動するべきかのしっかりした柱を自分の中に作りたいと考えています。

これの切っ掛けはやっぱり3.11の東日本大震災、福島の原発事故かなぁ。あれほど自分が日本人であること、そして日本の素晴らしさと深い病巣があるのに気が付かされたことって今までになかったことと言っても良いと思います。それだけインパクトがあった。で、近現代の日本人にとってのインパクトってやっぱり大東亜戦争があるわけで、これも日本の長い歴史の一部でしかありませんが、日本人って一体なんなのかなんだったのかを知る手がかりとしては避けて通れず、今後もあの戦争に対する興味は続くと思っています。

でも、結論なんか出せるような話じゃなくて、一般的な国民、市民の立場と、政治の立場、あるいは世界から見た立場、それもアメリカを代表とする欧米、アジア諸国もそれぞれの国によって見方がまるで違うわけで、まずは日本人に取ってとしたとしても沖縄、あるいは広島長崎あるいは大量殺戮があった東京を始めとする地方都市、また自分の身近な人を亡くした経験のあるなしでも見方が変わる。それぞれの戦争体験でまるで変わる。また過去は過去ではっきりさせるべきだとするのか、過去のことは水に流して未来志向で行くのか、その辺の考え方によっても変わる。

私としては日本人として知るべき事実が根本にあると思っていまして、そしてその事実を知るのは自虐史観で押さえ込まれていた自らを解放する為なのか、日本人の覚醒の為なのか、それとも世界に対して日本の正当性を、そして他国による捏造をはっきりさせるためなのか、その目的によっても見方が違ってくると思うんです。

最近の私の考え方の基本にあるのは、世界の中の日本という視野で見るということ。この視点をちょっとずらしただけで、アジアの植民地の解放だというのは後付けの屁理屈であるという諸外国の言い分も理解できるし、あるいはその大儀があったにしろ、利益がある国、無い国によって独立をさせたさせないがあるし、資源がある国からは搾取したのも間違いが無い。傀儡国家も作ったわけで、それが民衆が選んだ政権かどうかに日本人が触れないのは欺瞞であると感じています。またそれをどの国にも存在する民族独立派が侵略だと考えるのももっともで、日本人には許しがたいヒットラーと同一視する半島の考え方も、彼らの立場で考えれば私はわかるような気がするわけです。一つの民族を消そうとしたヒットラーと、併合という形で国家も民族も消そうとしたことに大差はないという考え方も理解できる。もし私が逆の立場なら1000年で恨みが消えることさえないと思うくらいです。

開放だというのなら、民族独立派と組んで開放するべきで、傀儡国家を作ってそれを開放だというのは中国と同じ手口。いや、アメリカも含めてどの国でもやるやるやり方でしかなくて、日本だけは正しいとする考え方はあまりにも都合が良すぎる。でも事実としてインドネシアやベトナムに戦後日本兵が残り、独立戦争に手を貸して大きな効果をあげたのも事実。でもそれを持ち出してあの戦争全てがそういうことだったんですよ、というのは都合の良い拡大解釈。

これは実際に自分の足で諸外国を歩いてそこで見聞きするのは大切だと思うわけで、左派も右派も自分の都合の良い事実だけを引っ張り出してそこにしか焦点を当てていないことに気がつくはずなんですね。日本で行われた大東亜会議に出席し、アジア諸国の平等と独立自存に賛同した各国が、その後、どうして手のひらを返すように日本軍と戦い、また戦後言うことを変えるか、その辺が私はあの戦争の核心だと思っていて、日本の大儀、正義はあったにしても、それをそのまま彼らは信じることは無かった。あるいは彼らは裏切られたとさえ感じている事実をはっきりさせて、世に出すべきだと私は考えています。

タイは列強に対して宣戦布告をした仲間というけれど、どうしてタイは敗戦国にならなかったのか。フィリピンを開放し、独立させてやったというけれど、どうして後にフィリピン軍は日本に銃を向けたのか。この辺は日本を美化する保守が触れない部分。おかしいでしょ?

ただ、最近の韓国の中国への擦り寄っていく様を見て、事大主義だと馬鹿にする傾向があるけれど、そんなのはどの国でも当たり前の話で、弱い国が強い国に擦り寄るのは世界の常識。つまり、もし日本の戦争をアジアの解放戦争だと信じるアジア諸国があったにしても、負け戦なのが見えてきたら寝返ることだってあるし、またそれを連合軍は歓迎したわけでしょ。それに文句をつけるのは的外れで、まさにそれこそが彼らが選んだ史実、歴史なんですね。

またアジア諸国は日本に感謝しているという論調も増えてきましたが、それも誇大妄想だと私は思っています。あの戦争は結果的にアジアの独立を招いたという論者は少なくないけれど、だから日本に有難うと言っているわけじゃない。また村山元首相がマレーシア訪問したときに、マハティール元首相に「日本はいつまで謝罪をするんだ?」といわれたそうで、これをまた日本に感謝していると宣伝する保守も居る。アジアは感謝しているというより、未来志向で行きましょう、もう謝るな、と言っているだけだとどうして普通に取れないのでしょうか。またバンドン会議でアフリカ諸国に「あともう少し日本が頑張ってくれたらアフリカ諸国も独立できた」みたいなことを言われたと有頂天になる保守もいますが、アフリカ諸国はアジア諸国で何が起きたかの経験もなしに結果を見て言っているだけなのに、その手のリップサービスを信じて喜ぶオコチャマ保守が多いのは問題だと思います。

アジア諸国は日の丸を振って日本軍を向かい入れたと言いますが、そりゃそうでしょう。日本が進駐してきて万歳と叫んだ人たちも居るでしょうが、私なら清もロシアも倒したアジアの大強国がとうとう自国にもやってきて、絶対に勝てるはずが無い宗主国をいとも簡単にやっつけて追い出したのですから、万歳を言う前に非常に大きな不安と恐怖を感じます。そして当然、宗主国より強い日本に擦り寄って行きます。大東亜会議に呼ばれれば出席しますし、アジア諸国の平等と独立を言われれば大賛成。でも危機意識は持っているから日本に釘を刺すことも忘れない。この辺は大東亜会議における各国の動きを見てもわかるとおり。でも後に彼らは裏切られたと思うときが来るんですね。そして戦後は日本を批判する。でも日本を美化する保守派はこの彼らの心変わりを言わない。おかしいでしょ?

強いものに擦り寄る生き方を批判するなんてことは理想論でしかないですよね。

そもそもなぜ戦争を仕組まれ、原爆も落とされたのにアメリカと日本は同盟国なんです?おかしいじゃないですか?あの戦争が聖戦であったのなら、アメリカは日本の未来永劫敵国じゃないとつじつまが合わないじゃないですか。

つまり、歴史はそれぞれの国が決めるものであって、史実はさほど重要じゃないのが現実だと思うわけです。だからこそどの国も自国に都合の良い歴史を平気で作る。捏造さえする。勝ったほうは尚更でしょう。それは日本も同じで、自虐史観という戦勝国に作られた歴史を否定して「事実は違う」とそれを理由にした日本の新たな歴史を作ろうとしているのと同じだと思います。でも日本の言う事実は世界ではなかったとされている。違うことが事実として認定されている。

そりゃ、今になれば連合国側のボロも出てくるわけで、日本に都合が良い証言もたくさんでてきますが、でもそれが主流になることはありえず、日本の主張を各国が叩くのと同じように、それらの証言も無視される。(でも主張は続けるべき)

日本人は真面目だから、事実はどこにあるのか一生懸命探すけれど、それを戦争慣れしている各国は冷ややかな見方をしていると私は思うんですよ。歴史とはなんなのかを日本人って知らないんだな、と思ってるんじゃなかろうか。いくら事実を掘り起こしてきても無駄だと。(でも新事実の掘り起こしはするべき)

でも良いとは思うんですよ。各国が勝手に歴史を作るのと同じように、日本には日本の見方があっても良いわけですから。でもそれが戦勝国が決めた歴史と違うと世界に、他国に主張するのであれば、まず東京裁判は無効である、というのを証明し、再審が可能であるならばそれを勝ち取らない限り全く意味が無いと思うんですよ。戦争に負けたという事実。この重さを日本人は忘れるべきじゃないと思うし、私は全ての根本はここにあると思っています。負けたのが悪いと。

負けたことを横に置いといて、あたかも戦争の決着はつかずに停戦でもしたかのように、正義を主張するのは私は世界の(良い悪いは別にして)ルールに反していると言われてもしょうがないと思っています。韓国の戦時徴用工に対する賠償を求める運動に似ている。

でも正義では負けていないと信じるならば、東京裁判自体をやり直すししかないじゃないですか。それなくして世界を変える事は不可能。でもここにも問題があるはずで、もしその訴状を受ける場があるとしても、ではその前にサンフランシスコ講和条約はなんなのか、そこで大論争が起きるはずで、アメリカが成功したWGIP(ウォーギルドインフォメーションプログラム)の否定から話を進めなければならない。またオレンジ計画もそうだし、コミンテルンが何を企んだか証明する必要も出てくる。

日本はこれを謀略だというけれど、謀略策略は各国が持っているわけで、どれが間違えでどれが正しい、何が正義かって誰がどう決めるんです?

どちらが正しいか決めることができない対立があるから、戦争という手段で白黒をつけたのだと私は思うわけで、もし日本の主張を認めるってことは、連合軍や諸外国が日本と戦って失った命は無意味だったということになる。これを世界が認めるわけが無い。

では自虐史観を持てということじゃなくて、これは今の時代の冤罪に似ていると私は考えています。でも判決は出たんですね。でもこれは冤罪で、事実は違うと日本人が信じる、あるいはそれに賛同する国が出てきたところで、判決は判決で変わることは無い。でも冤罪をそのまま受け入れるのも異常で、せめて我々身内は正当性がある部分は正当であると知り、冤罪を訴えることは大事だと思っています。

でも判決を無視して、冤罪なんだから関係ないよ、というわけにはいかないってこと。

こういう世界の中の日本の立ち居地を無視してレジームからの脱却を主張するのは負け犬の遠吠えに近いと感じます。まして大儀があったにしろ結果的には植民地から開放して、新たな植民地支配を始めたと言われるようなことをしたのも事実。またそうではないとしても、そうだと戦勝国の前では言わざるを得ない国々の立場があるのも忘れてはならないと思っています。

ありがとう、でもその言葉を皆の前では言えないんだよ、という心理もアジア諸国にはあるのでしょう。ただ、時代の流れで今の韓国がそうであるように、よき時代なんかなかったと信じる世代が増えてきますから日本の立場はどんどん悪くなり、日本悪玉論が世界に定着していくのでしょう。

私が考える理想は、世界が東京裁判は無効だと考えるようになることではなくて、アジア諸国が未来を見つめたときに日本にリーダーになって欲しいと願い出てくる時代を作ることだと思っています。そしてその期待に日本がしっかり応えること。そして日本とは正義と誠意を持った国だと理解してもらうこと。

日本に都合の良い一部の当時の情報を並べて、自虐史観は間違えているとか、そういう短絡的な保守のやり方って、左翼、反日勢力が自虐史観を固めるためにやってきたことと紙の裏表、所詮同じことをやっているとしか思えないのです。石の投げあいでしかないと感じます。でもそういう保守の見方もその基礎となる反日勢力が言うのとは違う事実があるのを知ることは大事だと思っています。

私の願いは、いつの日か日本ってあの戦争でも本当はこういう世界を作ろうとしていたんじゃないかと想像する人が世界に増える時代になること。私はその時こそ、日本人の心から自虐史観が消える時だと思っています。

もしあの戦争を聖戦だと信じるのなら、これからも日本がそしてアジアが夢見たいかなる国も他国から自由で平等で独立していることを保障し、そして手を取り合って繁栄に向かって一緒に歩む大東亜共栄圏をしっかり作り上げることが我々の責務であって、それが戦争で命を落とした魂に対する最大の恩返しだと思うのです。そしてそれしか彼らの思いに報いる方法はないと思っています。

 

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