オーストラリアの地鶏に落胆

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先日見つけたオーガニック&黒豚を扱っている肉屋ですが、そこで地鶏を買ってきました。いや、地鶏というのは間違えかも。単なるFree Rangeってやつでしょう。自由に野っ原で育てた鶏。

見た目は赤っぽい肉で、いかにも運動していますって感じですが、結局、同じ種類の鶏なんじゃないですかね。私の舌では食べても違いがまるでわかりませんでした。違いがあればわかりやすいように、フライパンで単純に塩コショウして焼いただけですが、普通の鶏肉。

日本を考えると地方地方に地鶏がいて、軍鶏と掛けたとか、種類もいろいろで特徴がありますよね。歯ごたえがしっかりしていて、味が濃いとか。

こちらの鶏ってブヨブヨして、(私は食べないから良いけど)胸肉なんてベチャベチャ。どうしてこういう鶏しかいないんでしょうか。本当に不思議。

でも考えてみると、日本が異常なのかもしれませんね。魚でも米でもなんてもこだわりの食材っていくらでもある。食べることは文化そのもので、そこに楽しみとか芸術さえ追求する。また作る方もとことん拘るのね。でもオーストラリアって食は文化じゃなくて、エネルギーを補給する、命をつなぐ行動でしか無い、みたいな感じ。だからバラエティを追求するという考え方も希薄なんでしょう。料理番組を見ると違いが良くわかりますよね。

今回のFree Rangeの鶏にはかなり期待していたのですが、スーパーで売っているFree Rangeと全く変わらず。がっかりです。

私がどうしてFree Rangeに拘るかですが、それは美味しさを追求するという理由だけじゃないんです。なんていうのかなぁ、鶏に限らず、我々が食べている食物全てが大量生産で、見た目だけ良くして、合理化で安くして、そして農薬だの抗生物質だの使って、動物は劣悪な環境で育てられるでしょ。野菜は中身が無いような促成栽培。

こういう現代の常識に乗るのがどうにも気に入らないんです。特に動物に関しては、大量生産で工業製品のごとく工場で生産され、そこには生き物を敬う心なんか微塵も感じませんし、虐待の限りを尽くしている感じを受けます。

いい子ぶるわけではないし、他の生命を頂戴しないと生きていけないのもわかっていますが、なんていうのかなぁ、他の生命に対する礼儀とか感謝とかそういうものがあってしかるべきだと思うんですよ。でも自分の身の回りにある食物はそういうこととは全く無視されて生産されているように感じるのです。つまり、私がそれを容認、あるいはそう仕向けているようにさえ思うわけです。

じゃぁ、Free Rangeで自由気ままに育った鶏なら良いのかとなりますし、所詮人間の為に生かされ殺されるのに何の違いがあるのかと言われるかもしれませんが、せめて彼らにも命の営みを感じる瞬間があってしかるべしだし、Free Rangeで育てる農家の方々にも命に対する尊厳を守りたいという気持ちを感じるんです。美味しくなるからそうやって育てているってわけじゃない。

だからといって結果は同じで食われる運命ですから、綺麗事を言ってもしょうがないのですが、少なくとも工業製品の如く命を扱う生産方法、処理方法を容認したくありません。欧米人の中には菜食主義者が結構いて、でも彼らの主張は「命を大事に」とか言いつつ、根菜類も食べちゃう(根菜類は殺さなければ食べられない)人も多く、これまた綺麗事を言っているだけだと思うことがあるのですが、でも今の命の尊厳を無視した食の世界を認めたくないという気持ちは私にも良くわかるし、賛同します。

他の生命を頂戴しないと生きていけないことに変わりはないのですが、人間が頂点に立ってやりたいことをやり続けていることに対して疑問を感じるのは不思議でも何でもないし、ではどうするべきかという結論は私にはないのですが、そのまま認めたくもないと思うのです。

サメと人間、クマと人間みたいに、生きるために他の生命を食う時にはお互いが命を賭けて対峙する関係があってしかるべきだ、なんてことさえ感じます。

乳牛も可愛そうですよねぇ。私はこんなにまでして牛乳を飲みたいとは全く思いません。でも飲む。この矛盾を私には解消することはできませんが、自分たちが何をしているのか、あるべき姿はなんなのか、それを考えることも止めることができません。

と、まぁ、いつもの変人の戯言。(笑)

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