オーストラリアも変わってきた

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オーストラリア人って気さくで目が合うと笑顔を返すなんてのは普通で、見知らぬ人が話しかけてきたり飛行機でもなんでも隣り合わせたら話をするとか。エレベータの中でも同じ。(笑)

でも最近それが減ってきたような気がします。またGood day, Mate!(ゲダイ マイッと発音)とか How are you, MateとかのMateも聞かなくなりました。(MateはMy friendの意)

これって外国人が増えてきたからでしょうか。外人同士はそもそもこういう挨拶はしないし(日本人は特にしない)、オージー自体も外人に対してはしなくなってきてるのかな?

これって日本でもそうですが、都市部と田舎と違いますよね。電車で隣りに座ったおバーちゃんが話しかけてくる、こないなんていうのは、どの辺(地域)で線引きがあるのかと思ったり。つまりゴールドコーストも都市になりつつあるのかな?なんて思ったり。また外人の増え方が半端じゃないし。

昔は、例えば街角で地図を見ているとするでしょ?そうすると「どうしたの?」「どこへ行きたいの?」なんて話しかけられることがあって、中には連れて行ってくれる人までいてびっくりしたことが数度。あるいはブリスベンで歩き疲れて歩道の横の座れるところに座っていたら「どうしました?気分が悪いの?Do you need my help?」なんて声をかけられたり。

でも最近はそういう感じが薄れたような気がします。以前は声は掛けなくても「ほほえみ」で挨拶なんて普通だったのにそれも減った。

ま、一般的な日本人の感覚ではそれが普通だと思うのですが、私は田舎者になったのか、いつのまにか知らない人にも声をかけるタイプになりました。旅行に行ってもそうで、「話しかけられる」し「話しかけるし」。こんなことは普通で、黙っている方が変だと思うくらい。

8月でしたっけ、日本に行ったのは。あの時もそんなことを感じました。池袋のホテルに泊まったわけですが、まだチェックインが出来ずにもう少しだから待とうとロビーで時間を潰していたんですよ。すると隣に座った日本人のオバサンが私に話しかけてきたんです。「どこから来たの?」ってなもんで。私としては珍しいなぁと思いつつそのオバサンと話をしだしたのですが、彼女は日系3世のハワイの日系人でした。日本語が片言だったので英語で話しだすと「どうして英語ができるの?」「私達はオーストラリアからなんですよ~」「あらまぁ~」ってなもんで、天気の話から、これからどこへ行ったらいいかとか、ハワイ、オーストラリアの話で30分以上、日本語が全くわからない日系のご主人も交えて話をして盛り上がっていました。

別れるときには「Enjoy your trip!」てなもんでお互い手を振りながら別れたのですが、これってオーストラリアとか海外では良くあるパターン。

でも日本人はそういうのをしないのね。私は知らない日本人と話をしだして楽しく盛り上がったことって本当に少ないです。これって「礼儀」なのかもしれないし、最近は個人情報だとか個人の権利だとかがうるさくなって、また変質者が多くなったのかもしれないけれど、益々、人と人の距離が離れて行くような気がします。

そういえば10年以上前ですが、日本に遊びに行って帰ってきた子どもたちが面白いことを言ったんですよ。

「日本人は死んでいる」って。(笑)

どういうことかというと、どこへ行っても日本人って静かで神妙な顔をしていると。電車に乗ってもみんな死人みたいだと。

私は大笑いして、日本では知らない人に微笑みかけたり、話しかけてはいけないという常識があるからだよ、と話しましたが、でも子どもたちが感じた感覚は私も良くわかるし、日本では冷たい、冷めた感じを受けます。笑いかけたり、一人でニヤニヤしていたら危ない奴だと思われますもんねぇ。

海外で出会う日本人もちょっと変な人がいて、声をかけると「構えたり」「強がったり」「自慢話を始めたり」ってなことを随分経験しました。なんか普通じゃないのね。「何かを意識してる」。

でも打ち解けるとそんなことは無いし、若者ってその辺の乗りは良いのね。でも年寄りはなんか違う。前の日記に書いた「海外の日本人村社会は怖い」というのもこれに関係があるんじゃないかと思うのだけれど、「あんたはどこの誰?」というのが気になるみたいなのね。で、素性がわからない人には近づかない。退職者なんてもう看板を背負っていないんだからもうどうでも良いと思うし、私なんか看板を背負ったことさえありませんから、そういう(日本人には当たり前なのかもしれない)言動が非常に気になります。

これも彼らの「不安」がなせることだと思うのだけれど、中には「学歴」や「職歴」をまず話しだす人もいたり。「どこで何をしていた人」なのかが気になるんでしょう。

ネットでちょっと仲良くなった人(マレーシア関連)がいて、この人は(私にとって)普通の感覚を持っているなぁと感じる人だったのですが、ある時その人が「XXXXさんは以前医者をしていたから信用できる」みたいなことを漏らしたのね。これを聞いたら私みたいのはびっくりするわけですよ。「じゃぁ、私のことはどう思っているんです?」と聞こうかと思ったぐらい。(笑)

逆に日本人のそういう「過去」に拘る性質を利用した詐欺がゴールドコーストで起きたことがありました。ある中年夫婦がゴールドコーストにやってきまして、日本人の中で付き合いを広げていったんです。私は彼とどこで知り合ったか忘れましたが、一緒に飲みに行ったり我が家のパーティにも呼んだことがありました。で、彼は「XXXXX信用金庫」にいて、それから独立して日本で居酒屋を何件も持っていて、ある時全て売り払ってゴールドコーストに来たという話。

でもなんか変だなぁと感じたので、ちょっと調べさせてもらったんです。というのは奥さんがヒジョーーーに暗くていつも横を向いて口も聞かないような人だったのね。豪快な旦那とは対照的。何か裏がありそうだと思って日本で調べてもらったんですが、どうも素性がはっきりしない。でもま、それはそれで構わないと思って放っていたのですが、彼は商売を始めたんです。お土産屋。当時はお土産屋は結構良い商売で、日本人観光客がガンガン来ていますから、どこでも繁盛していました(今は閑古鳥)。

その彼がですね。ある日ある時、蒸発したんですわ。後になってわかったことは、その店を開くのに投資家を募っていたこと。また調子よく大きな話をして信用させて、商品を借りたり、ツケで仕入れたり(普通は現金か、翌月払い)。それを全部踏み倒して蒸発。ま、被害総額は大したことはなかったと思いますが、衝撃的な事件でした。

でも後から考えて気になったことは、「彼は私には一切何も仕掛けてこなかった」こと。「こいつは金にならない」と読まれたんでしょうねぇ。(笑)

ま、海外に出ると「日本人が日本人を餌にする」なんてこともあって、昔ロサンジェルスに行った時、現地にわけのわからん日本人達が巣食っているのを知りびっくりしたことがありましたが、ま、どこでも同じなんでしょうね。日本人が一番カモりやすい。ゴールドコーストでも価値の無い土地をとんでもない価格で買ったとか、弁護士でもない人を信用してウン千万も日本から送金して、ある企業の共同経営者としてビザを取ろうと思ってこちらに来たら、そんな金は知らないとその企業に言われて詐欺だと気がついたとか、ま、そんな話もありました。

弱みにつけ込まれるのね。また「何か良い儲け話はない?」なんて平気で聞きまわる人も居て、海外に出て有頂天になっているのか、カモになる人は決して少なくないのね。歌手の矢沢永吉がゴールドコーストで詐欺にあって35億円だかなんだかを取られた事件があったけれど、あれも絡んでいたのは日本人。彼は有名人だからニュースになったけれど、億単位の金をなくした日本人って結構いるはず。また早期退職でまとまった退職金を持ってこちらに渡り事業を始めたり、日本の資産を売ってまとまった金をこちらに持ってきて、よせば良いのに(やったこともない)事業を始めてあっという間に全て飛ばしたりなんて人の数は半端じゃないです。

ま、そんなことがあるから日本人を見ても「どこで何をしていた人か」が気になるのかもしれないけれど、これは逆なんですよね。今現在の素のままを見ないってことですから。でもやっぱりそれが普通みたいで、だからこそ過去の履歴をでっち上げたり、大げさに言ったりする人はいくらでも出てくる。わかりゃしないだろうと思うんでしょう。

でも話をしていると大体検討がつくと思うんですけどね~。でも看板を背負っている人、過去にしがみついている人は逆に引っかかりやすいのかもね。

でもそういう変な常識、あるいは傾向を全く持たない日本人も結構いるわけで、そういう人たちと出会うと安心します。おかしな人が目立つだけだと私は思いたい。

海外に出たら、そこにいる人達が信用できるかどうかなんて全くわからないし、その人の過去を聞いたからどうなるわけでもなくて、それなのに「過去から判断する」という思考パターンしか持っていない人は外人に対しても「どこで何をしていた人か」を見ようとするのね。こういう人は逆に(私みたいな)「過去に栄光がない人」「過去がわからない人」を敬遠するし、また見下すし、的はずれなことをやっているように思えます。ま、日本人に対してそういう目を持つのはまだしょうがないかもしれないけれど、せめて外人に対しては「その人を見る」しかないと思うんですがね~。

話す内容、笑い顔一つで私はその人柄がわかると思うんだけど・・・・。また信用できるかできないかという判断基準を持つことがそもそも大間違いなんですね。日本人ってその考え方が非常に強いと思います。信用できるとなると何でも任せちゃう。これってお金をテーブルの上に置いて放置するのと全く同じで、まともな人でもそれを見たら手を出したくなるのが海外では普通だと思うべきで、その人を信用することが逆にその人の悪さを呼び出してしまうことがあるはず。では信用しないってことじゃなくて、「信用」という言葉そのものを自分の辞書から消す必要があると私は思っています。相手が個人でも企業でも同じ。多くの日本人が持つ欠点ってこれだと私は思っていて、カモになるのもしょうがないし、またそれが災いを呼びこむんだろうと思っています。

その「信用」ってのは「期待」と同意語みたいなもんで、「期待」するから「落胆」も出てくるんですよね。なんだかこれって日本という国の外交姿勢にも見えると思いませんか?ここに気が付かないと世界の中では生きていけないと思ってます。

で、最近のオーストラリア人って能面の様な日本人に似てきたのか、変わってきた感じがします(と話をまとめてみる 笑)。でもそれってシドニーやメルボルンに行くと当たり前なのね。まず街を歩く人達の顔つきが違いますもの。歩くスピードも違うし(笑)。タクシーなんかそれが顕著で、大都市のタクシーは怖い。インド人や東欧の人が多いけれど、昔の日本の雲助タクシーみたいな感じを受けることがあります。話しかけても答えない。最小限の話しかしないみたいな。それでいて自分の携帯電話ではしゃべりっぱなし。あれは不思議だ~~~~。

ゴールドコーストのタクシーってかなり違うんですよ。地元の面白いオッチャンがいて、タクシーの中で盛り上がったり。

でもそれも段々と変わりつつある・・・・・

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