安倍さんの談話が楽しみだ~~

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安倍さんの談話ですがもうそろそろですね、14日の予定ですか?

安倍さんは何をどういう風に言うんでしょうか。アメリカ議会での演説は周到に準備され計算しつくされていたと思うのですが、今回もなんらかの驚きがあるのを期待しています。

侵略とか謝罪に関してですが、私はそれを言ってもよいと思っています。私自身は大陸、あるいは半島も「侵略」だと考えています。そりゃ日本サイドに立って考えればいろいろあるわけで、蒋介石にうまくやられた、舐められたと思うし、そのバックには欧米も付いていたし、日本には日本の正義があるとは思うのですが、自分が日本人ではないという視点で見た場合、私は「やりすぎだ」と感じるのです。彼らも日本ぐらいは簡単に叩けるぐらいの読みがあったんでしょうが、そうはならず、首都南京まで攻めこんで陥落させてしまった。

満州国にしても朝鮮併合にしても「日本の自衛の為」と言いますがそれは「日本の都合」でしか無いと思っています。結局、あの地域の広大な土地、そして資源を大いにあてにしていて「日本の利益」があるからあそこまでやった。また「自衛」「防衛」にしてもそれは「日本の利益」であって、東アジアの利益だというのは言い過ぎに聞こえるし、他の方法もあったはず。

その辺を韓国がギャーギャーいうのは私としては心理としては理解できるわけで、どれほど李氏朝鮮がメチャクチャで国が国として成り立っていなかったにしろ、そして併合後にどれほど発展したところで、それを「有難いと思え」という論理は成り立たない。もし日本が大東亜戦争後にアメリカに併合されたとして、どれほど発展しようが、日本という国を、日本人という民族をこの地球上から抹殺されることを私なら絶対に受け入れることはできませんもの。

朝鮮半島は長い間、中国の属国として存在していましたが、なぜ中国は朝鮮半島をそのように置いていたのかも不思議に思うのです。まぁ、中国がやっていた朝貢制度って非常に頭の良い、そして金のかからない統治方法だとは思うのですが、私は中国は長い歴史の中であの半島に住む民族の特異性もわかっていたんじゃないかと思うんですよ。だから属国として締め付けはしても、それ以上のことはしなかったのではないかと。

つまり、今頃になって日本では(福沢諭吉が書いたとされる)脱亜論が話題になりますが、ああいう考え方はごく一般的な常識論だったのかもしれないと思うくらいで、福沢諭吉もその考え方を中国から学んだのかもしれない。そして日本から見れば中国も似たようなものだと一緒にまとめて書いたのではなかろうかと。

アジアを回ってみますと他国から「侵略」あるいは「統治」された経験を持つ国や地域がたくさんありますが、確かに宗主国のやり方に違いはあるものの、その地域の特殊性もかなり関係していて、その後の「彼らの思い」を左右しているように感じるのです。それの代表が皆さんご存知の台湾で、韓国とは全く違う対日観を持っている。これはミクロネシアの島々も同じで、特にパラオは私は世界一の親日国だと思うくらい。

また私が世界中で一番好きなグアムですが、私の知り合いの多くは「アメリカ人になったことを誇りに思う」人がほとんど。私はこれを知った時に「根性のない奴らだ」と思ったんです。でも独立派ってのも少数ですがいたんですね。でも独立は現実的ではないし、せめて自分たちの言語ぐらいは残そうという運動をしていた程度。これって言葉が悪いですが、「未開発の土人が文明に憧れる」のと似ていて、どこの国とは言いませんが、イギリスの植民地で苦労した経験があるのに、現在はイギリスを慕う国でもあるというねじ曲がった心理があちこちの地域、国で働いているのを感じます。でも大陸や半島の人たちはそういう人たちとは違う意識、言葉を変えれば「誇り」があるのだろうと思うし、本来統治者はその辺を見抜いて統治方法を考えるべきだったんでしょう。

では日本がそれぞれの地域で全く違うやり方をしたのかというと、そうでもないと私は思っていて、日本の基本路線はどこでも同じだったように思うのです。

でも大陸や半島の場合は、そうは簡単に行かないというのを福沢諭吉も、そして伊藤博文もわかっていたのだろうと。でも彼らの声は打ち消されて進出した。そして満州では「傀儡国家」を作り、半島ではなんと「併合」という極端な方法を選んでしまった。これらを「進出」と呼ぼうが「侵略」と呼ぼうが、ここに大きな誤算があったのは間違いが無いと思うわけで、日本は「やりすぎた」と思う理由でもあります。

あの当時の日本と今の中国と、なんだか私の中では共通点があるような気がしてしかたがないのです。ただ中国は「核心的利益」という言い方をしているだけ、もしかしたらわかりやすく、あるいは正直だと言えるかもしれなくて、逆に日本は「アジアの平和」だの「大東亜共栄圏」という大義名分を作り上げて、「貴方のためでもあります」という言い方をした。

私は自分は保守系で、右に傾いた思想を持っているとは思ってはいるのですが、でもあの戦争にしても「日本を悪く言うのはあの2国だけだ」というのは嘘だと思っています。これは現地に行ってちょっと調べてみればわかりますし、そこまでしなくてもあの戦争を「初期」「中期」「後期」とか、また分け方は色いろあるでしょうが、日本の言うこと、やることにも変化があって、最初は諸手を上げて歓迎したアジア諸国も「話が違うじゃないかと」と変わっていったのも忘れるべきではないはずなんですね。

このブログはマレーシアの話題が多いですが、この件に関してもマレーシアと日本がどういう関係で、それが戦時中どのように変わっていったのかを見ること無くして、マレーシアは親日だとか、いや反日だとかいうのは無理だと思うわけです。「お前を幸せにするよ」と男が言い、女は「貴方についていきます」というのと同じ時代はあった。ところがその男も変わっていくわけで、女は女で「貴方って嘘つきなのね?」と心が離れることもある。そして決別する時が来てしまう。

これはフィリピンも同じで、実際に日本軍が上陸した時には日の丸を皆が掲げて大歓迎されたこともあった様子。マレーシアも日本の銀輪部隊(自転車部隊)がどんどん南下する時には各地で大歓迎を受けたとのこと。でもその後、数年もしない内に、日本に銃を向けることになるんですね。またマレーシア半島ではマレー人と中国人がいて、反政府(反日)運動をするのは多くは中国人で、彼らは大陸と同じやり方をする。つまり便衣兵であり、ゲリラであり、どんな時代でも統治者としてはそれを一掃しないとならない。でもベトナムがそうであったように、便衣兵やゲリラの一掃なんて無理な話で、どうしたって民間人が巻き添えを食らう。また当時の法律、常識から言っても、便衣兵やゲリラを匿う一般人は同罪となるわけで、多くの民間人も殺された。

これを日本が「正当性がある」と言っても、殺された方は「殺戮だ」というに決まっていて、それは南京で数万人が殺された「幕府山事件」も同じ。ましてや敗色が強くなってくるとまともな裁判など行われないのがどこの戦争も同じで、疑わしきは罰するになったんでしょう。捕虜の扱いも同じで、自国の兵隊も食うものがないのに捕虜はいないほうが良いのはどの国のどの戦争も同じのはず。

こういう戦時中の混乱の話を、今の冷静な目で見て法律的に考えればどうしたって日本は分が悪い。これは連合軍でも同じで、まさに原爆も東京空襲に代表される無差別大量殺戮にしても、本来有り得ないことが起きるわけだけれど、「それは戦争だからしょうがないね」とはならず、犯罪として断罪される。でももちろん負けた方だけ。勝った方はお咎め無し。

だからこれの結論を出すのは簡単だとは思えないし、また日本の正当性を訴えても、あるいは「お前もやったじゃないか論」も意味がなく、どうしたって降伏した日本は分が悪い。そしてあのメチャクチャな茶番の東京裁判も受け入れてしまった。それは日本の独立との交換条件みたいなもので、サンフランシスコ講和条約を締結しないわけにもいかないし。

私の日本のイメージって、真面目で血気盛んな世の中を知らない田舎もので、それが世界に出て暴れすぎた。でもそれを世界は許さなかった。そして「前科者」の烙印を押して、精神改造にまで着手した。もともと真面目な田舎者はそれを素直に受け入れて、「自分は犯罪者」だと決めつけ、世の中に従った。もともと「前科者は前科者」という思想がある日本人は、「前科者」という烙印を外そうとは思わない。だから「前科者が~~~~」と言われれば謝るしか無い。

でもこれを脱しようというのが安倍さんだと私は思うわけです。

でもそういう彼の気概を危険思想だと世界が言うのは当たり前だとしても、日本国民さえもそう思ってしまうところに日本の悲劇の根源があると私は思うわけです。

多くの日本人だって「何か変だ」ぐらいには思っているはずなのに、「前科者として真面目なフリをして生きていたら成功してしまった経験」が忘れられないんでしょうね。前科者だと認めたから日本は発展したと信じている様子。だからまともな世界の一員になるよりも今のママのほうが良い。でも「前科者」はやっぱり面白く無いから「ファンタジーの世界」に逃げ込むんだろうと思うのです。手枷足枷を嵌められた日本なのに、それだから今まで平和だったのだと、憲法9条があるから平和だったのではないのはわかっているのに、そこに逃げ込み、手枷足枷を自らが欲して、「私は普通の人にならないほうが良いのです」という国民になってしまった。

こういう日本を見ていると、「戦後はまだ終わっていない」どころか、明治維新の「文明開化」もいまだ途中であるような気さえしてくるのです。

70歳も過ぎたジジーなのに「僕ちゃん、まだ社会に出たくないもん」と言っているような・・・・。

社会とは、そして昔の日本人が後れを取ってはならないと思った西洋文化、そして今の世界のルールとは「弱肉強食」そのもので、でも「和の精神」を持つ日本人にはやっぱりそれをすんなり受け入れることは出来ないんでしょう。だから文明開化を途中で否定しているように思うのです。そして文明開化から「ファンタジー世界観」への方向へと行ってしまった。

ま、そんな日本の現状を考えると、やっぱりここで安倍さんが「侵略」を「謝罪」するってのはありだと思うんですよ。でもそれは他国のためではなくて、日本国民のためにそれをするべきだろうと。たとえ侵略という言葉が癇に障ったところで、やったことは侵略と言われても仕方がないし、「日本は戦争に負けた」という【何よりも重い事実】を受け止める必要があると思います。そして過去に日本がやったことを侵略と呼ぼうが呼ぶまいが、同じようなバカなことはしないという誓いは重要だし、日本は世界の一員であって、世界とは何を考えているのか、どういう状態なのか、それを真っ直ぐに見つめる必要があると思うんです。

私は戦争反対です。でも自衛戦争をも否定するようなアホさは私にはなくて、こちらから仕掛けることは絶対にしないにしても、仕掛けられたら許さない、徹底抗戦をするというスイス的な考え方が良いと思っています。

ですから何が何でも戦争反対、今の安保は違憲だ、戦争法案だと思うのは勝手にしても、そして集団的自衛権もダメだと思うならそれはそれで良いとして、では「自衛の戦い」「自衛権とはなにか」「自衛するには何が必要か」それをまずリベラルの人たちには考えて欲しいと思っています。

そこの議論が全くなされていないのに、つまり個別的自衛権を確保するにはどうしたら良いのかの話をせずに、その次にある集団的自衛権の話しなんか出来るわけがないんですね。

でも多くのリベラルの人たちはそれから逃げようとしているのを感じます。なぜなら、個別的自衛権を維持するには、今以上の軍備が必要で、それこそスイスみたいな国民皆兵、これって徴兵制度どころじゃなくて国民全員が「人の殺し方」を学ばなければならず、なおかつこの東アジアの状態を見れば、「核武装」も考えなければならないんですね。

でもそこに結論を持っていくわけにはいかないから、「そんな脅威がどこにある?」と、リスクコントロールそのものを否定する方向に話を持っていく。

これじゃ議論にならないわけですよ。結論ありきなんですから。

今の世の中は車社会ですが、日本という自動車が道路を走るにあたって、俺は絶対に事故を起こさないから車にはバンバーもいらないし、シートベルトもいらない、外装は鉄板じゃなくて布でも良いと言っているのと同じ。もちろんパトカーも救急車も消防車もレッカーも必要ないと。

今日本中で行われている議論ってこういうレベルでしか無いと私は感じています。そして日本がそういう国であるのを望む国がまさに日本のすぐ隣にある。なぜ、隣国はそれを望むんでしょうか。

頑丈で、安全装置もちゃんとしていて、万が一の時には乗客の安全も確保できる車って良いと思うんですが、そういう車に乗ると「お前、暴走族になるのか?」っていう人います?

でも暴走するかもしれない。だからこそ、暴走しないように見張る仲間が必要なんですね。それが同盟じゃないんでしょうか。同盟って一緒に戦うばかりじゃないんじゃないですかね。でもいつかはそれも超えないとならない時が来るはずで、自国の中に他国の軍隊が駐留したまま、そして広い範囲の日本の上空の制空権も他国が握るという異常事態が当たり前なわけがないんですね。地位協定も同じで、日本が独立国としてやり残したことは山ほどある。それなのに「今が幸せならそれで良い」という意識は間違えていると私は思うのです。

ドイツでは個別的自衛権こそが独自で何か理由をつけてとんでもないことをする原因になるという考え方があって、個別的自衛権を否定していると聞きました。つまり集団的自衛権しかなければ、独自では何も出来ないわけで「調和」を重視するようになる。侵略なんて絶対にできない。

違憲だと騒ぐのも良いでしょうが、では憲法をちょっと横に置いといて、一体何が大事なのか考えたらどういう話の展開になるんでしょうか。

その行き先がわかっているからこそ、憲法にしがみついているようにしか私には見えないのです。

さてさて、安倍さんは何を言うのでしょうか。本当に楽しみです。

でも最近の動きを見ていますと、やっぱり支持率も気にしている様に見えますし、大衆迎合路線を取るかもしれない気もしています。

私は今の日本は「モラトリアム国家」、「ファンタジー国家」と言っても良いと思っているのですが、もしここで安倍さんがコケるようなことがあると、まず私が生きている間には「日本が大人」になる日は来ないと思っています。

大人のふりをした子供の国、日本。嫌なことには目をつぶり、駄々をこねる日本。もうそろそろどうにかして欲しいです。困難から逃げる日本ではなくて、それを自国の問題として解決できる日本になって欲しいです。

 
 
 

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