ヨメさんに飲みに行こうと誘われた

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今日は買い物に行っていたのですが、ヨメさんから電話がかかってきました。

「今どこにいるの?もう外に出る用意が出来たから一緒にどこか行こうよ」と。

普通の夫婦ならなんてことのない会話なんでしょうが、私はこの7,8年、ヨメさんからこんな事を言われたことはありません。

その時、丁度、買い物も終わりコンドの駐車場に入ったところでしたので、とりあえず部屋に帰ったわけです。すると確かにヨメさんは出かける用意ができていて、「行こ、行こ」とその気になっています。

ヨメさんが乾癬という病気なのは何度もここに書いています。この乾癬って一体何が原因なのか、どうしたら治るのかがはっきりわかっていない病気で、皮膚病の様に見えますがそれは違っていて、皮膚に出るのは結果であって原因ではないんですね。でもストレスがキッカケになるとよく言われています。ヨメさんが乾癬に罹ったのは、(行きたくない)マレーシア行きを決めてからで、もう7,8年になります。

乾癬って体中にアトピーみたいな症状が出ます。例えばこんな。これはまだマシな方です。

これがどこに出るかわかりません。頭の中だったりお尻や手足だったり。これが足の裏に出来ると最悪で、足の裏が割れて歩くことも出来なくなります。

病気なんだからしょうがないじゃないかなんていうのは本人の気持ちがわからない人の言い草で、正直なところ、アトピーもそうですが乾癬も、他人がこれを見るとびっくりするのが普通なんですね。昔のライ病ほどひどい扱いを受けることは無いにしろ、「見た人は何を感じるか」と本人は気にするわけです。だから人前には出たくないし肌を隠すようになります。この症状が酷い人は自分は頑張っていても仕事で配置転換を言い渡されたり、皆と一緒に海やプールに行くなんてのはとんでもない話で、真夏でも長袖を着て手袋をするわけです。仕事もできない、恋人もいないし結婚も出来ないと自殺を考える思春期の人もいるぐらい。

ヨメさんは若い頃はファッション業界にいてモデルもやっていたこともあるような女なんですが、それだけに「見た目」に拘りがあるんでしょう。「自分が思うほど他人は気にしていない」なんて言っても駄目で、とにかく人目に触れないような生き方をするようになりました。家に呼ぶのは極々親しい人のみで、殆どが女性。私が私の友人を家に呼ぶこともいつの頃からダメになりました。家に誰かが来てインターフォンを鳴らしてもヨメさんは絶対に出ません。もちろん買い物に出るのも稀で、出るときには遠いところの知り合いが来ないであろう店に行く。だから買い物はいつのころからか私の仕事になったわけです。

でも昔は私と一緒に朝までよく遊びましたし、酒を飲んで盛り上がるのは大好き。どちらかというと吉本系かも。でもそんな盛り上がりもほとんどなくなりました。たまに出かけるにしても、前の日にそれを言わないとダメなんですよ。今晩、食事に行こうぜ、なんてのは無しで、予定を決めてから前の日から人前に出るのを考えていろいろやるんですね。もちろん肌が見えないようにして、お化粧もバッチリ。

それなのに、ヨメさんから突然「一緒に行こうよ」なんて言うもんですから、私は何があったのかとびっくりしたぐらい。

でも外に出たいと思うのは良いことですから、いつもの階下の日式焼肉屋JFXに行きました。そして一体全体、どうして突然、出かけようと言い出したのか聞いてみたんですよ。

するとニコニコしながら両手の肘を私に見せるんです。「見て見て、綺麗でしょ?」って。私の目の前にあるのはバーさんの肘でしか無いんですが、確かに乾癬が消えています。普通のバーさんの肘。(笑)

嬉しかったんでしょうね。

そして珍しい事を言いました。「パパのおかげ。有難う」って。ヨメさんは九州女だからってわけじゃないんでしょうが(笑)、旦那に有難うとか、ごめんなさいをまず言わない女。それを言うと負けだと思うんでしょうか。(笑)

今まで乾癬が良くなるように、ありとあらゆることをしました。でもよくならない。ところがこのブログで「水を変えたら?」というサジェスチョンを頂き、飲水、料理に使う水は水道水を使わないようにして「ボトルで買うミネラルウォーター」を使うようにしました。またお風呂はビタミンCを入れて「塩素を中和」するようにしました。

私はそれが良くなった理由だと思っていまして、それを教えてくれた読者には感謝のしようがありません。また他の読者から薦められたビフィズス菌も効いているのかもしれません。

とにかく、人前に出ても恥ずかしい思いをしないで済むようになったのは大進歩で本当に良かったです。足のスネも結構ひどくなっていたのですが、「足のスネは?」と聞いたところ、「まだやっぱり・・・」とはいうものの、見せてもらったところちょっと赤くなっている程度で、快方に向かっているのは確か。

その喜びが「一緒にでかけようよ」というこの何年も聞いたことのない言葉につながったのでしょう。

久しぶりに明るいヨメさんと二人だけで飲んで食べていたのですが、今日は自宅を売ることに関して弁護士から電話があったことを伝えました。そして間違いなく我々はマレーシアに行く方向で進んでいるし、どういう日程でどうなるかの話をしたんですよ。そしてマレーシアの後のことにも話が及びました。

「最終的には日本に帰るしか無いよな」と。

するとヨメさんは「私がゴールドコーストが一番好きなのはわかっているわよね?」と。

でも確率的には私が先に逝くのはわかっているわけで、「お前一人でどうやってゴールドコーストで生きていけるんだよ。子どもたちはあてにできないのに」と言いましたところ、

「パパがいるでしょ?」と言うんですよ。

「そうじゃなくて、俺がいなくなった後の話をしているんだよ」と言ったわけです。

そうしたらなんと「私を一人にしないわよね?」と。

「しょうが無いじゃないか、普通なら俺が先に逝って、お前はその後、10年でも20年でも生きるんじゃないか?」といいましたところ、

「嫌よ、連れてって」ですとさ。

全く子供そのものだと思いましたが、まだ若い頃に大好きな父親を亡くし、そこそこの名家だったのにお袋さんがめちゃくちゃにして全てを失った。それどころかマイナスになり、お袋さんは失意の中で白血病で他界。3人姉妹だった姉も幸せな結婚ではなく、妹も同様。最終的には仲の良かった妹は肝硬変で若くして他界。

寂しんでしょうね。こんなはずじゃなかったのに・・なんてことは何百回も考えたはず。

トラウマがあると言っても良くて、ゴールドコーストは大好きだけれど、日本人村の中で嫌な思いは何度もしたし、病気のこともあって社交性は全くなくなりましたし、ほんの数人の親友としか付き合わないようになりました。そしていつか帰ることになるであろう日本を想像しても、もう25年も経った今、自分の居場所があるとは思えないんでしょう。今では彼女にとって頼れるのは私と子どもたちだけ。そしてこれからは誰も知り合いもいないマレーシアに行かなくてはならない。そして旦那もいつかいなくなる日が来ることを想像したんでしょう。

「私を一人にしないで・・」と泣いていました。

 
 
 

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