二重国籍再び

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二重国籍に関して書きました所、何人かの方からコメント、メッセージを頂きました。

まず最初に確認したいことは、私は二重国籍を薦める立場には無いということ。理由は簡単で、日本人の場合ならば日本は二重国籍を認めていないから。またもし認められることがあったとしても国の安全保障や道徳、倫理上の問題が少なからず残ると思うし、個人のアイデンティティの問題も決して小さくないと思っています。でも他人がそれをどう考え、どうしようとそれはその人の勝手で私がどうこういうことでもありません。

ただ情報や考え方、背後にある歴史を共有したりするのは良いことであって、これをあたかも犯罪の知恵の交換のごとく考える傾向があるのは「ヤフー知恵袋」みたいに低俗であると私は感じています。でもま、安保法案を戦争法案だという人が多いような世の中ですから、そう考える人は決して少なくはないのでしょう。

性善説、性悪説のどちらに建つこと無く、法律と現状を認識したいと私は思っているのですが、日本の国籍法は性善説の上に成り立っていて、確信犯が野放しになっていると感じます。いわゆる駐車禁止なのに警察は違反車を一切取り締まらず、「移動してください」と言うだけみたいな。

でもそれはお上の怠慢があるからではなくて、そもそも取り締まりが難しい、取り締まることそのものに問題があるからだというのが、オーストラリアが二重国籍を認めるに至った経緯を調べてみてなんとなくわかるような気がするのです。

私達日本人は島国に住み、単一民族で長い間やってきましたから、その国に住むのは日本人であって国籍ももちろん日本であり、海外の国籍、あるいは市民権を取るとか、重ねて持つなんてことがそもそも実感として理解できないところがあると思います。ところが世界の歴史では、国は固定されていても民は自由に動いてきたんですね。また国そのものも大きくなったり小さくなったり、消滅したり新たに出来たりしたわけで、同じ土地に住んでいながらも国籍や市民権が変わるということが当たり前に起きた。

そこを理解せずに二重国籍を考えることは不可能だと思います。

この辺の理解は、もし日本の都道府県が国だと想像すれば簡単にわかるはず。

つまりですね、本来は「単一の国籍」「単一の市民権」を持ち続けることのほうが稀だったのかもしれない。

だからといって自由に国籍を得たり捨てたり出来るようだと国が安定しない。また日本人なら日本の国籍や市民権を持つのが当たり前だと考えますし、権利だけを見る傾向があると思います。しかし国籍、市民権を持つということは厳格な「義務」が生じるわけで、それは「納税」であり「国防」。

「忠誠を誓う」のも当たり前で、アメリカでもオーストラリアでも国籍を取得する場合、必ず「忠誠を誓う」という宣誓をしなければならない。ま、当たり前といえば当たり前ですが、日本の場合はそれはない。それどころか国民そのものが「忠誠心は軍国主義、戦争に繋がる」とバカなことを考えている。まぁただの表面的なものの有無を言ってもしょうがないわけですが、日本のように国そのものを自分たちで作ったという経験がない国だと「義務」に対する意識が低く、国防に関しても国民に選択の自由があると考えている。この点は戦って自分たちの国を作った、手に入れた国とは大きな感覚的な差があると思います。世界的には国防にしても方法論は議論されることがあっても、国防に参加するのが義務かどうかという国民の根幹に関わることに言及すると寄ってたかって叩かれる日本は非常に変わっていると思います。

万が一、他国に攻められた場合、銃を持って戦うという意識を持った国民の%が日本の場合、他国に比べて異常なほど低い。

徴兵制がある国は幾つか存在しますが、かつてのアメリカ、今のスイスや韓国にしても、それは義務として存在する。徴兵制そのものではないにしても「国防」の基本的義務はどこにでも存在するんでしょう。そしてそれは国民の中でも義務として認識されていて当然のことだと考える人が多い。でも日本は世界で一番長い歴史を持った国で、2000年以上も続いた国は他には存在しない。中国4000年とか5000年とかいうけれど、それはその土地の歴史であって、国家の歴史を考えれば非常に若い国で、過去において何度も国が立ち、滅び、言語も価値観も違う他民族に支配される国が入れ替わり出来たのが中国という土地の歴史。そして民は民でその中で移動を繰り返してきた。ギリシャも全く同じ。

そういう意味で日本は異常な歴史を持つ国で、その国民も世界から見ると異常な価値観、考え方を持つのも当たり前かもしれない。(笑)

日本は自分たちで国を作ったわけでもなく、そこに国も平和も存在するのが当たり前だと考えていて、侵略されたこともないから「国が滅びる」「他国に侵略される」実感はゼロと言っても良いと思います。でも実際には日本そのものが侵略をしたし(私の考えね)、今の時代でも世界中でそれが繰り返されているのに、日本人は「日本だけは関係ない」と信じている。日本のアホが考えることは「日本が侵略することばかり」で「侵略されること」は全く想像さえもしていない(北方領土や竹島が侵略によって取られたのにも関わらず)。ましてや日本は太平洋戦争後に他国に占領されるという2000年以上の歴史で初めての経験をし、そしてそれから開放されて独立した日さえ誰も覚えていない、国もそれを記念日にもしないという、摩訶不思議な国だと私は感じています。

毎度のことで話がズレて来たのを元に戻しますが(笑)、ま、そういう海外との大きなズレが日本にはある。多重国籍に対する考え方も同じで、それを「民の権利」とする考え方が世界に存在する。当然それじゃ国が安定しませんから「民は国の財産」と考え、義務で縛り、多重国籍や国籍離脱を許さない国も存在する。

ただ近代になって世界は国が固定されて、国籍とか市民権が定着して行ったのは間違いがない。でもアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、そして中米にしても、多民族、異民族が多く入ってきて国が成り立ったり、今でも移民国家と呼ばれる国は多く存在していて、そういう国では国籍や市民権が身近な問題として存在する。

そして今グローバル化が進むようになり、大昔のように「民族の大移動」こそ起こらないものの、膨大な数の「個人」が世界を移動するようになり、かつては国籍や市民権の問題がなかったような国でもそれが浮き彫りになってきているのだろうと思います。日本もそういう渦の中に入らずを得ない時代になった。日本国内でも在日の権利がいろいろ議論されているのはそういうことでもあるんでしょう。

これがまさに、前の日記で紹介した国会答弁にあるものでしょう。

再び出します。第159回国会 平成16年(2004年)3月8日 参議院決算委員会です。

国務大臣(野沢太三君)

この国籍法につきましては、これまでも我が国を取り巻く国際情勢や国内情勢の変化等を踏まえて、所要の法改正を行うことも含め適切に対処してきたところでございますが、今後とも御指摘の点を踏まえながら、こうした問題についての国際的な動向等を注視してまいりたいと思っております。世界的な傾向を見ますと、二重国籍等を認めるという流れが今のところ大きくなっているように伺っております。

日本の都道府県がそれぞれ独立した国だと考えれば身近な問題として考えられるはずですが、国と国の関係では「国籍の有無」「戸籍の有無」「住民票の有無」は全く交換されない。ここは非常に大事な点で、「個人情報」どころの話ではなくてこれは絶対に守るべき「国の情報」であり、それに対して他国が何かいうのは「国家主権の侵害」になるんですね。だから未来永劫、どこの誰がどこの国籍を持っているかということが国家間で情報交換されることはあり得ない。

ただし、犯罪者に関しては情報交換をする国々はあるけれど、これさえも「国家主権の侵害」ということでその条約に加盟しない国は多い。犯罪者でさえも引き渡しにも応じない国があるくらいなのはいかにこの「国家主権」を国々が大事にしているかの現れだと思います。

また話は長くディープになりますが、国籍と市民権は本来同じものではないんですね。そしてこれが国によって解釈も違い、運用も違う。この辺に興味がある方はオーストラリアの歴史を覗いて見るだけで理解が進むと思います。

ま、そんなこともあって、世界の動きは多重国籍を認めるようになっているし、それは本来認めたくなくても管理ができないんですね。個人の申告に頼るしかありませんから。そして「発覚した場合は国籍を剥奪する」ということも無い。これはどの国の憲法を見てもわかるように、国民の国籍というのは国の根源ですよね。それに国家が触ることはできない。あくまで「個人の意志による放棄」が大原則であって、法律的には「他国の国籍を自分の意志により取得した場合、日本の国籍は自動的に喪失する」ことにはなっていますが、「イヤだ」という国民に対して国は強制執行はしない。ただ法律の整合性としては法務大臣が国籍剥奪の権利を持っているとしている(一度も行使されたことは無い)。

これは突き詰めると憲法論議にもなる難しい問題で、法律で決まっているんだから・・と単純に考えることは不可能。当然、現場でもその辺は考えたうえで動いている。これが国会答弁にあった国務大臣の「適切に対処してきた」ということだと私は理解しています。

ただ歴史を見ると、国籍は剥奪しないけれど市民権は認めないなんてややこしいことをする時代、国もあったようですが、それはそれで社会的混乱が起きるということで長続きはしなかった。それに該当する国民は犯罪者と違って、下手をすると国民の数十%になるなんてこともあるわけですから。

これは日本も同じで、国会答弁の中で「他国の国籍を併せ持つ日本人」の数は数十万人に達するという法務省からの答弁がありました。これは探せば出て来るはずですが、私にはもうわからなくなっています。いい加減ですいません。

ま、これが世界、日本の現状で、リベラル派は「多重国籍容認」であるのも理解できます。民主党もそう。

そして現実的な私達の周りでは多重国籍を持つ日本人が結構います。ただ、日本は法律的にはそれを認めていませんから、積極的に口に出す人は稀ですが、世界に散らばる私の友人とネットの中の閉鎖的な「個人特定が難しい」集まりの中ではいくらでもその話は出てきます。ただ、ここオーストラリアにおいてはそれぞれの個人特定が簡単ですし、「私は二重国籍です」みたいな人に会ったのは数人でしかありません。でも私の友人でオーストラリア在住ではありませんが、3つのパスポートを持っているのもいたのはびっくり。(笑)

表にはなかなか出てこない話題ですがあえてこの話題を出しますと、二重国籍に興味を持ち海外在住者の殆どはそれに関して真剣に考えたことがあるのがわかります。そして世界的にも永住権の維持が簡単ではなくなったことから生活を継続するためにも(信条とは別のこととして)、市民権を取ることにした人も少なくない。

そして面白いのが子どもたちなんですね。オーストラリア生まれも多いですから二重国籍が法律的に認められる生活を長くした経験もあるわけです。22歳に達するまでに国籍の選択をしないとならない日本の決まりですが、それを放置する子供のほうが多いのではないかと思うくらい。ただ彼らの多くは2つのパスポートを使い分けるのは稀で、日本の国籍、パスポートは無いものとして生活している。もちろん使い分けている若者もいる。

私のオーストラリアの友人で家族で日本に引き上げたのがいるのですが、その子供が遊びに来たんです。その子はオーストラリア生まれ。その子に「パスポートはどこのパスポートを使っているの?」と聞いたら日本のパスポートで観光客として入ったとのこと。「あれれ、オーストラリアの国籍も持っているんだよね?」と聞いたらその通りで、国籍選択はしなかったと。でもその子が言うには「オーストラリア国籍はあるけれど、一度もパスポートを取ったこともないし、どうやって取るんだかわからない」と。まぁ、そういう子もいる。

そんな若者と話していると、多重国籍に関して全く違和感も、犯罪(日本の場合)意識も無いんですね。それこそ駐車違反、スピード違反の方が気になるみたいな感じ。そんなある若者と話している時に、彼は「オヤジの時はどうだったかなぁ」なんてポロっというわけですよ。でも私としては、なるほど、あの親父さんもパスポートを2つ持っているのか、なんてのがわかっちゃったり。(笑)

パスポートを2つ持っている日本人は多くいて、使い方を聞いてみますと、その国に出入りするときにはその国のパスポートを使うとのこと。これはアメリカもオーストラリアも、そういう使い方をするように指導しているんですね。あるいは日本国外の観光に行く場合には、日本のパスポートを使って普通の観光客と同じに行動するケースも有る。逆に2つのパスポートを持つのが面倒だから、日本に短期間に帰国するときにはオーストラリアのパスポートだけで行ったり。

上記のオーストラリアの国籍を持っている子がパスポートは日本のままでゴールドコーストに遊びに来た件ですが、私が不思議に思ったことがあります。

日本のパスポートがあれば観光ビザは免除する国々が多い中、オーストラリアは観光ビザを取らないと駄目なんですね。当然、その子も日本のパスポートでオーストラリアの観光ビザを取ったわけです。

不思議でしょ?

オーストラリアのイミグレはその子がオーストラリア国籍を持っていることを問題にしなかったってことですから。そのパスポートからその子がオーストラリア国籍を持っているのがわかるはずなのに。またその子はパスポートを更新するときに、いちいち国籍の選択をしていませんね。必ずしてくださいと言われたこともない。

結局ですね、日本の場合もそうですが、日本人としての証拠、つまり戸籍が存在していれば日本人として扱うわけで、他国の国籍は実務的には関係ないんですね。オーストラリアも自国民は自国のパスポートを使うようにと決めているのに、他国民としてパスポートを持っている人にはその通りに運用するってこと。

ここで一つ重要な事は、多国籍と言っても自分の意志でその状態になった人ばかりではないということ。外国人との結婚によって自動的にその国の国籍になることもあるし、仕事上、やむおえずその国の国籍を維持しなければならないケースも有る。では日本の国籍は放棄しろって石部金吉は言うわけですが(笑)、本人の意志が「日本の国籍も持ちたい」である場合、法律的には駄目でもそれを認める運用になっているんですね。

日本の国籍法の問題点はここにあると私は考えていて、例えば外国生まれは22歳になる前に「国籍の選択」を義務付けられていますが、それをしなかったケースも含めて、【日本の国籍を維持したい場合】、「他国の国籍を離脱しろ」とは絶対に日本国は言えないわけです。ここは非常に大事であって、「外国人にその国の国籍を離脱しろ」なんて言ったら政治的にも大騒ぎになります。また国民に向かって「日本の国籍を捨てろ」とも言えない。憲法違反です。ですから法律上は「自動的に喪失する」ことにはなっていても、それの運用には問題点があるってこと。これは政府も現場もよく理解しているんですね。

多国籍を持っているのが明らかであっても日本のパスポートを取得できちゃうのはそういうことであって、戸籍がある限りパスポートを出さないなんてことは基本的に出来ないわけですよ。本人は日本国籍を持ち続けたくて戸籍も残している場合、政府はどうにも出来ない。違反は違反でもパスポートを取り上げるのは、駐車違反の車を没収するのに似ている。でもそんな法律は存在しない。だから「喪失届を出してください」と言うだけで留まってしまうし、外国籍に関しては「外国籍の離脱に【努力】してください」としか言えない。だから海外生まれの場合は放置したままということが普通に起きる。自分の意志で外国籍を取得しても同じでそのままにする人は多い。まさに多国籍者は現在数十万人いるってことはそういうことなのでしょう。

良くパスポートの使い方で話題に出るのは、出入国管理でおかしなことになるんじゃないかということ。例えばアメリカでもオーストラリアでもその国を出入りするときにはその国のパスポートを使うことになっていますが、では日本に入るときに日本のパスポートを使えば、そこには「海外の国に滞在していた」記録がないわけですよ。「貴方、どこから来たんですか?」と聞かれたらどう答えるのか?ってこと。日本のパスポートには日本を出た記録しか無いんですから。厳密に調べれば、他国に入国したスタンプはあっても出国のスタンプがないのですぐわかる。でもパスポートを更新すると過去の記録はないわけで、そんなことを一々調べるようにはなっていない。入国時に調べるのはそのパスポートが本物で入国する権利があるのか無いのかそこだけ。

でもこれに関してある公務員に聞いたことがあるのですが、彼いわく、日本の出入国管理は日本への出入りをチェックするのが仕事でどこの国でどれだけ滞在しようが関係ないとのこと。また日本に入国するときに海外のパスポートでも、そのパスポートが本物かどうか、あるいはビザが必要であればそれをチェックするだけで、その人が多国籍であろうとなかろうと全く関係ないはずだと。彼は法務省の人間ではありませんし、その真偽はわかりませんが、法律とはそういうものだ、法を守る立場の人間の考え方はそういうものだと言っていました。

海外在住者の中には日本の国民保険を使いたくて、ある役所には海外への退出届けを出して所得税は支払う必要が無いようにして、しかし市役所には住民票を残して国民保険を使えるようにするなんていう裏技がありますが、日本の役所は自分の仕事をするだけで他の部署のことは関係ないんでしょう。でもま、これはマイナンバー制が浸透すれば変わってくるのでしょうし、そもそも縦割りで他の部署は関係ないってことのほうが異常だと思います。

でも役所は決まったことしかしない。

ただ多重国籍の件に関しては、生活や経済的な関係とは別にして信条とかアイデンティティの問題が大きくありますね。私もここが気になるわけで、ただそれは個人がどう思うかのはなしで、日本人ならああしろこうしろ、ああすべきだなんて事を他人には言えない。日本が多重国籍を認めていない事実がありますから、それを薦めることはないにしても、やるかどうかは個人の勝手。

法律だけが浮いちゃっている感じがします。でも法律ですからそんなことは無視しろとは誰も言えませんし、法律に沿ったことを役所が「言う」のが当たり前。でも強制はしない。またこういう状態をよく思わない国粋主義者はいくらでもいますから、単に多重国籍者を放置することがあればこれまた大騒ぎになりますから、現場では一応法律に則ったことを「言う」。多重国籍でも大丈夫ですなんてことは絶対に言わない。でも運用そのものはまた別。これが現状だと私は解釈しています。

つまり極論を言えば、もし役所、あるいは海外の領事館で何か言われた場合、「私の意志で日本国籍を捨てません」と主張すると役所は何も出来ない、しないってこと。ただし、前に罰金刑はあると聞いたことはあります。でも現場が国民としての権利を認めない(パスポートを発行しないとか)、あるいは国籍法違反として動くことは無いのでしょう。少なくともそういう事例を私は聞いたことがありません。ただし、海外でのパスポートの発行時に「日本に帰るだけのパスポート」しか発行してもらえなかったという事例はあるそうです。でもこれもおかしなもんで、パスポートの発行をした事実、それで日本に帰れる事実。そもそもこれ自体が法律に則っていない運用だという証拠ですね。国籍や戸籍とはそれだけ「重い」もので政府でも国民のそれを簡単にはいじれないってこと。

私の長男は日本生まれですが3歳の時に日本を出ましたから、日本の思い出らしいものは殆ど無く、彼はゴールドコーストが自分の故郷だと言います。そのくせオーストラリア人になりたいとは思っておらず、多重国籍の話題を出した時、彼は「日本国籍を失うような可能性があることはしたくない」と言っていました。

右翼の私としてはシメシメ、うまく育てたと思いました。(笑)

でも日本で住みたいとは全く思わないそうです。いろいろですねぇ。

 
 
 

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