私には舛添氏の気持ちが良くわかるような気が・・・・

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舛添さんって本当にどうしようもないと思うんですが、実はですねぇ、私と似ていると思うところがあるんですよ。

ダボもセコいのか?って言われると困っちゃいますが、セコい所は間違いなくあります。結構細かくてケチだし。でも逆に「ザル」みたいな、浪費癖みたいな部分も持っていて、そこは舛添さんとは違う所。

舛添さんがどういう環境で育ったのかとか、彼の出生の秘密みたいなところに興味を持つ人って少ないのかもしれませんが、昔、彼に興味をもつようになった時、いろいろ調べたんですよ。

他人の「過去」を詮索するって趣味悪いな~~、なんて思うでしょうが、私みたいに「過去が現在を作る」と信じているものとしては、現在を理解するには過去を知るのが一番なんですね。また彼みたいに「優秀な人」、あるいは「出来ない人」がいた場合、その過去を調べるとどうしてそうなったのかがわかることがあるんですね。

「俺は俺だ」なんて言っても、その「俺」が形成されるのに過去が大いに関わっていますから。

それを知ることによって、その関係を分析してみることで、私はそれが子育てに応用できると思ったし、子供にとって理想な環境とは何かを考えることが出来る。また同じように自分も分析できるんですね。そして自分を変えようと思った時に「自分の奥底にあるもの」とどう向き合うべきかもわかってくる。

これって「精神分析」の世界もそうなようで、「異常な行動」あるいは「癖」がトラウマというか「過去の出来事」によってもたらされていることがあり、それを「自覚」することによって正常になることがあるらしい。例えば「コップから水を飲めない人」がいて、どうしてだか自分でもわからない。無理やり飲もうとすると吐いてしまう。これって病気なわけですが、それの治療をするのに精神医は催眠術みたいな技術を使って、「過去に遡る」ことをやるらしい。そこでこの例だと、その女性は「犬が大嫌い」なのがわかった。そしてある時、自分の「犬好きの友人」が口移しで何か犬に食べさせたり、人間が使う皿やコップから犬が何かを食べる、飲むことをさせていた。これをその女性が見た時に、半端じゃない「嫌悪」を感じたんですね。背筋は凍り、吐き気をもよおす程の嫌悪。

結局、その経験が彼女の奥底にあって、「コップから水を飲む」とその時の嫌悪を思い出すということがわかった。でも本人はそんなことを忘れている。でも精神分析の面白いところは、それを患者が思い出し、理解した時、その「異常な行動」が治るらしい。

ま、これと同じことがどの人間の中でも大なり小なり起きていると私は考えていて、「過去が現在の自分を作る」と思うわけです。そして今が将来の自分を作る。ま、当たり前ですね。(笑)

舛添氏の幼少時代は天国から地獄へ落とされるような変化があったようで、かなりの貧乏で苦労をしたとのこと。でもそんな経験は誰にもあるわけで、なぜ舛添氏が極端なセコい性格になったのかはわかりませんが、また出生の秘密もあるようで、彼は「劣等感の塊」であったことが想像できます。でも彼は強かった。絶対にそれを認めたくない、受け入れたくない、這い上がると「心に誓った」んですね。

そんな経験は誰にでもあるはずですが、ここが舛添氏の凄いところで、「鬼」に徹したんでしょう。そして頑張った。死にものぐるいで頑張って勉強もして、高校時代には常に全国で2,3位の成績も残すようになった。いわゆるボクシングのボクサーが強くなるためには「ハングリー精神」が何よりも必要だと言われると同じ。彼はボクサーだとすれば世界チャンピョンを狙うようなところまで「自分の心を追い詰めた」のだろうと想像しています。

こういう例って自分の周りにも結構あって、貧乏が嫌で嫌でしょうがなくて、また金持ちを見ては「異常なほどの劣等感、嫉妬」を感じ、「何が何でも伸し上がってやる」と考える人は少なくない。私の親族にもそういうのがいて、私よりずーっと若いですが、何十億もの資産を作り「金儲け」という意味では成功した。関西方面では結構名前、会社名、その扱い商品も知られているはず。

ところがですね、その「過去の自分から逃げるため」には【なんでもする】という傾向が非常に強いのね。極端を言えば「法律」「常識」「思いやり」とかそういうものが欠如してしまう。多少の危ないことならやる。ウソも平気でつく。自己保身が異常なくらい。外敵は徹底的に叩く。あるいは逃げる。この辺が半端じゃない。(でもこれは一般には絶対に見えないように繕っている)

行動力が半端じゃないのだけれど、それを見ていると「それほど辛かったのか」と思うくらい。そしてですね、「満足がない」のも見えるんですよ。どれほど過去の自分から脱却したようでも、そのトラウマから逃げられないのね。強がっていても常に「不安」を持っているのがわかる。だからそれを消そうと益々強くなる。

こういう人たちの感覚って普通の人とは変わっていて、「普通の人が泣くようなところ」でも全く平気。心が動かされることがない。大勢に非難されても「全く動じない」。

こういうことを書いていると、いつの間にか自分のことを書いているような気がしてくるんです。私もそれに似たようなところがあるから。

つまりですね、「過去のあの涙」に比べたら、今起きていることなんか「な~~んの問題もないのと一緒」ってことなんですね。あの頃の辛さに比べたら「全然平気」だと思う。

じゃぁ打たれ強いのかというとそうでもなくて、「過去の自分は弱かった」自覚があるし、それが自分の本質だということにも実は気がついているんですね。だから結構ナイーブなところがあって、でもそれを打ち消すためには「自分がもっと強くなる」しかないと考える。

これは舛添氏もそうだし、私の親族もそうだし、そして私自身も「同じ穴のムジナ」みたいなものを感じるんです。ただ私がトラウマによって得たものは舛添氏の「俺は必ず伸し上がってみせる」ではなくて、「落伍者は出さず、皆で笑いながら歩いて行く」ことであって、方向性はまるで違う。きっと私は恐ろしいほどの貧しさや屈辱を経験したことがないってことと(その代わり孤独には耐えられないほどだった)、国家観、死生観の違いだろうと思っています。それは舛添氏の出生の秘密にも関係があるかもしれない。

だから舛添氏にとって、文春の暴露や都議会での追求、あるいは世間の非難なんてのは「痛くも痒くもない」はず。

戦場の子供たちの写真を見てゾッとすることがありますよね。目つきが子供じゃない。あれもよくわかるわけで、愛する人達の死を何度も何度も経験し、そして強い者達の横暴さも嫌ってほど知っているわけで、そして自分も「殺し」の経験があれば、どうしたって「腹が座ってしまう」。ちょっとやそっとのことじゃ動じない。

舛添氏はこれと同じだと私は思っています。だから「辞職するべきでは?」なんて声は平気で受け流せる。

彼を辞めさせるためには「お前はセコい」「リーダーの資質がない」「都民はお前を嫌っている」なんてのは駄目なんですね。彼はそんなことは「屁とも思っていない」はず。「俺が幼い頃から何を感じ、何を考え、どうやって苦難を乗り越えて生きてきたか知らないんだろう。ふふふ」ぐらいに思っているはず。

でもそういうタイプの人間は(私も含めて 笑)計算高いのが普通ですから、「損得」を考えさせるのが一番だろうと。つまり「自分の将来を潰すようなことは絶対にしない」ですから、「表舞台から消えないためにも、今は辞める」方向に持っていくしかないんだろうと。「世間に対する責任」よりも「自分に対する責任」を優先するんですから。

「私が悪かった」と認め、「腹を切る」ようなことは彼は絶対に、絶対にしない。

そんなヤワじゃないんですね。そんな彼だったら、そもそも今のあの地位にはいない。トラウマを原動力として生きてきた人には「常識」は通用しないんですね。常識とはくだらなくてどうでも良いものでしか無い。逆に常識とは一番嫌いなもので、壊すべきものという考え方さえ持っているかもしれない。(私はそのタイプ 笑)

ま、この程度のことは人生ちょっと長く生きていると、良くある話でしか無くて、「辞めろ~~」なんて言ってどうにかなるようなことじゃない。「責任を取れ」なんてのも子供の言い草と同じで、彼は一切動じない。泥棒に「逃げるな!!」と言ってもいうことを聞かないのと同じ。

私には彼の性格がわかるような気がするし、そうなった背景も想像できるし、そしてそこに自分と通じるものも若干あるような気がするので、今回の「舛添事件」が気になります。

東京都知事としての彼がどうなるかではなくて、今まで「朝までテレビ」で彼を知り興味を持って今に至るわけで、今後の彼の言動が、そして彼の将来がどうなるのか、それが気になるしウォッチングして行きたいと思っています。

可哀想な人、哀れな人だと私は思う。実は私は私自身にも同じように感じていて、もっと違う生き方があったろうに・・・って思うわけです。(笑)

私の話になってすいませんが、私って結構好き放題言いますし、好き勝ってに生きていますから、今までも多くの人に「強い人なんですね」って言われることがあります。

でも全く違うんですね。「弱いからこうなる」。舛添氏との共通点がここにあるような気がするのです。

だから彼を追い落とすには正攻法は駄目で、「このままだと昔と同じような目に合うよ~~」と思わせるのが一番(笑)。それが彼にとって一番の恐怖のはず。トラウマを持っている人間にはそのトラウマを突っつかないと。そこを突っつかれると崩れるのもあっという間かも。

2020年はオリンピックの年で、今、舛添氏がやめたらオリンピックの開催と東京都知事選が重なることになる。これって誰が考えても回避すべきことで、パラリンピックが終わるのが9月の頭ですから、その頃に「自公民の重鎮が話をつける」って形になるんじゃないかと思っています。リコールは難しそうだし、不信任案が出されそれが通れば舛添氏は解散を言うだろうし、そうなると都議たちも選挙になってしまう。これを望む議員もいるのかもしれないけれど、自公民の都議に取っては「災難」となるんじゃないですかね。

でも引き伸ばせば都民の怒りは爆発して参院選にも影響が間違いなく出てくるんでしょうし、次期候補の事も含めて、今、重鎮たちはどうするべきか慌てているはず。

どうにか9月に辞めさせることができれば良いのだろうけれど、それまでに都民の怒りが爆発したり、あるいは水が引くように大人しくなっても困るし、今回の件はすんなり行かないんでしょうね。

 
 
 

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