「家族無計画」という生き方も面白い

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私は怖がりだし、いつもリスクを考えて生きるタイプ。ところがですねぇ、リスクってそもそも「想定できない」からリスクであって、想定できるのであればそれはリスクとはならないと思うんですよ。

だから「リスクコントロール」ってなんだかおかしい概念かもしれないなんて思うことがある。

「まぁ、何が起こるかわからないから、何があっても良いようにしましょう」ってことなんですが、何が起こるかの想定も簡単じゃないし、それが起きる確率もよくわからない。つまり人生のリスクコントロールをしようと思っても、的外れになること、あるいは何かが起きてしまえば自分の準備なんか全然足りないなんてことが普通に起こる。

つまり、リスクコントロールって「自分の不安を消すため」ぐらいの働きしかないのかもしれない。

そのくせ、コストは掛かるし、リスクを考えてやるべきことにも手を出さないなんてことも起きる。

じゃぁ、リスクコントロールなんて考えなくても良いんじゃない?なんてのがいつもリスク、リスクという私の本音。

やっぱり一番大事なのは「プロブレムソルビング能力」、問題は何か把握して、それを解決する能力であるはず。何が起きるかわからないけれど、何かが起きたらそれを頑張って解決する。解決できなければしょうがない。これってそれが起きることを想定していればそれなりの準備が出来るわけだけれど、それにコストも時間も自分が持っているリソースも費やさないとならないわけだから、本来やるべきことに注力できていないってことでもあるんですね。

ここのところに目を向けずに、何か起きた時にそれの準備が出来ていたか出来ていなかったかだけを注目しても意味が無いと思うんですよ。大事なことの方に十分注力できていたかってところを無視することはできない。当然、怖がってあれもしない、これもしないと逃げまわるような生き方をすると、それ自体がリスクとなる。

そんな自分の中に矛盾をいつも感じているんですが、面白いニュースを見つけました。それは「家族無計画」という生き方をしている人の話。要は「行き当たりばったりで良いんじゃない?」って考え方。

ここまで開き直られると、ヒジョ~~に気持ちの良い物を感じます。(笑)

「夫が都知事選に出馬した日、私は離婚した」エッセイスト・紫原明子さんが語る「家族無計画」という生き方 (BuzzFeed Japan) – Yahoo!ニュース

ただ流されてボーッと生きつつ「家族無計画」を推進するのは自殺行為にしても、無計画だけれど、目の前のやりたいこと、やるべきことに一生懸命生きていれば、それ自体がリスクコントロールになると思うんですよ。逆に中途半端なことをしているとちょっとしたことがリスクとなって表面化するみたいな。

だからああじゃこうじゃと出るか出ないかわからないお化けのことを心配しながら生きるって馬鹿げていて、それを「人生にはリスクコントロールが必要なのだ」なんてのはやるべきことをやらない「言い訳に使っているだけ」というケースも多いと思う。

老後を考えたら恐ろしいことになると思って、一生懸命節約して貯めこむ若者もいるけれど、将来を明るくするために自分に投資し、あるいは実際に金融の意味でも投資をすることによって将来来るべき時代に生き残れる自分になるかもしれない。

所詮、人生を振り返った時に、「俺はリスクを常に考えていたから今があるのだ」という点では同じで、お金を溜め込んだらそれで助かったのか、それともその金を投資したから良かったのかは「後になってわかること」でしかなくて、何を選ぼうと一生懸命やっていれば良いというのがこの「家族無計画」の真髄だろうと思ったり。

私はこのブログで早期退職とか海外移住なんて簡単に考えるなっていつも書いていますが、私こそが何も考えずに「エイヤっ!」でオーストラリアに渡ってきたのは前の日記に書いた通り。(笑)

だから本来は「簡単に考えるな」なんて偉そうに言える立場ではないのだけれど、過去を振り返ってみると「泣く泣く帰っていった人」「いつのまにか逃げるようにいなくなった人」の数は半端じゃなくて、後から考えてみれば、そんなことになることは想定できたろうと思うことも多かったのは確か。

じゃぁ、途中で挫折した人、消えていった人はそれを想定していなかったのかは疑問。私としては、本当は彼らも薄々わかっていたけれど我慢できずに決行したら予想通りになったなんてことが多いんじゃないかと思ったり。問題はそこで後悔するのか、良い経験をしたと考えられるのかの違いで、「じゃぁ、リスクを考えてなにもしないほうが良かったですか?」と聞いたら、意外にすべての人が「やってよかった」っていうのかもしれない。つまり、「後悔するのも人生経験の内」ってことで、それは決して嬉しいことではないけれど、あえて心配ばかりして避けて通ることも無いのだろうと。

ただし、それは「自分のこと」であるからそれで許される、我慢できるわけで、「一蓮托生」となった家族はどう思うのかは別問題。ま、結論は結局ここに行き着くわけで、自分がやりたいことをするのは大いに結構。成功しようが失敗しようがやりたいことを出来るのが幸せだと思う。でもそれのせいで家族が路頭に迷うことになったり、一家離散したり、ま、いろいろなことも起きるんでしょう。それに対する責任というのは「家長」は絶対に取るべきで、じゃぁどうしたら良いのか?

リスクを考えて行動しないと・・って、話は振り出しに戻る。(笑)

どちらにしても「家族無計画」主義ってそれなりに良いと思ったり。意外に我が家は言っていることとは逆でそっちの方に近いのかも。大体、今までの人生だって振り返って考えてみれば何一つ計画通りに行ったことなんかないし、「3年先は闇の中」が延々続いてきただけ。リスク管理リスク管理なんて言ってきたけれど、リスクらしいリスクには会ったこともないし、もう俺はこれでおしまいだと思ったリーマンショックも想定は出来ていなかったし、あれで破産、一家離散しなかったのは私のリスク管理の賜物ってわけでもなくて、ただの偶然。

深く考え計画を練ろうが、思いつきで決めようが、やりたいことをやるのが何よりの幸せかもね。まさかそれで家族に迷惑がかかるのがわかっていてやる奴はアホにしても良かれと思ってやることなら、結果がどうでても「一生懸命やったこと」が評価の対象になるべきで、結果ばかりに拘ってもしょうがないのかもね。

でも実際に離婚だ一家離散だなんてのはよくあることだし、子供が家を出て行ってしまったとか、精神的に重い病にかかったなんてこともあるわけで、家族には申し訳ないけれど、やりたいことをやるのが人生なんでしょうね。

でもフト、あの一家離散した彼は今、何を考えているのか聞いてみたい気がする。

と言いつつ、我が家だって3年以内に一家離散なんてこともあるやもしれなくて、それが起こらないようなリスク管理なんて考えていない。(笑)

「家族無計画」って面白い考え方だと思う。

もし私がそういう考え方を若い頃から持っていたとしても、意外に今と同じ生き方をしているのかもだ。いやいや、無一文か大金持ちかどっちかかも。

どちらにしても「後は振り返らない」ってのがポイントなんでしょうね。

私には性格的に「無計画」という生き方は出来ないけれど、どうせなら「無謀な計画」を持って生きてみようと思う。それが私にとっての人生を後悔しない唯一の生き方かもしれない。どんな結果になっても家族は面白い人間と関わって面白い経験ができたと思ってくれるかもしれない。(笑)

うーむ、でももし私たちにオーストラリアの永住権が取れなかったらどうしただろうか。永住権を取ってオーストラリアに渡るつもりで仕事も閉めて、資産も売却しちゃって、後は永住権待ちみたいなときに「永住権は取れませんでした」なんてことになったら?もし私が「家族無計画」派だとしたら、とにかく行ってみよう、どうにかなるかもしれないとオーストラリア行きを強行したかもしれない。もしそうだったらどうなっていたか。

そりゃ大変なことになるだろうと思うのだけれど、私達がオーストラリアに来て知り合った日本人夫婦が面白い。彼らは夫婦でオーストラリアに観光旅行に来た。その時奥さんは身重。妊娠していた。彼らは「オーストラリアって良いね。ここで住もうよ」となんと居座ってしまった。そりゃそれからの苦難って半端じゃなくて、あちこち動きまわってスポンサーになってくれる企業を探してそこに潜り込んで仕事をして、結局、永住権も手に入れ、後に彼らもウォーターフロントの家を手に入れ、生まれた子供もかなりしっかりした良い子に育った。

多分、私たち夫婦にはそこまでやる勇気も度胸も根性も無いだろうと思う。

ってことはリスク管理だなんてギャーギャー言う奴は「負け犬の遠吠え」に似ているってことか?

やる気がある人にはそもそもリスク管理なんていらないのか?

やる気も根性もあってリスク管理が出来るのなら良いのかもしれないけれど、残念ながらそれほど私は強い人間ではない。自分が弱いから、怖がりだからリスク管理が大事だと思うし、それで他人に「リスク管理が大事だという」って何なんだ?

自分の本性が段々見えてきた・・・。自分の弱さを隠すために、自分を正当化するために、他人に吠えてるってことですね。

リスク?なんでもかかって来い!って言えるようになりたいもんだ。って無理か・・・・・。 (笑)

 
 
 

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