ダッカのテロは他人事じゃないですね。世界のどこに住んでも同じ危険があると思います。
今回の事件は、私には新しいテロの方向が見えていて、非常にうまくないと感じます。
民間人を巻き込むのは今更始まったことじゃないわけですが、
今まではイスラム教徒も巻き込んだ
のが普通。しかし
今回はバングラディッシュ人と外人を分けて、「異教徒を選び出し殺した」
というところ。コーランの一節を暗唱できるかどうかのチェックをしたらしい。
ここは非常に重要な点だと私は思うわけで、異教徒から見ると今までと変わらないように見えますが、イスラム教徒から見るとどうでしょうか。過激派ではなくてもISにそれなりのパッションを感じるイスラム教徒は世界に少なくなく、マレーシアもそうで、前にマレーシアでの意識調査結果をこのブログに出したことがありますが、アルカイダにしても「共感する」という割合が結構高いということ。
つまりですね、ISに傾倒する若者たちが「自分もジハード(聖戦)に参加し無くてはならない」と真剣に考えていても、「自国民を巻き添えにする」「モスリム、つまり同胞の犠牲も伴う」ことに心を痛めてた「真面目な(?)なテロリスト予備軍」が数多くいるはずだと私は想像しています。
今回の事件は、「こうすれば良いのだ」と彼らに「行動に移す勇気」を与えたことになりませんかね。
ターゲットを選別し、「殺すべき異教徒、十字軍参加国の国民」を絞り込んで狙う。そしてコーランを暗唱できるかどうかの再チェックまでしている。
テロは異教徒、十字軍に「俺達を放っておいてくれ」という意思表示であって、「戦争」「戦闘」とは違う。つまり「恐怖を与えること」が彼らの狙うことであって、大規模テロが世界の注目を集めるのはもちろんだけれど、「大規模テロである必要がない」というのは彼らも気がついているのは間違いがない。
テロの場所や規模、方法は「テロリストが自分の命を賭けるだけの意味があるのかどうか」をどう考えるかによってのみ決まる。
また「テロをするのに効果的な場所」は当然警備も厳しく、手薄なところを狙うようになっているのは「フランスのテロ」を見ても分かる。
ここは非常に大事な点で、
我々が考える「テロの起きそうな場所」「行かない方が良い場所」は的外れ
だってことじゃないでしょうか。まさに今回のダッカテロがそれで、まさかここで・・と誰しもが思ったはず。大使館でも企業でもイベント会場でもどこでもテロが狙いそうなところはあるのに、そういうところは狙わない。
今回の犯行に関して「ISは犯行声明を出したけれど、真偽はわからない」とされています。
この考え方がそもそも間違いなのは我々はもうわかっているわけで、昨今のISによるテロは「中央が指揮するのではない分散型」になっていて、フランチャイズ型と揶揄する評論家もいますが、
「ISの方針に従った行動」はISが後から「ISの犯行として認める」
という形になっている。ISは世界の同胞に「立ち上がれ」という司令をだしているわけで、独立したグループが彼らの計画によって実行すればそれで良いということ。
力を持って組織化されているグループもいるだろうけれど、数人の集まり、あるいは個人でさえも「実行すれば良い」ということになっていて、非力なグループはそれなりに出来ることをすればよいのであって、「世界にインパクトを与える」ことができればそれでOK。
今回の事件は
「俺達にも出来る。ああすればよいのだ」
と行動に移るだけの決心が付かなかったテロリスト予備軍に勇気を与える事件になったと私は思うわけです。
だから
我々が考えている「行かないほうが良い場所」はまるで意味を成さない
ことになる。逆に人が多く集まり、外国人、異教徒が多い場所は安全かというとそんなことはなくて、それはそれで「実力がある集団」あるいは「IS中央がコントールする部隊」が狙うであろうことは間違いがない。
テロリストは「警備が厳しいところを狙う必要は全く無い」
のも事実。
それこそどの国のどの田舎町に住むようなIS信奉者でも、身近なところで
○ 自国民をターゲットにしない
○ イスラム教徒をターゲットにしない
○ 場所、規模には拘らない
ということを世界に示したテロが今回の事件だと思うのです。
世界に散らばるテロリスト予備軍に「勇気を与えてしまった」のが今回の事件じゃないですかね。
またこんなことはテロリストではなくても誰でも考えるわけで、テロを装った事件も多発する可能性がある。
それが先日、クアラルンプールで起きた「手榴弾の爆発」事件じゃないかと思うわけです。
またあれは「自分の命を賭けるだけの勇気のないテロリストの犯行」かもしれない。個人的な恨みがあったにしろ、「攻撃が神によって正当化される思い」はあったかもしれない。
マレーシア当局はあれを「テロリストの犯行」という見方はしていないようですが、真相はどこにあるのか・・。
どちらにしても今までの常識とは違うテロが広がる危険があると思うわけです。
最近は、ISの動向がニュースに出ない、大きく報道されないようになっていますが、ISの拠点であったファルシーじゃが陥落、奪還した。
また逃走、移動するISの大部隊を爆撃して殲滅したというニュースもあった。
最近のニュースではISが追い詰められているのがわかりますが、これは彼らが分散してまさに「アフガニスタン」で起きていることがこれから起きるということじゃないですかね。あちこちに潜伏した中小の攻撃部隊が出現するはず。死を恐れるどころか、「大義」を通して死ぬことに喜びを感じる彼らがそう簡単に離散、消滅するとは思えないわけです。その大義が正しいものかどうかを我々が判断することはできず、それでもそれを押しつぶそうとしてきた歴史はとんでもない長い年月続いているわけで、この戦いは未来永劫続くと考えるほうが間違いがないと思っています。
追い詰められている彼らは、当然、今まで以上に「世界の同胞に反撃せよと司令を出す」。
困りましたねぇ。
彼らは虫けらを殺すように世界各地でテロを起こしますが、彼らも膨大な数の同胞を虫けらのように殺され、長い年月の間、民族の誇りを踏みつけられ続けているわけで、西欧諸国からの目線、あるいは「迷惑だ」という単純思考で今の中東問題を考えてはならないと思います。
ちょっと古い話になりますが、マレーシア人は「過激派をどう見ているか」に関して書いた日記。
マレーシアでは「イラク戦争」はアメリカとイギリスの戦争犯罪だと考えられていて、マレーシアの裁判所はブッシュとブレアを「戦争犯罪人」として有罪判決をだしたという日記。
マレーシア人は日本人のことが好きだとか、そういう子供みたいなことをいう人がいますが、それはマレーシア人の一面でしかなく、彼らは我々が想像もできない全く違う思想、価値観を持っているであろうことを忘れてはならないと思います。
また今回の件で、バングラディッシュから撤退するとか、バングラディッシュ人には気をつけろなんていうのも「全くの的外れ」だと私は思っています。
私自身はテロに合わないような注意って何も考えておらず、「神様におまかせ」するしかないと思っています。ただし、「身近に挙動不審な人」がいるかいないのかを気にするのは「海外では当たり前」だと考えていて、テロにかぎらず「スリや強盗」はどこにでもいますので、「周囲を観察する」癖はつけています。また「スられても大丈夫」な準備も必要で、家に空き巣が入るのも常に想定しています。(ゴールドコーストの自宅には5回空き巣が入った)
また、電車の駅でホームの前には立たないとか、信号待ちするときには必ず電柱などの影に立つのも習慣化しています。(笑)
(後記)
イラクのバクダットで2件のテロがあったようす。ISの反撃開始ですかね。首都東部カラーダ地区では、車に積んだ爆弾が食事や買い物を楽しむ人々でにぎわう商店街付近で爆発した、とのこと。