大橋巨泉氏が亡くなったんですねぇ。
昭和が終わった・・・、そんな感じがします。
私にとって彼ほど嫌いな芸能人はいなくて、でも彼の番組は常に追いかけていた(笑)。とても不思議な感情を彼に持ち続けていました。あれほど我儘で俺が俺がの人で、いつも横暴とも言える態度で、負けず嫌いで、偉そうで、それでも人を惹きつける魅力がある不思議な男。
昔から彼の良い話って聞いたことがなくて、「人(女)を踏み台して大きくなる」典型的なタイプだと聞いていたし、11PMでも自己中で知ったかぶりで生意気で嫌なやつなのに欠かさず見ていましたっけ。特に麻雀と11フィッシングが好きでした。あれほどアクが強いのになぜあそこまで上り詰めることが出来たのか、それが不思議で、特殊な才能があったんでしょうね。その後も彼が出るテレビ番組は全て見ていましたっけ。
彼と遭遇したことが4,5回あるのを思い出します。最初は私が中学の頃、いつも通っていた六本木の小さな楽器店(?)でLPを漁っている時に2回ほど会った。私はガキでしたし、随分大きな人だと思ったっけ。そしてその後はオーストラリア。彼もゴールドコースト日本人会に入って、なにかのイベントの時に顔を出した。面白かったのは、「俺に喋らせろ」とマイクを取ったこと(笑)。彼らしいと思いましたっけ。そしてブリスベンの飛行場でも会った。あれはいつの頃か覚えていないけれど、15年ぐらい前かな。大きな人だという印象があったけれど、その時には上半身の肉も無くなって目もショボショボで歩き方も力がなく老人そのものだと思いました。当時たまに出るテレビだと全く別人の様で、あれが彼の本当の姿か、彼の時代は終わったんだ・・って思った。そうかと思ったら参議院議員に立候補。それなのにゴールドコーストの小さな飲み屋で遭遇して、一体何をしているのかと思ったっけ。その時に、日本に居なくて良いんですか?と声を掛けたような気がする。
参議院に当選しても意見が合わずすぐ辞任ってのがまた彼らしかった。「我が道を行く」って彼のためにある言葉じゃないかと思うくらいで、本当に好き勝手に生きている男という感じ。でも自分を大きく見せるのがミエミエのところがあって、それが見えると嫌悪感を感じたのだけれど、芸能界でも彼に楯突くような人はいなくて、今で言う和田アキ子みたいなもんで、天皇そのもの。でもきっとそれじゃあの世界で生きていけるはずもなさそうで、彼の見えないところでの付き合いの旨さってあるんだろうと思っていました。面倒見も良いと言われるけれど、いろいろ入ってくる話では、「利用された」みたいな話ばっかりで(笑)、それでも敵らしい敵がいない。各地でOKギフトショップをやっていたけれど、彼がどの程度資本参加し経営にタッチしていたかを地元の噂で聞くと、やっぱり彼らしいと思ったり。自分のイメージを作るのが本当に上手い人。
大橋巨泉と言えばジャズだと思うのだけれど、中学からジャズに凝っていた私にしてみるとなんで彼が?とずーっと思っていました。しゃべることもイマイチだし、彼のバンドも上手いと思ったことは一度もなし。ま、日本のジャズってまだ一般に浸透していなかったこともあって彼に出る幕があったのだろうと思う。でも彼が日本のジャズ界を大きくしたのは間違いは無いと思っている私。
最初の奥さんのマーサ三宅は天才でジャズ界の第一人者だと当時の私は思っていて、巨泉氏が彼女と結婚したのもさもありなんと思ったり。マーサ三宅のLPで忘れられないものがあります。題名は忘れましたが、ジャズボーカルを練習するためのLPを出していたんです。時代はまだカラオケなんかなくて(あったか)、歌はステレオの片側だけに入っているのね。だからそれの音量を下げて片方だけを聞けばカラオケとなって、歌の音量の調節をしながら練習ができる。当時はカラオケじゃなくてMM1と呼んでいたような気がします。ミュージックマイナスワン。ワンは歌のことで、歌がないミュージック。確か海外でもそういう言い方をしていたはずで、それがいつの間にかカラオケという言葉になり、8トラックのカラオケ機を全世界に日本が輸出して(私も扱っていたことがある)Karaokeも世界共通語になった。
そのマーサ三宅のLPですが、私に言わせると彼女の最高傑作だと思う「Everything must change」が入っていました。この曲を私が知ったのはこのLPからで、もちろんそのLPで歌う練習もし、そして後に、自分でLPを自費出版で出そうとした時にそのLPの題名にしたのが「Everything must change」。LPではB面の一番最後の曲としました。もう私は今では歌わなくなりましたが、それでもいままでは「Everything must change」がカラオケであったり、バンド(やピアノ)の演奏と歌うチャンスがある時にはマーサ三宅と全く同じ歌い方をします(笑)。だから私にしてみると巨泉氏よりマーサ三宅のほうが私に大きな影響を与えた人となる。
大橋巨泉氏をイジる人は居ても(サンマみたいに)、はっきり「それは違う」という人ってたった一人しか私は覚えていません。それは11フィッシングの服部名人。巨泉氏が黙っていれば良いのに知ったかぶりすると、それを名人がいつもピシャリとやるのね。あれは不思議で、巨泉氏にあれだけ対等に話をする人、いや名人からすれば巨泉氏はド素人なわけで、巨泉氏に「物を教えるような話し方」をするのは服部名人しか記憶にありません。で、巨泉氏もそれを素直に聞くのね。その辺が実は彼の凄い所だったのかもしれないと思ったり。彼は視聴者やその他大勢には言いたいことを言いまくるけれど、人を見る目、良い物を見極める目は持っていて、それに対してはあのわがままオヤジでも素直に敬意を表するし頭も下げるんでしょう。だから彼のあの独特な態度や物言いは職業でしかなくて、彼の実力を認める人は周りに多かったのだろうと思ったり。当たり前か。(笑)
昭和の時代を生き抜いた男としてはやっぱり凄い人だったんだろうと思う。そう考えると頭に浮かんでくるのは「三亀松」や「立川談志」。誰に何を言われても我が道を行く「肉食系」。(笑)
今じゃ生意気なことを言えばすぐ叩かれる時代になったけれど、昭和の時代って好き勝手に生きる人にエールを送る面白い時代だったような気がします。
段々と面白い人たちがいなくなる。さてさて私が退場するのはいつのことか。(笑)
大嫌いで大好きだった巨泉氏を送る言葉は何にしましょう。
巨泉氏が世に出て、そして今、去っていったように、世の中は常に変わる。時は流れる。だからやっぱり送るにはこの歌が・・・・・。
Sarah Vaughan – Everything must change。マーサ三宅のは見つからず・・・。