突然、お坊ちゃまがミサイルを発射。
びっくりした~~~。
でも失敗して、発射後すぐに爆発した様子。
どうして爆発したのか、どうもサイバー攻撃でそういうこともできるそうで、もしかしたらアメリカがやったのかも。
しかしおかしいのは、今まで「ミサイルを発射したら・・」というのが「ICBM(大陸弾道弾)を発射したら・・」という言い方に変わってきていて、「ICBMじゃなければ良い」みたいな雰囲気になっていますね。
で、今回のはICBMではなかったから、失敗したからアメリカは行動を起こさず。それに胸をなでおろす日本。
おい!それっておかしくないか?
日本はいつからアメリカになったんだ?
アメリカは「ICBMでアメリカ本土を攻撃できる力」を付けたら許さないと言ってるわけで、それに「そうだ、そうだ」と一緒になっている日本ってなんなんだ?
日本はもうとっくのとうに彼らの射程距離に入っているんでしょうよ。
今一度、北のミサイルの射程距離を見てみよう。
ノドンでほぼ日本の全土を攻撃できる。
核じゃなくても、安倍さんが言っていたように「サリン」でも積んで攻撃を受けたら大事だ。通常弾でも北のすぐ近く、日本海側には原発銀座がある。
普通、戦争が起きても「原発」みたいなところは攻撃しない。そんなことをしたらその地域には入れなくなるし、下手をすればその国自体が消滅の危機に陥る。これじゃ攻め込んでも意味がないわけですよね。「消す」のが目的ではなくて、その地域を「占領」するのが戦争だから、占領できなくなるような攻撃はしない。
でも北朝鮮がもし日本にミサイルを撃ち込むとしても、占領なんか考えていない。
ましてやミサイルを撃つときには「北の存亡」がかかっているわけだから、日本の将来は考えないですよね。
私はあのお坊ちゃまが三代目だというのが気になるんですよ。会社もそうですが、創業者ってのはその会社をどうにでも出来るし誰も何も言わない。
ところが二代目三代目ってのは「うまく行って当たり前」で「潰そうものなら糞味噌」に言われる。当然本人も「何が何でも潰す訳にはいかない」と固執する。
あのお坊ちゃまの気位の高さ。そして髪型まで祖父に似るようにし、今回の太陽節(故・金日成主席の誕生日)だってどれだけ初代が偉大だったかを世界にアピールしている。当然お坊ちゃまは自分もそういう立場になる、ならなければならないと信じているはずで、「欧米に屈服する」なんてことは絶対にしない、できないと私は思うわけです。
この辺の考え方って欧米人には希薄だと思うし、「脅せば屈服するだろう」なんてのはかつての欧米が「日本に対し思っていたこと」と全く同じじゃないですかね。でもハルノートで屈服するどころか存亡をかけて戦う道を選んだ。負けるのが見えていたにも関わらず。
その辺の研究って進んでいるとは思うけれど、トランプ氏がどう思うか。
私は、彼は欧米的なやり方の心理戦に長けているだけだろうと思っていて、それは大統領選を見ても明らかで、ああいう言動は「日本だったら受け入れられない」のは間違いがない。もし多くの国民の「本心、本音」を摑んでいたとしても、日本人の場合、ああいう表現をされると「逃げることはあっても賞賛はしない」と思うんですよ。あれは、日本的には「仲間、支援者を減らす行動パターン」。
アメリカ人が変な時にくだらないジョークを言うのに似ていて、仲間内ではそれが受けるにしても、日本人にしてみると「しらける」ことって結構ある。これは「恫喝、懐柔」のやり方でも「彼らには彼らのやり方」があって、それでトランプ氏はこれまでのし上がってきたわけだから、かなり自信を持っていると思うんですよ。
その考え方で北に向かったら、かつて日本がアメリカに食いついたようなことが再び起きるだろうと私は気になります。
トランプ氏って、アジア人の価値観とか死生観とかわかっているんだろうか。
というか、アメリカが持っている昔からの問題点は、「俺達が一番。見習え」と強制する所だと思う私。言うことを聞かないやつは消す。あまりにも単純だけれど、私は昔からアメリカに感じるのはそれです。
なーんて話になるとお坊ちゃまの肩を持つような感じになっちゃうけれど、彼の思いもわからなくはないんですよ。
なんで俺達の体制が存続したら駄目なのか。
なぜ核を持ったインドやパキスタンは何も言われないのか。
これはISもシリアもリビアも世界どこでも似たようなことがあって、「どうして俺たちが信じるもの、俺達の習慣」が否定されないとならないのかって思っているはず。人道だの自由だの権利だのいうけれど、形こそ違え彼らの中にもそれがあるわけで、ただそれが欧米のものとは違うというだけで「排除対象になる」ってやっぱりおかしいと思うんですよ。
でも世界は日本の例を知っているのね。占領後、ウォーギルトインフォメーションプログラムで日本人の意識をガラッと変えた。国そのものを変えることに成功した。
だから他の国も・・って思うはず。何がなんでも変えてやるという強い意思がアメリカにあると思います。それはそういう時代だったといえるのかもしれないけれど、私はアメリカのそのおこがましさはアメリカ建国時からずーっと続いていると思っています。
お坊ちゃまは消えろというのが世界の声なのかもしれないけど、それはISもシリア、あるいはロシアもおなじかもしれないけれど、私はなにか違うんじゃないかといつも感じています。
やっぱり長いものに巻かれて生きていたくないってのが自分の根底にあるんだろうと思います。でもそういう生き方を否定するわけじゃなくて、「その生き方を選択するのは誰か?」ってことなんですよ。「選択の自由」があるのか無いのかが問題。
諦めちゃうのが一番簡単なんでしょうが・・・。
あの朝鮮半島という地政学的にも難しい場所で生きてきた彼ら。これは韓国も同じで、今アメリカ的なものを押し付けて「はい、そうですね」というような民族だったら、すでに存在していないはずだと思うんですよ。
こんな時に、なぜ韓国で親北の大統領候補が当選しそうなところまで国民が支持するのか私にはさっぱりわからないのだけれど、それはきっと私が「欧米的なもの」に知らず知らず浸かってしまったからじゃないかと思ったり。
日本そのものを考えても、日本古来の素晴らしい価値観ってあったはずで、でもそれはどんどん壊れ、崩れ、でもどこへ行くのかは見えていない。アメリカ的なものが良いとは決して思ってはいないはずなのに、糸が切れたタコの様。
世界最古の歴史を持つ我が日本が2600年掛けて作り上げたものが、たった一度戦争に負けただけで壊れるほど脆弱なんですかね。歴史らしい歴史もなく、民主主義なり共産主義なり、そういう理論で国を運営しようと建国されたアメリカも中国も、私に言わせれば「実験国家」でしかないと思うんですよ。長い年月をかけて民が作り上げたものではない。
今一度、日本の歴史を振り返ることが、私は世界のためにもなるようなきがするんですがねー。でもこんなことを言うと、軍国主義がどうのこうのとバカなことをいう連中が出てくる。
また何が良いのか知りませんが、「グローバリゼーション」なんてライオンもネズミもクソもミソも一緒にしてそれぞれの国の良さもなくしてしまう、ましてやそれは本来のグローバリゼーションじゃなくて「アメリカ流(あるいはグローバル企業流)」ってことでしょうが。それを両手を揚げて歓迎する日本人って、私はどこかネジがハズレているんじゃないかと思うんですよ。
ボーダーレスになるのは良いのでしょう。でもそれはそれぞれの個性を残して「共に歩む」ってことであって、クソミソ一緒に混ぜちゃえってのとは違うはず。でも昨今は「グローバリズムの終焉」なんて言われだして私としては嬉しい。
どちらにしてもあと何十年も生きることは無い自分だけれど、日本の末路を見ないで済むのは幸せなことなのかと思ったり。