若い頃から好き勝手に生きてきた私ですし、両親にも結構心配をさせて、借りがたくさんあると思っています。
それでいて彼らが年老いてから私が何を彼らのためにしたかというと、何も思い浮かびません。(笑)
だから今、何かの偶然でマレーシアで我々一家(父、母、姉、私)が住むことになったのは、恩返しをするチャンスだと思っています。ついこの前までは両親は日本、姉はアメリカ、私はオーストラリアに住んでいて、「同じ国に皆が住む」なんてことは想像すらしていませんでしたし。
では私に出来る恩返しってなんなのかというと、「彼らに心配をかけない」ぐらいしか思い浮かびません。そして同じ話を何度でも「うんうん」と聞いてやることぐらい(これは結構難しい)。
これでは親孝行にならないなぁとは思うのですが、今日、両親が何よりも大事にしている孫達と会えて嬉しそうな顔をしているのを見て、ああ、私の親孝行はもしかしたらもう終わっているんじゃないかと思ったんです。
両親が何よりも大事にしている「孫」が存在すること。つまり私が子供を二人持ったということですが、これだけでも親孝行なんじゃないかと。そして二人の孫の内、一人はマレーシアに住んでいますし、もう一人は「おいでよ」と言わなくても暇を見つけてはマレーシアに遊びに来る。
そして二人共、年老いた祖父祖母を本当に大事にしてくれる。
我が家は親子でも礼儀正しくというのがありまして、昔から子供だからと言って祖父祖母にタメ口で話したり、後ろから禿頭を叩くなんてことはご法度で(笑)、祖父祖母を尊敬し、大事にしなくてはならないと二人共かなり幼い頃から心底信じています。
そしてそれが彼らの言動からもわかる。
シドニーから来た次男坊が私の母の手を握り、おしゃべりをしながらモールの中を歩いていました。それを後ろから見ていた私ですが。
もう、私の親孝行は終わった・・・。
そんな風に感じました。
そして母と我が息子、二人に対して後ろから手を合わせて「有難う」と心から思った。私がすべき親孝行を息子が代わりにやってくれている。母も「孫だけが生き甲斐」ってのが口癖で本当に幸せそうでした。(息子の話は出てこない 笑)
長男は長男でいつも年寄りの真後ろを歩いていて、階段や段差、エスカレータ(下りの時には前に立つ)などで両親が躓いたりひっくり返ることが無いように注意している。そうしろと誰が教えたわけでもないのに、これってやっぱり祖父祖母を大事に思う気持ちがあるから自然にそうするべきだと彼の中で湧き上がってくるのだろうと思ったり。そんな長男にも感謝。
両親は二人共90歳を超えていますが、病気らしい病気もなく、しかし衰えは年相応。でも食欲もあるし、長く歩くことは出来ないにしろ、杖もいらなければ車椅子も必要がない。
なんだか「子孝行の親」みたいな感じがしないでもない。(笑)
でもそう遠くない未来に来る時が来るわけで、それまでは「私が先に行く」なんてことが無いように注意すればいいかな、なんて思ったり。
ボケもまだ二人共来ていませんが、もうそろそろという感じ。いつか私のことが誰だかわからなくなる時が来るかもしれませんが、私が赤ん坊の時から大事に育ててくれた恩返しは絶対にしなければ・・・。
今からこんな歌を聞いては、その時のことを想像しています。