結婚記念日のディナーは焼肉「韓日館@デサスリハタマス」 (笑)

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6月29日は我々夫婦の結婚記念日でした。それも30年目かな。

早いもんですんねぇ。結婚式場での細かい出来事、二次会、三次会もよーく覚えています。来てくれた友人知人の言葉、顔の表情まで思い出そうと思うといくらでも出てきます。

結婚が決まった頃、結婚した頃、実は私は「無職」だったんですよ。20代は結構バリバリでブルドーザーみたいに生きてきた私ですが、30歳を超えた頃に「かなり酷い偏頭痛」に悩まされるようになりました。真っ直ぐ歩くこともできずに、仕事は当然できませんし、車の運転も危なくで駄目。人と会っててそれが出てきたらどうにもならず、そして非常に強い薬を飲んでいましたので「常時ラリってる状態」。(笑)

当時、請われて入って頑張っていた年商30億程度の中小企業の取締役営業部長を辞めるしか無く、でも辞めてから何が出来るわけもなく、「俺の人生は終わった」と毎日ボーっとしながら、髭も伸ばし放題で「テレビの昼のワイドショー」を見る生活になりました。

庭を見たり、空を飛ぶ鳥を見ては涙が自然にボロボロ出て来るし、将来に夢も希望もなく、いつあの強烈な痛みが出てくるのかドキドキし続ける毎日。ありとあらゆる病院、治療院に行きましたが、その片頭痛が治る希望もなくなりそうな時でした。

そんな時に、3年ぶりにヨメさんと再会しました。

危なくて怖くて家の外には出たくなかったのですが、ヨメさんからの突然の電話に「今から会おうよ」と。

それからヨメさんとの付き合いが始まり、1年も経たない内に結婚しようと言うところまでなりました。

面白いのはヨメさんと再会してから、たったの一度もあの恐ろしい偏頭痛が出てこないってこと。なんなんですかねぇ。頭を抱えて転げ回るほど、壁に頭を打ち付けていないと我慢ができないほどの偏頭痛がピタリと止まったんですから。未だにただの一度も出ませんし、その兆候(首と肩が張ってくる)も一切なし。

当時、仕事はなく、でも勤め人にはなるつもりもなく、またゼロから起業するのもなかなか大変で、昔からつてがあったグアムでゲーム機のリース会社を興したり。でも常時グアムにいるわけでもなく、無職と同じようなものでした。もちろん定収入もなし(今も同じですが 笑)。

そんな30男とヨメさんはどうして結婚しても良いと思ったんですかね。本当に不思議なんてもんじゃありません。

そんな頃の写真。あの時のことも細かいことまで思い出します。山中湖の親戚の別荘での一コマ。

そして結婚。でも収入を得るのは簡単ではなくて、健康保険証を持って五反田のサラ金に生活費を借りに行ったこともありました。あの屈辱と、二階のその店にいくまでの階段が忘れられません。あれほど自分の足を重いと思ったこともありませんでしたし。

でもま、そんな木偶の坊の病み上がりの将来性もない私と結婚してくれたヨメさんのためにも頑張りだして、私の復活劇が始まりました。

そして子供もでき、長男が3歳になる頃に「こいつも俺みたいに周りの目を気にしながら生きることになるのか」とスヤスヤ眠る顔を見ながら想像した時に「冗談じゃない」と思ったんです。そんな人生を歩むために俺の息子は生まれてきたんじゃないと。

そして日本脱出を計画し、トントン拍子に仕事も整理、資産(小さなマンション)も売却し、オーストラリアの永住権を取得し、ヨメさん、息子二人とともに何のつてもない知り合いもいないゴールドコーストに移民として渡りました。私が38歳、ヨメさんは32歳、長男3歳、次男1歳の時。ロングステイではなくてオーストラリアの土になるつもりで渡りました。

そしてあっという間に25年。ゴールドコーストでの生活って本当に素晴らしかったです。今思い出しても苦労らしい苦労はしたことがないし、トントン拍子とは行かなかったものの、まぁ恵まれていた。ラッキーだったと思います。「これが自由ってものなんだ」と実感しながら生きていました。

そして子供たちも成人し、頼もしい青年になって家を出ていった。

さてどうする?と夫婦二人だけの人生を考えた時に、このままでは終わりたくないって思ったんです。税金も物価も高くて「まったくも~」とは思いつつ、そのまま環境抜群のゴールドコーストを楽しみながら老いて死んでいくのに問題はなかったんです。でもそれは俺の望んだ人生じゃないって思ったわけ。

もう一度、生まれ変わって人生の総仕上げをしようとマレーシアへ転居することを思い立ちました。商人の家に生まれ育ったくせに残すべき家業もないし、できることならまだ見ぬ子孫たちのためにも「一族が力を合わせて助け合いながら生きることが出来る【未来】を作りたい」と思ったんです。

で、今に至るわけですが、今の私があるのも、私の宝物である息子たちがいるのも、あの時どうしようもない私と結婚してくれたヨメさんのお陰で、私は生まれ変わったのと同じなんですね。ヨメさんと再会する前の私は本当に自分の人生を投げていたし、終わったと確信していましたから、その後の私の人生はオマケみたいなもんです。

だから私のこの命はヨメさんと息子達に捧げると心に決めました。

ヨメさんは面と向かって真面目な話をするのを嫌がるタイプなんですが、またそれは私も同じでいつも馬鹿な会話ばかりしていますが、29日の結婚記念日は真面目にヨメさんにお礼を言いました。

「お前のお陰で今の私がいる。愛する子供たちを産んでくれて素晴らしい青年に育ててくれた。本当にありがとう。俺の命はお前と子供たちに捧げる」と。

いつも私のことをデブだのバカだの(たまにハゲ)いうヨメさんも、それを聞いて涙を流していました。

そんな今までになかったような、そして今までとは全く違う結婚記念日なのですが・・・・・・。

記念すべきディナーは「韓日館@デサスリハタマス!!!」

息子は二人だけで行っておいでよなんて言っていたのですが、結婚記念日に二人で焼肉ってのもなんだし、「いつものように飲みながら討論会をしようぜ」ということで、3人で焼肉。(笑)

いや、他の店も考えたのですが、電話をしてもつながらないし(2店)、もうどうでも良いやということで大好きな焼肉。でもトラジではない(笑)。あそこは・・・、ま、いっか。

結局、やっぱり案の定、皆で酔っ払って好きなことを言い合って、バカ話に大口を開けて笑い、結婚記念日のディナーは終了~~~~~。\(^o^)/

 
 
 

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