「海外での子育て」の話を聞くと心が痛くなる

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我が家はもうとっくのとうに子育ては終りましたが、今、海外で子育て真っ最中の方々のブログを見ると「懐かしい」というより、当時を思い出して心が痛くなります。

日本で育てても心配ばかりなのに、海外でどうなるのかって思いは強いはずで、本当に小さな出来事で一喜一憂するのね。

良いことってその時に喜んで終わりだけれど、嫌なことってそのままいつまでも引きずるし、明快な解決策は浮かんでこない。

私達がゴールドコーストに渡った時は長男が3歳、次男が1歳でしたが、当時のオーストラリアはまだまだ日本人への理解は低く、人種差別も間違いなくありました。

ゴールドコーストへ渡ってすぐの頃に、子どもを連れて大きな公園でピクニックをしたときのことは今でも映像のように目に浮かんできます。

3歳の長男が近くにいたオーストラリア人の子どもに興味を持って自分から近づいていったんですよ。どうなるかな・・と思いつつ見ていたら仲良く遊びだした。その時は「オーストラリアって良いなぁ・・」なんて思っていたのですが、彼らがどんな遊びをしているのか二人に近づいて唖然としました。

オーストラリア人の子どもがボールを投げると、それを3歳の長男がニコニコしながらそのボールを拾って彼に渡す。するとまた彼はボールを投げる。長男はそれを拾う。これってまさに「犬と遊ぶあれ」でした。

そしてですね、そのオーストラリア人がボールを投げるたびに言っていた言葉。

「Go get it! Yellow monkey!!」

ですよ。

それを聞いた私は頭の中が真っ白になりましたっけ。ニコニコしてもっと遊びたがっている長男を抱きかかえ、家族のもとに戻りましたが、ニコニコ笑っている長男の顔を見ながら、「俺はもしかしたらとんでもないところに子どもたちを連れてきてしまったのかもしれない」と思いました。そしてこれから彼らがオーストラリアで経験するであろうことを想像して、息子たちに申し訳ないと思わず涙が出てきた。

でも差別を受けるのは良いと私は思っていたんですよ。

差別をする側より、される側の方が学ぶことは大きいと思っていましたから。

日本ほど差別が酷い国って私はないと思っていて、それをいうと「え?」という日本人が多いですが、それだけ差別が日常化しているのね。またオーストラリアみたいに人種差別の権化みたいな歴史を持っていた国はそれの反省として法整備がしっかりしているのね。でも日本にはそれもなく、在日、部落民など陰湿な差別は普通にあった。生まれ、育ち、家格、出身校などでああじゃこうじゃいうのはどこにでもあった。同性愛なんて「人間扱いされない」のが普通。(若い人は気が付かないかもしれないけれど、日本の深層にはそれらがびっしり蔓延している)

自分の子供達が日本にいたら、きっと差別する側になっていたと私は思っていて、だからオーストラリアでは差別されるのは良い経験だと思っていたのです。不条理さとか痛みを知らない人間ってアウトですから。

でもその後、気の優しい長男はやられっぱなしで、小学校でもいじめられ、私も我慢できずにクラスの担任にその件で会ったことがあります。長男は「ジャングルボーイ」と呼ばれていて、それが耐えられないと。ところがその担任は「ジャングルボーイと呼ばれてもふざけてそれを受け流せるぐらいの子どもになれ」と言ったんですよ。とんでもないやつだと思いました。でも確かに子どもって悪意がないいじめをやることもあるので、その時は様子見。

でもいじめは続き、中等部の盛大な終業式の式典が終わったあとですが、皆がワイワイ騒いでいる中で長男は私のところに来て「死にたい・・・」って涙を流していたんですよ。式典の最中でも嫌がらせを受けていたと(式典を見ていても私達は気が付かなかった)。親たちも着飾って子どもたちを抱きしめてニコニコしている時にですよ。

こんな時に親が出来ることってなんなんですかね。ただ救いは彼は学校をやめたいとは言わなかったこと。彼もああいう中でどうにか生きる道を探していたんだろうと思います。

でも生徒間だけではなくて学校そのものが人種差別をしているのがわかったときには、私は弁護士に頼んで学長に抗議文を出しました。でもまともな返答は無し。この時は息子以上に私がブチ切れまして、子どもになだめられたくらい。(笑)

次男坊も同じ幼稚園、同じ小中高に通いましたが、次男坊はいじめで悩んだことはまずなかった様子。でも高校時代に友達とふざけていた時に、教師から次男坊だけ差別発言をされ、気の強い次男坊はその先生にブチ切れたことがありました。

それは大きな問題となって、彼だけヘッドオフィースに呼ばれ反省文を書かされたとのことですが、毎日の送り迎えは私の役目で「今日はこんなことがあった」と車の中で一部始終を聞いた時、私は次男坊に「よくぞやった!お前は偉い!」と声をかけたこともあります。

海外で子育てをする方々のブログは多いですが、それを読むとそんな出来事が本当についこの前の事のように、目に見えるように蘇ってきます。

結果的には子どもたちは逞しく育ってくれて、イジメなんか屁でもないというように強くなりましたが、親としては心配なんてもんじゃありませんよね。

終わりよければ全て良しというけれど、我が家はたまたまそうでしたが、結局は学校生活がうまく行かずに家族で日本に引き上げた家族もいました。彼らはロングステイ、子供の留学のためにオーストラリアに渡ったのではなくて永住するために渡ってきても、学校生活がうまくいかないと全てがぶち壊しになるのね。

我が家と親類の様に付き合っていた家族でも同じことが起きました。

下の子はオーストラリア生まれでオーストラリア国籍も持っているのに、オーストラリアが嫌い、英語も嫌い、学校も嫌い。上の子は全く問題がなかったのですが、結局はその下の子の為に日本へ帰国しました。でも日本に帰ってから日本の学校に通い、まるで人が変わったように明るくなったと言っていましたから、それはそれで良かったのでしょう。

またこんな例もありました。

私達より前にゴールドコーストへ渡り、子どもも我が家よりちょっと上の歳なんですが、一人っ子だと誰しもが思っていたんですよ。ところが実はもうひとりいた。完全な引きこもりで彼はいないことになっていたのね。それを後で知った時に、彼の心中、親の心中はどんなであったのか、その件はタブーで誰も何も言いませんでしたが、彼らの心を察すると私にも深い悲しみが広がってきました。

ところが同じ様な家族もいたのがまたわかりまして、上の子は普通の子で、下の子が出来が良かったのね。スポーツでも凄くてクイーンズランド州の代表になるくらい。この弟の出来が良すぎると兄貴はどう感じるのかってのも想像は付くわけですが、その長男は学校へも行かなくなり、家庭内暴力を始めて家はメチャクチャ。

子どもが小さい頃って「親のおまけ」みたいなもんで何でも言うことを聞くのが普通だけれど、中学、高校になるとしっかり自我も出来ますから、「親への反発」「社会、環境に対する反発」は半端じゃない強さになるのね。これは日本も同じですが、海外の場合って親にも子にも「逃げ道が少ない」から結構深刻な問題になるんじゃないですかね。

外から見ていると内情って全くわからないし、本人は一切何も言いませんから、「良い話ばかりが独り歩きする」んですね。でも毎日泣きながら生活している人たちは決して少なくないのは海外も日本も同じで、「海外~~~~~~♪」なんてお調子こいている人のほうが問題が出てきた時の対処が遅れる、下手になる傾向があると思います。

終わりよければ全て良しですが、それもまた偶然でしかないのかなと思ったり。

ま、そんな経験がありますので、今、海外で子育て真っ最中の方々のブログを読むと、ドキドキハラハラしますし、心の痛みがこちらにもそのまま伝わって来るんですわ。

私から助言なんておこがましいことは出来ませんが、唯一つ私が信じていたことは「親はいつでも普遍的な、絶対的な子供の味方である」というのを子どもに見せないとだめで、見て見ぬふりとか、我慢しろなんてのは絶対に駄目なのね。子どもを追い込むだけで良いことはまるでない。かといって「うちの親は扱いやすい」と子どもが思うと(そういうふうに見える家庭はかなり多かった。子を叱れない親もいてまるで放し飼いみたいに感じることもあった)、振り回されてしまう。ズルい子どもになるかもしれない。でもそれは間違いのない「親の責任」。

だからやっぱり「愛」が大事で、お互い愛し合い、尊敬し合い、そしていつも本音で向き合うこと。臭い言い方だけれどこれしか無いのだろうと思ったり。

我が家の子どもたちは日本語より英語のほうが若干得意ですが、流石に親子間で「愛してる」は言いません。(笑)

でも「尊敬している」という言葉はお互いに頻繁に使います。

私としては「尊敬できるような青年に育ってくれてありがとう」というより、「俺を裏切るなよ」という脅しに使っているかもしれないけど・・。(笑)

ゴールドコースト時代、私達夫婦も子どもたちにもいろいろありました。

そんな思い出を書いた日記があります。

お暇な方はどうぞ。ダボ家の涙、涙の物語です。

オーストラリアの日本男児 (長男のケース) (ここをクリック)

オーストラリアの日本男児(その2)「次男坊が学校で問題を起こした・・・・」(ここをクリック)

今、子育て真っ最中の親も、そしてお子さんも良いこと、嫌なこと、様々なことがよくこれだけ連発して起こるとお思いでしょうが、「親子で一緒に人生を歩んでいる」のは間違いがなく、これほどの幸せってないってことってなんですね。それが経験できるだけでもどれだけ素晴らしいことか。どんなに辛い時でも「今、自分の命以上に大切に思う、最愛の子供と一緒に人生を歩んでいる幸せ」を思い起こして頂きたい。

でも腫れ物に触るように子どもを育てるとやっぱり我儘になるのは間違いがなく、でも突き放したら子どもはどんどん勝手に曲がっていくわけで、「親がなくても子は育つ」というのは「親代わりがいる」という意味だと思うし、良いことも嫌なこともお互いの心を寄り添わせて「お互いを理解しつつ」前に向かって進んで行けば解決できない問題はないはずで、是非とも妥協はせずに頑張っていただきたいと心の底から願っております。

今でも子どもたちの夢を見るんですが、なぜかそこに出てくる彼らは子どもなんですよ。ちょうどこのくらいの頃の彼らが夢の中に出てきます。今から約20年前の息子たち。10歳と8歳かな。

今では長男は30歳を過ぎ、なぜか私達夫婦とマレーシアにいるし、次男はシドニーで公認会計士として監査法人で頑張っていますが、私にとっての二人ってなぜかこの子供の頃の二人なんです。

いろいろあったけれど逞しく育ってくれて、二人共優しいし、私を尊敬していると言ってくれるし、私も子どもたちにそりゃ文句も言いますが、基本的には感謝しかありません。

よくぞ、こんな私の元に生まれてきてくれたと心の底から感謝しています。

親ばかと言われようが私は今後も自分の全てを賭けて彼らを守ろうと思うし見守りたい。

彼らと出会えて良かった。神様にも本当に感謝しています。

私は子供の頃から「生まれてくるべきではなかった」と考え続ける人生を送ってきましたが、そんな人生に価値を与えてくれたのがこの二人。そして重症の偏頭痛で仕事もできず家に引きこもっていた私を救ってくれたヨメさんがこの子どもたちを生んでくれた。

これ以上の幸せってないと思っています。子どもたち二人とヨメさん、その存在があるだけで私は人生に価値を見いだせました。

家族は大事にしないとですね~~~~~~~~。

って実は現在、ヨメさんと戦争中でこの2週間、口も聞かず、目も合わさず。(笑)

今回は長いな~~~~~~~。女性って難しいとつくづく思います。「諦めろ、折れろ」と長男に言われっぱなし・・・。

 
 
 

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