「退職後」と「老後」は違う。「老後」をどうデザインすれば良いのか・・・

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いつまでも若いと思っているのは自分だけで、今年は四捨五入すると70歳となる。

う~~む、どうしても自分の歳が信じられません。鏡に映る姿はジジーそのものだけれど、頭の中身は多分30代。これって良い意味じゃなくてまだ大人になりきれていないっていう意味。アダルトチルドレンってまさに自分のことだと自覚があります。

他人に自分の将来を決められるってのが子供の頃から大嫌いで、でも自立心が旺盛って感じでもなくて、ただのわがまま。

だから結構、苦労しましたわ。眼の前は真っ暗、来月、来年のことを考えると落ち込むしかないなんていうことばかり。

でもそんな生活でも続けていると慣れちゃうんですかね。生き方がわかってきたのかもしれないけれど。

30前後で半端じゃない偏頭痛に襲われるようになって、仕事は当然できない、外出もできない、家にいても偏頭痛が出ると痛くてのたうち回るなんて様になって、これでオレは終わりかぁ・・なんて人生を諦めていた時にヨメさんに救われた。あれだけひどかった偏頭痛がそれ以来、一度も出てこないのが不思議。

ヨメさんと結婚して、なんだか「自分の人生を乗り換えた」ような気がしました。そして子供も出来て、子供を見た時の衝撃って忘れられないです。「オレはこいつらの為に生きよう」という心の底からそう思った。

まさに偏頭痛で悩まされていた頃の自分とは全くの別人になったような気がしていたのですが、それでも「他人に自分の将来を決められる」ってのは我慢できなくて、自分の命の恩人であるヨメさんと子供のために、「人生設計」をするようになりました。

30代の後半にオーストラリアへ永住しようと決心したのも子どもたちの為だと思ったし、右も左もわからないオーストラリアで頑張れたのもヨメさんと子どもたちがいたから。

そして気がついたら、自分はジジーになっていたわけです。(笑)

でも出来ることはまだまだあるわけで、最後の花を咲かすためにマレーシアに移ってきました。でもそれは「やりたいことをやる為」なのは間違いがないものの、遊びたいという意識は皆無で、逆に「今までの人生を好きに生きてしまって、やるべきことをやっていない感」が非常に強かった。このまま死んでしまったら「ただのわがままなやつ」で終わってしまう不安が強かった。

だから人生のやり直しみたいな感じでマレーシアで生きているわけですが、これがいつまで続くかは全くわからない。

またこれって「老後」なのか?って考えても良くわからない。そして決して「退職後」でもなくて、中途半端ではあるものの「現役」のつもり。

考えてみると、自分の中で「退職後」と「老後」がほぼ一緒になっているのに気がついた。

一般的には60歳なり65歳なりで退職。アーリーリタイアをすれば50歳でも退職。また私みたいにサラリーマン生活をほとんど知らずに生きてきたものとしてみると、そして自営業だからと言って寝る間も惜しんで頑張ってきたのかというとそれも疑問な私としては、もしかしたら38歳でオーストラリアに来たのはアーリーリタイアの部類かもしれないと思ったくらい。

右も左も分からないオーストラリアだから全力で頑張ったのかというと全然違って、わけのわからない国だからこそ「全力疾走すると危険」だと考えました。会社も2つ起してやっていましたが、まぁ、毎日オフィースには出るものの手抜きの仕事と言っても良いくらい。大きくしようなんて全く思わなかったし、競争相手がいろいろ出てきた時にはさっさと会社ごと売り飛ばしでしまったし。今でも中途半端だったと思うくらい。

だから私には「退職」というのが良くわからない。いや、「現役」ってのもそもそもなんだかわかっていないのかもしれない。

仕事に追い回されていたのは30代までだけで、オーストラリア時代から今のマレーシア時代にしても「死に物狂いで仕事をした」という意識がまるでないんですわ。だから「退職」というのもよくわからないんだと思う。

この中途半端な生き方が、きっと私の場合は一生続くのだろうと思っているんだけれど、あえて「退職」というとしたらそれは「もうどうにもならないとき」だと思う。それは心身ともに仕事が出来ないと自覚したとき。

で、フト思ったのは、その時から「老後」が始まるんじゃないかってこと

まだ心身ともに弱くなったにしろ遊びに熱中出来る状態って「たまたま仕事をしていない」、あるいは「退職」しただけであって、それは「老後」とは違うんじゃないですかね。

「(元気な)退職後の海外ロングステイ」というのはあっても「(元気もない)老後を海外で過ごす」というのは全く意味が違うと思うんですよ。

今の日本では70過ぎても働きたい人はいるし、人生100年と言われるようになったから、「65歳の定年で退職しました」ってのは「アーリーリタイア」と同意語じゃないかと思う。

だから定年で離職してから「いかに稼ぐか」、「いかに使わないか」、「いかに貯めるか」が問題になるはずで、だからこそ再就職を考える人が多いってことですよね。また余裕のある人達は、再就職はせずに「遊んで暮らそう」と思うんでしょう。「仕事に人生を賭けた」という思いが強い人は特にそう思うんじゃないですかね。そして、もう卒業だ、今まで頑張ってきた自分にご褒美を上げてもよいだろうって。

では「老後」はいつくる?

海外ロングステイも無理。週に一度のゴルフも無理。車の運転は自分では大丈夫だとは思っているけれど、危険になってきているのもわかる。病院通いも多く、持病もどんどん悪くなる。平らな道を歩いていても足が引っかかって倒れる。10分以上、歩くのはきつい、なーんてことが増えてくる。

つまり「このままだと【一人では生きていけない】」という時が必ず来るはずで、それを「老後」っていうんじゃないかと思うんですよ。元気な内はたまたまた仕事をしていないにしても「青年の頃と全く同じ」なわけですよね。だから「退職後」と「老後」って全く違うと思う。

では自分の老後はどうなるのか?

私みたいに「来年の今日はどこで何をしているか自分で決める」生き方をしていたのも「自分で決めて自分で動ける」というのが大前提。

でも思うように頭も動かない、体も動かないときは必ず来るはずで、それがまさに「老後」であって、それを「自分でデザインして実行するのは不可能」ですよね。

自分一人ではもう生きていけないから「老後」なのに、ああしようこうしようなんて考えてもどうにもならない。

「老後をどう生きるか」という話になると「海外ロングステイも良いねぇ」とか「オレは田舎に帰って釣り三昧したい」とかいろいろ話は出てきますが、それって「老後の話じゃない」と思うんですよ。ただ「退職後の元気な内に何をするか」って話でしか無い。

では「もうそろそろ終わりだ」と時代に入ったらどうするのか。

私の周りではこの話を真剣に話したこともないし、聞いたこともないんですわ。

我が家の年老いた両親も同じで、マレーシアで姉と同居していますが「子どもたちに丸投げ」なんですね。ボケて徘徊するとか、オシメが必要になったり、寝たきりになったらどうするのかなんて全く考えていない。

考えたくないのはよくわかります。でも同居している姉ももういい歳だし、姉が倒れたらどうするのかなんてことも考えていないんですわ。もしその時は「嫌でもマレーシアの(日本とは全く違う)老人ホームに行くしか無いんだよ」と言っても聞こえないふりをする。

父方の祖父ですが、「20年、寝たきり」だったんですよ。それを私の父は「自分には起こらない」と信じている。そして「今日明日には死なないけれど、3年ぐらいがいいところだろう。でも100歳まであと10年生きることはありえない」「死ぬときはコロッと死ぬ」と決めていて、それ以外のことは「ありえない」と意固地になっています。

これっておかしな話ですが、マレーシア在住の古くからの知り合いのご夫婦ですが、ご主人は「日本には帰らない。最後はヨメさんに頼んである」と言うんですわ。これも私の父と全く同じで、ヨメさんが先に倒れたらどうするのか。またもしヨメさんがご主人の最後をちゃんと看取ってくれたにしろ、その後、ヨメさんはどうすりゃいいのか。夫婦二人で100歳まで生きたらどうするのか?

そういう想定がまるでなされていないのね。

これからの日本人は100歳まで生きるという前提で人生設計をしないとならないと言われていますが、それって「100歳まで健康」っていう意味じゃなくて、「寝たきり20年で100歳」だったらどうするんですかね。

まぁ、寝たきり20年は極端にしても、「年老いて心身ともに駄目になってからが【長い】」という想定は大事だと思うんです。20年も寝たきりだった祖父の葬式では親族が「(開放されて)安堵した」顔をしていたのが忘れられません。長生きをしたい、してもらいたい思いは同じですが、「一人で生きてていけない期間」が長いと親族も大変だし、本人も辛い。そしてそれは良くあることだと私は思うわけです。だから「車椅子→寝たきり」の生活が10年程度はあるかもしれないという前提で私は考えることにしています。

「もはやこれまで」と思ったら絶食して・・なんて思うのですが、食べることしか考えていないような私がそんなことが出来るとも思えず。(笑)

ピンピンコロリは全ての人の(家族も含めた)願望だと思うけれど、私の知り合い、親族を見渡しても「朝起きたら冷たくなっていた」のは3例だけ。これって確率から言うと打率が1割り程度でしかなくて、これを前提にするってのはありえない。

最近、スイスに移住する人が増えていると聞きました。スイスでは「自殺」が合法的に認められているからということなんですが、もう年老いて病に冒され、「もうこれまで」と思った時には大事な人達に見守られる中で静かにお別れするってのは、私はアリだと思うんですよ。でもそれは一般的には無理。

でもこの辺をきっちりどうするか決めて、「動ける内に計画を練る」のが重要じゃないかと思うんですわ。

私も世界の何処かで「独居老人」となり、「死後2週間で発見」なんてことが起こりうるし、(無謀な)自殺もありうる。そもそも自分ひとりでどうやって生きていけるのか。確率的には私より長生きするであろうヨメさんはどうなるのか。

それを子どもたちに「よろしく頼む」ってのは人生最後の、そして人生最大のわがままであって、あってはならないと思うんですよ。

子供がいてもいなくても「国や自治体の世話になる」ってことで良いのかどうか。

当然、最後だからこそQOL(Quolity of Life)ってのも重要で、そこらに捨て置いてくれってわけにもいかず。

では老人ホームに入る、ってのが一つの選択肢として重要になるわけですが、海外住まいの我々は一体どこにそれを探せば良いんでしょうか。多くの人は「日本で」ってことになるんでしょうが、我が家もそうは考えているもののオーストラリアという選択肢もあるし、場合によってはマレーシアというのもあり得ると思うんですよ。

自分としてはその時にどうありたいのかある程度決めて、どこで生活するにはどの程度のお金が掛かるのか、それをどう確保するのか。

それを決めるのは「動ける今」しかないわけで、本当に心身ともに「老後」という時になったら「時すでに遅し」ってなるんじゃないですかね。

我が家の二人の息子達は、将来どの国でどう生きていくのかわかりませんが(彼らはきっとオーストラリアだと思うと言う)、愛する子どもたちと会えないような場所で寂しく朽ち果てていくのかと考えると寂しい悲しいなんてもんじゃありませんが、そこはどうにかして自分で克服するしか無いのだろうと思ったり。

私本人はどこでクタバッても良いと思っているんですが、私がいない後のヨメさんを考えると、やっぱりどうにか元気な内に「道筋を決めておこう」と思うわけです。

こんな話をヨメさんにすると。

「どうにかなるわよっ」

ですと。(笑)

気は強いけれど、O型の天真爛漫で私は救われたのかもしれないと思ったり。

それでも食い下がってヨメさんの本音を聞くと面白いんですよ。

「私は絶対にアンタより先に死ぬ」

と決めているんですよ。寂しがり屋でましてや海外で一人で住めるわけもなく、でも日本に帰っても近親者はすでにあちらの世界に逝っていますし、親しい友人も数人いるだけでもう何十年も会っていない。だからヨメさんは「日本にたまには帰りたい」ということさえ言わないんですよ。ヨメさんは「ゴールドコーストが世界で一番好き」と言いますが、それは「住みたい場所」でしかなくて「終わりの場所」にはなりえないのね。

つまりヨメさんも私のオヤジと同じで「今日明日には死なないけれど、3年ぐらいがいいところだろう。でも100歳まであと10年生きることはありえない」「死ぬときはコロッと死ぬ」と思い込むのと同じ状態。

でもきっとそういう願いが叶うかどうかはわからないどころか、確率は低いわけで、やっぱり私が動ける内に決められることを決めておくのがヨメさんや子どもたちに対する最後の誠意だと思うわけです。

私の夢は「あとはもう時が来るのを待つだけ」となったら、九州の海に近いところに住んで「釣り三昧」したいなぁ。そして動けなくなってきたら海が見える「老人ホーム」に入りたい。

そしてネット三昧の生活をして、わけのわからないブログを最後の日まで書き続ける。(笑)

また天井を見つめるだけの生活になったとしても、私はこのブログを残しておいて読んでみたいんです。あの頃、こんなことを考えていたんだ・・とか結構面白いんじゃないかと。

またこのブログは遺書でもあって、いつかヨメさんや子どもたちがこれを読んで、「オヤジってこんなことを考えていたんだ」「オヤジはオレたちのために頑張っていてくれたんだ」なんて思ってくれたら文句なし。っていうのは実は自分の父親が自分と同じ年の頃に一体何を考えてどう生きていたのかってのがわからないんですよ。随分前に、父の「日記」を見つけたことがあるんです。それは戦時中に書かれたもので、「XXX女子学院のXX子が可愛い」とか書かれていて、そしてある日、「広島に新型爆弾が投下されたらしい」でその日記は終わっていたんですが、その日記を読んで初めて「父にも若い頃があった」のがわかった。当たり前の話ですが、実は私達は父や母が若い頃、中年の頃に一体何を考えていたのかも知らないのが普通じゃないんでしょうか。そういう意味でのこういうブログってのは面白いんじゃないかと思ったり。

そして明日、生きているかもわからないのが人生だから、ヨメさんと息子たちには「お前たちがいたからオレは生きて来れた」という感謝の念もしっかり書いておこうと思う。

そして私を生かし育ててくれた日本に、オーストラリアに、マレーシアに感謝していることも書いておこうと思う。

アホな私を引き立ててくれた多くの方々がいたから今の私、家族があるわけで、縁があった多くの方々にも心から御礼を言いたい。

そして最後になりますが、何が面白いんだか、こんなブログをいつも読みに来てくれる多くの読者の方々にも心から感謝しています。嬉しいときも悲しいときもこのブログを書き続けてきましたが、見えない皆さんの声援があったからこそここまでやってこれたのは間違いがありません。本当に有難うございます。

世の中には「病気と戦う人々」のブログはあるけれど、「年老いて枯れていく人々」のブログがない。まぁ、90歳の自分の親でもネットをやらないし、そもそもPCもタブレットも扱えない。そういう人が多いからだと思うのだけれど、年老いて枯れていく人たちが一体何を考え、何をしつつ枯れて消えていくのか、そんなことを書き綴ったブログにしてみたいと思う。

 
 
 

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