我が家にとっての「平成」とは? 海外生活って一体なんなのか。

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平成が終わり、令和の時代が始まる。

単に時代の名称が変わっただけじゃなくて、我が家の時代も大きく変わった実感が強いです。

昭和の終わりと平成の始まりは、一生、忘れることのない思い出があります。

長男がもうすぐ一歳になるという1989年の正月明けにハワイに行ったんですよ。そしてワイキキのピンク色のロイヤルハワイアンの海岸で、家族3人でゆっくりしていた時に、なんだか周りがざわざわしだしたんです。一体何が起きたのかと思ったら、なんと「(新聞の)号外」を配っていたんですよ。海外で号外が出るってちょっと不安になりますよねぇ。戦争でも始まったのかと冗談抜きに思いましたもの。でもその号外を手に入れて読んでみると、「日本のエンペラーヒロヒトが崩御した」という内容(英語)。

天皇の崩御は日本にとっては大事ですが、まさかハワイで号外が出るとは想像もしませんでした。でも昭和天皇はまさに太平洋戦争の当事者ですし、真珠湾攻撃があったハワイだからこそ大ニュースになったのかもですね。

30年前ですかぁ。この時のハワイ旅行は約2週間の旅でしたが、どこで何をしたのか、どんなことが起きたのか、何を食べたのかまでありありと克明に脳裏に浮かんできます。30年前の出来事が「ついこないだの出来事」と言っても良いくらい。あまりにも細かいことを具体的に思い出しますし、それがリアル過ぎて気持ち悪いくらい。本当についこないだの出来事でしかありません。

この時点ではまだ次男坊も生まれておらず、長男ももうすぐ1歳という時で、もちろん我々は日本在住だし、オーストラリアへ永住するなんてことは全く、全然、これっぽっちも考えていませんでした。

でもまさに昭和が終わり平成が始まったのと同じように、我が家にも大きな変化が起こることになる。

多分、「日本を出よう」と漠然と考え、いろいろ調べ出したのはこの年かもしれない。そして「オーストラリアの永住権を取ろう」と具体的に動いたのは次の年の1990年ですね。そしてその年に次男坊が生まれた。家族で海外に永住するなんて、将来的には帰ってこないつもりで出ていくわけですし、日本で精算しないとならないものも多くありましたし、今思うと、気持ち的によくそこまで決断出来たと思いますわ。オーストラリアに知り合いがいるわけでもなく、仕事のあてもあるわけでもなく、1991年には永住権も取れて家族4人でオーストラリアへ渡りましたが無謀と言っても良かったと思います。収入が確保できているわけでもなく、ロングステイで遊びに行くのじゃありませんから。

ただ当時のオーストラリアの物価はバブル期の日本と比べると非常に安く、「家族四人で家を借りて、月々15万円で生活できる」という情報もあったくらいです。でも現地で生活を始めたらそれは古い情報でそんな金額で生活するのは絶対に不可能なのがわかった。「後の祭り」でした。とは言うものの、最初に借りたコンドは3ベッドルームで、ゴールドコーストの街、サーファーズパラダイスのど真ん中。大きなショッピングセンターの上にあるコンド。海岸まで150メートルの距離で家賃は15万円という安さ(今ではこれの4倍ぐらいだろうか)。

ゴールドコーストの中心地なのに海岸まで部屋から数分。コンドにはプールやサウナ、テニスコートもあって、下階は大きなショッピングセンターで外に出ることなく生活ができるなんて日本では想像もできませんから、舞い上がったなんてもんじゃありません。(笑)

若さって馬鹿さに限りなく近くて、あれやこれや心配しませんでした。友人知人はゼロだし、仕事のあてもないのにきっとどうにかなると思ったし、不安がなかったといえば嘘になりますが、期待や夢のほうが遥かに大きかった。学生時代から起業してやってきましたし、ゼロからのスタートには慣れていたのかもしれない。あるいはただの自信過剰か。(笑)

ほぼ毎日、子どもたちと一緒に海岸に出てはボーッと遠くを眺めながら「どうやって生活していくか」考えていました。38歳、既婚、子供は二人、右も左も分からない海外に出て、そして無職。なおかつ「手に職はない」。(笑)

馬鹿で甘い奴だと思いますが、それだからこそ行動できるというのは間違いがなかったと思います。ただオーストラリアの社会保障ってとんでもなく厚くて、何かあっても路頭に迷うことはないという安心感があったのは大きいと思います。これも永住権があるからで、私が「永住権もなくて海外に移住するなんて無謀だ(当然、国による)」といつもブログに書くのはこれが理由です。

私は38歳。ヨメさんは32歳。長男は3歳。次男は11ヶ月の時にオーストラリアはゴールドコースト生活が始まりました。

そして仕事を始めたのはその1年後だったかな。右も左もわからないのに電話関係の会社と日本からの中古車輸入販売の会社を立ち上げました。どこかに勤めて給料を得るということは一切、考えたこともありませんでした。

それからは泣いたり笑ったり、離婚の危機も(数回)あったり(笑)、いろいろありましたが、あっという間だった感じがします。オーストラリアで仕事を始め、子育ても一生懸命で、そしてゴルフじゃ釣りじゃとたくさん遊んだ思い出は山のようにありますが、それらは一瞬に起きて、一瞬に通り過ぎたみたいな感じがします。

フト気がついたら子どもたちは大きくなり、私もヨメさんもジジババになって、新たな人生を求めてマレーシアへ拠点を変えようなんて思うようになっていた。

平成って30年間もあったんですね。なんだかあっという間に過ぎた感じがしますが、この平成こそが、我が家の歴史の大舞台、中心だったような気がします。

そして今、その平成も終わって令和となり、私とヨメさんは老人としていかに生きるかの新しい時代の幕開けであり、子どもたちも独り立ちして新たな時代を作り出す。

なんだか日本の時代の区切りが、我が家の区切りとオーバーラップしているようで面白いと思います。

しかし人生って長いんだか短いんだかよくわかりません。若い頃は本当に1年が長く感じましたが、近年はあっというまに1-2年が過ぎていく。

黄泉の国へ旅立つときはいつくるのかわかりませんが、もう覚悟は出来ていますし、その時が来るまでどうにか人生の仕上げをしたいし、子どもたちが立派な大人になるのを見届けたいと思います。そして一時期は廃人同様だった私を救ってくれた命の恩人であるヨメさんが私がいなくなったあとに困ることがないようにちゃんと環境も整えないとなりません。

振り返っていろいろ思い起こすと平成という時代にはたくさん感謝しないとならないと思います。

そして令和で最後の仕上げを完成させたいです。

どうなりますか・・・・。

--------- おまけ -----------

もし若い人がこの日記を読んでいるとしたら、「海外に出るのも一つの手」だと伝えたいと思います。でもそれは「憧れの海外生活」とか「海外で経験を積む」とかそういうこととは全く違う観点で、「海外で死ぬまでちゃんとやっていけるか」というのを原点に考えるべきだと思います。途中でお国替えするなり、日本に帰るのは全く構わないわけで、重要なのは「ここで働き、子供を育て、歳を取り、死んでいくことが出来るのか?」という判断基準が大切だと私は思います。

会社の命令、あるいは希望を出したにしても「海外赴任」ってのは全く別なのね。それって勤務地が海外だというだけで、北海道や九州に行くのと同じ。「食わしてもらうのか」「自分で食うのか」の違いは本当に大きい。

もし「それが出来る国じゃない」ということは、安住の地どころか、「放浪が続いているだけ」でそれは「いつか必ず終わる」んですね。それも「中途半端な時にそれが起きる」のは人生の常なんですね。

それでも「思い出」はたくさんできるはずですが、「思い出だけで人間は生きてはいけない」という当たり前のことを考えないとならないはず。特に「憧れの海外生活」なんていう気持ちが一番ダメなんですね。これって「好きなタレントに心を奪われているのと同じ状況」で、いつかそれは必ず冷めるし、覚めるし、その時に慌ててもどうにもならないのが現実。

海外に長く住んでいますと、「憧れだけで海外に出る人」が世の中にはたくさんいるのがわかるし、その人達の末路を見るチャンスがたくさんあるはず。そして「日本に帰れる人はラッキー」だということもわかるようになる(一般的に「中途半端な年齢」で日本に帰ってもどうにもならない)。多くの人たちは「夢は覚め」、「現実と向き合うことも出来ず」に「また流れていく」とか、「こんなはずじゃなかった」と思いつつ現地の片隅で人知れず死んでいく、なんてことが非常に多い。

特に、多くの日本人が渡ったアメリカで私はそういう人たちを多く見てきました。私の叔母もそのうちの一人。女ひとりで子供を5人も抱え、滞在ビザもなく(不法滞在)、まともな職業にも就けず、子供さえ巻き込んで苦労をする。かつてはロサンゼルスのサウスパサディアの丘の頂上に180度見渡せる天井から床までガラス張りのリビングがあるような超豪邸に住んでいましたが、ひょんなことがキッカケでその生活は崩壊した。

せめてアメリカの「永住権」でもあれば、全く違った生活になったはずなんですね。

彼女は幼子を含む5人の子どもたちを連れて地方都市に移り、そこで自営業を始めて隠れるように生き延び、最終的には永住権を取って子どもたちも皆、自立しましたが、一時期は不法滞在のメキシコ人たちと共に働かなくてはならない時もあった。

彼女は非常に出来る人で、慶応大学の入試はトップの点数で新聞に出たような人(50年以上前の話で女性としては非常に珍しかった)。その後、JALの(古い言い方をすれば)スチューワーデスをし、ファーストクラスの常連だった旦那に見初められて結婚、米国に渡った。その旦那が始めた会社は今でも検索すると出てくるような「アメリカ、メキシコの海産物の輸出」をする会社になり、私も40数年前にメキシコの「ウニ・アワビ工場」に行きましたが、「日本に直接【生の状態】で送れるように」、敷地内に「ジェット機が発着できる滑走路」まで持っていた。

ロスの家も凄かったです。入り口の大きな観音開きの門が開くとまっすぐな「並木道」が続いていて、そして百メートルぐらい行くと噴水があってそこがランダバウトになっている本当の家の玄関。映画に出てくるような家でした。家にはベンツ(小ベンツではない)が何台あったでしょうか。

でもその会社が破綻してからは地獄へまっしぐらでした。彼女は離婚をし5人の子供を引き取りましたが、アメリカの滞在ビザも切れ、お金もなく、でも「日本には帰らない決心をした(不法滞在を選んだ)」。そこから彼らの苦労が始まるわけですが、どうにか「人並みの生活」ができるようになるのに30年以上の年月を要した。

アメリカの永住権さえあれば、そんな苦労もなかったのにです。

オーストラリアですが、オーストラリアの社会保障って嘘だろ?みたいに手厚くて、永住権さえあればそれを受ける権利があります。当然、「住みたいだけ住める」わけで、「ビザが切れたから海外に出なさい」なんてこともなく、どんな仕事でも自分で選ぶことが出来る(州によるけれど売春さえ合法でそれで失業保険も出るし、住宅ローンも組める)。失業保険なんて期限なしで一生もらえるし(今は知らない)、公的年金も掛け金は必要ない。医療費も公立病院なら基本的に全てほぼ無料。シングルマザーなんて仕事をするより社会保障を受けたほうが生きるのが楽だと言われるような国。

私は英語圏で日本から文化的に距離も近い国で、オーストラリアほど「生活が楽な国」は知りません。

だから「何が起きても死ぬときまで生活が可能だろうという見通しが立つ」のね。こういう国って本当に珍しいと思います。そりゃ住んでいる人たちは不平不満はあるにしても、日本を含む他の国と比べたら天国だと私は思う。

だから海外に出るとしたら、最終的にオーストラリアへ渡るという計画は良いと思うんです。仕事に失敗しようと大病にかかろうと生活できる国って他にあるんだろうかと思うくらい。

でも「永住権を取るのは簡単ではない」と誰しもが言う。それはその通り。

でもオーストラリアのタクシーの運ちゃん、レストランのウェイトレス、水道屋のアンチャンも多くは外国人で、彼らも永住権を持っているんですね。

永住権を取るのが難しいから・・・なんてのは言い訳にはならないんですよ。やる気の問題。

(かつては)シドニーにある「寿司学校」を出れば永住権が取れて、永住権さえあればあとはどんな職業に就くのも自由なんていう方法を取る日本人を含む外国人が多かったなんてこともあった。(要はオーストラリアが望む職種のエキスパートであれば永住権は比較的簡単に取れるってこと)(その後、好きなように生きることが出来る)

別にオーストラリアが世界一だというつもりはないけれど、海外生活を考えるなら、「オーストラリアみたいな国の永住権を持つ」のが「人生のお守り」になるのは間違いがないと私は思う。「何か起きたら日本に帰る」のではなくて「いつでもオーストラリアに帰れる」という状況を作るという意味。「駆け込み寺」と言っても良いかもしれない。

最近の物価は恐ろしく高いけれど、給料も高いのね。私の次男坊はシドニー在住の二十代ですが、年収10万ドルの大台は超えている。これって日本が不景気のトンネルに入っている間に、各国は順調に伸びたってだけのこと。日本もバブル崩壊時、そしてデフレ対策に失敗しなければ、今の大卒初任給だって600万を超えていても全然おかしくない。

一般的に若い人たちは海外に出ると胸が騒ぐし、満足感は大きなものがあるはず。

でも「それがいつまで続くのか」というのを忘れてはならないんですね。

会社の命による海外赴任じゃなくて、現地採用で海外を転々とするのも「経験を積む」という意味では良いけれど、それも学校に行くのと同じで、いつか卒業しないとならないわけです。年齢が高くなれば現地採用だって難しくなるでしょ?いつまでも続けることは不可能。また、海外を転々とするのは自分は面白いにしても、その経験を企業が重視するかというと全く違うのが現実じゃないですかね。

これって「海外で子供を育てたら何か良いことがある」と考えるのも全く同じ。海外の国には当然、ローカルの子供がうじゃうじゃいますが、彼らを見て「自分の子供もこういうふうになって欲しい」と思うのなら全く問題が無いと思うんですよ。でも「日本育ちでもない」「ローカルの子どもたちでもない」【何か秀でた特別な子供】に育つと思ったらそれはとんでもない勘違いなのね。

「人を育てるのは環境である」と思った方が間違いがなくて、どんなに親が頑張っても「環境が子供に与える影響以上のものを親は与えることは出来ない」。これって実際は違うと思うのだけれど、「それを前提として考える」ことが重要かと。

とにかく、本人もそして子供も「海外生活に憧れ、行き過ぎた期待」を持ちすぎているケースが非常に多いと思います。でもそれらはいつかある時期に、幻想だったのが気がつくときが必ず来る。世の中、甘くないんですね~。

海外に出て有頂天になっていても、フト我に返った時、あるいは困難に直面した時に「そこでそのまま生きていけるのかどうか」が重要で、順風満帆な人生なんてこの世に有り得ないということを忘れてはならないと思うんですよ。

一つ間違いがないのは「海外生活を【好きなタレントを見る目】で見てはならない」ってことじゃないですかね。握手をしたり、ほんの一瞬、時間を共有できたら半端じゃなく舞い上がるとは思うけれど、それはそれだけのこと。後が続かない。

でも、「ロングステイ」は全く違うのね。

責任も何もないし、「好きなタレントを追いかける生活」が出来るわけです。飽きたらまた違うスターを探せば、舞い上がる生活をそのまま続けることが可能。

でもそれをするには「年金などの不労所得とそれなりの資産」が必要で、若い頃から一生懸命働き、お金をためてきたからそれが出来る。

ここで問題なのは、「日本も時代が変わり、今の若者は将来的に今の老人の様な豊かな生活を望めない」のがはっきりしていること。

日本のサラリーマン社会も変わってきて、終身雇用も年功序列もすでに崩壊しているし、「どんな会社に勤めたら良いのか」という発想はあまりにも時代遅れじゃないんですかね。ましてやこれからはAIと戦うことになる。

AIは世界を豊かにするといわれているけれど、それは「AIを利用する立場の人間」だけであって、一般労働者は「AIやロボットによって駆逐される側」じゃないんですかね。そしてそれはすでに始まっている。

だから「働く」「収入を得る」とはどういうことなのか、どうするべきなのかを根本的に違う視点から考えないとどうにもならないと思うんですよ。

「40年、頑張って働いて定年になりました」というのは決してハッピーではなくて、そこから地獄が始まる時代になったんじゃないですか。ましてや「一生懸命働いても十分な収入が得られない」ようになってきた。

ここで「より良い会社」「有望な職種」を選んで【就職しよう】と思うのは、私は方向性そのものが間違っていると思うんですよ。もし天才的な頭脳と、一日16時間働いても全く疲れない身体、そしていつでも世界の果てに赴任させられてもなんとも思わない強靭な精神があるのならきっと別でしょう。

それって野球で言えば、「どれだけイチローに近くなれるか?」ってのと同じだと私は思うんですよ。

稼がないと生きていけないわけですが、「いかに良い給料を取るか」ではなくて「いかに自分で稼ぐか」が問われる時代に入っているんじゃないですかね。給料とて「自分という商品をいかに高く売るか」というのと同じだし、「ちゃんと働けばちゃんと収入が得られる時代は終わった」んじゃないですかね。

きっと公務員の世界って今まで以上に「良い職業」になるんだろうけれど、公務員になるのはどんどん難しくなり、そしてもうすでに起きている「地方自治体の役所なのに非正規社員がごっそり」という状態がより一層明確になると考えたほうが良いはず。

若い人たちは世界を見て欲しい。

世界には今でも「自分で稼ぐ人たちがたくさんいる」んですね。そしてそれで生活をし、家族を養っている。

そんな中に入るのも良いと思いますが、「永住権がなければ、いつか追い出される」「社会保障は一切受けられない」という、つまり「海外の非正規社員」みたいな生き方じゃ意味がないってことなんですよ。

でも日本はどんどん海外からの労働力が入ってくるし、労働市場での競争はますます激しくなるのはわかっていること。

私はもともとサラリーマン生活というのを殆ど知らないのだけれど(数年の経験はある)、もし私が今、若かったら「第一次産業」で【自営】を選ぶかもしれない。あるいはオーストラリアの様な、自然豊かで人権が重視され、社会保障も厚い国へ渡る。

「大きな企業の歯車として生きる」のが良かった時代は、私はもう終わったと思っています。でも野球のイチローみたいに頭脳と体力、気力があるのならその世界で頑張るのも面白いかもしれない。そしてそういう世界で勝ち残る力が日本にないと日本は駄目になる。

でも私は家族団らんとか、文化・伝統、趣味の時間を大事にしたいから、そういう世界には行きたくない。

海外を見てみるのは非常に大事だと思います。なんでこの人達はこんな自由に生きていけるのだろうと不思議に思える人がワンサといる。

でも旅行者気分、短期間(数年)の滞在を基本にしたら何の意味もないと思います。

海外に出て、「私はここで死ぬまで【まともに】生きていけるのだろうか」という判断基準が何よりも大切じゃないでしょうか。そして「途中での進路変更は【自分が決めることが出来る】」のが大切で、環境の変化とか、老いたり、事故にあったり、病気になっただけで「進路変更をしなくてはならない」ような人生を選んだら、それってギャンブラーと同じだと私は思う。

「ここで死ぬまでまともに生きていけると思える場所」を探すのは大事で、「とりあえず海外生活にチャレンジ」ってのも良いとは思いますが、「いつまでチャレンジを続けるのか」ってのがポイント。若い人はここをちゃんと考えない傾向があって、それは知力・体力的にそうなのは当たり前なんだけれど、「人間は必ず老いる」「想定外のことは必ず起きる」ことを忘れちゃだめなんですね。チャレンジ精神なんてプラス思考で聞こえは良いけれど、そんなことができなくなる時は「必ず来る」んですから。そして「こんなはずじゃ・・・」ということになる。

海外を転々とする生き方も良いかもしれませんが、いつまでそれを続けるんです?いつか帰る場所ってどこで、そこではどういう生活になるんです?

「想定外のことを想定する」ってのは論理的ではありませんが、これが出来ないと生き延びるのは難しいと私は断言したいです。言葉を変えれば「今の自分には気がついていないことが、将来必ず起きる」と言っても良いかもしれない。そんな時に自分は生き延びられるのか、あるいは「生活が破綻するのか」って、「今の自分が立っている基盤を慎重に考えてみる」ことでわかるはずなのね。

でも多くのギャンブラーは自分がギャンブルをしていることに気がついていないのが普通だから、生き延びるのが難しんじゃないですかね。

将来のことは誰にもわからないけれど、世界には「保険」という概念があるし、それで助かった人は多いわけで、「将来に対する保険」を真剣に考えるのか、今現在の生活を目一杯謳歌して将来に対して無防備なのかで大きな差がいつか必ず出てくるのが人生だと私は思う。

「令和」は「Beautiful Harmony(美しい調和)」という意味だとのこと。

是非、これからの若い人たちはそんな人生を体現できるように頑張って欲しいなぁ。

それにはまず、自分が、世間が持っている「価値観」「常識」を徹底的に壊してみることから始まるんじゃないですかね。それと「まずは稼がなくては」と考える人が多いけれど、それより「10年後20年後の自分の姿」を想像して、今、何をするのか決めるべきだと私は思う。でも「いつかは億り人~~~♫」なんて夢を見ていても何も起きない。

将来に不安があったら「心は喜ばない」のは間違いがないと思います。でも「不安を直視しない」という選択は絶対に間違えていて、いつか必ずそれが表面に出てくるのが人生だと、私は自分の人生を振り返ってそう思うのです。

自分に合う生き方、考え方、働き方、稼ぎ方って絶対にあるはずで、下手な妥協はせずに是非とも「自分の人生」を若い人たちに探してもらいたい。

これは古い人達の生き様を見てもだめで、世界はどんどん変化しているのだから私みたいな年寄りの言うことなんか無視して、しかし、冷静にしっかり「自分」と「環境」を見つめ、「将来を常に考える習慣を持つ」ことをすれば必ず道は拓けると私は思うんです。

ジジーの私があえて若者に残す言葉があるとすれば「絶対に妥協しない」「諦めない」「自分の価値観、常識を疑え」。これだけ。あああ、付け加えるとすれば、「他人や企業をあてにして、食わしてもらおうとしない」こと。

大自然の中で自分の力だけで生き抜くのは大変だからと言って「サファリパークの中で生かされる」ことを選択しても、その「サファリパークの中の方が強烈な弱肉強食が起きている」と発想転換するのも大切だと思います。

令和という新時代が、日本の若い人たちに取って素晴らしい時代になることを心から願っています。

ちなみに私自身の話になりますが、私達家族は今マレーシアに住んでいるわけですが、これは「ご褒美人生」としてのロングステイでもなく、マレーシアを最後の地として選んだわけでもなく、「出稼ぎに来た」というのが一番、的を得ていると思います。マレーシアでは我が家の収入には一切、税金が掛からないことと生活費が安いこともあって「資産構築」には最適。何年かかるかわかりませんが「資産倍増計画」を持っています。そしてそれが到達できたらそれを原資にして次になにをするのかも決まっていますが、これは終わりのない計画。でもそれに長男が賛同し、マレーシアに着いてきてくれたわけで、私の後は彼が引き継いで、「ダボ家の夢」の実現に邁進してもらいたい、なんて考えています。

66歳になっても稼がないとならないのかとなりますが、普通に歳を取って死んでいくにはオーストラリアで全く問題はありません。でも私はこの歳になって「昔から持っていた夢を思い出した」んですよ。私の実際の人生って「自己中」で「好き勝手なことをしすぎた」という反省があって、このまま終わったら絶対に後悔すると思うんです。

やっぱり子供の頃から「こんな人間になりたい」という思いは誰にでもあるはずですが、私は今の自分をあの当時の自分に胸を張って見せることは出来ないんですよ。やるべきことをやってこなかったという反省が強くありますから。人は家族を大事にし中心に考えるのは当たり前のことですが、それに目処が立ったら次にやるべきことって絶対にあるはずなんですね。

天国に行きたいなんてことは全く考えておらず、地獄に行くにしてもその入口で「お前、結構、頑張ったじゃないか」ぐらいのことは閻魔様に言わせたいわけです。(笑)

私自身はどこで野垂れ死にしようが一向にかまわないのですが、私がいなくなった後、海外でヨメさんが一人で生きているわけがありませんから、ある時期を見計らって日本(オーストラリアではない)に帰ろうと思っています。そして老人ホームが併設されているシニアマンションに入るつもり。それからが私達夫婦の本当の老後かもしれませんね。

ま、人の価値観も夢もいろいろってことですね~~~。

男児立志出郷関
学若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山

 
 
 

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