世界は大きく変貌する。それにどう対処するべきか。

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

世界がどう変わっていくのか、なんてことに興味がない人、どうせ自分にはどうにもならないと諦めている人、それって自分には関係ないと思う人、とか私の周りにはそういう人たちが大多数。だからとりあえず「今」を大切にして「二度とない人生を楽しもう」と考えているように見えます。

ま、好きに考え好きに生きればよいわけですが、私の周辺を何十年も見ていて感じることは「人生には想定外のことが何度も起きる」「その想定外の出来事で人生は曲がる」と私は思っていて、順風満帆なんてことはありえないし、「順調に見えてもまさかの坂で転げ落ちる」のを何度も見てきました。だから私としては「どんなことが起きても生き延びる」「転落しても必ず復活する」ということを考えるようになるし、それが強い信念となりました。そして「そのノウハウの確立」をするべきだし、そしてそれを「一族の中に伝えていく」べきだと。

ま、自分が天涯孤独ならこんなことを考えないかもしれません。私は「人」って、自分のためだけに生きると「適当なところで妥協するのが普通」だと思うんですよ。でも伴侶がいたり子供がいたり、愛する人達の寝顔を見ていると「負けてたまるか」「このままで良いはずがない」って思うんじゃないですかね。世の中には「足るを知れ」とか「立って半畳、寝て一畳」なんて言葉があって、仏教の考え方を持つ人たちはそのとおりだと思うんですが、この考え方って「自分が中心」なんですよね。でも「他を中心に考える」と答えは変わってくるんじゃないですかね。

私は「優しさとは力」だと思っていて、力がなければ誰も救うことは出来ない。力がなければせいぜい「言葉や心で相手に寄り添うだけ」しか出来ないんじゃないですかね。腹が減って死にそうな人に「優しい言葉」は不要で、「黙っておにぎり一個、渡せ」って思うわけです。ましてや相手が伴侶だったり子供だったり、近しい人の場合、「救えなかったときの挫折感」って半端じゃないはず。で、実際に私の人生でもそれを感じることがあって「自分の不甲斐なさに腹が立ち落胆する」なんてことは結構あった。

だから家の主たるもの「強くなければならない」という考え方が当たり前なんだと思うようになった。それが「長たるものの愛」じゃないかと思うくらい。

実際に、災害にしても戦争にしても、何も無くなった状態から這い上がれるのは「助ける人がいる」からであって、「無から何か生じるわけではないし、復興もできない」と考えています。一生懸命働くにしても「働ける場所を誰が提供してくれるのか」ってのがあるし、「手を差し伸べてくれる人」がいなけば再起はできない。どんなに頑張っても「頑張ればどうにかなる場」が必要で、その場は自分以外の人が作ったもののはず。

つまり子どもたちが不幸な状態になっても親がまだしっかりしていれば助けられるし、その逆もあるし、それが一家、一族、地域、そして国が、世界がどうにか動いている基本じゃないかと思っています。

ま、そんな考え方を持っていますので、「環境に妥協、あるいは流される自分であってはならない」と思うようになっただけのこと。特に「子どもたちの将来」を考えると強くそう思う。

去年から「世界は大きく変貌する」と思ったしそうブログに書き続けてきましたが、一体、今どういう状態になっているのか、それを把握することが最初の一歩。これは日本の将来を考えても我々一人一人の自覚がなければ、日本は、我々はただ流されていくだけのはず。私は日本の将来にかなり危機感を持っていて、「日本は凄い国だった」と過去形になる可能性も大いにあると思ってます。でもそれは「安倍が~~~」と安倍さんを攻撃したり、引きずり下ろしてどうにかなることじゃなくて、根本的なところで日本は「ファンタジーの中に存在する」ような気さえするんですよ。指導者たちの言動にリアリティーや愛国心を感じないし、左派陣営は理想論を叫ぶ子供レベル(韓国を馬鹿にできない)。

そういう観点から「現在と将来」を考える大局的な見方として、前から「伊藤貫氏(国際政治アナリスト)」の言動に注目していたのは、このブログの古くからの読者はご存知のはず。

彼の対談とか講演って本当に楽しみで、日常に埋没しそうな自分が「将来を考えるきっかけ」になるのが良いと思っています。

紹介します。

ま、今のままの日本では大きく変貌する世界の中で生きてはいけないってことなんですが、彼の見立てが正しいかどうかは別にして、我々が考えなくてはならないことを考えていないことだけは間違いがないと思うんですよ。そして彼のような考え方って日本には都合が悪いから、「そんなことはあるわけがない」という方向へ動いてしまう。でもこの話に似たことは多くの自衛隊OBも言いますし、まんざら外れてはいないと思っています。

ではどう生きるべきかを私がどう考えているかを書きます。

自分がどう頑張っても日本や世界を変えることはできないわけで、頑張る人たちを応援するのと同時に自分がどうリスク管理をするかってことしかないですよね。

○ 土地(国)に囚われない

○ 自分の稼げる領域を広げる

○ 世界、環境が発展しても衰退しても稼げる能力を持つ

○ そのノウハウを子孫に伝える

ま、こんな感じですかね。

土地に囚われないってのは、災害等によってその地域に住むことさえできなくなるのは我々日本人も経験しているわけで、「ここが駄目なら、あそこ」という状態を維持するってこと。国も同じで「日本沈没」するときには、他の国でも普通に生きていける状態にする。これってまさかじゃなくて、福島の原発事故も下手をすれば東北も関東も、あるいは日本そのものが「人が住めない場所」になる可能性があったわけじゃないですか。

ここで大事なのはこのブログで何度も何度も書いているように「(他の国の)永住権を取得すること」。ここが重要になってくる。たとえばマレーシアにしてもMM2Hみたいな「観光ビザに毛が生えた程度のビザ」では、もしマレーシアで家族が根を張って生きようと思っても無理。「就労ビザ」でも同じ。つまりそれらのビザ保有者はその国から見れば「お客さん」でしかなくて、「国民待遇じゃない」ってこと。当然、社会保障も関係ないし、「何かあれば国外に出るしか無い」ことになる。自分がどれほどその国に住みたくても、好きでもそんなのは関係ない。

これは我々日本人が、日本のパスポートも日本の永住許可もなかった場合を想定してみれば、「日本に根付いて住もう」なんてのは不可能なことはすぐにわかるはず。なおかつ場合によっては「国外に追い出される」わけです。もし我々が日本から追い出されることもありうると想像すれば、いかに「パスポートや永住権(永住許可)って凄い」のかがわかる。国籍(パスポート)はなくてもせめて永住権(永住許可)があれば、どうにかやっていけるのはどの国を見ても簡単にわかること。

これってリスク管理上、非常に大事だと私は思っていて、災害、あるいは戦争、経済的・政治的な大変化などによって「その地に住めなくなること」はあるかもしれない。実際に世界ではあっちもこっちも「難民」で溢れているわけで、自分の環境が似たようなことにはならないと楽観するほうが論理的ではないかもしれない。だから「逃げ場所は確保する」って大事だと思っています。でもその地に「好きなだけ滞在できて」「就労も可能」「社会保障も受けられる」ってのが大事で、我々が東京から川崎に引っ越しをするみたいに、生活そのものに制限が掛からないような状態で移住できなければ意味がない。制限だらけのロングステイとは全く違う考え方が重要。

自分の稼げる領域を広げるというのは、サラリーマンとしてだけで生きるのは危険となるし(副業を持つべき)、自分の技術や才能を活かす場所、分野が狭い範囲だったら「何かが起きれば簡単に破綻する」わけで、「どこでもどんなときでも稼げる技術」は非常に大事だと思うし、私がトレードの世界で頑張ろうと思った理由の一つにそれがあるのは間違いありません。トレードってのは地球最後の日まで世界のどこかに存在しているはずですから。

この技術は、世界のどこでも、どこに住んでも使えて、景気にも全く左右されない。

株式市場は経済の原点ですし、これが地球上からなくなることは多分ありえない。それは先物、FXも同じでしょう。そしてその世界は「景気が良くなろうと、悪くなろうと、同じ様に利益を出せる」という他の仕事ではありえない利点がある。つまり多くの人が考える「買って保持する戦法」だけではなくて、「(高い時に)空売りしてあとで(安い時に)買い戻す」という「世界経済が破綻するときでも利益を出せる」という摩訶不思議な業界。

この「上げでも下げでも利益を出せる」という点、特に「下げでも稼げる」のは重要で、他のどんな職業でも投資でもそういうことはまずあり得ない。

その中で自分がエキスパートになれないにしても「付き合い方」がわかるだけで、何があっても生き延びることはできるかもしれない。「どんな荒野に放たれても【飲料水を見つける才能】があればどうにかなるかもしれない」のと同じ。

そしてそれらのノウハウは親子、一族で共有する必要があるし、その輪を広げることが出来たら面白いことが起きる。ここにこそ「真の自由」が存在するようにさえ感じます。そして多くの不安からも開放される。

この考え方が基本にあればリスク管理になるだろうし、「何も起こらなければそれこそ好きな人生を選び自由に暮らせる」ってことになるはず。リスクを想定して生きることが、結果的に日頃の生活向上に結びつくんじゃないかと。ここがいちばん重要なポイント。「なにか起きた時に役に立つ」ってだけじゃなくて、自分を、家族を取り巻く様々なしがらみから開放される最高の手段となるってこと。

ま、そんなことを考えているわけです。

私達は「環境の中で生かされている」のは間違いがない。そしてその環境は「与えられるものであって選べるものではない」と考えてしまいがち。

でも「地球を自分の手のひらの上に置く」というふうに考えてみるのも、たまには良いんじゃないですかね。

今回紹介した「伊藤貫氏(国際政治アナリスト)」の考え方ってあまりにも大きな枠組みの話しに感じるけれど、その中で世界では戦いが繰り広げられていて、それは政治、軍事、そして経済的にも全く同じだと思うんですよ。日本が近年、世界に遅れを取って経済的にも「日本の豊かさ」はなくなって「普通の国」から「途上国」にも負けるようになってしまったのは、やっぱり「世界の変貌に追いつくことが出来ていない」からだと思うわけです。

中国が経済的に世界に勢力を伸ばすということは、軍事的、政治的、文化的に「中国化が進んでいる」ってことでもあるし、北朝鮮は朝鮮半島に孤立しているわけではなくて、彼らの「思想」は韓国そして日本にも広がってそれが「成果を出している」のも最近わかってきたこと。イギリスはEUを離れて「イギリス連邦の復活」を狙っているしそれをアメリカは歓迎している。そして火種の中東は問題が解決すること無く先行きが不透明。世界の技術の進化も早く、なぜか日本だけが取り残されている感を非常に強く私は感じています。でも政治がめちゃくちゃで日本がどうあるべきかの議論は全く進まない。既得権益を持つ組織の結束は強く、これで日本が良くなるわけがない。世界で競争する下地さえ無い。そんなふうに感じるのです。

それでいて首都直下巨大地震が起きる確率は高確率だと言われていてのに対策らしい対策もなく、国民は「自然災害なのだからしょうがない」「何も起こらないかも知れない」と準備もしない。

駄目なときには駄目。しょうがない。潔く死のう。

こういう感覚を日本人は持っていて、実は私もそうなのだけれど、愛する人たちと共に生き、将来の子孫たちに対し責任がある今の自分がそれで良いのかどうか。そんなことが気になるのです。

私には【「今」を大切にして「二度とない人生を楽しもう」】という感覚は一切ない。なんでそうなのか自分でも不思議。(笑)

輪廻転生を信じているわけじゃないのだけれど、「二度とない人生」という考え方が私の中には全く存在しない。なんでだろうか。

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。