今年の正月は我が家は「喪中」でお祝い事は無しということになりますが、それでもやることは同じで、シドニーから来てくれた次男坊夫婦を含めて皆で食事に行きました。
で、皆が大好きな「ネギトロ」を頼んだ。
このお店のネギトロはまぁまぁ。前のほうが美味しかったけれど、メニュー改編でネギトロも小ぶりになって美味しさがボケちゃった。
ま、それはそれとして、日本で近年色々食べて思うことは「見た目は昔と同じでも全く美味しくないものが増えている」ってことなのはいつも書いています。
これは私に変化があったであろうこともあるけれど、「日本の食材の質が落ちている」ってことだと思うのですよ。背景にあるのは「長いデフレ」と「競争激化」で「安くなければ売れない時代」になったからでしょう。だから提供者も消費者も「安さにこだわる時代」になってしまった。だから「見た目は同じな安い食材を使う」ようになったのは間違いがないと思うんですよ。
ましてやネギトロみたいに「素材がはっきり見えないもの」って提供者にしてみればやりたい放題じゃないんですかね。客は名前のとおりに「ネギ」と「トロ」が使われていると勘違いしますから。
だからみんなに聞いてみたんですよ。
ネギトロって何から作られている?って。
「マグロのトロ」と答えたのは昔は魚河岸の仲買人だった父と私の二人だけ。
あとの5人の答えは「マグロの中落ち」「マグロの骨と骨の間の身(中落ち)」という答え。
えええ~~~と思いましたよ。
でもこれって昨今のテレビを見ていても同じ様な説明をするのね。ネットでもそうで、「由来は【中落ちをねぎ取る】から来ている」と。
でも寿司屋でネギトロを頼んで、「中落ち巻き」が来て満足する人がいるんですかね。由来はどうあれ、私にとってのネギトロってのは「ネギとトロを巻いたもの」。
そもそも寿司屋の多くは「マグロを一匹そのまま仕入れることは少ない」わけで、つまり骨の周りの中落ちはない。仕入れはブロックか柵で仕入れるから「中落ちはない」んじゃない?あるいは大きな店なら「中落ち」あるいは「ねぎとろ用のマグロ」を仕入れているんでしょう。スーパーでも売ってますもんね。
昔はそこそこの店に行くと、刺し身や握りで出す「トロ」の部分を叩いてネギトロを作っていたけれど、今でもそんな店はあるんだろうか。
でも、じゃぁそれが良いのか?というとそうでもなくて、美味しいのは間違いがないけれど恐ろしい値段になるし、また寿司屋も「刺し身にならないトロ」の部分があるわけですよね。
これって切り落としであったり、「鮭のハラス」の部分と同じで「スジばっかり」の部分。これをスプーンで削ぎ落とせば「ネギトロの材料」となるわけで、これがあればそれを使う店も多いんじゃないですかね。でもそれでも「脂が強烈過ぎる」こともあるから、これに中落ちを混ぜたり。
またトロと言ってもいろいろで、マグロの種類によってまるで違うし、同じ本マグロでも違うんでしょう。その違いがすぐに分かる人がどれだけいるかは別にしても。ちなみに私は大きな違いはわからないけれど、実際にマグロのトロが使われているかどうかがわかる「こともある」程度。
たとえば今回日本で食べたネギトロ。全く美味しくなかった。
前にも書きましたが、マグロの赤身(中落ちを含む)にマヨネーズやサラダオイルをちょっと混ぜるだけで「トロに大変身する」なんていう裏技は昔からあったし、業界ではそれ専用の油脂もあるのね。商品名は「とろみゆ」で、これはマレーシアでも売っている(日本食材卸問屋のF社)。
これがかなりのスグレモノらしくて、美味しいという評価が多い。それも「高級な味がする」と。
そして近年では「マグロに似た魚」がマグロとして出回っているのは聞こえてきますよね。「アカマンボウ」が使われていることがあると。これって本当にマグロの味がするらしい。ってすでに何度かどこかで食べているかもしれない。(笑)
ま、マレーシアにわざわざこの魚を輸入して使うところがあるとは思えませんが、もしかしたら「ネギトロの素材」としてパックに入った冷凍ものは輸入されているかもね。
それに上に書いた「とろみゆ」を混ぜるとか、あるいはそういうショートニングで味付けされた状態で入っている可能性もあるんじゃないですかね。
そしてそれを食べても、多分、100人中99人はわからないかもしれない。私も含めて。(笑)
あるいはこの手の商品。鮪油(マグロから取った油)を混ぜたこういう商品が日本市場に出回っている。
これに「本マグロを25%加えた高級バージョン」も存在する。
こういう新商品や技術の進歩を私は否定するつもりは全く無いんですよ。
ただ、騙されたくないだけ。本当のことをちゃんと教えてほしい。
でも、もしも「ネギトロ」は中落ちで作る、みたいな程度の知識しか消費者にないとすれば(注:私は発祥の話をしているのではない)、提供側はやりたい放題ってことですよね。
この手の話はヨメさんは大嫌いで(多くのこのブログの読者も同じでしょう 笑)、「美味しければいいじゃない」と言うだけ。
でもそういうヨメさんでも、「ルイビトンのバックにそっくりな偽物を高い値段で買ってしまったら?」という質問には黙る。あるいは「ルイビトンなんて好きじゃないから買わないもの」と話題をそらす。(笑)
余計なことは考えず、「信じること」が大事なのかもね~~~~~~~~~~。
もしネギトロ好きな読者がいたら、ちゃんとした(本マグロの)トロを置いている店で「トロを叩いてネギトロを作ってくれます?」と聞いて食べてみてください。
きっと美味しさにぶったまげるはず。(値段も 笑)
そしてそれこそがかつての日本人が食べていた「ネギトロ」だってこと。
-----(追記)-----
気になる(やっぱり来たかと思った 笑)コメントを頂いたのそれの事も書いておくべきだと思いました。
「ネギトロは葱もトロも関係ない」という話。
これは私も知っていて「初耳学」でもやっていました。
でもそれは「発祥の話」なのね。私としてはどう生まれたのかは関係なくて、それがどう育ってどういう黄金時代を築いたのかってところに注目しているわけです。
そもそも焼鳥の「ねぎま」は鶏のもも肉と葱を挟んだものですが、発祥は「葱とマグロの煮込み料理」だとのこと。でも美味しいねぎまを作ろう、食べようとした時に、マグロが~~という人がいるのかどうか。
天ぷら、トンカツがどうあるべきか考える時に、その発祥に思いを寄せる人がどれだけいるんでしょうか。
私の生きてきた世界では、ネギトロは葱とトロで黄金時代をきっちり作ったと思っています。今でも葱が入っていないネギトロや、脂がまるでないネギトロって食べたことがあります?マグロではない他の魚、例えば鯵の叩きやなめろう、鮭のハラスを削いだもので細巻きにしたものをネギトロというひとがいます?
それどころかネギトロは細巻きであって、太巻きも私は見たことさえない。あああ、ネギトロ丼ってのはありますねぇ。(笑)
生まれはどうあれ、ネギトロはきっちり育って自分の地位を築いたわけで、私は生まれよりその育ち、完成形が大事で、それが「名を残した」のだと思っているわけです。天ぷらやトンカツも同様。ところが現在では、その名と地位を崩す動きが当たり前になっているということが問題なんですよ。ましてや使われている素材がなんなのかさっぱり消費者にはわからない。ここが一番の問題で、「ネギトロは葱もトロも関係ありません」「素材はXXXです」とちゃんと表明しているのなら何を使ってもOK。でもそれを客はネギトロとして受け入れるか?また、なぜ提供側は「いかにもマグロのトロを使っているように作るのか?」
発祥の話になったら、そもそも「寿司」がまるで今のものとは別物じゃないですか。でも寿司という言葉からその発祥を思い浮かべ重要視する人はいない。いや、いるのかな?
フランス料理やイタリア料理でも、世界の料理にはどこでもあああるべし、こうあるべしというのがあるけれど、彼らはその料理の「発祥」の話をしているんじゃないんじゃない?
私もこの日記で書いていることは「発祥の話」ではない。
いや、もしかすると「大元の発祥」があって、それが育って「違うもの」になって、それが「ネギトロの発祥」だと私は考えていると言えばそのとおりかも。そして今、またそれは形を変えて進化しているってことなのかもね。私にしてみれば「長い年月をかけてやっと出来た素晴らしい文化の崩壊が起きている」としか見えないだけのことで・・。
それって現在では「良い昆布、鰹節で出汁を取る」ということが減っていて(我が家も同じ)、それと同じことなのかもね。でもマレーシアに住んでいるからこそ「出汁ぐらいはちゃんと取る」ようなことをするとまるで食生活が変わる。やっぱり本物は凄い。
私は死ぬまでそういうコダワリは持っていたいと思う。でもそれは「高級志向」では決して無くて、「(昔で言う)普通でありたい」というレベル。
でも私の孫の時代には「昆布や鰹節を見たことがない」世代が現れるのかもね~~~。
ああああ、去年、日本から「鰹節(削り節ではない)」と「削り器」を取り寄せたけれど、我が息子(オーストラリア育ち)は鰹節の現物を初めて見たと言っていたっけ。
時代の変化を感じたけれど、こういうことをグダグダ言うジジーの私でも、昔の人に言わせれば「今のやつは・・」ってことなんだろうね~~。(^_^)v
他人は関係ないけれど、せめて自分の子供達には「昔は当たり前だった、しかし凄いこと」を教えてやりたいと思う。そしてますます(彼らにとって他国になりつつある)日本を好きになってくれたら私は嬉しい。(笑)
海外育ちの子どもたちに、日本では当たり前のことを教えるって結構難しいことを知ってた?
私の次男坊は「寿司を食べながらコーラを飲む」ようなやつで困ってます。昨晩、一緒にしゃぶしゃぶを食べに行ったのですが、彼の味覚は日本人じゃないのを確認しました。(笑)
彼みたいのを「バナナ」と呼ぶのだそう。黄色いけれど、一皮剥くと中は真っ白。彼の考え方も日本的じゃないし。彼も自分自身を「日本語がメチャうまいオーストラリア人」という。
海外で子供を育てると、親としては「日本人プラスアルファ」になるような気がするけれど、実は子供はその土地を故郷だと思うようになるし、限りなくその土地の人達に近くなるだけなのね。下手すりゃ、日本語さえ簡単に忘れる。日本人がよく言う国際人なんてのはこの世界には存在しない、と私は思う。