ヨメ 「マスクだけど、どのくらいあるの?」
ダボ 「50枚はあるよ。日本からボックスで買ったやつ。まだ使ってない」
ヨメ 「あのさぁ・・、私の分だけで良いから日本のXXX(友人)に送れないかなぁ・・・」
ダボ 「・・・・・・・・」
これってやっぱり私には即答が出来ない。良いとも駄目とも言えない。
ヨメさんっていつもこうなんですよ。私には冷たいくせに他人には優しい。
どうしましょうかね。
我が家にあるマスクは、日本のアマゾンで買ったものですが、私はアホで本来は安いことに気が付かないで、10倍近い価格で買ってしまったもの。N95でもないし、耳掛けタイプじゃなくて頭の後ろで結くタイプ。
マスクがなくて困っているなら送るのも良いのだけれど、日本では絶対に買えないの?
アマゾンを見たら無いに等しいけれど、楽天ではかなり出品している。即日配達は無いにしても数日後には送付すると。
日本に住んでいるのなら、こういうものを手に入れることもできるはずで、なんでマレーシアからって思うわけです。またどうしてもというのなら、楽天で注文してその友人宅に送ってもらったほうが早いはず。
なんだかなぁ、すっきりしない。
ヨメさんですが、昔、こんな事があったんです。
小さい子供の誕生日は大体マクドナルドでパーティが決まりでした(ゴールドコースト時代ね)。そこにクラウン(ピエロ)を呼んだり、結構派手なことをやるんですが、我が家の長男坊の誕生日をマクドナルドでやったときのこと。
ま、普通に盛り上がって普通に終わったのですが、お開きの時間になるとそれぞれの親が車で自分の子供を迎えに来るのね。その中の親が、出席した子供の小さな弟をつれてきたんですよ。で、その小さい子は盛り上がっていたパーティーの雰囲気を見て、目をキラキラさせているのね。そして皆が持っている大きな袋に入ったお土産に目が釘付けになった。
ヨメさんはそれに気がついた。
そしてどうしたかというと、お土産は人数分しか無いわけで、突然、その日の誕生日パーティの中心人物である息子の大きな袋を取り上げて、その小さな子に渡したんです。その小さな子は大喜びで、母親はもらっちゃっていいの?みたいな顔をしていたけれど、No Problemとヨメさん。それじゃ済まないのが息子で、一体何が起きたんだ?とキョトンとしていたのが、事の重大さに気がついて泣き出した。どうして~~~~~~~~って。(笑)
あんた、男でしょ。これぐらいのことは我慢しんしゃい!!と、息子を怒るヨメさん。そして泣き続ける息子。
九州女ってこれが普通なんですかね~~~。
でもまぁ、ヨメさんが私と結婚したのも、別れずに今まで我慢をしてくれたのも、お金がなくてサラ金からお金を借りた時も文句も言わず、それらはヨメさんの博愛主義があったからかもしれず(笑)、そんなヨメさんをバカだなぁと思う反面、大した女だと思うこともある。
今回のコロナウィルス騒ぎでも、自分が感染することよりも、自分が感染してそれを他人に移すことのほうが気になるようなヨメさん。
マスクを日本に送る?お前、バカじゃないのか?って言うのではなくて、「そかそか、喜んでもらえるならそうしよう」と言えない、思えない自分が情けないような気もしてくるわけです。
でも難しいよなぁ。
ヨメさんが友達と遊びに行く時にはいつもほとんどがヨメさんの奢り。良い店に行って、それもケチケチしないでガンガン使う。
お前さぁ・・・と私が言うと、「あんたってケチくさいわね~~~」と必ず言う。そう言われると、やっぱりそうなのかな?なんて私も思っちゃうわけです。
ではヨメさんの金遣いが荒いかというとそういうこともなくて、30年前のサンローランの服を大事に着たり、友達にもらったという屋台で売っているような安い指輪を大事にしたり、高級和食店に連れてってなんてまず言わないし、結婚してから今まで「ブランド物を買って」と言われたことは一度もない。また私に内緒で買うことも無い。私が、買ってやろうか?と聞くと、「あんたが買いたいなら」とそういういやらしいことをいう。「買って~~~♫」なんて可愛いことは一度もいったことがない、わけのわからない九州女。
なんだかヨメさんの中にある価値観というのが私には良くわからないんですわ。でもヨメさんは言う。「気持ちよ、気持ち」と。
なんで私にはそれがわからないんだろうか。
私がおかしいのか、ヨメさんがおかしいのか、私にはどうもよくわからんのです。
ということでマスク、どうしましょう。
ヨメさんは朝にそれを言ったっきりで、その後は何も言わないけれど、もういらないのかな。というか相手が恐縮したんだろうとは思うのだけど・・・・。
「おい、マスク送るから、住所教えてくれ」って言ってみますかね。
きっと満面の微笑みで「うんうん、いいのね?」って喜ぶはず。
「そういうあんたが好き」って一言を言うはずだけど、私もその言葉を聞きたくて毎日生きているのかもしれないなんて思ったり。