もう投資は一切しないと決めた & 我が家の方針

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私事だけれど、トレードで生活するようになってから「貴方の仕事は?」を聞かれるのが一番困ったし嫌いでした。

答えようがないのね。これはオーストラリア在住時でもそうで、「職業欄」になんて書いて良いのかわからない。また子供にも「お父さんの仕事は?と聞かれた時になんて答えれば良いの?」と何度も聞かれたし、いまだになんと答えるべきかがわからない。

でも自分の中ではわかっているんですよ。

「相場師」

だってこと。

でも相場師という職業はないし、相場師とは昔から「軽蔑される職業」なのね。ギャンブラーですと言うのと同じ。

ところが相場師でもギャンブラーでも、その世界の中ではやっぱり目安があるのね。相場師だとすれば「10億が最低線で、それ以上稼いでいないと相場師とは言えない」とか、ギャンブラーだとすれば「ギャンブルで生計を立てている超お金持ち」しかギャンブラーとは呼ばない。

単に「好きです」「いつもやってます」「それでどうにか食ってます」なんてのは「ろくな仕事も持っていない、がっつり稼ぐこともできない半端者」で軽蔑の対象となる(退職者やロングステイヤーは別)。そしてこの世界では「銀行口座にいくらあるか」だけが重要視されていて、「テクニカル分析の専門家」「XXXアナリスト」「ファンドマネージャー」「投資コンサルタント」「ファイナンシャルプランナー」という【肩書】は何の意味もないのね。「それで儲けたのか、儲けているのか」だけが重要な実力世界。

ま、どんな世界も似たようなもので「勝てば官軍、負ければ賊軍」だけれど、「儲けは重視しない職業」っていろいろあるじゃないですか。学者や研究者、技術者も同じ。会計士みたいな資格を持つ職業もそうだけれど、「利益とは直結していない【大事な】職業」っていろいろある。

私の忘れられない「テレビドラマの一場面」があるんですよ。

随分昔でそのドラマの内容も忘れちゃったけれど、「リストラされて収入も蓄えもない、将来の希望もない」ある親が子供と話す場面。子供と外出した時に彼は近代的な超高層ビルを指差して子供に言う。「あのビルはお父さん達が建てたんだよ。パパが設計をした」って。そして子供は目を輝かして言うんですよ。「お父さんって凄い。僕もお父さんみたいになりたい」って。

相場師にはこういうのが一切ないのね。ましてや勝てなかったら本当に何もない「クズ」と言われてもしょうがない仕事。駄目な人間ランキングのトップクラスじゃないですかね。犯罪ではないっていうだけで、周りの人たちも不幸にしてしまう。

それどころか、子供に「お父さんのことをギャンブラーだって、みんなが馬鹿にするよ。ちゃんと仕事をしてよ」なんて言われるのが普通。ヨメさんも旦那の職業を言えないなんてのが普通。周りの人達も「変だなぁ」って思うわけですよ。子供もヨメさんも「旦那の職業を聞くといつもあやふやなことを言う」って。

私なんかゴールドコーストで子供が小中学生の頃ですが、同級生やその親達に「ジャパニーズヤクザ」だと思われていたのを後で知ってびっくりしたもんです。友人がリムジン会社を経営していたんですが、リムジンの需要って「朝、昼には全く無いのと同じ」なのね。だからとんでもなく安い料金で子どもたちの学校の帰りの迎えだけ頼んでいたんですよ。でも長いストレッチリムジンで運転手は黒服なんてこともあるわけで(空いている車を使う)、私もマズいかな?とは思っていたんですが、タクシーより安いし、私はトレードに集中したい時間帯だったのだけれど、彼の会社に頼んでいたのもヤクザだと思われた大きな原因だとは思う。

でも「投資家」「インベスター」なんていうとニュアンスが違うのね。これって何十億、何百億もの資産があって「かなりの悠々自適な生活」が【見てもわかる】ようじゃないと、「詐欺師」ぐらいにしか思われない。

昼間の仕事を持っている当時は全く問題がなかったけれど、会社を手放してからは職業をなんと言い表そうが「毎日プラプラしているようにしか見えない」わけで、他人は「まともじゃない」と思うのが当たり前。

だからオーストラリアでは「デリバティブトレーダー」なんて言っていたことがあるんだけれど、「デリバティブって何?」とまた聞かれるわけですよ。(笑)

自分の職業をちゃんと説明できない。そして「後ろめたさ」も間違いなくあるのね。「俺は所詮、相場師、ギャンブラーだ」って。「お金そのものを追う仕事」ってやっぱりろくでもない仕事だと思うわけです。「その仕事をして【世に残るもの】が一切無い」んですよ。自分が生きてきた足跡も残せないのね。私は商人の家に生まれ育って、「お客様の笑顔のみが利益につながる」と教えられ、そう信じて仕事をしてきたけれど、相場師にはそれも全く関係ない。そして常に「銀行口座残高」ばかり気にする仕事。

まぁ、他人になんと思われようが関係ないですが、子供やヨメさんが恥をかくのは可愛そうだし、自分自身も「まともな人間がやることじゃない」って思っているわけです。

ましてや相場師は相場師でも「株式投資家」とは全く縁もない「先物のデイトレーダー」なんて「もらえる日当も定かではない【日雇い労務者】以下」なんですね。

そして身体はきついわけで、いつまでも出来る仕事ではない。だからせめて「たまに株価をチェックするだけ」みたいな「株式の長期投資家になりたい」なんてことも考えるわけです。今回のコロナ騒ぎ、そして超低金利時代を迎えた今、「債券投資が主です」なんて言いながら実は「定期預金とほとんど変わりがない」わけで、せめて「投資家を名乗れる端くれ」にはなりたいという願望を実現する良い機会だと思っていたんですよ。

でも夢と現実は違うのね。株式を長期で持って、その利益で生活するなんてとんでもなく難しいのが嫌というほどわかりました。私には絶対に無理。

今日は同じ道に無理やり引き込んだ長男とじっくり話し合いました。「俺達の基本路線をはっきり決めよう」と。我々に出来ること出来ないことをはっきりさせて「出来ることに集中する」「その線を伸ばす」しかないと。

そして決めました。

「投資」は一切しない。

ま、投資って言う言葉にはいろいろ意味があるわけですが、いわゆる多くの人が思う「大きな金額を株式なり、不動産なり」そういう対象に投資して利益を狙うってこと。これが出来るようになりたいとか、そういう「夢」「期待」も捨てようと。なぜなら私達には「将来を読む能力が全く無い」から。ここをはっきりさせました。

でも「チャート分析」はそこそこ出来るわけで、それを中心としようと。そしてそれを全面に出して活用しようと。というかそれしか出来ないのね。

チャート分析は別にデイトレだけじゃなくて、数日間~数週間単位のスイングトレードでも、あるいは【長期で保つ場合】も私達の「分析法」はほとんど同じなんです。そして我々の手法は「トレンド重視」の方法ですから、「それを基本中の基本とする」のをはっきり決めようと。だから「暴落」だろうがなんだろうが「安くなったから買う」(突っ込み買い)とかの【逆張りは絶対にしない】という考え方。これは今までのデイトレと同じ考えかた。そして今回のコロナの暴落で株式投資をしようと思ったけれど「手が出なかったことを【後悔しない】」ようにしようと。暴落時に買い向かうのは「逆張り」でしかなくて、「そのリスクは取らないのが正解」だという考え方。

その基本ってデイトレでも中長期投資も同じなわけで、でもそのトレンド最優先の手法を基本とした場合、「一般的に言う長期投資」はありえないのね。トレンド重視が基本ですから、いくつもの上下のトレンドを超えて持ち続けるのは論理的にありえない。数年間持ちたいと思う良い会社でも「上昇トレンドにしか乗らない」「下降トレンドでは撤退する」のが基本になる。「Buy and Holdはしない長期投資」って意味がわかります? (笑)

ま、デイトレが無い25年ぐらい前までは、昔から「チャートアナリスト(罫線屋)」はそうするのが普通でしたから、私達は「新しいこと」をするのではなくて「原点に帰る」みたいな感じでしょうか。

そして自分自身が「相場師」であることに自虐的な考え方を持つのはもう止めようと思ったんです。(この辺は古い人にしか意味がわからないかもしれない)

そのためにあえて言おうと思う。

「私達はスペキュレーター(投機家)」だと。

投資ではなくて「投機」をバカにする風潮って今でも大きいですが、あえて「投資家になりたい」「投資家と呼ばれたい」みたいな思いをきっぱり捨てようと。そして胸を張って「スペキュレーター(投機家)だ」と言おうと。

ヘッジファンドも馬鹿にされる世の中ですが、あえて私達親子はそれを目指そうと心に決めました。

もう「投資」はしません。「投機」に集中します。

債券投資?私は債券投資という言い方をしていますが、実態は「定期預金とほとんど変わりがない」わけで、投資だなんて言う言い方、考え方もやめます。

本日は私と長男とそんなことを話し合い、これを「ダボ家の原点」としようと決めました。

ファンダメンタルズには詳しい公認会計士の次男坊がいつか合流しますが、「長期投資は次男坊に任せる」という考え方も捨てました。

将来的には、私達は「テクニカル分析」と「ファンダメンタル分析」を合体させて【投機】を行う。でも今は「テクニカル分析のみ」で「投機」を行う。ただ時間軸はデイトレだけではなくて、トレンドが続くのであれば数週間、数ヶ月のトレードもあり得る。

ここのところブレていた自分、我が家の方向性をきっちり決められたことは良かったと思います。これもコロナ騒ぎのおかげと言っても過言ではなくて、「長期投資はいかに難しいか」がはっきりわかりました。そして長期投資をしたいという思いの底に「楽をして儲けたい」という強い願望があったのも自覚できたのは良かったと思います。

そんなことを思いながら改めて「日経225 日足」のチャートを見てみる。

これは誰しも同じだと思うんですが、日足を見ると「この日には何があった」「XXXが発表された」「アメリカでXXXが起きた」とか考えますよね。そしてそれが株価の動きに影響しているから、「今後の政策」「経済指標の変化」「海外の動向」とか自然に考えちゃうじゃないですか。でもそれって、私の場合は「それらを分析するから将来の予想ができる」のではなくて「益々どう動くのかがわからなくなる」んですよ。

でもこのチャートは1分足で5時間の動きだとしたら?

どこで出撃してどこで撤退するべきかよーく見えてきませんかね。値動きの「方向と力」、「市場参加者の心理」だけ考えればよいわけで、「今後の経済がどうなるのか想像する必要さえない」。つまり「長期投資とはBuy and Holdだ」という考え方を捨てれば良いってこと。

自分には何が出来て、何が出来ないか。それをはっきり自覚して行動指針としてブラさない。

今回は、これの重要性を再確認して、それを一緒に歩む長男と共有できたことが嬉しい。

これも今回のコロナ騒動のおかげ。

それも実質的な損も評価損もないどころか、焼け太りしたのは本当にラッキー。見えない「何か」に助けられているような気さえしてきます。

頑張ります。67歳になって新たな気持で挑戦します。

儲けて何をしたいのか?ここが何よりも重要で、壮大な計画があるのですが、それは笑われるのがオチなので内緒。ただ「金儲け」が最終目的ではない。やりたいことをやるのには「お金が必要」なだけということは書いておきましょう。

この音楽に出会えて本当に良かった。聞くとムラムラとやる気が湧いてきます。

 
 
 

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