老兵は消え去るのみか。やる気が出ない・・。

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(注)今回のエントリーも超長文ですので注意。私がなぜ日本を出てオーストラリアに渡ったのか。何を考え続けていたのか。なぜ安倍さんに惚れ込んだのか、私が考える日本の問題点等、全てを書きました。

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しかしまぁ、本当に安倍さんがいなくなったことの影響が、自分の中でこれほど大きいとは思っていませんでした。

フト気がつくと安倍さんのことを考えている自分がいて、涙が出てくるんですよ。悲しみ、喪失感の大きさがハンパじゃない。まさか安倍さんが自分にとってこれほど大きな存在だったというのは、亡くなってから気がついたこと。

そもそも私が日本を出てから30年以上経ちましたが、なんでオーストラリアへ向かったかと言えば、オーストラリアへ行きたかったというより【日本を出たかった】のね。海外に移住するにあたって絶対に必要なのは永住権だと当時から考えていて、オーストラリアは永住権が取れるであろういくつかの国の一つであったというのが、オーストラリアを選んだ理由。当時、候補にあったのはカナダです。

なぜ日本を出ようと思ったのかの説明って簡単ではないのですが、子供の頃から環境に馴染めなくて「肌感覚として日本って変だなぁと思い続けてきた」こと。そしてグアムで初めて外国を知り、水を得た魚ってこういうことを言うのだろうと思うくらい自分に大きな変化が起きた。

ま、私の非常に近い親族に「日系二世」がいたり、海外在住の親戚が多かったし、「海外在住者ってひと味もふた味も違う」のはずーっと感じていて、グアムに自分が行って感じたものって「ああ、こういうことか」ってわかったのね。それぞれが自分の好きなように誰に気兼ねすること無く自分の人生を歩いている。そしてそれを認める社会。そこには誹謗中傷も無ければ冷たさなんてまったくない。同調圧力もない。それどころか「他を助ける気持ち」がハンパじゃない。

それからはグアムに何度も行き来をし、そして入り浸って会社も興し、グアムに移り住もうと思っていたことは何度か書いた通り。

でも私は若く、資金力もなく、アメリカの永住権どころか長期滞在ができる投資ビザ(E-2)を取ることも出来ず、グアムで住むことを諦めて日本に帰ったわけです。

その後、アメリカ本土で就職する話もあったのですが、日本に留まり、月日も経ち、結婚もし、子供も生まれて長男が2歳を過ぎた頃でしたか、かつて私が感じていた「日本のおかしさ」が気になり始めたんですよ。そして子供の寝顔を見ていた時に、「こいつをこの国で育てたくない」って思ったのね。「こいつも自分と同じ様に、回りに気を使い、人の目を気にして、政治的にも経済的にもおかしいと感じるこの国で【自分を殺して我慢しながら生きていく】なんてことは絶対に駄目だ」と思ったわけです。「子供に申し訳ない」と思った。

それから日本脱出計画を練ってオーストラリアの永住権も申請し、私がやっていた小さな小さな中小企業の仕事も畳んで、オーストラリアへ渡った。

これは本当に大正解で、「これが自由なのか」と思ったし、「国民のための政治」というのもしっかり見えたし、オーストラリアへ渡ったことは本当にラッキーだったと思っています。子供たちも本当に自由でのびのびと生活し、その中で人種差別にもあって多くのことを学びたくましく育ってくれた。学校教育も「ここまで日本と違うのか」と驚いたけれど、「問題を探して解決する能力」はしっかり身に着いた。でも日本みたいに知識の詰め込みはしないから、「こんな事も知らないのか」と思うようなことが多いのだけれど、大事なのは知識じゃなくて、「知識が必要な時には、それを選択し、得て問題を解決する」という本来あるべき素養を手に入れられたことにはオーストラリアの教育に心から感謝しています。

では私の日本に対する思いはどうかといえば、もともと「日本が嫌いだとか、海外に出たくて出たわけじゃない」のであって、【大好きな日本に絶望したから海外に出た】と言っても大げさではない。だから常に心の中、頭の中にあるのは日本であって、オーストラリアを愛したし感謝もしているけれど、それは「育ての親に対する気持ち」みたいなもので、「生みの親である日本に対する愛情の方が遥かに大きい」わけです。

だから日本には良くなって欲しい。もっともっと発展して欲しい。日本に生きる人達が「幸せに包まれて、(私のように)海外に出ようなんて思わない国であって欲しい」と願いつつ、いつも日本を見つめていたわけです。そしていつかオーストラリア育ちの息子たちが、「オヤジ、日本にみんなで帰って住もうよ」というのを夢見てきたわけです。

遠くから俯瞰して日本を見ると欠点がよく見える。

ただ私は経済学者でもないし、大学は商学部(早稲田)であって、経済の専門家ではないものの、実際に激動の経済環境の中で経営もしていたし、真剣に投資を続ける中で、海外で何が起きているのか、どう対応しているのか、なぜそうするのか、日本はどうなのかを常に見てきたわけです。それがわからないと投資なんか出来ませんし、通貨も何を持つべきかもわかりませんから。

特にリーマンショックは自分自身が大打撃をくらいましたし、世界がそれにどう対応するのかはしっかり見てきたわけです。この真剣さは半端じゃありません。我が家の生活と将来がかかっているわけですから。

そんな時に日本を見ると、「一体、何をやってんだ?」と思ったわけです。日本っていつもズレていて、絶対におかしいと思った。それがちょうど日銀の総裁が白川氏だった頃のこと。これじゃ日本はもっと沈むと私は確信したんですよ。リーマンショックから世界は立ち直りつつあるのに、影響が少ないと言われた日本は底辺でウロウロするばかりで、打開策を打ち出せない。

円高がどんどん進み、日本の基幹産業が大打撃を受けた。私は若い頃に輸出関係をしていたし、父も弱電の輸出関係でしたが、円高に打ちのめされた経験を持っているわけです。父は倒産こそしなかったものの廃業にまで追い込まれた。

それと同じことがリーマン・ショック後に起きたわけで、日本は相変わらず「対策を立てられない駄目な国」だと思っていました。案の定、多くの企業が海外に出ていき、日本の空洞化現象が始まり、職場もない人たちが増え、そして「近隣国はどんどん製造業で頭角を現し、日本は衰退した」という経緯がある。

日本は(海外と同じ様に)金融緩和をするべきだとこのブログにも書いてきましたが、そんな私の意見に何人かの読者が「そんなことをしたらハイパーインフレになる」とコメントを付けた。まさに財務省の洗脳が効いていると思ったのですが、そんなことを当時いうと、「陰謀論」みたいに思われたのね。「なんで財務省が日本が損することをするんだ?そんなはずはないじゃないか」と多くの人が考えていた時代。

需給ギャップが大きい時に金融緩和をしても【絶対にハイパーインフレにはならない】のね。インフレにもならないのは経済学の基本中の基本でしょう。

本来なら「インフレ目標」じゃなくて「需給ギャップの解消」を目的とするべきだと思ったけれど(需要が増えれば自然にインフレになる)、そうすると「需要を増やすために財政出動をしよう」という積極財政派に理由を与えてしまうから、それはしないんでしょう。でも政府が長期計画も見通しも建てず、需要の底上げを民間に丸投げしているだけだから、頑張って投資をしたり設備投資をするバカは出て来ない。

企業はいつか来るであろう「日本の破綻」に備えて、あるいはチャンスに備えて【内部留保を積み上げる】のは当たり前でしょう。

この為替のチャートを見ると、その頃のことが頭に浮かんできます。

このなんら対策も打てない、打たない日本を変えたのが安倍さんだったわけです。日銀総裁も黒田氏に代わり、金融緩和がやっとできた。そして円高は是正され、日本にも活気が戻ってきた。何よりも大事な【失業率が改善した】ことは安倍さんの快挙、最大の功績と言っても良いと思っています。

その当時から、私は「安倍さんは救世主だ」と思ったし、もともと昔から「半端じゃない愛国者」なのはわかっていたし、「自虐史観からの脱却が何よりも大事」だと考えていた私とそこでも合ったわけです。だから私は安倍信者と言っても良いようになったし、その後の日本国内、海外での変化にも安倍さんは非常にうまく対応したし、行動力もはんぱじゃなくて多くの世界の指導者から慕われ、国際協調もうまく行くようになった。

これは安倍さんにしか出来ないと思ったし、でも日本のややこしい内情がわかるにつれ、「総理大臣はオールマイティではない」のもわかってきて、総理大臣も「ひとつの駒でしかない」と考えるようになりました。では実際の権力者は誰かと言えば財務省。安倍さんも財務省に対しては「無力だった」と言っても良いくらいで、アベノミクスがどうじゃこうじゃと世間はいうけれど、アベノミクスは財務省に潰されて、安倍さんに出来たのは第一の矢の「金融政策」だけ。

だから安倍さんへの期待は世間でも大きくなったものの、手足をがんじがらめにされている安倍さんが出来ることは限られていた。それは安倍さんに興味を持って色々調べると「安倍さんが何をしたかったのか。何をしようとしたのか。どういう邪魔が入ったのか」も見えてくるようになったのね。

でも世間は「安倍一強」だなんてバカなことを言うし、安倍さんが苦渋の末やらざるを得なかったことを、「安倍が推進した」と言い、安倍さんを叩く。そして安倍さんができなかったことばかり並べて文句を言う。そして安倍さんをグローバリストと呼ぶ人まで出てきた。

「叩く相手が違うだろう」というのを私はいつも感じていて、「モリカケ問題」なんてまさにそれ。特に森友学園では財務省の落ち度がはっきりしたし、国会で嘘を付き、人まで死んでいるわけだから、「財務省を追い込むチャンス」だと私は思ったんですよ。そしてかつて「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」で大蔵省を追い込んだのと同じ様に、財務省を再編成して「歳入庁を創設する」ところまで持っていければ、日本のお金の出入りを分けることも出来て、財務省の影響力も削げると思っていたのに、「どの政治家も財務省の責任を追求しない」、「どのメディアも安倍がーーと騒ぐだけ」で落胆の大きさは半端じゃありませんでした。

そして安倍さんも退陣し、菅さんは安倍路線を継いでよくやったと思うのだけれど、アホの岸田が「そもそも河野よりマシ」というレベルで選ばれただけなのに下手にやる気を出して訳の分からない政治をする。パッションもビジョンもなく、国としての強い意見も言わない、態度も見せない。それどころか韓国や中国にヘラヘラする。だったらアメリカには強く出るのかと思えば、アメリカにもヘラヘラ。

彼には本当にビジョンがなくて、「周りにいる有能な人間をうまく使えば良い」と考えているのがミエミエ。思いつきでなにか喋ったかと思えば、他人任せみたいな。彼が最初にいった「私は人の話をよく聞く」というのはこういうことなのかとわかった。そして人事には一生懸命。「自分が日本にあるリソースをうまく組み合わせればうまくいく」と信じているんでしょう。でも「自分はこうしたい。こういう日本にしたい」というビジョンがない。

なんでもかんでも「検討します」でお茶を濁すくせに、「核に関係する話題」ははっきり否定する。せめて検討しますじゃなくても「議論をしましょう」ぐらいに言えばいいのに、そこだけは「人の話を聞こうともしない」。これを嘘つきという。

私はもう歳だけれど、その人の態度、話し方、顔の表情でいろいろ見えるようになったんですよ。そして確信したことは、彼はかなりのおっちょこちょいで、答弁を聞いていても「強がる態度」が見えちゃうのね。本当に気の小さな男だと思う。でもだからこそ「扱いやすい」はずで、あんな男でも派閥を率いることが出来るのは「神輿は軽くてバカが良い」ってことなんだろうと本当にそう思っています。彼が出来るのは調整だけ。はっきりいって「地頭がさほど良くない」のは話を聞いていればわかるはず。あるいは彼の参謀の力不足というべきか。

かつて中曽根元総理は「風見鶏」と言われたけれど、風見鶏の能力としては私は岸田の方がはるか上だと思っています。

そんな岸田のアホが何を勘違いしたのか、安倍色を消して岸田色を強めようと動きだしたのが私に見え始めたのが今年に入ってからでしょうか。

いつ安倍派がブチ切れるか見ていたのですが、大きな動きは見えず、でも「菅さんが動き出している」のは多少見えて、「岸田おろしが始まる」のかなと思った頃に、今の時期、一番大事で盛り上がっている安全保障の要の人事に岸田は手を付けた。岸防衛大臣の右腕、安倍さんのもとで長年働いていた「防衛事務次官の更迭」というとんでもないことをした。これは今の安全保障の考え方の真ん中にいた人であり、今後の具体的な話を進めるのに重要なポジション。

これを替えた。それも参院選の前に。これって私は安部派に対する宣戦布告だと思ったわけです。そもそも6月の「骨太の方針」を決める時にひともんちゃくあったわけで、その内容に積極財政派の考え方をどうにか盛り込むことが出来た。これに関しては何度かブログに書いている通り。

でも腹ワタが煮えくり返っているのが財務省だろうし、その意向で動く岸田は「今後の防衛費倍増」の具体的な話になる時に主導権を取ろうとしたのだろうと私は読んでいます。前に書いた通り、防衛省の予算を財務省に要求する「会計課長は財務省からの出向」であることからも、次に予想されるのは「岸防衛大臣の更迭」でしょう。防衛大臣、事務次官、会計課長を財務省側の息の掛かった人事で固めれば、「防衛費のGDP2%への倍増」でも主導権が握れる。そもそも防衛費の増やし方に関しても岸田は財務省が主張する「積み上げて考えるべき」の論者で「1%を2%とする」キャップ方式には反対している。

でも防衛費アップを望む方からすれば、「上限を決めてその中で柔軟にお金を配分したい」と考えるわけで、ここでも安倍派とはぶつかっていた。防衛費は5年掛けて徐々に増やすと岸田はいうけれど、それは時間稼ぎで5年の内にどうでもできると考えているはず。「努力しているフリをするだけ」と私は見ています。

で、そのキモは「防衛増税」だろうと私は読んでいるわけです。消費税増税かもしれない。財務省は必ず「財源がない」というのはわかりきっているわけで、「借金で」と言えば国民やアメリカとの約束だろうと財務省はウンとは言わないはず。となれば増税しか無いわけで、どうしてそう見えるのかというとその増税が正当化される様に【骨太の方針】の中に書かれているから。でもそれははっきりわからないように書かれていて、そのことに多くの政治家は気が付かなかったなんてバカなことが起きている。この件に関する細かいことは前に書きました。(ここをクリック)

でもそれは今はバレて、選挙後の人事で、岸田さんの動き1つで「岸田VS安倍戦争が始まる」と私は読んでいました。特に岸防衛大臣、高市政調会長を岸田はどうするのかが気になっています。

そんな時に、安倍さんが殺された。

これって安倍派にしてみれば総大将が殺されたのと同じで、そして選挙で圧勝となった岸田派にしてみれば「やっと俺たちの時代が来たとニンマリしている」ところじゃないかと思うわけです。ずーっと今まで安倍さんには利用されていたという思いも強いはずですし。でもそれはしょうがなくて、そもそも「総理大臣の器じゃない」のは誰しもが知っていたこと。でも「河野よりはマシ」ということで自民党総裁に選ばれたと思っています。

天下分け目の大合戦、関ヶ原の戦いが始まる直前に徳川家康が暗殺されたのと同じ様に私には思えるわけです。

この落胆ってハンパじゃないわけで、どうにか財務省側に着く自民党内左派と言っても良いような岸田派に影響力を維持しないとならない時に、安倍派が離散することは無いにしても、そして安倍さんの志を継ぐ人たちがいるのは間違いがないものの、【振り出しに戻った】感じがするわけです。

まさにリーマン・ショック後になんら手も打たずにいた白川元日銀総裁の頃の挫折感を思い出すわけです。そして強引とも言えるあの安倍さんでさえも難しかった日本の舵取りなのに、岸田みたいな中途半端な総理が実権を握るこれからの日本を考えると、そしてすでにここまで落ちぶれて海外勢の草刈り場になった日本を考えると、私が私の人生で感じた最大の挫折感と言っても良いくらいのものを感じるわけです。

私が日本を脱出したのも日本が嫌いだったからではない。オーストラリアがベストだと思ったわけでもない。わが祖国日本を愛し続け、遠くから日本のことを心配し続けて、そしてブログに具体的なことは書かなかったけれどできる限りの支援をしてきたし、そしてなぜ私がお金に執着するのかもそこに関係があるわけです。政治活動にはお金がかかるのがわかりきっているし、頑張る人たちに声援を送るだけでは何も起きない。

安倍さんの死によってそういう夢もものの見事に崩れました。世界で一番愛する国日本の新しい骨組みができつつあるときに、それが全て崩れてしまった挫折感があります。

諦めるべきではなくて、安倍さんの意思を継いでいる人も多く、これからまた作り上げなくてはならないものの、私はそれに協力する意欲さえ崩れてしまったようです。

歳なんだろうと思います。熱き思いを維持するのも簡単ではない。そして昨今の技術の進化には頭が全く追いつかないし、新しいビジネスの形態や理念も理解するのが難しくなってきた。60を過ぎたら前線から離れるのもよく分かるわけです。そして私は来年は70歳。

もう私に出番はない。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」。そんな言葉が頭の中でぐるぐる回っています。

いつもこの曲を聞くとやる気が出てくるのに、今はただただ虚しく聞こえるだけ。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

そんな気持ちも薄れてきてしまった。

ただ私は安倍さんのことを一生忘れないと思う。日本が日本であり続け、前進する日本にするために全身全霊を賭けた男。

 

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