来週、シドニーから次男坊家族(孫も)マレーシアに遊びに来る \(^o^)/

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来週、シドニー在住の次男坊夫婦が孫を連れてマレーシアに来ることになりました。\(^o^)/

孫が生まれたのは去年の12月。初孫ですが、私達はシドニーに行く予定でいたのは何度かブログに書きましたが、行きませんでした。いや、行けませんでした。

ですから、マレーシアで私達と一緒に住む長男だけがシドニーにダボ家の総代としてお祝いに行きました。つまり私達夫婦もマレーシアに住む95歳になる父も私の姉もまだ孫の顔を見ていないということ。ほぼ毎日、Lineで写真と動画は送ってきますが。

私達夫婦は孫が生まれた12月、あるいは年が明けて1月、あるいは次男坊の休暇がある内の3月にシドニーに行く予定だったのが全てキャンセルとなりました。

また私達夫婦は近年、まるで旅行らしい旅行もしていないので、マレーシアの東海岸、あるいはランカウイでそこそこ豪勢な旅行をしようと計画も練っていました。

でもそれもキャンセル。

実はですね、詳しくはブログに書きませんでしたが、私の体の調子がうまくないんですよ。だから日本に行って必要があれば検査・入院・手術をしようと考えていましたが、【飛行機にも怖くて乗れない】状態です。こんなことは生まれて初めてで、とうとう来る時が来たのか・・・、そんな事も考えています。

でもマレーシアでの入院は怖いのね。

これは私達のマレーシアでの6年間に経験したこと、また10年以上すでに住んでいる私の両親や姉の経験も踏まえると、【ちょっとしたことなら良いにしても、大きな病気の場合は非常に怖い】と考えているから。

マレーシアの医療が駄目ということではないけれど、マレーシア事情がわからない私達は「ギャンブル状態」なのね。今まで経験した「嘘だろ?」みたいな医師に当たったら助かるものも助からない。あるいは2019年に私は日本で手術を受けましたが、その前にマレーシアで診察を受けた時点では「切るしか無い」と言われたものも「日本では切る必要がなかった」んです。

あの時は、私も猛勉強して「切る必要はないはずだ」と思ったから、マレーシアでの手術はせずに「日本に行って確かめよう。日本でも【切るべき】となれば切れば良い」と思っていたわけです。そうしたら案の定、「日本では切る必要がない」のがわかった。でも手術そのものは必要で、簡単な手術で終わったのですが、傷口がなかなか塞がらず、なんだかんだ1ヶ月入院したわけです。でもマレーシアに帰ってきてから、まだ完全には塞がっていない傷口の面倒を見てくれたマレーシアの医師は「日本より丁寧で良い」と思いました。

あの時の「マレーシアは怖い」という思いは残っていて、またあの時みたいな医師に当たったらヤバいと思っていて、でもコロナのこともあり「日本に行くのをためらっていた」。また「一人で飛行機に乗れるか?」という恐怖もあったのね。それどころか、【家から外に出る(買い物さえも)のも実は怖い】のが本音。

今は多少、症状も軽くなってすぐにどうこうしないと大変なことになる感じはないし、でも丸一日外出しているのは無理な状態ですが、【検査だけはマレーシアで受けよう】とは思っています。でもまた2019年と同じように、【切らなくても良いものを切る】なんて言われるかも知れないし、また【本当に悪いところを見つけることが出来るのか?】と思うほど、今までの経験でマレーシアの医療を信用できないでいます。

でもそろそろ行動に移さないとならないのは間違いがない。

ま、そんな状態ですので、初孫を見にシドニーに行くことも出来なかったし、夫婦で久しぶりの旅行なんてことも出来なかった。

私の父は高齢で、「もう絶対に飛行機には乗らない」と言っていますし、最近は「外食に出るのも難しくなった」ので、またその父に付きっきりの私の姉も旅行なんか絶対に行けない状態。

こんな病人だらけで普通の生活もまともにできないのが、我が家の真相です。【老後は海外で~~~♫】なんて状態ではまったくないのです。もし、私達3人だけなら、【マレーシアから引き上げる】ことになったはずですが、父と姉をマレーシアに置いて出ていくわけには行かない。父も半端じゃない我儘で、日本に帰って施設に入れば良いのに「絶対に嫌だ」「日本にも絶対に帰らない」と姉に負担をかけ続けています。当然、私達も二人を放置なんか出来ず。また「マレーシアで施設に入るなんてことも絶対に嫌だ」と。正直なところ、なぜそこまで子どもたちに平気で負担を掛けられるのかが不思議です。

でもしゃーない。親の意向を大切にするしか無い。

ということで、シドニーの次男坊夫婦が孫を連れてマレーシアに来ることになったわけです。

次男坊夫婦、孫を入れれば3人が我が家に泊まることは不可能ですので、KLCCにホテルを取ることに。でも私達3人と、次男坊家族3人が一緒に移動するのはややこしいのね。車にはチャイルドシートを付けないとなりませんし、移動は常に車二台となるねぇ、なんて話していたところ、「KLCCのホテルに俺たちも泊まるか?」ということに。

それなら徒歩圏内に行きたいところは山程ありますし、もし私が「すぐに帰りたい」となった時にはホテルへ帰ればオッケイ。あるいは、私だけホテルにいるのもオッケイ。

次男坊家族は普通の部屋に。そして私達3人は2ベッドルームに。2ベットルームは80平米ぐらいありますので、全員で集合することも可能だろうし、それに決定。

でも我が家はみんな我儘ですから、「俺はちょっと用があるからコンドに帰るわ」「俺も、私も」なんてことが起きるはず。ま、そうなったらそれでOKで、臨機応変で行こうと思っています。

やっぱり思い通りにならないことって、いろいろあるのね。

これが人生なんでしょうね~~~~。(笑)

ただ昔から「今はとにかく頑張って、老後は楽しもう」という家ではなくて、我が一族は全員が若い頃から好き勝手に生きてきましたので、今更どうしてもやりたいこと、あるいはやり残した感もないのね。

「老後のことは考えない」なんて生き方が今の時代できるわけはないにしても、若い時は「今、やりたいことは全てやる」ぐらいの意気込みで生きるのはやっぱり大正解だと思っています。

そういう意味での悔いは一切ない、70歳のジジーです。(笑)

でももうちょっとヨメさんと仲良くして、ヨメさんが「こんなに幸せでよいの?」なんて思うであろうぐらいのことはしてやりたかった。

今から?

だよねぇ、諦めたら駄目ですね。私は若い頃は恋多き男でしたが、命をかけて愛そうと思えたのはヨメさんだけ。そしてヨメさんは私の命の恩人でもある。だから、絶対に、絶対に、幸せにしたいと思うわけです。これっておノロケでもなんでもなくて、私の使命。

1980年頃の写真。

私の思いはあの頃と何も変わっていない。

昨日はヨメさんの誕生日でもう65歳。(笑)

ダボ 「来世もお前と一緒になりたいな~~~」

ヨメ 「嫌よ、私は嫌!」

こういう夫婦。(爆笑)

平凡な暮らしは好きじゃないくせに、グアムじゃオーストラリアじゃマレーシアじゃと「私に振り回され続けた人生だ」ということらしい。親方日の丸の転勤族とは違って波乱万丈で「そりゃ大変だったんだから」だとさ。

 

 

 

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