ブリテンズ・ゴット・タレントを見て久しぶりに涙が出るほど感動した~~ マレーシアにもある日本人間の差別やイジメに関して

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アメリカズ・ゴット・タレントってオーディション番組がありますよね。アメリカに限らずイギリスにも日本にも世界中で同じ様なオーディション番組がある。

今日はその中のブリテンズ・ゴット・タレントを見ていて、涙がでるほど感動しました。本当にこんなの久しぶり。(58:58から)

彼らがどれほど悲しい思いをして涙を流し続けてきたのか、それが痛いほど伝わってきます。

世の中って差別に溢れていて、でもそれって基本に「好き嫌い」があるからどうしようもない部分がある。

差別はLGBTだけじゃなくて、肌の色、見た目、性格、障害、病気。そして国籍や出身地、言語、方言、日々の行動・言動など、差別の種類を言い出したらきりがない。そして「思い込み」もあるのね。それは相手だったり自分自身だったり。

私もヒジョ~~~に劣等感が強い子供だったから、大人になっても自然にマイノリティーと仲が良くなることが多くて、オカマの親友(友人以上、恋人未満で、16歳のころから20年付き合った。最後は彼女は自殺)もいたし、なぜか聾唖者も二人、目が見えないのが一人親友にいる。(ヨメさんにもオカマの親友がいて、私達の結婚式に招待した)

私の「交友関係」が狭いのもこれに起因しています。特に「海外の日本人社会」って近年は良くなったと思いますが、【(特に駐在組、女性の)上下関係(社会的ヒエラルキー)がはっきりしている】のが普通でゴールドコーストでもマレーシアでも恐ろしいと思うことが結構ありました(中心人物の言うことは絶対で、他は徒党を組むからいろいろ起きる)。また移住者の中では「皆の心のなかに大きな希望と強い不安が同居している」のが普通で【徒党を組む】ことが多いのね。つまり、仲良し組の結束が強くなって、それは「合わない人を排除する」力となって働く。これを嫌って「日本人とは付き合わない」なんて人も海外在住組には少なくないのね。

フト思い出したのは、私のゴールドコースト時代の親友が自分の店を持つ板前だったのですが、その奥さんが日本人会の婦人部の食事会に行った時、【よくも板前ふぜいのヨメがこの場に来られたわね】とそのグループの女帝(旦那はシドニーの大きな日系企業のトップ)に皆の前で言われて、それ以来、絶対に日本人会には入らないと言っていたこと。丁度その頃、私は日本人会の理事をしていて「会員獲得キャンペーン」をしていたので困ったのを思い出します。(笑)

ま、そんなこともいろいろありまして「差別」「イジメ」にはかなり敏感だったんですよ。

でも「泣き寝入り」とか「見て見ぬふり」が出来ないタイプで「徹底的に差別やイジメと戦うタイプ」(笑)。だってそうしなければ【自分の、彼らの生きる場所が無くなってしまう】から。だから私自身は極端なイジメは受けたことは無いのだけれど、「いじめっ子をやっつけるのが好き」だったりする。

うちのヨメさんは天真爛漫な人で、友達も多かった(ほとんどが若者)のだけれど、それって(鼻が高い)オバサン女性軍のヒエラルキーから外れるわけですよ。だからオバサン仲良しグループから「排除」されたことがあるのね。ま、「ヨメさんは場をわきまえない傾向がある」から仕方がない部分もあるのだけれど、それで落ち込んでメソメソ泣いているヨメさんが可愛そうで、私はそのグループの中心人物を脅かした(?)こともあります。【ニコニコして友人のフリをしながら、後ろを向いた瞬間「背中を刺すようなことをした」のを絶対に許さない】と。ヨメさん排除に加担したヨメさんと付き合いが長かった友人も「どんな理由があろうと陰湿な排除に加担したのを許さない」と。

その女性達は良いところの奥様方で鼻も高く、男に脅かされたことなんかないでしょうから、かなり驚いたようです。私はガタイも大きくヤクザっぽく見えますから。でも女房が悪くても女房を守るのは旦那の義務。(笑)

その当時の私達夫婦。

海外では多くの人が心細いから、どうしても日本人同士でくっつくのね。でもそのグループから排除されると「海外で一人ぼっちになるのと同じ事が起きる」わけです。

それ以来、ヨメさんは「日本人恐怖症」になりまして、かつては日本人会の活動に積極的に参加したりしていたのが一切、日本人会には近寄りません。マレーシアに来てからも同じで、日本人会館へ行くことさえ嫌がります。またマレーシアでは「移住しました~~~♫」なんて浮ついた人も多いので、怖がって友人も作らない。「みんなで助け合いましょうね~~♫」なんてのが一番怖いのね。(笑)

マレーシアでもある大きなグループ内で問題が起きて、ある女性を排除するのが決まったことがあるのね。それは「欠席裁判」で、「騙された」と主張するマレーシアに来て日の浅い人の言い分だけで決定。「そりゃないだろう」と声を上げたのは私一人で、「お前はあいつの仲間か?」とまで言われました。事の真相は馬鹿げていて、依存心の強い人(Aさんとします)が「マレーシアに長い人は困っている自分を無料で助けてくれるはずだ」と信じていたのね。また排除された人(Bさんとします)は「何か困ったことがあればなんでもお手伝いします」と言っていた。私はこれは在住経験の長いBさんの温情だと思いました。(Bさんはマレーシアに非常に長く、日本的なややこしいものを忘れていたフシはある。でもBさんの言ったことは海外では常識の範囲)

ところがAさんの問題がかなりややこしい問題で、「それを解決するには費用がかかります」とBさんが常識的なことを言ったところ、Aさんは「騙された~~」と騒いだわけです。これって「問題によっては費用がかかるのが当たり前」で、弁護士に無料で助けてくださいと言うのと同じなのね。日当や交通費なども支払わずに「なんでも助けてくれ」って馬鹿じゃないかと思ったくらいです。でもBさんを多数決で排除することに決定。

私は後にBさんに連絡を取ったのですが、「死にたい」と電話口で泣いていました。大の大人が集まって一人の女性を寄ってたかって悪態をついて結果的に排除。Bさんも大人ですが、その人が死にたいというまで追い詰めるべきなんですかね。「今回の動き、決定は異常だ」と声を出したのは私だけだったんですよ。その出来事は何十人も知っているのに。

私は「マレーシアの日本人村の真実を見た」とその時、思ったもんです。マレーシア関連のブログを見ていても「おかしなやつとは付き合わなければ良いだけじゃないか」と簡単に書く人がいるのに驚いたことがあります。その主は友人も多く毎日楽しく過ごしているんでしょう。でも「排斥されたほう」は小さな日本人社会で【死刑宣告、抹殺されたのと同じ】だということを考えていないのね。

ま、私はそんな生き方をしてきたけれど、私は差別やイジメの中から大きなものを得たと思うんですよ。差別やイジメは「誰にでも、全ての人に起きること」であって、それが耐えられないのがわかっているから、「自ら差別し、いじめる側に回る」こともある。あるいは「見て見ぬふりをする」けれど、でもやっぱりそれって「あってはならないこと」であって、大事なことは「人は皆、平等だ」と理解すること。実態は「人はみな違う」けれど「違って、それで良い」んですよね。

3歳、1歳の子供、ヨメさんとともにオーストラリアに移住しましたが、実は「差別」が気になっていました。今のオーストラリアって昔とは全く違う国になりましたが、かつてのオーストラリアって「白豪主義」の国で、差別が法律の中にも規定されていたのね。人種差別と言うと南アフリカが有名ですが、南アフリカの建国時にどうやって差別を法律に組み込むかをオーストラリアから学んだという話を聞いたことがあります。

近代のオーストラリアはそういう酷い過去があったからその反動として「差別には厳しい国(他人を罵倒しただけで裁判ざたになる)」になりましたが(日本は甘い)、やっぱり多くの人の中には人種差別って根強く残っているわけですよ。

そんな国でマイノリティーの日本人が生きていけるのか。小さな子どもたちが差別にあったらどうなるのか。そんなことが心配でしたが、案の定、彼らはしっかり差別された。それに関しては(ここ)とか、(ここ)に書いていますが、子どもたちには「差別やイジメから絶対に逃げるな。戦え」と言って育てました。日本では「差別することはあっても、差別されることはない」と思っていて、オーストラリアでは良い経験が出来るはずだと思っていました。本人たちは半端じゃなく辛いにしてもです。当然、彼らが「戦う」ことを決めたときには、私も援助しました。学校の担任に善処してくれるように頼んだり、学校の学長に弁護士を通して抗議文を送ったり。【逃げたり、泣き寝入りは絶対にしない】のが我が家の決まり。(笑)

でも日本のLGBT法案には大反対なんです。

あれってLGBTを救うとか平等に扱うとかではなくて、それを推し進める勢力って「あえてマイノリティを探し出して、差別されていると騒ぐ【左派勢力】の常套手段」なのね。アイヌ問題も全く同じ。沖縄の独立運動も推進しようとしている勢力とダブる。なおかつ彼らは「環境左翼」とも繋がっていて、「脱炭素」「電気自動車普及」も【誰にも反対できないような理想論を全面に出して社会を壊そうとしている】ように私には見えるんですよ。

彼らの理想論に賛同する人も多いけれど、彼らの表面的なそれではなくてもっと深く現実論として掘り下げてみると「矛盾だらけ」なのかわかるはずなのね。そしてそこに「政治的、思想的策略」「利権確保」が見えてくる。

これは歴史的なものがあって、「部落差別問題」も根っこは同じで、【利権化している】【逆差別も起きる】のね。そのもっと根っこを探っていくと「共産主義」にたどり着く。つまり、共産主義を広めるための「道具」になっているのは間違いがないと私は考えています。

じゃぁそういう差別を放置して良いのか?というとそんなことは絶対にないけれど、彼ら左派とは違うアプローチがあるはずだと私は常に考えています。

あのLGBT法案が本当にLGBTを救うかどうか、平等が訪れるかと言うと私は違うと思うんですよ。

これって世界中でそれを推進している左派勢力を見ればわかる。アメリカの民主党がやっていることを見ればわかる。そもそもLGBT関連ではアメリカが真っ二つに割れて大騒ぎしているじゃないですか。LGBT法案が世界標準だなんて大嘘で、左派勢力が無理やり押し込んでいるだけなのがわかる。公明党の山口代表は「LGBT法が無いのはG7の中で日本だけだ」なんて大嘘まで付いた。(外務省は正式に否定している)

ま、そんなことはどうでも良いといえばどうでも良いと思っていて、大事なのはやっぱり私達、一人ひとりの心の問題で、どうあるべきかは「その答えは心のなかに存在している」と思うんですよ。

な~~んて思うのはLGBTに関しては理解がある「日本の伝統文化」があるからで、過去に他国であるような法律や宗教で弾圧したこともない。

ま、海外のことはいろいろな事情、歴史があるにしても、心のなかには「答えがある」とこの「ブリテンズ・ゴット・タレント」を見て、私は確信しました。

「人は皆違って それで良い」

それとですね、同じ動画のこのパフォーマンスにも心打たれました。(20:23)から。

やっぱり大事なのは「連帯」であって、でも「仲間同士で傷を舐め合う」のではなくて、「受け入れられる人たちをも含めた連帯」が大事で、その輪は絶対に大きくなるはずなのね。

私は仲間もいなかったし、心を打ち明けることも出来なかったから、半端じゃない孤独感に苛まれていましたが、もし「連帯」が私の周りにあったら違う人生を送れたような気がしています。上の動画の人たちを羨ましいとさえ思う。

世の中には暗い話が多いけれど、やっぱり未来には希望があるとこのパフォーマンスを見て思いました。

それは私達の心の問題であって、法律で縛り付けることでもなく、あえて「理解を促進する」と言う【押し付けも不要】で、時間を掛けて「熟成が可能だ」と私は思うんですよ。

誰にでもある「弱さ、悩み、涙」を理解しようとする心があれば、時間とともに解決する問題。

そして「人は皆違って それで良い」、「人はみな平等だ」とするのなら、【マイノリティーを美化する必要も、優遇する必要も無い】ということだと思うんですよ。

今、アメリカが恐ろしいことになっているのを皆さんご存知だろうか。チャンスがあれば、それも書こうと思っていますが、【LGBTを称賛しよう】という行き過ぎがあるのを私は感じます。

「LGBTを称賛しよう」なんていう浅はかな考え方が「XXXを称賛しよう」「YYYを蔑視しよう」という考えに繋がるのは間違いがないじゃないですか。

BLMもそうでしょ。Black lives matterだと「黒人であることが正義である」かのごとくアメリカ全体がそれを称賛して、白人が俺たちも同じだと「White lives matter, too」と言えば迫害される。

新たな差別を生み出しているだけじゃないですか。「難民救済」も同じで、根っこは深い。

だから「理想論に酔う人たちは危ない」と思うわけです。

流行りのSDG’sやESGも同じ。太陽光発電も電気自動車の普及も同じ。なぜ「根本的な問題」に目をつぶって推し進めるのか、私には理解不能。

彼らは「単に理想論に酔っている」か、あるいは「なんらかの利益、利権を得ようとしているか」のどちらかにしか思えないのです。それとも古い価値観をぶち壊して、世界で統一された(素晴らしい)価値観を作り、それを元に世界政府でも作るつもりなんですかね。

それがグレートリセットなのか。

ダボス会議でグレートリセットを言っている勢力と、LGBT関連、SDG’s ESG推進派、環境左派がなぜダブっているのか、私はそこになんとも言えない危険を感じています。

【違いは認めて受け入れるだけで良い】んじゃないですかね。心の問題を法律でどうにか出来るとは思えないし、幼い頃からLGBTを教育で教えるとか、必要があれば未成年者でもホルモンを与えたり性転換も勧めるようなことが、それが「解決法」だとは全く思えない。

差別の対象って、いろいろあるわけで、それらはどうするんですかね。

私は「マイノリティーを美化し称賛する必要はない」と思っています。「ただただ、皆、同じだと受け入れるだけで良い」し、そうなるためにはどうするかに関しては「法律では解決しない」ことだけは間違いがないと思うんですよね~。虐待が存在する場合は法整備は重要だと思いますが・・・。

 

 

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