海外の物価を「日本円で考えてはいけない」のはわかるけれど・・・

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不思議なもので、私は日本を脱出してから30年以上経つのに【日本円で考える】癖が抜けないんですよ。ところがヨメさんと息子は「豪ドルで考える」のね。

そして私の頭の中にある「物価」って、30年前の日本の物価。ヨメさんと息子の頭の中にある物価って、すでにインフレで凄いことになったゴールドコーストの物価。いくら日本が「デフレ続き」だとしても、30年前の値段と比べたらダメですよねぇ。そんなことはわかりきっていますが、私の場合は心理的に「昔の値段」が抜けないのね。

だから我が家の中でも「高い安い」の感覚が違うんですよ。

例えば、ある日本料理店の「おまかせ」が400リンギだとしましょう。私としては13000円?たっけ~~というのですが、ヨメさんと息子は「普通なんじゃないの?安いかもしれない」と言う。( ̄口 ̄∥)

確かに今の日本と比べても、私はユーチューブでお店の情報を見ているだけですが、寿司屋の有名店でおまかせで一人2万以下なんてありえなくて、良い店は「カウンターに座ったら25000円確定みたいな」のが常識ですよね。

一人25000円って、リンギットにしたら800リンギなわけで、酒代と税金を入れたら12000リンギぐらいにはなる。私にしたらこんな値段は恐ろしいとしか言いようがない。

もうとっくのとおに亡くなりましたが、私の叔母が会うたびに「物価が高い、物価が高い」というのが口癖だったのを思い出します。きっと彼女の感覚は「戦前の日本の物価」だったのかもしれない。(笑)

今は円安ですから、海外の物価を円で考えると今まで以上に恐ろしいことになる。

でもアメリカやオーストラリアに比べるとマレーシアって「3分の1の物価」と言っても良いくらいで、かつて「マレーシアの物価は日本の3分の1」と言われた時代がまたやってきたような感じがしないでもない。マレーシアの物価は上がっているのは間違いがないにしろ、アメリカやオーストラリアみたいな【異常さ】ってないのね。

とは言っても、「昔の金銭感覚を引きずったままの私」が「日本円」で考えるとやっぱり高い。(笑)

シドニー在住の次男坊夫婦が時々マレーシアに遊びに来てくれるのは本当に嬉しいのですが、基本的に私が諸経費を出すので結構金額的には大きいのね。でも私達夫婦と長男がシドニーに行ったらその何倍もの経費がかかるのは間違いがない。

そんな次男坊は「マレーシアって何でも安いね~~」と感心して言うんですよ。それを聞くと「そう思うならお前が払え」と言いたくなるのですが(笑)、たまに次男坊が「俺が払うわ」ということもあるのね。そういう時にはポンと10万円ぐらい出して「やっすいねぇ」というおまけ付き。(笑)

33歳の息子が「安い」と喜ぶのに、70歳のオヤジは「高い」とビビるんですから面白いです。

高いか安いかという感覚は「稼ぎ」によって違うし、その国の「物価」と「為替」、そして「時代」が関係していますが、本当に我が家はバラバラの金銭感覚を持っています。

我が家は2018年にほぼ全ての資産を豪ドルから米ドルに替えましたし、日本円はほんのちょっぴり日本の銀行口座に入っているだけだし、日本円の収入も資産も皆無。それなのに私は「日本円で考えて、感覚は30年前の物価」ですから、全く意味がない。そんなことはわかっているんですけどね~。

今の米ドルに対するマレーシアリンギットは歴史的な安値に近いから、【米ドル換算】すればあれもこれも安いことになるのですが、「米ドルで値段を考えても、高いか安いかが全く感覚としてわからない」んですよ。基準になるものが全くないのね。だから円安の日本円で考えてしまうわけですが、それも30年前の感覚ですから【なんでもかんでも高い】と思うわけでどうしようもない。(笑)

でも実は「それで良い」と思っているし、その感覚を持ち続けられていて「ラッキーだ」とも思っているんですよ。

「何でも高い」と思っていれば、間違いなく「支出は減る」から。(笑)

お金を貯めるのって結構大変で、【あれば使っちゃう】のが人の本能だと思うけれど、私にはそれが起きないのね。あれもこれも高いと思ってますから、そんな出費をしたら「罪悪感の塊り」になるわけです。

この感覚って昔からあったかというと全く違っていて、オーストラリアに渡った頃は【あれもこれも安い】と感激していたので(当時のオーストラリアの物価は本当に安かった)、結構散財しました。車好きでしたし、「日本の中古車の輸入販売(スープラやソアラ)」を始めましたが、今思えば馬鹿だと思いますが、ロールス・ロイスを買ったり、「キットカー」を組み立てたり。自分の中では「自分が良いと思うものを扱う」のが商売の基本だと信じて「趣味と実益」の両立を考えていました。客が欲しいと思うものを売るのが商売の基本だというのがまだわかっていない時代です。(笑)

ちなみに日本人には「キットカー」って馴染みがありませんが、オーストラリアや欧米では「自分で車を作ることが可能」なのね。だから大昔の名車の複製品を作ったり、私はシェルビーコブラのレプリカ(複製品)を作りました。エンジンはアメリカからフォードの5700ccーV8のレース用エンジンを輸入してそれを組み込んだり。(本物は7000ccのエンジンを積む化け物みたいな車)

こういう車。1960年代の名車のレプリカ(複製品)。

私は「自動車メーカーのライセンス」も取得していました。面白いでしょ?でもそれがないと日本から中古車の輸入は出来なかったのね。

やっぱり「若さ」って良いと思います。今思えば「若さ」と「バカさ」って非常に似ていると思いますが、「夢と希望」だけは大きくて、「何も怖くなかったあの頃~~♫」なんて南こうせつの「神田川」そのものでした。

「実利」を考えれば「私の人生ってあんなことをするべきではなかったと思うことばかり」ですが、その代わり、かけがえのない思い出をたくさん作ることが出来た。

そもそも38歳の時に、日本でやっていた仕事を整理し資産も全部現金化して、右も左もわからない仕事のあてもないオーストラリアに永住権を取って家族4人で移住した事自体、あまりにも無謀だったかもしれません。【どうにかする】という強い意志があったわけでもなくて、「どうにかなるさ」と思っていたのは間違いがない。

ま、そんな過去もあって、そしていろいろ経験をしてくると「甘い考えで生きられる世の中ではない」のもわかってきますし、その延長が「今の私」なわけで、今は【なんでもかんでも高いと感じる自分】はそれで良かったと思うくらいです。

上に「私の叔母」のことを書きましたが、叔母は「物価が高い」というのが口癖でした。だから「半端じゃないケチ」だったのは間違いがない。でも叔母は40代で離婚をしてから自分で働いて一人で生活してきたわけですが、何の取り柄も技術もない叔母はそれこそ「飲食店の洗い場」で働くぐらいのことしか出来ませんでした。だから「月給10万円以上稼いだことはなかった(はず)」のね。

その叔母が80代で亡くなった時に「5000万円の貯金があった」のがわかったんです。これには親戚一同驚いたなんてもんじゃありません。

「お金を貯めるには【使わない】ことしかない」と改めて思いました。「収入ではない」のだと。

私はと言うと、幼い頃から母に【稼ぐに追いつく貧乏無し】と言われて育ちました。ま、商人の家ですから「とにかく稼げ」「稼いでいれば貧乏にはならない」「男の優しさとは力。力とは金」「稼ぐことは正義だ」と。私は幼い頃から母を心底尊敬していて師匠と弟子みたいな関係でしたが、全くそのとおりだと思っていたわけです。だからとにかく頑張って稼いだし、そして使いまくる青春でした。

でも全然貯まらないわけですよ。稼いでいるのに金策は大変でした。ま、使っていれば当たり前ですが。(笑)

ある時、母に「稼いでも稼いでもダメだねぇ。かなり厳しい。やっぱり【使わない】ことしか金を持つ方法はない。」と言ったんですよ。そうしたら母は「あんた、当たり前でしょ」とにっこり笑っていた。(笑)

そして貧乏で苦労していると思っていた叔母が亡くなった時に5000万円の貯金を持っているのを知り、「やっぱりねぇ」と痛感したわけです。稼ぐ以上に貯めることに真剣にならないとダメで、「チャレンジ精神はお金にならない。お金がダダ漏れする」と。「突撃兵」と同じかもしれない。(笑)

なんだかうまく「母の作戦」に乗せられたようです。やっぱり「まずは稼ぐことから始まる」わけですから。もし私が何もわからない幼い頃から「貯めることが重要」と育てられたらまるで違う人生を送っていたと思いますもの。そういう意味で、利益を追求することには厳しい商人の家に生まれ育ったのはラッキーだったと思っています。

そんな過去を思い出すと、「昔の日本の金銭感覚を持ち、円安の日本円で物価を考えて、何でも高いと感じる今の私」は【これで良いんだ】と思うわけです。

でもねぇ、本当は歳をとった「自分の変化」に困っているのも事実なのね。

今年クレディ・スイスの債券で大損した私としては「やっぱり取り返したい」という思いがあるんですよ。そういう思いを持ちながらトレードをすると「必ずギャンブルをしてしまう」のが人の常で、それだけはないようにと思っているんですが、逆に元々のビビリ屋がもっと小心者のビビリ屋になっているのがわかるのね。

20年前ならなんてこともなかった投資額でも、いやいや、その10分の1の投資額でも今はビビって二の足を踏むのね。まるで「別人のよう」だと自分でもわかるわけです。今は20年前より資産も収入も増えているのにです。

小心者のビビリ屋だから「大きなリスクを避けることが出来る」ような気はするものの、今年、人生最大の損失を出したのは一体なんなんだと思うし、ここまでビビり屋ではなかった過去の私だから「今の私を作れたのかもしれない」わけで、一体これからどうするべきかが全くわからない状態です。

このブログでは「リスクのないところに利益もない」「世の中の波乱時こそが大チャンス」なんて長らく書いてきましたが、今は「君子危うきに近寄らず」が一番だと思うし、今の世界の混迷は「お手柔らかにお願いしたい」と思っている自分がいる。

こんなビビリの私でも一般的に言えば「リスクテイカー」の類のはずで、本来どうあるべきかが見えない。

歳を取るとはこういうことなんだろうけれど、【今の私はもうかつての私ではない】のは間違いがない。

「このままではうまくない・・・」と思うけれど、簡単に変われるなら人生誰も苦労しませんよねぇ。

これからも愚痴をばらまきながら、どうにか「努力」をするしかないんでしょう。

読者の方々には申し訳ありませんが、愚痴ばかりが増えた70歳の老いぼれジジーですが、どうにか前を向いて歩いていくつもりですので、ご勘弁を。m(_ _)m

この曲が私の心の支えです。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

(映像は、普通の会社員が自転車で南極点まで到達した記録)

 
 
 
 
 
 

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