「基軸通貨」が変わることなんて起こるのか & ダボの考え方の変化

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序章

歳を取って「終りが見えてくる」ようになるとやっぱり昔のことを良く思い出します。自分が歩いてきた道、自分の変化も。そしてそれは【今後も続くはず】で立ち止まることはない。

そして次の世代、息子たちに何を残せるのかが気になります。それは「資産」という意味ではなくて、「考え方」であり「諦めない」ことであり、そして「夢を持ち続けること」。これって言葉で言うのは簡単ですが、「どうやって?」というのは伝えるのは難しい。

20代、30代の日本時代

今の息子たちと同じ年代の30代の頃は、毎日の生活に追われていましたっけ。二十代に起業した私ですが、世の中は厳しくて「夢と現実のギャップ」を常に感じていました。株式投資もしていましたが、額は小さいし、「一発当てたい」とは思うものの、そんなのは無理で、結局は儲けたり損したりの連続。

そんな頃でも恋愛をし結婚もし、子供達が生まれたわけですが、ある頃から「日本を脱出したほうが良い」と思うようになり、僅かな資産も売って現金化し、事業も手放して「右も左もわからないオーストラリアへ永住権を取って移住」した。これって今思えば「とんでもない決断だった」と思うけれど、「若さとバカさは紙一重」で崖から家族を連れて飛び降りたようなもの。でも「飛べる」と信じていたから面白い。1991年。私は38歳、ヨメさんは32歳、長男は3歳、次男は1歳でした。

オーストラリアへ渡って

オーストラリアに渡ってからすぐに事業を起こしたけれど、オーストラリアのことなんか全くわからない状態でしたし、全力投球もしませんでした。儲けることより「失敗するほうが怖かった」ですから。

そして株式投資も続けていましたが、これもパッとしないまま。そして当時は金利も良い時代だったので、「日本の転換社債」「オーストラリアの定期」に投資の軸を移したものの、当然、それで食っていくなんてことは不可能。

夢だけは大きかったですが、現実は「どうにか生きていける程度」で厳しいまま。

デイトレとの出会い

そんな時に出会ったのが「デイトレ」でした。株式投資から興味は「日経225のオプションの買い」に移っていたのですが、小さな投資顧問会社をやっていた友人から「日経225先物の方が合っていると思う」と言われたのがキッカケで、でもデイトレなんていうのは一般的ではなくて、「証券会社のディーラー達」がやっていた。当時はデイトレではなくて「日計り(ひばかり)」と呼ばれていましたっけ。

これもまた簡単ではなくて、当時の日経225先物は今で言う「ラージ」しかなくて、1ティック1万円の動き。そして手数料もかなり高く、ビビりまくっていましたが、それでも「この世界は自分に合っている」という不思議な感覚、予感がありました。

やっぱり私は商人の出ですし、自分がやってきた小さな会社も「毎日の売上をいかに確保するか」が何よりも重要で、極端な言い方をすれば、来年、再来年、5年後、10年後なんて考える余裕は全くなかったのね。

「今日、稼がなければ明日のお米も買えない」ほどじゃないにしても、一ヶ月以上先のことを考えてもどうにもならない状態。だから【今日、稼げるデイトレ】って夢があった。

デイトレのメリット

そしてデイトレには「とんでもないメリットがある」ことに気がついた。これはデイトレに限りませんが、「儲けに上限がほぼ無い」のね。

当初は「どうやって毎日1万円稼ぐか」から始まるわけですが、これがどうにか出来るようになると、それを5万円、10万円、20万円と増やすのは【投資するロット数を上げるだけ】で可能となる。でもやることは同じなのね。

もちろんそうは簡単に行きませんが、普通どんな仕事をしようが、収入を2倍にすることも出来ない。事業や店舗を持っても同じで、売上も二倍、利益も二倍なんてとんでもなく難しいこと。ましてや5倍、10倍なんてよほどの天才、やり手じゃない限り「ほぼ不可能」なのは間違いがない。

それに比べたら、デイトレの世界は簡単だというだけのこと。そしてその魅力は計り知れないものがありました。毎日、小さなお金の積み重ねばかり考えいた中小企業のオヤジだったわけですから。

そしてもう一つ大きなメリットがあった。

それは「将来を予想、予測する必要がない」ということ。これって株式投資でもどんな事業、店舗でも【将来を予測しないなんてことはあり得ない】ですよね。また私は貿易関係もやっていましたが、【為替の行方】を考えないと仕事にならないわけです。自分が輸出でも輸入でも「見積もりや注文をやり取りする時」と「実際に商品の受け渡しもして代金の決済をする時」、「そしてそれを在庫として持って、最終的に販売する」わけですが、それなりの大きなタイムラグがあるのね。

だから「将来、為替はどう動くのか」を予測しないと「商品の値段が高いのか安いのかもわからない」ことになる。でも「余裕を持って考える」なんてことが通用するほど世の中は甘くなくて、結構シビアに価格を考えるわけですが、ほんのちょっと予想と違った為替の動きがあると、利益なんか簡単にすっとんでしまう。

理屈的には「期待していなかったボーナスもある」わけだけれど、これは競合他社も同じだから、ボーナス分は「吐き出すしか無い」し、そうでなければ競争には勝てないのね。

株式投資なんて「将来を予想する」ことが出来なければどうにもならないわけで、それこそ国内外の経済の動きや為替動向も加味していろいろ考えるわけですが、この世界も世界の天才的な専門家が丁々発止やっている世界で、読みも多種多様。

だから何をするにも「将来の予想、予測は必須」なのが世の中の常識。その読み一つで【将来が決まる】と言っても過言じゃない。

ところが相場の世界は、「買いだ」「いや、売りだ」とプロが戦う世界であって、そんな中で「自分に何が分かるのか」を考えれば、「どの専門家の意見を取り入れるのか」の【選択】しかないのね。

これってまさに「競馬の予想屋と同じ」でしかなくて、「誰を選ぶのか」で結果が決まってしまう。

ところがデイトレって、そういう予想は一切関係ないと言っても良い世界。

「今日は上昇基調だろう」とかそういう予想はあるにしても、自分が勝負する数分から数十分、あるいは数時間の間に、【世界が大きく変化することは無い】のね。だから、経済が~~、為替が~~と【将来をどう予想しようと意味がない】わけです。

大事なのは「その瞬間の値動きの方向とその勢いだけ」と言っても言いすぎじゃない。これって「その時の市場参加者の心の変化」と言っても良くて、これはファンダメンタルズを分析しても意味がなくて、その瞬間の【流れ】を見るだけ。

そしてそれは「チャートに現れる」と思うわけです。だから何よりも大事なのは「チャート分析」となる。

でもそれもまた一つの理屈でしか無くて、日経225先物のデイトレは決して簡単には行きませんでした。

海外の先物との出会い

当時はすでにオーストラリアに住んでいて、まだインターネットはない時代でしたが、【パソコン通信】はあったのね。そして「相場情報」に関する掲示板を運営していて、そこに集まる仲間たちと「日本での勉強会」もやっていました。(ちなみにオーストラリアの永住権は「オーストラリア独自のパソコン通信網を構築する」という大風呂敷を広げて取得しました 笑)

大体、5,6人が集まる小さな勉強会でしたが、為替ディーラーやファンドマネージャー、そしてデイトレやオプションの売りで実際に大きな利益を出しているハイアマチュアを招聘して、勉強し、意見交換をしていました。

ある時、デイトレで一財産作ったプロトレーダーを招聘したのですが、勉強会の途中で昼食を取りに皆で外へ出た時、その彼と並んで雑談しながら歩いていたのですが、「ダボさんは海外の先物に注目するべきだ」と言われたのね。

私は当時、海外の先物なんて全く眼中に有りませんでした。理由らしい理由はないのですが、とりあえず目の前の日経225先物をトレードするものだと思いこんでいたのね。また私が使っていた証券会社も海外の先物は扱っていなかったはず。

それから海外の先物に注目するようになりました。

そして気がついたことは、あまりにも多くの投資対象があるということ。また値動きにも個性があって、「自分が好きな動きをするもの」も中にはあったのね。

その中で私の目に止まったのは、ドイツEurex市場のドイツの国債【Bund】」だったわけです。当時から、欧米では「デイトレは盛ん」で、主戦場は今では世界一と言われるS&P500のE-miniでした。でも私には動きが難しく感じて全く手が出なかった。

そもそも国債は日本の国債もそうですが、動きが緩慢なのね。これは規模が半端じゃなく大きいからそうなるわけですが、日経225先物で「小幅抜き」ばかりしていた私には「宝の山」に思えました。そして規模が大きいということは、将来的に「大きな取引も可能」で、「そこそこの大きさの成行注文を出しても値が動かない」ことを意味するのね。

つまり「値幅で稼ぐ手法」だと面白くないですが、「小幅を稼いで、利益はロットを大きくする手法」には最適だったわけです。

この出会いで、私の人生は変わったと言っても大げさではなくて、今でもあの30年前の「プロのデイトレーダー」と小道を歩きながら「ダボさんは海外の先物に注目すべきだ」と言われた瞬間の情景が浮かんできます。

あの一言がなかったらどうなっていたか。きっとあの出会いがなくても海外の先物に興味を持ったかもしれないけれど、時代は海外に注目するような時代じゃないし、日経225先物デイトレの難しさから「デイトレを諦めていた」かもしれない。

またデイトレのメリットとして「好きな時間に出来る」というのがあるのね。

当時の日経225先物は株式と同じで午前と午後、休みを挟んで6時間ぐらいしか取引時間はなかったのね。ところが海外の先物って「ほぼ24時間売買されている」のに驚きました。そしてやっぱり「経済の中心はアメリカ」であって、日本株式の世界でも「値幅は夜に作られる」と言われていました。つまり、日本の株式でも「夜中のアメリカの動きで大きく変わる」ということ。

そして取引される銘柄はアメリカ、イギリス、ドイツだけではなくて、ありとあらゆる国の先物も売買できる。これって大きなメリットで、「なんでもかんでも売買するのが良い」ということではなくて、【自分が得意だと思う動きが出る銘柄、時期、時間帯を選べる】ということでもある。

ま、それはそれであまり範囲は広げず、3つ4つに絞ることになるのが普通だと思いますが、「時間帯で選ぶことも可能」なのね。つまり、ほぼ24時間、「好きな時にトレードできる」ということでもある。

そしてもっと重要なことは【何もしない】のも自由だってことなのね。

これって株式投資に大きな金額を投じた事がある人、また911のNY多発テロや311の東日本大震災でもああいう「とんでもないことが起きた時」を経験すると、「取引時間外」は心が休まらないのね。夜中に「なにか起きたらどうしよう」と気になるし、それは取引がない土日も同じで、その間に何かが起きたら、次の日、あるいは月曜日の市場は大荒れするわけです。

そしてそんな出来事で大損する。破産するなんて人も出てくる。(実は大儲けする人も出ている)

ちなみに2001年の911NY多発テロの時ですが、ヨメさんに「大変だ~~」と起こされたのを思い出します。すぐにテレビを着けましたがそこに写っていたのは「映画か?」と思うような悲惨な情景。すぐに私は「市場がどう反応しているのか」が気になりましたが、当時はすでにデイトレ専門で、私にはポジション(持ち玉)がなかったのね。もしポジションがあって、それも上げ方向のポジションだったら気が狂ったかもしれない。

だから常にパソコンを身近に置いて「いつでも市場をチェックできるようにする」人は多いし、家族旅行で何泊か海外に行く時でも「ノートパソコンで市場の動きとニュースを常時チェックする」なんてのは当たり前のこととなるのね。

遊び金で投資をしている人は別にして、真剣に大きな資金を投入していると、この「いつ何が起きるかわからない」ことがかなりのプレッシャーになるのは想像できると思います。

ところがデイトレは「ポジションを持っている時」だけ集中していれば良くて、夜中はトレードしない、旅行に行ったらトレードしない、気分が乗らなければトレードしない、一ヶ月の夏休みを取って遊びまくるなんてことも可能になりますから、「心の平穏を保つことが可能となる」のね。

このメリットは無視できないと思います。

売買手法の変化

デイトレだろうが長期投資だろうが、どういう考えでどう売買するかは人それぞれで千差万別。正解はない世界だと思います。

私の場合は、「オシレータを重視した逆張りの細かい売買」が多く、それじゃ駄目だと師匠筋に当たる先輩からどれだけしつこく言われたことか。でも自分では「これが良い」「これしかできない」と思っているから、そこから抜け出すのは簡単じゃないのね。

その私の師匠筋に当たる人からは「ダボさんは一度裸にならないとわからないんだろうね~」と何度も何度も言われたのを思い出します。要は「とんでもない大失敗をしないとわからない」ということなのね。

彼は私に「チャンスが来るまで待て。待ち続けろ」という人で、彼は何ヶ月でも「ここだ!」というチャンスが見えない限り、本当に何もしない人でした(彼はデイトレダーではなかった)。でも彼が出撃する時には大したもんでした。でも大勝ちするってことじゃなくて「確実な勝ちを追求する」というタイプ。彼はかつてはIBMのエンジニアでしたが、5千万円程度の退職金を全てトレードで失い、なけなしの5万円を握りしめて復活してきた過去を持つ人。

彼の言う「待て」というのを私が理解するには、その後、10年以上の歳月が必要でした。(笑)

このブログでは「待つことが重要」としつこく書いて来ましたが、実は私にもそれは出来なかったんですよ。

結局、「デイトレを楽しんでいた」のね。プロ意識なんかなくて、勝った負けたを楽しんでいたのだろうと思います。

そんなやり方で良い成績が出るわけもなく、このままじゃまずいと思うようになり、また投資額も大きくなるにつれて「勝つことより、負けないことの重要性」に気がついたのね。そして「自分はゴルゴ13で、銃弾は1発。チャンスは一度しか無いとしたらどうするのか」ということを何度も何度も自問自答する癖を付けました。

この自分に言い聞かせる方法は結構効果てきめんで「やっと待つことの重要性」がわかってきたのね。そして「デイトレなんだから、今のチャンスを逃してもすぐにまたチャンスはやってくる」ということでもあった。

野球で言えば、「見逃し三振」というルールがあるけれど、デイトレの場合は「何十球、見逃してもアウトにはならない」ことを重視するようになりました。好きな球が来るまで何時間でも何日でも待っていれば良いってこと。

そして「勝つことよりも負けないこと」を重視するようになって、「何が何でもトレンド重視」「逆張りは一切しない」手法が定着して、今に続いています。これは「オシレータを使った逆張り専門」だった私としては大きな転換点でした。

これがわかるようになるまで10年の時間を要したってのは、思い出すと苦笑いをするしかないし、逆に良く10年そんなままでやり続けたなとも思います。そしてその間に「待つことの重要性がわからない」ままであれば、やっぱり「人生は大きく変わった」「今の自分はいない」ことを考えると背筋が冷たくなります。

ただ、私の売買手法の基本は変わらなかったのね。いや、時と共にいつも進化したり戻ったりしていますが、基本的な考え方は変わらず、「自分の好きなパターンが出るまで待つ」という考え方。

また当時、私の「資産運用」そのものにも変化が出てきて、事業は売却し、トレード専門になったものの、段々と資産が増えてくると、「その資産運用」で生活できるようになってきたわけです。当時は利回りは非常に良くて、債券投資だけと言っても良い資産運用で、株式投資も一切やりませんでした。

そして「もし無税なら・・」と考えるようにもなってきて、税金も物価も高いゴールドコーストから、私の所得には一切所得税も掛からない、生活費も安いマレーシアに拠点を移すことを考えるようになりました。それが2008年のこと。でもリーマンショックで我が家は大打撃を受けて、MM2Hのビザは取得していたものの、マレーシアに渡ったのは2016年。リーマンショックから回復は出来ませんでしたが、もうグズグズしていられないと腹を決めたわけです。

マレーシアでは所得税がない、生活費も安いのは良いことではあるものの、「楽をすれば自堕落になる」のも間違いがなくて、デイトレからも離れるようになったのね。債券投資と言っても我が家の債券投資は「定期預金と似たようなもの」で、リスクを取って利回りの良い債券を買って、あとは償還日まで持ち続けるという簡単な方法。

でも大体、年利7%で回せていたので、それでそこそこ生活はできちゃうわけです。だから「もうデイトレは卒業しても良いかな?」みたいなことも考えていました。これって、今で言う【FIREが出来るかな?】と考えるのと同じ。

ところがですね、それって「自分の夢を捨てた」ことになるわけで、やっぱりここで終わりたくないと思うようになったのね。そもそもマレーシアに来たのは「生き延びるためではない」のであって、【資産倍増計画】があったわけですから。

だから積極的にデイトレも再開しよう、今までやらなかった(債券以外の)長期投資も始めようと考えるようになったわけです。

でもちょっと休んでいた期間に「私自身が歳をとって心身ともに弱くなっていた」事に気が付きました。

つまり、まず目も悪くなって身体的な反射も悪くなって、【今まで通りの手法だと難しくなった】ことに気がついたわけです。

そして、そんな焦りを感じてあれじゃこれじゃと試行錯誤していた頃に、債券投資でリスクが大きすぎたクレディ・スイスのAT1債(利回り10%)で人生初の大損失を出してしまった。

これってやっぱり「生まれ変わるしか無い」と思ったわけで、またデイトレに精を出そうと思ったものの、デイトレが前のように出来なくなったのね。まず、PCのモニターを見続けることが出来ないのね。すぐに目が霞んできてしまう。

だからチャンスを待つも何もないわけです。

新たな手法を考える必要が出てきた

歳を取って問題が出てきた自分でも出来る新たな手法を考え出さないとならないのと、もう一つ我が家には大きな問題がありました。

それは私の長男です。私は彼に私のデイトレの全てを伝えようと思って一緒にマレーシアに来たわけですが、彼はこの7年の間にそれなりに理解は進んだものの、「彼には難しい」ようで、積極的にやろうとはしないのね。

これって私にしてみると大問題で、これでは私の夢、計画が根底から崩れてしまうわけです。彼は債券投資に関しては私よりも理解が進んでいるものの、「そもそもどうやって元金を作るのか」という点がクリヤーできなければ、債券投資のエキスパートになっても意味がないんですね。

私はそれよりも「デイトレのエキスパートになる」ことが重要だと考えていて、資産なんてのは所詮紙っぴれでしか無いし、世界になにか大問題、大事件が起きて、自分が裸になることも人生の中で起きるかもしれないと想定すべきことだと思うのですが、その時に「デイトレさえできればなんとでもなる」のね。デイトレなら小さな資本から復活することも可能ですが、資金もないのに債券投資じゃ長期投資じゃがうまくても生きていけない。

また「デイトレは今日、稼げる」というのは非常に大事で、債券じゃ長期投資で「来年の今頃には利益が出るはず」という期待のみで生活はできない。

その大事なデイトレを子どもたちに伝承できないのは我が家にとって大問題でもあるわけです。

と同時に、私自身にとっても難しくなった来たのは上に書いた通り。

そして私の基本的な手法にも問題点があるのね。

「チャンスを待つことが重要」ではあるものの、それを日足ベースで考えると「出撃すべきポイント」ってそうそうないわけですよ。デイトレなら待っていればチャンスはすぐに来ますが、日足で見た場合、「何もしないで見ているだけの期間が長過ぎる」のね。

つまり、この手法だと「デイトレでしか使えない(長期投資には使えない)」ことを意味する。またヘッジにも使えない。

ということで、年寄の私にも出来る方法、イマイチやる気も出ない長男でも出来る方法を考えるしか無いところまで追い込まれました。

そんなことが可能なのか?と思いますが、意外や意外、というかやっぱり30年以上、ありとあらゆる手法、考えられることは何でも試してきた蓄積があるからでしょう。「瞬間芸」みたいな手法から、「トレンドを取る手法」に変える事ができました。

これも不思議なもので、今になると、今までずーっと続けてきた手法、考え方って【変だった】と思うようになって、どうして今までこの「トレンドを取る方法をしなかったのだろう」と思うぐらい。

私の基本中の基本は「トレンド追従型」なわけですが、【トレンドの中でその方向で小さな利を積み上げる】という考え方であって、「トレンドそのものを取る」というところまではなぜか頭が回っていませんでした。

といいつつ、実はその方法も試してはいたのね。手法を変えるというより、「ヘッジの練習が必要だ」と考えて、金(ゴールド)のファンドを持っていますが、「これのヘッジをする」のは練習していたわけです。

これって「(下げ)トレンドを取る」ということでもあって、「チャンスが来るまで何もしないで待つ」のではヘッジにならないのね。【下げトレンドが見えたら出撃する】必要があって、新たな手法も「その考え方を拡張しただけ」と言えばその通りで、だから「視点を変えるだけ」で新しい手法が出来たのかもしれない。

そしてそれは「今までの手法よりも単純」であるからして、心身ともに弱ってきた私でもまだまだ出来ると思うし、イマイチ、デイトレにのめり込めなかった長男も「これなら俺にでも出来そうだ」とやる気を出したのが良かった。

そして前にも書きましたが、デイトレはもちろんトレードに興味を持たなかったシドニーの次男坊も生活の限界を感じてデイトレを始めましたが、私の新手法を見て「教えてくれ~~」と言い出しました。でも「お前にはまだ早い」と言って、教えないでいます。まだまだあれじゃこれじゃやってみて、もっと悩んでからじゃないと「上辺のマネ」しか出来ないのはわかり切っていますから。当然、それで勝てるわけもない。

FXも積極的にやる

この30年間、私は「先物専門」と言って良くて、FXには興味を持ちませんでした。為替の先物もあって、それを時々いじる程度のことはやっていましたが、なぜか為替そのものに興味を持たなかったのね。それはもっと自分にとっては楽に稼げる相性の良い先物があったから。またFXの世界ってインチキも横行している世界で、それが嫌だったこともあります。ま、この辺の詳しい話は今はしませんが。

でもまともな為替の世界もあるわけで、それを本格的にやろうと舵を切りました。

その理由は、「今は米ドル中心の我が家だけれど、米ドルを持ち続けていて良いのかどうか」に疑問を持っているから。

今までも「日本円中心から豪ドル中心、そして米ドル中心」へと大転換をしてきたわけですが、それは「その地に住んでいるからではない」のであって、「どの通貨が一番安全か、稼げるか」を重視してきたからです。豪ドル中心から、全て米ドルに乗り換えたのはマレーシアに渡ってからの2018年のことで、当時のトランプ大統領の言動、世界の動きを見ていると、世界に大きな変化が来て、「米ドルを持つのが安全だろう」と思ったから。

特に豪ドルは「世界に大きな変化が起きるといの一番に売られるボラティリティーが非常に高い通貨」なのはわかりきっていますし、世界に変化が出てくると危ないと思っていました。あのリーマンショックの時ですが、3ヶ月間で半値にまで豪ドルは下落するという恐ろしいことも体験しましたし。またそれまでは豪ドルの利回りも良かったのですが、それもジワジワと下がりだしてもいたから。

この「持っている通貨を乗り換える」というのはとんでもなく大きく難しい決断ですが、「分散して通貨を持つのが好きではない」私としては、同じようなことを【これからも考えないとならない予感】がして仕方がないのです。

アメリカは間違いなく凋落していくだろうと思うし、「米ドルの覇権」も終りが来るかもしれないと、今の世界情勢を見ていると感じます。でもBRICSが替わりに覇権を持つとも思えないし、しかしそれがもっと言われるであろう時期はこれからもあると思うものの、BRICSには米ドルに替わる強さは無い。あり得ないと思っています。

でも「米ドルが強いままなわけもない」と思っていて、まさかのまさかですが、各国が真剣に考えている「法定暗号通貨」が台頭してくるかもしれない。世界がそう動くのは時間の問題だと思っていて、でもそれらが出てきてもどうなるかはわからない。

またそれらは暗号通貨と言うだけで「現存の通貨にペッグしているステーブルコイン」だとすれば、あえて法定暗号通貨に替える必要もないのだろうとは思いますが、【法定暗号通貨のメリット】に注目される時代が来ると、その法定暗号通貨の違いよって、「各国の為替のバランスも変わるかもしれない」とも思っています。また「ステーブルコインではない法定暗号通貨」も出てきて、大きく育つかもしれない。そんなことになれば、金融の世界が大きく変わるわけで、当然、それに対処しないと生き延びることは難しくなる。

ま、そんな考えはただの妄想でしか無くて、予想でも予測でもありませんが、どちらにしても「米ドルだけを後生大事に持ち続ける」ことに危険を感じています。

もし何か大きな動きがあった場合でも、私は今までのように日本円から豪ドル、豪ドルから米ドルへという大きな決断が私にはもう出来ないような気がしています。額も昔とは違いますし、ましてや歳をとって決して先が長くない私にはその決断も、そしてその結果の責任を取ることも出来ないと思うのね。

だからFXに注力しようと思うわけです。

そもそも私の新しいトレード手法がFX、為替に合っているのかどうかが一番の問題ですが、私はかなり相性は良いように思っています。当然、簡単だと言う意味ではありませんし、通貨ペアによっては「全く使えない」と思うものもある。

でもFXでそこそこ大きな額を動かすことに慣れていれば、【ヘッジも躊躇なく出来る】ってことなんですね。つまり、以前なら日本円から豪ドル、そして米ドルと大きな転換の決断をしましたが、その必要性もなくなるかもしれない。

もし米ドルの覇権が終わる様な時代になっても、米ドルがなくなるわけでもなく、「下落に対処すれば済む」のであれば、「ヘッジすれば良い」ということになるのね。また円が強くなる、ユーロドルが脚光を浴びる様な時代が来ても、今までのように「通貨を乗り換える事無く、ヘッジをすれば良い」という考え方です。

でもそれにはFXでそれなりの額を売買する習慣を付けておかないとならないし、FXに注力することで世界の為替動向は常に見ていることになりますから、良いと思っています。

そして「どの通貨を持つのか」に関してはやっぱり「良い利回りを安全に稼げる通貨」にしたい。

これの考え方って実は単純で、「第三国の利回りが良い」と言って、たとえばトルコリラを買って投資するような人もいますよね。でもそういう通貨は「下がり続ける」のが普通で、そう簡単には儲けられない。でもFXでトルコリラをヘッジすることは可能なわけで、金利差が大きいと【スワップポイント】を無視できなくなるものの、何もしないよりかは良いという考え方です。

そしてFXで儲けるというより、「ヘッジは可能」という技術を持つことが重要で、それを私の子どもたちに伝えたいと思っています。まだまだ経験の浅い彼らに、私がしたような「持つ通貨を乗り換える」というような大きな決断をさせるのが良いとは思えないから。

でもいつか「彼らにもその決断が必要な時も来る」と思っていますが、その前に「ヘッジをする」という【前段階があって然るべき】だと考えています。

将来、ダボ家に必要なこと

そして「資産づくりにはデイトレが最適」だとしても、やっぱり「長期投資は無視できない」し、いつの日か、ETFだろうが為替だろうが国債や商品先物にしても「長期投資の目線で売買する」のが理想だと考えています。やっぱり「投資」という大きな視点で考えた場合、モーターボートで走り回る技術が最重要にしても、やっぱり「タンカーを動かす」ことも考えるべきなのね。

長期投資は債券投資のみという考え方もありますが、例えば「債券VS株式」というのは「良い時代は交互に来る」わけで(株が上がる時には金利は低い、下がる時には金利が高いのが普通)、【どちらか一方に決めるのはリスクが有る】わけです。また債券投資は「我が家にはヘッジがほぼ出来ない」「低金利時代では妙味がない」こともあって(そういう意味では株式のほうが良い)、【デイトレと債券投資】という組み合わせが今はベストマッチだとしても、デイトレの比重はいつか落ちてくる、あるいは落とさないとならない時期は必ず来るのね。(デイトレはある規模を超えると頭打ちになるのははっきりしている)

それは遠い将来だとしても、そんな時に「タンカーの操縦法はわかりません」ていうのじゃ困るわけで、長期投資はどうしたって無視は出来ない(この辺のことはデイトレで財を成した有名なBNF氏やテスタ氏の言動を見ていればわかるはず)。そういう意味でも「チャンスに乗る手法」ではなくて「トレンドに乗る手法」が我が家には何よりも重要になるわけで、新しい手法を突き詰めていけば、長期投資もヘッジも可能になると思っています。

「逆張りだ~」なんて一発勝負的な手法には【将来性】を私は全く感じませんし、やっぱり「トレンドをいかに掴むか」のみが重要となる。これは大手のヘッジファンドも同じだろうと私は思っていて、つい先日、有名なファンドが「下げている中国株、上げている日本株」の動きに逆らって大きな損失を出し【ファンドを解散した】なんてニュースもありました。

今、私はこの世界で成功こそしていないけれど、長くこの世界で生きてきた経験から思うんですよ。【チャンスを掴む必要なんか一切無い】と。ただただ【流れに身を任せて一緒に流れて行けば良い】と。だから大事なのは「トレンド」のみ。上がり出したらロング、下がり出したらショートする。極論ではあるけれど、それがやっぱり「普遍の真理」だと思っていて、なおかつそこには「将来の予想も予測も必要ない」ということなのね。そのトレンドがいつまで続くかさえも考えない。【将来は神の領域であるから、そこまでは踏み込まない】という考え方が重要だと思っています。「投資は未来を当てるギャンブルではない」というのはそういうことだろうと。

また次男坊はオーストラリアに住んでいますし、豪ドルとは縁が切れない。また私達も「日本に帰る」将来も考えられるわけで、日本円が必要な時も来るのでしょう。だから「分散」も無視できないわけで、「分散したものをそれぞれヘッジする」考え方、手法もいつの日か重要になると考えていて、そのためにも、「FXの売買技術は絶対に必要」「トレンドに乗る手法を重視し突き詰める」のが我が家の中心にあって然るべきと思っています。

でもFXと言えども通貨ペアによって動きの癖も全く違うので、選び方、選ぶ時期を間違えればパフォーマンスは出ないのね。

やっぱり簡単に行くことなんか何もない。(笑)

終わりに

この私の若い頃からの考え方、トレード手法の変化が多少なりとも読者の方々の参考になれば幸いです。

株式投資でもETFでもFXでも、やっぱり「始めた頃」「2,3年経った頃」「そこそこ出来るようになった頃」「次のステージに行こうと思う頃」って、それぞれ【大事なことが違う】と私は思うんですよ。そしてそれはやっぱり「順繰りに経験して消化する必要」があって、飛び級みたいなことは出来ない。

でも適性の高い人ってやっぱりいて、鈍臭い私みたいに何十年も掛けて経験したことを、早ければ数ヶ月で経験して理解してしまう人もいるはずなのね。でも焦らずに「階段は一段づつ登ることが重要」だと思うし、飛び越したものはいつか戻ってやり直すことになるのがこの世界だとも思っています。

そしていつも自分に付きまとって邪魔するのが「潜在意識」で、そこには「欲望と不安」が渦巻いていて、【潜在意識は損するようにしか動かない】のを理解するのが何よりも重要だと私は思っていて、その欲望と不安を乗り越えるには「ルール作りが必須」となるのね。

その時その時考えるようになると「欲望と不安」に支配されてしまいますから、こういう時にはこうする、ああいう時にはああするという【想定を持つこと】も重要で、何が起きても慌てずに【想定通りに動く】事ができれば潜在意識に邪魔されることは無くなる。

それでも常に出てこようとするのが潜在意識で、常に耳元でああしろこうしろと囁くはずですが、いかにそれを聞かないかが重要となると思っています。ところがこれはかなり難しいことで、自分では「本来やるべきことだと論理的に考えること」と「潜在意識がああしろこうしろと感情的に言ってくること」の【区別ができない】のね。誰しも「潜在意識も顕在意識も同じ自分」と信じ込んでいますし、まさか「潜在意識は負ける方にしか動かない」なんてことは想像もしていないから。

例えば「逃げるべきだ!」「出撃だ!」と思っても、自分のルール通りなのか、それとも感情的に「逃げたい」「儲けたい」という思いだけなのか、精神的に冷静でないときには【その区別ができない】のね。良くある例としては「買った株式が下落してきても【損切りが出来ない】」なんてのが普通に起きますが、まさにそれは「潜在意識に自分がコントロールされている」からで、「自分に都合の良いことしか考えなくなる」のね。

これは「世の中が【買いだ!】と大騒ぎする時」も同じで、儲ける人も続出してくると【乗り遅れたくない】という気持ちが大きくなって、【高値を掴んでしまう】のはビットコインで経験したことがある人も多いんじゃないですかね。その時に、「皆が買ったあとに、誰が続いて買うのか」なんて一切考えないのね。日本のバブルの時も同じでした。

「安く買って高く売る(あるいは高く売って安く買い戻す)しか利益を出す方法はない」のに、【高くなると買いたくなる】し、【安くなると怖くて買えない。持ち玉があればもっと下がる恐怖に勝てずに売ってしまう】のは誰でも経験すること。でもそれは「欲望と不安の塊である潜在意識の仕業」だとは誰も考えない、気が付かない。

市場参加者の80%は負けると言われるのはこれが理由だと確信しています。

利益を出すためにトレードもするわけですが、「勝ちたい」という気持ちが強ければ強いほど【勝てない】のが現実かもしれない。だから「勝ち負けを考えずに、自分のルールが守れているのかどうか」を重視する必要があって、「ルールには無いことをして、結果的に勝てたからオッケイ」というのが一番駄目なんですね。逆に「ルール通りに動いたけれど、結果負けたのはオッケイ」だと考え方を変える必要があると思います。そしてルールに磨きをかけることに専念するべきでしょう。

私は初めて株式投資をしたのは50年以上前の19歳の時。そして紆余曲折があってデイトレーダーとなって30年。この50年の間に、私が理解したことは「上に書いたことだけ」と言っても良いのね。

もし3、40年前にこのことを私にとことん教えてくれるチューターがいたら、こんな遠回りはしなかったろうと思っています。

だから、今、これを書いています。

でも当時にもそういう話は流れていたのね。でも「ふ~~ん?」みたいなもので、自分がその考え方を元に「立ち止まって考え直す」ことは無かった。ま、なんでもそんなもんなのかもしれませんね。

実は私の父も若い頃は相場師と言われていました。しかし二度も大敗した負け組なのに(破産はしていない)、父は「相場は簡単。自分をコントロールできれば」と言っていた。私は若い頃からその言葉を聞いていましたが、【その真意を理解することは出来なかった】のね。でも私も今、ジジーになって「あの言葉は真実かもしれない」と思うようになっています。

いつの日か、皆さんがガッツポーズをしてニコニコする時が来るのを想像しています。そして私の息子たちもその仲間であって欲しいです。

でも諦めたらそこで終わりなのはマラソンと同じ。

人の行く 裏に道あり 花の山

是非ともこれをお忘れなきように・・・・。新NISAも同じで、流行に惑わされること無く、わが道を模索して頂きたいです。

ああ、相場の格言にこういうのがあるのも書いておきます。これも忘れてはならない格言だと思います。

大衆は常に間違える

市場は戦場と同じで、常に「カモを待っている」のをお忘れなきように・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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