歳をとるからこそ重要となる【勉強法】

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歳を取ってくると本当に「記憶力」が衰えますよね。

新しいことを覚えるのも大変だし、絶対に忘れることなど無いはずの「名詞」や「人の名前」が出てこない。ちょっと前なら「え~~と」なんて思い出そうとすれば思い出せたことさえ、「全く思い出せない」様にもなってくる。

これってどんどん酷くなるはずで、それを想像すると本当に怖いと思います。

でも「学習法」をちゃんとしていれば、どうにか「アホになるのを遅らせる」ことが出来るかもしれないし、「記憶の定着法」も覚えれば、多少はましになるかもしれない。

でも「どうするべきか」って良くわからないのね。それぞれ子供の頃から「自己流」でやってきた人が多いはずで、その中で「きっとこのやり方が良いはずだ」と思うことを続けてきたなんてのが普通だと思います。

私も自己流でずーっとやってきて、子供の頃は「教師が黒板に書くことを自分のノートに写す」のが基本でしたが、私はそれをやると「書き写すことに気を取られて、教師の言うことが頭に入らない」ことに気がついたのね。だから中学2年の頃でしたでしょうか、「ノートに書き写すことを一切止めた」んですよ。それ以来、高校も大学も「ノートを付けたことがない」のね。嘘みたいでしょ?高校大学時代は「ノートそのもの」も持っていませんでした。(笑)

ではどうしていたのかと言うと、教師の言う事に一番集中して、「これがポイントだ」と思うことを「教科書の余白に書き込む」ことをしました。また教科書の大事なところには「ライン」を引き、自分が書き足したところを丸印で囲んで、矢印を付けたり、線で結んだり。

ですから「他人にノートを写させてもらう」とか、自分のその「教科書に書いたメモを見せる」こともしたことがありません。

ではテスト前の勉強をどうするかですが、それは「メモだらけの教科書を読むだけ」だったんですよ。それもテストの前日に頑張るだけの一夜漬け。これが結構効果的でしたが、テストが終われば多くのことは忘れてしまうような勉強法。(笑)

こんなやり方がすべての人に良いとは思えないですが、中学高校時代は「教科書から逸脱することを教師は教えない」から、これで十分でした。でも困ったのは大学時代で、「教科書中心ではない」のね。また「読むべき参考書」も多く、それらを跨いで教師は話を進めるから、「教科書にメモを取るだけ」というのは非常に難しくなりました。

でもノートを取らなくなってから随分立ちますし、結局、教科書に書き込む癖は直せず、「XXX本の何ページ参照すること」なんて但し書きを書き込んだり。ま、自分で課題を持って研究し、発表しないとならないようなケースは少なかったのでこれで済んでいました。

そんな学生時代を過ごしましたので、「勉強法」と言われてもどうするべきかが良くわからないのね。英単語やドイツ語単語を覚えるための「単語帳」なるものも作ったことがありません。

でも「しょうがない」なんて思っていると、これから益々頭は劣化するはずで、どうにかしようと思うようになりました。

やっぱり「頭の回転を良くすること」は重要だと思っていて、前にも何度か書きましたが、【速聴(そくちょう)】には力を入れています。ユーチューブの動画やニュース、あるいは映画でも「再生速度を2倍以上」にしています。最初は聞き逃すことも多く、話の内容が理解できないこともありましたが、これは「慣れ」が解決するのね。今では2倍速でも遅いと思うようになりましたし、普通のテレビのニュースとか番組、映画では「遅すぎてイライラする」のが普通。ですから「後から録画したものやユーチューブで見る」ようになりました。

実はもっと昔に始めたのは「速読」だったのですが、これはどうしても「目の訓練」が必要で、目が悪いとどうにもならないので途中で断念。でも「耳で聞くのは簡単にスピードアップできる」ことに気が付きました。そして段々と頭の回転もそれに追いつくようになるのね。

ただそれによる「副作用」みたいなものもあって、「自分の喋り言葉がかなりの早口になる」。でもま、それは意識して普通に話すようにすれば解決。

でもそんな努力をしても「記憶力」はどうにもならず。「あ~」とか「え~と」何ていうのは普通で、そのまま「言葉が出てこない」なんてのも日常茶飯事。

どれほど酷いかですが、たとえば「バナナ」とか「トマト」を忘れる、言葉が出てこないことはないのですが、野菜の「ブロッコリー」の名前が出てこない、「カボチャを英語でなんていう」のかわからなくなったり、いつも普通に使っている「スパイスの名前」が出てこなかったり。でも「名前が出てこない」だけで、「頭の中ではその姿は見えている」のに言葉になって出てこない。

そういう場合にどうするかですが、私は仕事柄いつもパソコンの前に座っていますから、パソコンで検索するんですよ。「ブロッコリー」と言う名が出てこない時には「緑色の野菜 アブラナ科」で検索したり。スパイスの名が出てこない時には「イタリア料理で使うスパイス」で検索して、「あああ、オレガノだったっけ」なんてわかったり。

これが不思議なのは、「好きなものの名前は覚えている」ってことでもなくて、「オレガノ」なんてイタリアンスパイスの中で一番好きだし、一番使うのに「突然、その名前が出てこない」なんてことになるのね。

それと「調理実験」が好きなのはいつもブログに書いていますが、フト「XXXXを作ってみたいなぁ」と思ってネットを検索すると「自分のブログがヒットする」なんてこともあるんですよ。で、読んでみると「へ~~~、そうやって作るんだっけか?」なんて感心したり。当然、かつてその料理を作ったときのことは思い出せないでいる。

またヨメさんとゴールドコースト時代の昔話をした時に、「かつて我が家に日本から来た女の子が下宿していた」ことさえ私は覚えていないなんてこともあるんですよ。その子は我が家に1年間も一緒に住んでいたのに、その子の思い出が何も無い。ま、仕事もいそがしかったし、遊びもそうで家に帰るのは毎晩遅かったにしても、完全にその子の記憶が欠落している。でも言われてみれば、「そんな子もいたような気がする」し、断片的に思い出すこともある程度。

半端じゃない重症でしょ? (笑)

私は実は「氷河が海の中に崩れる風景」を見るのがイヤなんですよ。温暖化のこともありそういう風景ってメディアにも良く出てきますが、あれを見ると「自分の脳みその中にあるものが、氷河のように崩れて無くなる恐怖」を感じる。

これをどうにかしたいと思うのだけれど、どうしたら良いのか全くわからない。今は「出てこない名前は思い出すより検索のほうが早い」ので検索しちゃいますが、そのうち、「どう検索したら良いのかもわからなくなる」時が迫っているようで怖いです。

このブログですが、自分でも「文章がどんどん長くなる」のを自覚しています。それはやっぱり「頭の中で話がまとまっていない」からに違いはないし、「適当で簡単な説明が思いつかない」からでもあるし、「話が長いのはバカの証拠」と世間で言われるのもよく分かるんですよ(笑)。【あえて目次を付ける重要性】もわかるのですが、それってかなり苦痛なのね。でも苦痛だからこそ訓練にはなるとは思うのですが・・。

今回、スタンフォードオンラインハイスクール校長の星友啓氏のユーチューブ動画を見つけ、最近の研究によってわかってきた「効果的な学習方法」を見ましたが、やっぱり私が効果的だと思っていたのは「勘違い」なのは間違いがなさそう。

子ども対象だけれど、年寄にも合うんじゃないかなぁ。

この辺は真剣に考えて、「初心に戻って勉強しよう」なんて思いました。もうこれ以上、失うものを増やしたくない。

 

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