「金融所得課税を強化する」とどうなるのか

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

石破さんが言っていた「金融所得課税を強化する」とどういうことになるのか。

ま、きっとその話は「無し」にしないと選挙にも負けるのだろうし、総裁に決まった後にご祝儀相場どころかマーケットが下げたのは、その主張に「ノー」と突きつけたのだと思う。

(というか、実際は「高市氏が有力」と言われ上昇した分が消し飛んだというのが正解かもしれない)

また当初は「利上げ」を言っていたのがそれじゃまずいと思ったんでしょう。慌てて植田総裁と会見して「利上げは時期尚早だと思う」ような発言。なんとまぁ、変わり身が早い人なんだろうか。

これで安全保障にしても「彼の主張」はことごとく【無し】になった様子。

つまりこれから彼が何を言い出しても「以前の石破氏とは違う」ということになる。「軽い男」というイメージしかないですわ。

どちらにしても「すでに金融所得課税強化」は決まっていて、でもそれは「新NISA」の影に隠れてしまっているのかもしれない。

それを「もっと強化する」というのが石破さんの主張だったわけで、一体それが始まるとどうなるのか。

一般的には「金持ちの税負担が増えるのなら良いじゃないか」と思いがちですが、実はその強化案は「収入が低くて金融所得がある人」にはとても大きな負担になる。

マレーシアでは「投資奨励策」があって、そのキャピタルゲインは「非課税」となっていますが、私としてはそれが「当たり前」だと思っています。

理由は簡単で、「大きく儲けている連中が非課税なんておかしいじゃないか」という理屈はよくわかるのですが、では実際に投資をしてみると「なかなか簡単には儲からない」のがわかるはずで、それどころか「損失を出す人たち」の方が圧倒的に多い世界なのね。

いやいやそんなことはない、という人も多いですが、そういう人はこの10数年の動きしか見ていないからそう思うのであって、何十年もこの世界を見て、その中で経験を積んできた人にすれば、「損失が出たら補填してくれよ」と言いたいのが本音だと思う。

「損失が出たら利益と相殺できるじゃないか」という人もいるでしょう。でもそれこそ「そうじゃなかったらとんでもないこと」であって、そもそも「利益を出すのが難しい世界」だというのを忘れてはいませんか?と思うわけです。今までも大手の投資会社、ファンドが破綻してきたし、決して簡単に儲かる世界じゃない。

そんな世界に足を踏み入れた年収500~700万円ぐらいの人が、やっとの思いで「金融所得で利益が出た」とした場合、自分の通常の所得税率より【高い税率で金融所得に課税される】ということが起きるのね。ここが大問題。

だから「金持ちに課税しようという増税じゃない」と言える。所得が低い人ほど、負担が大きくなる。

私に言わせるとやっぱり日本の税制は古臭いと思うわけで、特に相続税なんか無くても良いと思うくらい。

いやいや、それじゃ金持ちが益々金持ちになるというかもしれませんが、私はそれは「貧乏人のヒガミ」だと思っていて、小さな商店や中小企業が家族総出で頑張って作り上げた「小さな城」でさえも「次の時代に残すのは難しい」のが現状。

でもそれさえも「そうするべき」なんですかね。

そもそもですね、「利益が出たら所得税が課税される」わけで、そういう所得を積み上げて少しずつ財産を大きくしたわけで、きっと日本の税制は「非課税で資産を増やすことは不可能」なはずなのね。そうやってどうにか稼いで溜めて増やしてまた所得税を払った残りで大きくしてきたのに、「相続の時にまた課税される」というのは【二重課税】だという考え方も成り立つ。

小さな家族経営の商店だろうが町工場だろうが、その相続税を支払うために「閉業する」「店舗や工場を売らなくてはならない」なんてことも起きるわけで、それが良い税制だとは私は全く思わない。

だから「相続税がない国」も「相続税の税率が低い国」も多いわけで、「相続する資産があるのは金持ちだから、しっかり課税すべき」というのは、もしかしたら「庶民が自ら自分の首を絞める考え方」かもしれない。

私としては「かつては広く所得税を徴収するのが難しかった時代」というのはやっぱりあって、「取り逃した税を相続税として徴収する」という考えかたがかつてあったと聞いていますし、それはそれでよく分かるんですよ。正直なところ、私が小さな頃って「商人はちゃんと申告しないのが当たり前の時代」だったと思うし、どんな商店でも普通に「売上除外」(売上隠し)をしているのが常識だったように思います。

感覚的には「屋台のラーメン屋、おでん屋」から所得税をとれるのか?みたいな時代は間違いなくあった。

そもそも今の時代だって「厳しく調査されるし、脱税はするべきじゃない」というのは「清く正しくあるべき」というより、「脱税が発覚した場合のコスパが悪い」というのが本音かもしれない。

そんな時代にも不思議なことがあるようで、「税金の捕捉率」というのですか?正確な言葉はわからないのですが、「納税するべき人を逃すことはない」ような時代ですが、「社会保険料のその率は低い」らしいのね。つまり社会保険料を払っていない人、企業はまだまだごっそりいて、その金額は「数兆単位」だと言われている。

「おかしいじゃないか」と財務省に問いただしても「お茶を濁す返答しか出てこない」と言われている。

ま、「税金は取りやすいところから取るのが常識」だとかなり昔から言われていて、それは今も変わっていないのだろうけれど、その改革のためにも「歳入庁を財務省から分離して作るべき」という議論は財務省に何度も潰されてきた。

そういう財務省が日本の「お金の出入りの両方を押さえている」わけだから、その権力たるや絶大で、たとえあれほど強引だと言われ、安倍一強と言われた安倍さんとて立ち向かうことは出来ず、アベノミクスの三本の矢の三番目の矢を放つことはできなかったし、でもそれを「財務省が抑え込んだ」なんて言えば、その人はあの手この手で社会的信用を落とされて消えていく運命にある。官僚の人事権を押さえたと言われた安倍・菅でさえも、財務省だけは別扱いだったじゃないですか。

高橋洋一教授が暴露していますが、なぜ「公共投資も進まないのか」は、かつての民主党が「コンクリートから人へ」と言って、公共投資は悪だと決めつけてしまったこともあるものの、手続き上の問題があると高橋教授は説明する。

つまり、「橋を作る」「道路を作る」にしても、「それを作ることによってどういう利益があるのか」を必ず計算するシステムになっていて、それが「無駄な、あるいは採算度外視の公共投資を止めるハードル」になっていると。それはそれで「良いことだ」と私も思いますが、問題はその計算方法で「年間4%以上のリターンが見込めなければ駄目」という決まりがあるそう。

これはそういう「金利の時代」なら問題ないと思いますが、そもそもその%は「その時代の金利で決める」事になっていたそう。だから金利が0%の時代になれば、1%の利益があれば良いじゃないかとなるはずなのに、「4%となっていて、それをクリアできない」という理由で、公共投資は認められない様になっていると。

安倍総理時代にそれを変更しようと安倍さんも高橋教授も苦労したようですが、「前向きに検討しましょう」という答えを官僚から受け取っても「見直されること」はなく、高橋教授は「ものの見事に騙された」と今でも恨み節を言う。そしてそうこうしている間に、安倍さんも死んでしまったと。

とにかく「増税すれば出世できる」というのが財務省の体質だそうで、当然、「歳出も減らせば同様」なんでしょう。

とにかく財務省は酷いと皆は言うけれど、でも財務省には「そうでなければならない理由」があるのね。

それは憲法が定められたのと同時期に出来た「財政法」の縛りだと言われている。

その財政法4条にはこうある。

国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。

つまり「金が足りないから国債を発行すれば良い」というのはここで歯止めが掛けられていて、つまり「プライマリーバランスの黒字化」はこれを原点としている。

ただ歴史的にこの財政法をどう解釈するべきかとなると、「憲法9条と同じ」だとも言われているのね。つまり【二度と戦争を起こさない日本にするために9条がある】のと同時に【莫大な戦費を捻出するための国債発行も禁じた】と言われている。

財政法が施行されたのは昭和22年4月1日。日本国憲法の施行は5月3日。この昭和22年、1947年という年は当然、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統治下にあって、マッカーサーの意向のもとに作られた日本の根幹を決める法律。

でも今の日本の「国債発行」はその法律に違反しているじゃないかというのは、まさに、憲法9条によれば自衛隊は違法というのと同じ。

でも法律は法律だから、「それを破っても構わない。プライマリーバランスの黒字化も必要ない」とは財務省は言わない。言えない。

だから今、「憲法改正」を言うなら、この「財政法も改正」する必要があるんじゃないですかね。そしてその財政法の根拠になる部分が憲法にもあるとのことで、その改正もしなければならないんでしょう。

それをせずして、財務省に対して「お前、おかしなことばかり言うな、押し付けるな」というのも無理筋なのかもしれないし、財務省はそれを逆手に取って強大な力を益々強くしているのが現状なんでしょう。

そして政治家も「そういう法律を重視」したり、「そりゃ、そもそもプライマリーバランスは黒字の方が良いよね」と子供でも思うわけだから、理想論が大好きな石破氏にしてみれば、「そういう方向に行くのが好ましい。それを実現させるために議論をせねばならない」とネバネバの大放出となるんでしょう。

でも現実主義者は違うことを考えるわけで、「今の時代を生き延びるために必要なこと」を高市氏は主張するわけで、でも「法律は法律、守るべき」と頑としてそれを受け入れない人や勢力があるのもしかたのないことかもしれない。「自衛隊は違憲」という共産党も決して間違えているとは言えない。

ま、そんなそれぞれが違う立場であるべき論を言う中で、果たしてどれが正しいのか。

それを行うために憲法や財政法の改正が必要ならそれをするべきなのか。それともそれらの法律は「何が何でも守るべき法律」なのか。

ここをクリアすることなく、「やれ!」「やらない!」の論争をしても決着はつかないと私は思う。

そして「決着がつかないように世論を誘導」すれば、「自分、自分の勢力の既得権益を守れる」となれば、どうしたってそちらの方に動いて「膠着状態を維持していれば勝ったも同然」ということになるのだろうし、石破氏のような理想論者が「増税する」と言っても【受け入れるしかない】と考える議員も国民も増えるんだろうと思う。

そしてこの30年以上続いた「日本の停滞」は今後も続く。

やっぱりそれを打破するには、「増税はしません」「財政出動もします」「靖国参拝?当然行きますよ」「中国のブイは直ちに撤去します」そして「軍機による領空侵犯が起きた場合、撃ち落とす可能性もある」ぐらいのことを言えるリーダーが必要だと思う。「レーダー照射も同様」だと思うんですけどね~。

こんな教えが古くから韓国にあるというのをご存知だろうか。

昔、韓国では日本人を「八幡(パハン)」「海乱鬼(カイラギ)」と呼んでいたそうです。そして「日本人を騙さないほうが良い」と。その理由ですが、昔、日本人は手漕ぎ船で半島に商売をしに来ていた。そして日本人はお人好しなので騙すのは簡単で、良く騙したそうです。それが何度か続くうちに、ある日ある時、その日本人は裸になり、服と自分が乗ってきた船を焼き払い、ふんどし一丁で日本刀を振り回してそこらにいる人を全て斬り殺したとのこと。そして最後は切腹する。だから「日本人を騙せると思っても調子に乗るな」という教えがある。

日本人はニコニコ笑っていても、怒らせると恐ろしいぐらいのことは過去の戦争で日本と戦った国々は知っているけれど(チャーチルも回想録に書いている)、たまにはそういう一面も見せて、「思い出させる必要」はあると思う私。

でもそれさえも出来ないように「財政規範でさえも徹底的に日本を変えた」のが戦後日本を統治したマッカーサー。

日本は未来永劫、「ニコニコ笑うだけ」で終わるのだろうか。

「借金は駄目ですよ~~。収入以上のお金を使わないようにね~~。喧嘩も絶対にしては駄目ですからね~~」「は~~い、先生。わかってま~~す」という幼稚園状態からいつ日本は脱出できるのだろうか。

 

 

 

 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。