若い頃は「政治」には全く、全然、少しも興味がなかった

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日本の衆院選の結果、アメリカの大統領選の結果がかな~~り気になっている私ですが、フト、自分の人生を振り返ってみると、私ほど政治に興味がない奴はいなかったみたいな気がしています。

自分って、気がついたらこの世に生まれていて、「誰が頼んだわけでもないのに」と幼い頃から思っていました。当然、「産んでくれて有難う」なんて考え方こともないどころか、「なんで産んだんだよ」なんて思う子どもだった。それは喜びより辛いこと、幸せと思うことより不幸に思うことが多かったからで、それは青年時代も同じで、「全く、これからどうすりゃ良いんだよ」と生きているのにうんざりしているような奴だった。

笑顔もない、全く面白くない生活をしていたかと言うと、当然、そんなことはないわけで、つまらない人生だとは思ったけれど、それなりに楽しい思いが出来るように努力はしていたつもり。

どちらにしても自分のことに忙しくて、他人のこと、世の中のこと、日本のこと、世界のことなんか考える余裕なんか全く無くて、「どうやって稼いで生きていくのか」が常に一番大きな課題でした。

私の高校生時代は「日本の学生運動が非常に盛んな時代」で、大学に入った頃は「学生運動は下火」でしたっけ。でもまだ「残党」と言っても良い連中が大学のキャンパス、教室を占拠してバリケードを作って大騒ぎなんてこともなくはなかった。

そんな同じ世代を見ながら、国や政治がどうなるかはそりゃ重要だけれど、「自分はこれからどう生きて行くのか」を彼らには問題じゃない様に見えて不思議だとも思っていました。世の中を変えるにしても、どうあるべきか議論をするにしても、「今日、明日、どうやって生きていくの?」ということのほうが私には大問題だった。

それが気になるほど貧しく将来の見通しも真っ暗な状態だったのかというとそんなことは全く無くて、それどころか家庭環境は良い方だったし、自分も真面目に大学を出てそこそこの安定した大企業に勤めれば、普通の家庭を築けるだろうとは思っていたけれど、その「普通の生活しか送れないだろう」というのが私の最大の悩みでもあったわけです。

ま、贅沢な悩みといえばそれまでだけれど、そう思っていたのだからしょうがない。

私の育った環境に「普通のサラリーマン家庭」の親族っていなかったこともあって、商人ばかりでみんなそこそこ良い生活をしていたのね。というか、私の若い頃のサラリーマンの生活レベルが低かったと言ったほうが良いのかもしれない。そもそも「住宅ローン」が完備していない時代で「25年ローンで家を持つ」なんてのも非常にまれな時代で、多くのサラリーマンの住宅事情も非常に悪かった印象があります。当然、「自家用車」なんて持っていない家庭が圧倒的に多くて、「休暇にハワイに行く」なんてことも全く無い時代で、「ハワイに行ってきた」なんてのは「ウソ!マジ?すげ~~」と皆が羨ましがる時代。まだ「洋行帰り」なんて言葉も普通に使われていた。

でもそれが急激に変化する時代でもあって、私が大学1年の18歳の時に「グアムに英語の勉強に短期間行ってきた」というのも「海外旅行のハシリ」で、その数年で「卒業旅行にアメリカへ行った。ヨーロッパに行った」なんて話も出てくるようになった時代。でも「留学」なんてのは大金持ちか天才かと言われる時代で、半端じゃなく珍しかった。でもその後、数年で「アメリカの大学の付属英語教育期間」に1,2年、行ってきただけで「留学していました」なんてわけのわからない若者も急激に増えた時代。

そして一般的なサラリーマンでもローンを組んで私鉄沿線に自宅を買ったり、360ccの小さなエンジンしか無い軽自動車のホンダのN360が瀑売れしたり、ちょっと余裕がある家はカローラ、サニーを買うようになった時代。でも「トヨタのクラウン」は高嶺の花で「いつかはクラウン」なんてコマーシャルが出てきた時代。

私も「そういう流れに乗れば良い」とは思っていたものの、好景気ということは私の親族にも金持ちが増えた時代でもあって、そこそこの人数の親族が米国にかつての移民として渡って当時は優雅に暮らしている姿を見たり、また初めて行った海外のグアムでもアメリカ人の「桁違いの豊かさ」「自由な生活」を知ってしまった私としては、日本の平均的な生活に全然魅力を感じなかったんですよ。まだまだ経済大国の日本ではなかったし、その中で普通、あるいはちょっと良い程度の生活って、「世界に比べたら全く駄目な部類」だと思っていました。「生活の余裕、自由度がまるで違っていた」から。

だから私はかなり焦っていたし、どうやって生きていくべきか悩んでいたし、国の政治じゃなんじゃなんてまるで関係がなかった。私としては「日本でどうのし上がるか」「海外に出るべきか」ばかり考えていた時期ですから。

明治維新後に欧米を外遊した日本人達が何を見て何を知り、どれほど驚愕して慌てたかが自分にも起きたのと同じで、それ以降は私のターゲットはアメリカ人の生活水準に激変したわけです。

でもただの凡人である私は日本がどうあるべきかなんてことは思わず、当時は「ノンポリ」と呼ばれる無類で、政治には全く興味もなく、私としては日本がどうなろうと共産主義社会になろうと、「その中でどう生き抜くか」が問題で、日本がどうあるべきかなんてのは「自分に手が届く話」じゃなかったわけです。

だからサラリーマンになることを拒否してすぐに起業したり、アメリカやグアムに渡り、そこに生活基盤を置けるかどうかを長い間模索するような青春時代。

それが私の原点と言っても良くて、フト、そんな時代を思い出すと、変われば変わるもんだなと苦笑いをしてしまう。

やっぱり家族を持ち、そして子どもや孫が出来てくると、「良い環境で育てたい。良い環境で生きて欲しい」と強く願うわけで、そして私が青年時代にどんどん伸びた日本は、バブルの崩壊をキッカケに「坂道を転げ落ちるような日本に変貌してしまった」のね。

だからかつては「伸びる日本に置いていかれてはまずい」と思っていたのから、「このままの日本では駄目だ」という考え方にある頃から変わっていったということ。

それからですかね、政治を無視してはならないと強く思うようになったのは。

ところが政治の世界を知れば知るほど「落胆する」と言って良くて、諦めては駄目だと思いつつ、あまりにも大きくて高い壁に行き先を閉ざされている感覚をずーっと持っています。「自分がどう頑張っても変わるわけがない」とは今でも思っていますが、でも「頑張る人たちも決して少なくない」ことに気がついた。本当に日本のために命をかけているような政治家もいる。

だからそういう政治家を応援し後押しすることなら私にも出来るという考え方に変わってきました。

どういう政治家が好きか言えば、私が何よりも重視するのは「祖国愛」「国家観」で、それがしっかりしているなら、「それだけでも良い」と思っていて、青山参議院議員が言う「日本を愛する共通点があるのなら、たとえ思想信条が違っていても妥協点はあるはずだ」という考え方に大賛成。

でも政治の世界はどうも思想信条さえもどうでもよくて、「権力闘争の場」にしか見えないのね。

今回の自民党総裁選も衆院選もはっきり見えるのは「権力闘争」であって、本当に政治家は国のことを考えているのか疑問に思ってしまうほどひどい状態だと思う。

でも政治の世界は「数は力」であって、いくら高邁な思想、素晴らしい計画や問題解決案を提示しても「孤高の人」にはなんの力もないわけで、「まずは数を揃える」のが何よりも重要なのはわかる。これは戦争と同じで、一緒に戦う同志がいなければ「負け犬の遠吠え」しか出来ない世界で、仲間を増やすということは「妥協も重要」だし、ありとあらゆる利権が蠢く世界だから「清濁併せ呑む技量」がなければどうにもならないのもわかる。

そういう意味でも凄いと思ったのは安倍さんで、彼を悪く言う人、専門家は多いにしても、私には「政治家として逸脱した能力を持っていた」と思っています。100点満点の政治家がいるわけもなく、でも60点ならOKという考え方を私は持っています。多くの政治家は50点にも満たない、そんな感じを受けていますから。

多くの日本の国民が「次の総理」としていつも名前を出してきた石破氏が実際に総理になって、リーダーシップもない、理想論ばかりで実現不能なことを平気でいう、そしてコロコロ話が変わるという「なぜ彼が駄目なのか」と言われてきたのを今頃気がついた人も多いと思うけれど、これもまた「気がついてよかった」と思うしか無い。

私は石破氏の最大の功績は「ボロを隠さず見せてくれたこと」だと思うくらい。

「不記載」を「脱税」と呼び、それを改革するにはどうするべきかを深く議論すること無く「スケープゴート」を選び、自分にも飛び火が飛んできたら「ミスです」と平気な顔をする。それが通るなら、今回処分を食らったり、衆院選で冷遇された議員たちの多くも同じでしょう。でもそんなのは関係ないのね。これは「権力闘争」でしかなくて、「足を引っ張られたら、引っ張られた方の負け」なのが政治の世界なんだろうと思う。今回の処分を受けた議員リストをみると「安倍派潰し」がはっきりわかる。でもそれは「安倍派が悪いのだから当たり前」ということになっている。

それはアメリカの大統領選も同じで、不正を指摘するとそれは陰謀じゃなんじゃと決めつけ、それを主張する人たちを陰謀論者と片付け、でもそういう人たちこそ、アメリカの選挙制度の酷さを知らないからどうしようもないと思う。日本のように戸籍制度があって、選対もしっかりしている前提でアメリカを語る意味の無さに気がつかない専門家もいる。いや、わかっているけれど「自分が推す陣営に有利になることしか言わない」ってことなんでしょう。

でも今、カマラ・ハリスが日本の小泉進次郎と同じ様に「喋ればボロが出る」状態で、どんどん支持が落ちているのは良いことだと思う。一度、彼女のインタビュー動画でも見てみたら、アメリカの大統領選に出てくる人って「こんなレベルなのか」と驚くはず。

でも進次郎ファンが多いのと同じで、それでもカマラ・ハリスを応援する人たちは多い。そもそも民主党支持者って「教養のある人が多い」けれど、あのハリスで良いと本当に思っているのか私には信じられないのね。また「党内の選挙で勝ち抜いてきた候補者ではない」という、私にしては大問題だと思うところにも焦点が合わさること無く、どうして彼女を民主党支持者は「推せるのか」が不思議。

でもそもそも政治家は「首相や大統領でさえも権力闘争の最前線に出てくる駒でしかない」のかもしれないし、今回、日本でも東京都の補選で頑張って人気もあった「飯山あかり氏」が百田尚樹率いる日本保守党と「泥沼の言い合い」になっているけれど、やっぱり政治家、あるいは候補者は「政党にとっては兵隊、駒でしかない」のを感じました。

では独裁的な言動をする党首や指導層が悪いのかと言うと、それも決めつけられないと思うわけで、「戦時中は司令官の命令に絶対服従」なのと同じで、トップがそれぞれの兵隊や駒の意見を一々聞き入れるわけがない。司令官は「死ぬのがわかっていても突撃を命じる」のが常じゃないですか。

日本保守党でのゴタゴタは「参政党」で起きた騒動と非常に似ていると思うのだけれど、私は大好きな「武田邦彦氏」のいうことも正しいと思うし、多くの人を「兵隊として扱う神谷宗幣代表」の言動も理解できるんですよ。たとえ使い捨てにされた人たちが多かろうと、自死した有力メンバーが出たとしても、「何のために政党を興したのか」が重要で、問題点が山積みなのも当たり前なのは日本保守党も同じで、それを言い出したら日本共産党、公明党も酷いなんてもんじゃない。

でも「これは戦争と同じ」だと考える必要があると思っていて、「何を重視すべきか」を私達も忘れてはならないという良い教訓だと思う。

参政党では党から見れば「謀反」みたいなことが起きて、支持者も随分離れてしまった様だけれど、私はやっぱり昔から「光るもの」があると思っている神谷宗幣氏に頑張ってもらいたいと思っています。

政治って本当に権力闘争、戦争と同じで、トップに「君には申し訳ないが死んで貰うことになる」となっても「仰せの通りに」という兵隊がいないと「負ける」ってことなんだろうと思います。

この参政党の神谷宗幣代表の「叫び」は本質を付いていると思う。

また日本保守党が勢いづいているのは良いとは思うのだけれど、私は昔から百田氏も有本氏も「欠点が多い人」と思っていて、そもそもの日本保守党が政党としての体裁を保っているのか、また突然の衆院選だからしかたがないけれど、日本保守党の「政策」ってなんなのかが私にはわからないのね。

いや、彼らが主張することはわかるし、その多くに私は大賛成なんだけれど、「政策の目次」というか「要点」を彼らは主張するけれど、その「内容」「プロセス」に関しては何も言っていない。つまり「分厚い政策集を見てみたら、目次だけで本文は無く白紙状態」なのと同じ。

つまりやっぱり「雰囲気に乗せられている」と思うし、選挙はそもそもそういうものだとは思うけれど、「日本保守党を推す理由」を明確に答えられる人はいないと思う。だって、彼らはそれを公表していないのだから。これはたとえば「減税を主張する政党」も同じで、減税するならどの出費を抑えるのか、減税による収入減をどう補うのかの説明がないのは、石破氏の言っていた「アジア版NATOを作る」というのと同じで、そもそも実現できないのがわかっていて理想論を言っているだけと思われてもしょうがない。

でも「基本的な考え方」がわかればそれで良いとも言えるし、今回はたまたま石破氏が総裁になったことから日本保守党に風がふいているわけで、私としても是非その風に乗って「大躍進」してもらいたい。

問題は山積み。でも問題は解決するべきことであって、排除したり隠したりするべきじゃなくて、それには「時間が必要」だと思っています。それは参政党も同じで、是非、このチャンスを両党ともに掴んで欲しいと願っています。

頑張れ、日本!!

トランプもうまく今の風に乗って逃げ切って欲しいなぁ。

でも今、なんとなく気になるのはイスラエルVSイラン。これはアメリカVSイランでもあるわけで、ウクライナ戦争も正念場を迎えているし、北朝鮮はなんだかおかしな動きをしているし、それは中国も全く同じ。

つまり「世界を変えたい勢力」にしてみると、日本の選挙や政権交代、アメリカの大統領選挙の時期は「空白期間」とも言えるから、何か事を起こすとしたら「大チャンス」なのは間違いがないと思う。特に軍事大国のアメリカが簡単に二正面、あるいは三正面で動けるわけもなく、だから何かが起きるとすれば「同時進行する」可能性が高くて、これから年末にかけていや~~~な予感がしています。

何も起きないことを願っていますが、トランプが大統領になると日本も大きく変わらなければならないことになりそうですね。

トランプがヨーロッパ諸国に「ウクライナ戦争は自分たちでどうにかしろ」というのは当たり前のことだし、日本に対して「東アジアになにかあったらアメリカがどうにかするから安心してね」なんて言うわけがない。

でも日本には「領土が欲しければくれてやれば良い。戦うよりマシ」と主張する人も多い国だからどうなりますかね~。前にあるアンケート結果を出したことがありますが、「国のために戦う意志があるかないか」の世界的アンケートで「戦わない」と答えた日本の%は世界中の国々の中でトップクラスだったのが忘れられません。

そうかと思えば、多くの国民が大好きだった石破氏は「アジア版NATOを作るべき」なんてとんでもなく恐ろしいことを平気で言う人なのを忘れちゃなりませんよね。自衛隊をグアムだかハワイに常駐するなんてことも言っていたし、それすなわち「アメリカが攻撃されれば一緒に戦う」という意味だし、アジア版NATOはどの国と組むつもりなのかはわかりませんが、その国に紛争、戦争が起きたら自衛隊も派遣して戦うことを意味するのを石破ファンは本当にわかっているのかどうかが心配です。

アジア版NATO構想を引っ込めたら良いという話じゃなくて、憲法9条もあって絶対に不可能なことを平気で言い出す人だというところが石破氏の問題の本質。

そしてそういう人の名前が「時期総裁候補」で必ず出てきてしまうのが、日本の持つ問題の本質かもですね。

でも石破総理&カマラ・ハリス大統領ということになる可能性もないわけじゃないから、本当に恐ろしいと思います。

是非とも高市総理&トランプ大統領という世界を見てみたいですが、どうなりますか。

当然、高市&トランプになったら「最悪だ」と考える人もいるのだろうし、それはそれで全く問題がなくて、皆が同じなことのほうがおかしいと思う。

願うことは、せめて選挙は公平公正であって欲しいということ。

でもそれもまた甘っちょろい考え方でしか無いのかもしれなくて、日本もアメリカも「民主主義のフリをしているだけ」にしか私には見えない。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」、これが世の中の真相なんだろうと思う。

でもやっぱり「和をもって尊しとなす」世界であって欲しいな~~。でもそれは「皆でお手々繋いで仲良くしよう」ってことじゃなくて、【バランスオブパワーを保つべき】という考え方で、日本もアメリカにベッタリで「核の傘」なんて幻想を信じること無く、独立して欲しい。私はアメリカが大好きだけれど、決して「親米保守ではない」んですよ。

でもそれを求めることが出来ない日本、世界だから、私は一族を中心とした小さなコミュニティーから始めて、そして国家や社会に依存すること無く「自立」して、どうにかそんな理想世界を作ろうと思う。

 

 

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