歳を取ると「昔を思い出す」ことが増えて来ます。
夢がなくなるというより、夢を叶える時間が自分にはもう無いのがわかるから、前じゃなくて後ろを見て、「あのままやっていたらどうなっていただろう」みたいな想像が始まるのね。
「思い出のアルバム」を当時を思い出しながら1ページ1ページめくるみたいな。
また「年寄りが縁側に座って、庭を見ながらボーっとしている」姿って、何を考えているのだろう、それとも単に放心状態なのか、あの時間って年寄りにとってなんなんだろうと昔から不思議だったんですよ。
でも今になるとわかるのね。
あれはボーっとしているなんてとんでもなくて、「昔を思い出すのに忙しい状態」なのが正解だと思う。
それこそ目の前にある庭木がまだ小さな頃に、可愛くて可愛くてしかたがない息子がその小さな木を飛び越えて遊んでいるのを見つめていた瞬間を思い出すとか。そしてその木が段々と育つのと同時に息子も大きくなって、でも「パパ~。もう飛び越えられないよ~」と悔しそうな顔をしていたときも思い出す。そして中学校に入り、生まれて初めて制服を着て、照れくさそうにその木の横に立って「行ってきますっ」と元気に挨拶して家を出ていった時。そして初めて彼女が出来て、その彼女を家につれてきて手を繋いで庭の木を見ながら「この木をねぇ、飛び越える遊びが大好きだったんだよ」と説明する、うっすらヒゲが生えてきた息子。
息子が大人になってから、フト気がつくと息子がじっとその木を見つめているから「どうしたんだ?」と聞くと、「仕事にも失敗して、彼女とも別れて、オヤジ、俺はもう駄目だ。死にたい・・」と言っていた後ろ姿を思い出したり。
そしてまた時が経ち、孫を連れて遊びに来た息子が「パパはね、お前ぐらいの歳の頃にこの木を飛び越えて遊ぶのが好きだったんだよ」と説明するのを思い出したり。
そんな何十年の物語の一つ一つがまさに走馬灯の様に頭の中に浮かび、忘れてしまったことが無いように大事に大事に思い出を確認する。そんなことに忙しいのが「縁側で庭を見ながらボーっとしているように見える年寄りの実態」だと思うのね。そしてその時間が何よりも大事な時間となる。
私もとうとう「その域」に達したという自覚があります。(笑)
私の趣味の料理だけど、新しい料理に挑戦するより、「昔食べて感激した美味しいもの」を作る方がはるかに興味があるのも同じだと思うんですよ。
家の近くにあった「肉屋のメンチカツ」が大好きで、小学生の頃からお小遣いをもらうとそのメンチカツを一つ買って食べていたことや、これまた家の近くにあった「洋食屋のハンバーグ」が大好きで、その店に連れて行ってもらうのが何よりも待ち遠しかった事。そのハンバーグを一気に食べるのがもったいなくて、10個ぐらいに小さく分けて一欠片ずつ大事に食べていたこと。そしてそのハンバーグが美味しいのはそれに掛かっている「茶色のソース」が美味しいからなのもわかっていて、その美味しさってまだ口の中に思い出としてしっかり残っているのね。
で、大人になってから、あの美味しいソースは「デミグラスソース」だというのを知って、それの再現に一生懸命になってみたり。
それさえも思い出になってしまった今、あのメンチカツやハンバーグを思い出しながら作って食べたい。そんなことを常日頃、考えているわけです。
私は楽器の演奏や歌を歌うのが子供の頃から好きで、楽器は父からウクレレを習ったこと、そして歌は幼い頃、毎晩、母が歌ってくれた歌を自分でも歌うようになったことが始まりで、その曲は「You are my sunshine」で子供の頃から「洋楽好き」はそれが原因だと思う。
だから小学生の頃にはギターを始め、中学生の頃には作曲に目覚めて歌を作り始めていたっけ。最盛期は高校時代で、歌もたくさん作ったし、親戚が住む広島に夏休みで遊びに行った時、夏祭りで従兄弟達のブラスバンドが公会堂で行った演奏会で、途中の幕の間になぜか私が歌うことになって自作曲を従姉妹とデュオで歌い、その後、一人で当時流行っていた長谷川きよしの「別れのサンバ」を歌った。これは生まれて初めて数百人の観客の前でギターを弾き歌を歌った経験となる。
(盲目の)長谷川きよしの別れのサンバを知っている読者はどのくらいいるだろうか。歌そのものより「ギターの伴奏」が非常に難しい曲で、当時良くあんな曲を弾けたと思う。
なぜか大学に入ってからはギターも弾かないし、作詞作曲からも離れてしまった。
でも世の中に「カラオケ」なるものが出来てからは「歌を歌う」のは再開したっけ。でも私が歌うのはほとんどが洋曲で、カラオケが無くて苦労したっけ。
そしてまた何年も経って、カラオケにも全く行かないようになった。歌が嫌いになったわけじゃなくて、昔から「生演奏で歌う面白さ」を知っていたからお決まりのカラオケで歌うのが好きじゃなかったのね。だから生バンドやピアノの伴奏で歌える店には結構通ったっけ。結婚前、ヨメさんと一緒に朝まで遊ぶなんてことをしていたけれど、それも結婚を機に、全く行かない、歌わないようになった。それからもうすでに30年以上の月日が経つ。(笑)
でもオーストラリアに渡ってからパソコンなるものが普及し、パソコンで音楽を作る、演奏できる時代になったのね。デスクトップミュージックなるものが流行りだした。
これには飛びつきました。昔のことを思い出して、昔作った曲をデジタルで残したいと思ったし、パソコンとキーボードで曲を作るのが面白かった。MIDIを使ってゼロから曲を作るのは大変だったけれど、「パーツをつなぎ合わせてつくる」ことも可能で、いろいろ作ったっけ。
でもそれも数年で終わった。というかパソコンで曲を作るには「キーボードを使う」必要があって、ピアノも全く弾けない私にはあまりにもハードルが高かったことと、そしてやっぱり「才能がない」のは自分でもすぐに分かったのね。結局、好きなだけで、自分で作ったものに満足できることもなかった。だから「ちゃんとした完成曲」は皆無で、実験途中の半端な曲ばかり増産することに飽きてしまった。
いくつかの自作曲をユーチューブに上げています。全て中途半端なものばかりですが、思い出として残してあります。
今日、なんでこんなことを思い出してブログに書こうと思ったかですが、実はちょっと注目している若い音楽ディレクターと言うかコンポウザーというか、「天才か?」と思う若者がいるのね。
その彼のユーチューブ動画で、彼がテレビ番組で有名な「情熱大陸」に出演し、1時間で曲を作ることに挑戦したのね。それを見ていて、もう20年近く昔ですが、同じような感じで私も曲を作っていたことを思い出したから。
でも当然、彼はプロだし、天才的な才能があるわけで、私とはまるで違いますが、「音楽作りが好き」という共通点は間違いなくあって、この動画を見ながら昔を思い出していました。
もしも私にも才能があったとしたら、そして音楽との関わりを持ち続けていたら「今、どんな自分になっているか」を想像してみたり。
でもねぇ、40年近く前に、私はどうしてもレコードを出したいと思ったのね。結婚前の30代でしたが、当時、辛いことがいろいろあって、どうしても「まだ見ぬ子供たちにこの思いを残しておきたい」と思ったんですよ。当然、「自費出版」のLPで全12曲のレコードなんですが、20枚限定のレコードだけれど、プロに伴奏をしてもらうし、編曲を含めて結構多くの人が関わってかなりの予算が必要だったのだけれど友人たちが出資してくれて、どうにかなりそうだったもののどうしても「納得できる歌が歌えなかった」こともあって、途中で挫折してしまった。
そしてその時、「プロの凄さ」を知ったんですよ。バックで演奏してくれるプライヤー達は皆、スタジオミュージシャンで全くの無名の人たち。総合プロデューサーもあるスナックでピアノ演奏をしていたプロで、私の歌の指導はまた歌のプロ。そういう無名のプロたちの凄さ、才能を知れたのは良かったけれど、私みたいなド素人がたとえ自費出版だとしても「あまりにも世間知らずのバカ」だと思い知らされたのね。だからスタジオでカラオケだけは作ったのだけれど、それに合せた私の歌は「納得できるものが全く出来なかった」ということ。
「その道で食うこと」はもちろんのこと「自分の歌を世に出すこと」と「好きなこと」との大きな違いがあるのを痛感しました。ま、当たり前ですけどね。(笑)
だから今は「趣味は趣味でしか無い」のがよくわかるし、どれほど好きな道だとしてもまさかその世界で生きていこうなんて考えなかったのは「ラッキーだった」と思っています。
そんな私の過去の音楽との出会いやその後のいろいろを一つ一つ忘れてしまうことがないように、今日は思い出していました。
良い人生だったと思う。本当にいろいろ経験できて面白かった。
今現在は音楽とは全く無縁の生活をしていますし、昔みたいに「常に音楽を聞きながら生活する」ことも全く無くなってしまいましたが、最近、「生成AIで音楽が作れる」のを知って、また遊んでみようかななんて思っています。
「SUNO」というAIですが、適当に歌詞を作って、構成をどんなふうにするか指示を入れて、どんな感じの曲かジャンルを選んでボタンを押すだけでこんな曲ができた。それも1,2分で出来てしまう。
本当にすごい時代になったし、でも今はまだスタートしたばかり。これからどんどん進化するでしょうし、それを見守っていきたいと思っています。
「夢のマレーシア(MM2Hの歌)」
これも「自作曲」と言えるんだろうか。
音楽生成AIの「SUNO」ここから。
Suno is building a future where anyone can make great music.…
広島の公会堂で歌った自作曲ですが、曲そのものは今、残っていないんですよ。だからそれにAIで曲をつけてみたいなんてことも考えています。
高校生時代に作った「愛の歌」で(笑)、男女のデュオで歌えるように作った曲。仲間とスキーに行って、暇な夜に「歌でも作ってみよう」と30分ぐらいで歌詞と曲も作ったのを思い出します。今では歌詞もところどころ覚えていないぐらいですが、完全に忘れてしまわない内に歌詞だけここに書き残しておこうと思います。
「春・夏・秋・冬」
春に貴方と別れたくない。流れ出した雪解けの水を冷たいと感じたくないから。
夏に貴方と別れたくない。緑を通す強い日差しを眩しいと思いたくないから。
いつも貴方と別れたくない。愛して、愛しているから。いつまでも二人でいたい。
秋に貴方と別れたくない。朽ちはてた落ち葉の上を一人で歩きたくないから。
冬に貴方と別れたくない。降りだした白い雪が何もかも隠してしまうから。
いつも貴方と別れたくない。愛して、愛しているから。いつまでも二人でいたい。いつまでも二人でいたい。
臭い歌ですが(笑)、結構評判は良かった。
今、面白いと思うのは、男なのに高校時代は繊細な感受性を持っていたこと。「自分の中に女性がいる」と感じていたぐらいで、作る歌も「女性用」がほとんどでしたっけ。今じゃ、「てめぇ、ガタガタ言うな、バカヤロ~~」なのにね。
思い出って「大切な財産」なのだと歳を取れば取るほどそう思う。
と同時に、子供たちに十分良い思い出をたくさん作れてあげられたのかが気になります。
またヨメさんは私との「かけがえのない良い思い出」を作れたのか。
前にそんな話をしたことがあるのですが、ヨメさんは「最悪よ~~」と言った。
勝ち気の九州女は平気でこういうことを言う。(笑)