WHO脱退が目的化しているように見えるけれど、それで良いんですかね~?

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アメリカがWHO脱退を決めて、それに追従する国が増えそうな動きがあるのですが、それで良いのかなと思うんですよ。

WHOに問題があると私も思うのだけれど、「解決策が【脱退】っておかしい」という意見は聞こえてこない。

経済的にも大きくて自国の中で保健や厚生の問題を解決できる能力がある国は「好きにやらせてくれ」で良いかもしれないけれど、広い世界を見渡してみると【自国で解決できない国々が圧倒的に多い】のは間違いがないと思うんですよ。

例えばマレーシアでも「WHO脱退」の気運があるようだけれど、ではマレーシアはマレーシアで【進むべき道を見つけられるのか】が何よりも重要なはずだけれど、【では、WHOを脱退してどうするのか】が見えてこない。

アルゼンチンのミレイ大統領も「脱退する」と息巻いていて、ミレイ大統領ってどんな人かと言えば【トランプのコピー】とも言える様な人でアメリカに追従するのはわかるけれど、【問題が起きたらアルゼンチンは自国で解決出来るのか】が私には見えないし、決して簡単ではないと思うわけです。

ましてやコロナ禍でも「この国、大丈夫かよ」と気になる国々は多かったし、また「世界の問題は感染病、ワクチンだけじゃない」わけで、【WHOは気に入らないから脱退する】【潰してしまえ】みたいな考え方って私には【あまりにも短絡的に見える】のね。

それが解決策なのか?と私は問いたい。

確かにWHOにしても、アメリカの「ファウチ博士」を代表する保健厚生関連の組織にしても、そして日本の厚生省にしても私には「あちら側」に見えて、これっておかしくないか?とは私も思う。日本ではエボラウィルスの研究、ワクチンの開発を「都心のど真ん中でおこなう」のを強引とも思える方法で進めようとしている。

こういう今までの動きに世界が危機感を感じるのはわかるし、反対派や陰謀論好きが【今の状況をぶち壊せ】というのもわかる。「改革しようとしても無理」だと思えば【脱退するしか無い】と判断するのもわかる

でも問題は「脱退後どうするのか」であり、私が何よりも重視するのは【代案】です。

この辺はアメリカの「ロバート・ケネディジュニア」がどうしたいのかを細かく知る必要があって、それを吟味することが重要なはず。

なんだか今の動きは「極右と極左のぶつかり合い」と同じ様に見えて、【絶対にお前は間違えている】【いや、正しいの俺達だ】と力比べをしていて【気に入らないからぶち壊してやる】というまさに【戦争状態】と同じに見える。

この動きは私達が経験した「2019年に日本は国際捕鯨委員会(IWC)から脱退した」のと被って見える。

あるいは「日本がかつてABCD包囲網に耐えられなくて真珠湾攻撃を決行した」のも、「プーチンが西側の欺瞞に耐えられなくてウクライナに侵攻した」のも同じで、いつの日か起こるかもしれない「中国による台湾侵攻」も同じに見える。

世界は「誰が先に手を出したかに焦点を当てる」けれど、それで「悪者探し」をしても何も解決しないんじゃないか。

私達の生活の中の「あんたは浮気したのだから、離婚しましょう。家族離散もしかたがない」というのも似ているような気がします。

世界から戦争が無くならないのも同じ理由な気がして仕方がありません。

ではどうするべきなのか。

私には医学の専門知識は「皆無」に等しいし、あのコロナ禍でも「世界はどうするべきだったのか」もわからない。「mRNAワクチンは絶対に駄目なのかどうか」もわからない。特にmRNAワクチンは「問題がある」のはわかるけれど、では「mRNAワクチンで救われた人はいないのか」に関しては反対派は何も言わない。この検証は非常に難しいのはわかるけれど、「だからそれに関してはタッチせず、問題点ばかりを騒ぐ」のが良いとも私には思えない。

これは「マスク不要論」も同じで、私は「マスクは重要」だと考える派で、その理由は簡単で「風邪が蔓延すれば誰でもマスクをする」という習慣の中で育ったし、ウィルスをマスクで防御することは不可能にしても、ウィルスは人が出す「飛沫」に含まれて拡散するわけだから、クシャミや咳をする時に「口を覆うのが常識」なのと同じだと私は思う。つまり「マスクは飛沫を防ぐことは可能」だと私は考えているわけです。重点は「移されるのを防ぐ」というより「自分が拡散するのを防ぐ方に重点が置かれている」と思っています。それはクシャミや咳をする時に「口を覆うのが常識」なのと同じ。

「私は絶対に感染していないから問題ない」と言い切れる人がいるとは私は思わないわけで、だったらクシャミや咳を他人に向けてやっても問題ないと言えるのかと私は聞きたいのね。

でも「風邪を引いてもマスクをしない」習慣がある人たち、地域や国は存在するわけで、でもそれは日本と違って「人口密度も低く、人が密集することも少ない」からそういう習慣が発達しなかっただけかもしれない。また過去に感染症が広まって大混乱を起こした歴史、経験が無い人達か。

私は「マスクの利点は少ないかもしれないけれど、予防を考えよう」というのが日本人らしさだと思っています。ただし、「マスクを強制する」のが良いとは思えず、それは「文化」「思いやり」に重点を置くべきなんでしょう。中には「感染症が蔓延している時」に【マスクをしていない人に恐怖を感じる】人がいるならば、私はマスクをしようと思うし、誰も気にしないのなら「マスクはしない」という判断基準は私の中には無い。

そもそも「マスクをする」という考え方は、私はそれは科学や理屈ではなくて「予防が重要」と考える経験と文化の問題だと思っています。

これって現代になって「ハラスメント」が重視されるようになったのと同じで、「相手がどう感じるか」のも無視できない。だから「マスクをする文化」があるのなら、私はそれに従うべきだとも思う。私だって、風邪やインフルエンザ、コロナが蔓延している時に、「マスクをしていない人には不安を感じる」ことが普通にありますから。ましてやクシャミや咳を堂々とする人にも私は絶対に近寄りたくない。

専門家はそういう習慣的なことではなくて、もっと科学的に「予防」を考えるのが仕事で、その結果、人類史上に「ワクチン」も発明され多くの命を救った事実がある。逆に「予防ができなかった」場合、とんでもない数の命が失われた歴史も私達は知っている。

でもmRNAワクチンは駄目だという「確かな理由」が私にはわからないのね。どんなワクチンも基本は同じで、それは「薬とは毒である」という専門家がいるのと同じで、【デメリットは必ずある】のはどんな治療でも手術でもあるのと同じだと思う。

また「今のmRNAワクチンは駄目だ」としても、そのものを否定してしまって【将来の芽を摘んでしまう】のが良いとも思えず。

だからワクチンにしても治療薬でも「長い年月を掛けて実証実験はする」わけだけれど、【緊急時にはどうするべきか】が問題で、結局、コロナ禍では私達が「実験対象となってしまった」という悲劇が起きたのだろうと思う。でもそれも直前に致死率が高いSARSを経験したし、エボラ出血熱や劇症型溶血性レンサ球菌感染症は【自分の周りでは感染が広がっていない】にしても「世界的視野」で見ると「間違いなく感染例は増えていて、それが拡大したら大変なことになる」のは専門家は理解しているわけで、でも彼らの注意喚起に私達が耳を傾けることはない。

だからそのウィルスなりワクチンの研究は「喫緊の課題」だけれど、私達は「そんな危ない研究はやめろ」という方向に動いてしまうことも多い。

またあのコロナ禍もどう判断するべきか私にはわからないのね。

そりゃ武漢を始め、中国ではバタバタ人が死に、それが世界に広まってインドでも多くの人が死に「ダイアモンドプリンセス号」でも私達はコロナの怖さを感じたし、その後、年寄りも多く死に、私には「志村けん氏の死亡」はかなりショックでした。つまり「自分の身の回り」では惨事は起きておらず、志村けん氏の死によって「私は初めてコロナの恐怖を身近に感じた」というマヌケであったのは間違いがないのね。

あの当時の一般的な考え方は「どうやって予防するんだ?ワクチンはないのか?」と誰しもが思ったはずで、でもコロナも弱毒化し、「大きな危険は去った」と思うようになると、「ワクチンを始めとする政府の対応に文句を言う」ようになった。

ま、これってよくある話で、「大津波が来るぞ~」と騒いでも「結局、大きな津波なんて来なかったじゃないか」というのと同じで、でも「大惨事となった地域、失われた命も多い」中で、「自分の身の回りではそれが起きなかったら文句を言う」のに似ていると思う。

そうかと思えば、「大丈夫、大丈夫、心配しないでください」と政府が言い続けた「福島原発」はどうなったのか。

結局、人って我儘だというのが私の見方であって、「自分の身の回りで何が起きたのか、起きなかったのか」で判断は変わる。

ところが専門家や責任ある政府は「広まったらどうなるか」を前提に考えるのが普通で、「行き過ぎた対処がなされることも大いにある」し、また「予想したほどではなかった場合、文句を言う人は増える」のも当たり前。ましてやデメリットが大きいのが露呈したら「もうそんなことはやめろ」という声が高まる。

これはワクチンにしても、コロナ禍の政府の対応も同じで、「将来、どうなるか」がわからない場合、そして「大惨事が想定できる場合」にはどうあるべきなんですかね。

そして「この次」はどうするべきなんですかね。コロナみたいに「心配するほどの大ごとにはならない」のか「ウィルスの弱毒化を待てばよいのか」「余計なことはせずに集団免疫の獲得を待てばよいのか」「ワクチンなんていらないのか」「死ぬやつは死ねば良いのか」、「感染を恐れて人混みに近寄らないことが出来る人もいれば、多くの人の中で仕事をしないと生きていけない人もいる」のに、ワクチンは駄目だと断ずる人たちに責任が取れるのかと私は思うし、【誰にその将来がわかるのか】と問いたい。

ここでの重要な点は「ワクチンの良し悪しではない」のであって、【選択の自由があるのか無いのか】そこのみじゃないんですかね。将来的には「危険度はより高いけれど、もっと効くワクチン」なんてのも出てくるかもしれない。それを選ぶのも自由であるべきだと私は思っていて、それは「私はイベルメクチンに賭けてみる」という自由があるべきなのと同じ。

ただ私にわかることは「政府や専門家は大惨事になるかもしれないという想定は必ずするべき」だということ。

でもそういうワクチン肯定派、推進派と同じ様に一般人は考えない。逆に「大したことはないこと」でも一般の不安が増大すれば大騒ぎになる。そうかと思えば「政府は混乱が大きくならないように、ウソも着く」。

WHOも同じで、「彼らは利権の塊である」のも確かにその通りかもしれないけれど、「性悪説だけで判断するのが正しいのかどうか」は私にはわからないし、有効な解決手段があるかもしれないとすれば、「その開発者や企業に大きな利益を与えて開発・生産スピードを上げる事が重要」と考えるのは当たり前のことだと思うのね。でもそれは「外部から見れば悪いことを企んでいるようにしか見えない」のも当たり前のこと。

私は甘っちょろいのかもしれないけれど、ワクチン開発者も企業もWHOも、あるいはビル・ゲイツにしても「悪者と断定することが正しいのか」に関しては疑問を持っています。

ただ「彼らは悪者ではないけれど、やり方は間違えている」という考え方も多いはずで、それがWHO脱退へと繋がっているのだろうと思う。

だから「脱退するべきではない」とも思わないけれど、問題は「脱退してからどうするの?」というのが私が一番関心があるところなわけです。

WHOから主要国が脱退したらWHOは弱体化するのは間違いがないはずで、それで自国は良いにしても「その他の国々で起きることに責任を持てるのか」も重視するべきことのはず。

だからまずは言い出しっぺのトランプ政権、ロバート・ケネディジュニアは「脱退後どうするつもりか」を何よりも重視したい。

それをしっかり吟味した後で、彼らが正しいと思うのなら、「今後の世界の命運を賭けてWHOと戦う」の良いんじゃないですかね。

どちらにしてもこれって戦前の日本と同じで「戦争やむなし」と朝日新聞などが日本国民を煽ったのと同じことが起きている感じがしないでもない。

日本もアメリカに追従して「WHO脱退」をしたほうが良いという論者も多いけれど、それは「WHOが弱体化してもよい」ということだろうけど、「WHOをあてにするしかない世界の数多い小国の将来にも責任を持つことを意味する」のは絶対に忘れるべきじゃないと思っています。またWHOとの協力のもとで寝食を忘れて頑張ってきた医療関係者も多い中、「利権構造がある」とか「コロナ禍の判断が正しくなかった」とWHOそのものを否定しまって、本当にそれでよいのかは疑問。

WHOを脱退して「新たな組織を作る」という構想もあるようですが、それもまた「民主主義と共産主義の戦い」に似ていて、世界の将来を左右する半端じゃなく重要な「賭けになる」という認識は重要だと思う。

今、アフリカのコンゴがややこしいことになっていて「第三次内戦」の危機が言われていますよね。

そしてコンゴでは何度かエボラ出血熱の流行が起きていて、今、内戦で戦いが起きている場所に「エボラ出血熱を研究をしている研究所がある」のが問題視されている。つまり、その研究所が破壊されるようなことになると「かなりヤバいんじゃないの?」ということ。

もし次なるパンデミックが起きた時に、WHOがどうあるべきか、ワクチンがどうあるべきか、各国はどんな対応をするか、私達はどうするべきかが「現実として見える時」は意外に遠くないのかもしれない。

私としては「どうあるべきか」は【ケースバイケースでしか無い】と思っているので、WHOがなんと言おうとトランプやケネディジュニアが何を言おうと、状況判断は自分でして、自己責任で行動を決めるだけ。願わくば、その「選択権を奪うことだけはしないで欲しい」と思う。

日本でエボラ出血熱、そしてそのワクチンの研究を推進する学者が「エボラ出血熱が蔓延すれば皆がワクチンに殺到するでしょう」なんてシャーシャーと言っていたけれど、それも事実だろうと思う。でも「お前らバカにはわからない大事なことをやっているんだよ」みたいな言い草には腹が立つ。

ワクチンは予防のために存在するわけで、「治療とは違う」けれど、ワクチン接種による死亡率が1%を超えたとしても「それを打ってくれと皆が殺到するようなことが未来に起こる」かもしれない。

「メリットとデメリットを天秤にかける」ことを誰しもがするわけだけれど、「その結果は事前にはわからない」んじゃないですかね。そして私は政府の言うことも信用できないし、WHOの言うことも同じ。そしてWHOの言うことは無視しろという反対派の言うことも私は信用できない。

「あの時、株は売っておくべきだった」とか「あの時、株を買っていればなぁ」なんて思うの同じで(笑)、「後になってからはなんとでも言える」けれど、残念ながら私には未来は見えない。

WHOやワクチンに関しても同じで、ああすべきこうすべきと主張する人たちは、「未来を見てきたのか?」と思うわけです。

でも政府はもちろん「指導的立場の人達」は「常に判断を迫られる」わけで、まして「このまま何もせずに放置します」なんて絶対に言えないわけで、そういう意味では好きなことを好きなように言えて、自分で行動を決められる凡人という自分の立場で本当に良かったと思う。

「Make America Great Again」というトランプとともに「Make America Healthy Again」というケネディジュニアが何を考えているのかに注視しようと思っています。

私が危惧していることは「イベルメクチンがあれば大丈夫」みたいな、XXXという風邪薬、水素水、XXXというフルーツさえ食べていれば良いという「信仰に近い対処法」が蔓延しなければ良いなと。でも大事な医薬品もまさかと思う生物や植物から出来ていることも多いし、そういう民間療法みたいなものを全否定するべきでもないと思うのね。

うまくいく可能性を否定したら駄目で、でも「検証はしっかりやる」のを「第三者としての専門家」にやってほしい。

でも「自説に都合の良い検証結果ばかり出す」のも毎度のことで、「第三者という名の仲間」を出してくるのも日常茶飯事。

困りましたね~~。

やっぱり自己責任で、ケースバイケースで状況を見ながら自分で判断するしか無いのが残念。

---(追記)---
このエントリーを書いたのは1月30日で、アメリカではまだケネディジュニアが長官になるかどうかはわからない状態。

2月3日にはこのエントリーを公開する予定で、その時には結果が出ていると思いますが、ケネディジュニアが長官にはなれない可能性も高そう。その場合、トランプはどうするつもりなんですかね。

トランプは「何をするか」を具体的に言うし、そこは我らが石破総理とは大きく違うけれど、「やったことがうまい方向に動かなかった場合」にトランプは何をするのか、適当な言い訳をして逃げうのか、その辺は未知数。

でも言いたいことを言うトランプには「ヴァンス副大統領」という理論派も付いているし、トランプが作る政権には「経験が浅い人たち」もいて危なっかしさはあると思うけれど、要所要所は専門家も置いていて、「方向性に反対する人は中枢に入れないだけ」で、実際に物事を進める場には専門家がいてちゃんとやるであろうことを期待しています。

私はやっぱり「チャレンジ精神が何よりも重要」だと思っていて、トランプ推しの考え方は変わらず。

 

 

 

 

 

 

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