私が「アメリカは大変なことになる」し、「その影響は世界に広がる」と考えているのはいつも書いている通りですが、そんな事も考えていない人は多い。株式市場を見てもそう感じます。
それは私が思うに、「歴史」や「変化」を知らないからで、「未来は現在の延長だ」と考えているからだと思う。あるいは「自分の都合の良い方に考えたい」という意識が、危機が高まるからこそ出てきている現象にも見えるのね。
そこそこ良い天気で平和が続いていれば、「突然の大嵐」も想像しないし、「大震災、天変地異」が来ることも考えない。
でも世界の歴史を「ちょっと長い目で俯瞰して見る」とまさに世界は「変動の歴史」を歩いてきたのがはっきりわかる。
そして「同じことは繰り返される」と私は思うわけです。
でも「大惨事」はいつ起きるかわからないし、その規模もわからない。
しかし「大惨事はいつか起きる」のは「ウクライナ戦争」も同じだし、日本の「東北大震災」や「能登大地震」も同じで、その時に慌ててもどうにもならない。過去の「世界大恐慌もリーマン・ショック」も同じ。また「コロナ禍」の様にまさかの伏兵が出てきて世界が大きく変わることも世界の歴史では常に起きてきたこと。
でも「いつ出るか出ないかわからないお化けのことを心配してもしょうがない」と考えるのが普通で、「通常通りに生きるしか無い」と考えてしまうのも理解できる。でもそれは「余計な努力をしたくない」ということでしかないと私は思っていて、それも生き方の一つだとは思うけれど、そもそも「安定しない零細企業のオヤジ」でしか無かった私は、「常に大変化に直面している」と考えてきたし、「安定なんて無理で、安定したように思えてもそれは長続きしない」という人生観を持って生きてきました。
「常に先手を打つ」のは不可能にしても、「どんな将来が見えるか」を考えて「日本脱出」もしたし「ゴールドコーストからマレーシアに拠点も移した」し、今では「それが実行できて良かった」と思うし、【流されて生きれば良い】と考えていたら我が家の今はありえなかったのね。「日本脱出」もそうで、あのまま日本に残っていたら何の取り柄もない私はとっくの昔に「下流に流されていった」のは間違いないと思う。あのバブル崩壊後の長く暗いトンネルの中で事業を継続できる方が不思議に思う。「オーストラリアからマレーシアに移った」のも同じで、マレーシアに来てから大失敗もやったけれど、あのままゴールドコーストに住んでいたら、「どうにか生きているだけ」で【将来への夢】は完全に絶たれていだろうと思う。
でも下手をすれば「飛んで火にいる夏の虫」にもなりかねないわけで、「行動に移せば良い。チャレンジが大事」なんてことは全く無くて「何をどう選択し、どうするのか」によって将来は変わる。「チャレンジ精神が重要」だと思うのは若い頃だけで、歳も取ってくると「チャレンジと自殺行為は隣り合わせ」なのがよく分かる。でもチャレンジを続けて生き延びて、そして初めて経験、ノウハウが積めるのも間違いはない。ところが「たった一度のチャレンジで人生が狂ったまま」というケースは非常に多いから難しいんですよね。
今の世界情勢を見ると「選択をしなければならない時が来た」と過去にはなかったぐらい強く感じるわけで、それは「勘」と言ってしまえばそれは間違いでもなくて、「なぜ危機が迫っているのか」を論理的に説明することもボケている私には出来ない。
だから「他人の動画」や「他人の解説」を私はいつもブログに紹介するわけで、私と全く同じ考え方というのはあり得ないにしても、「私が何を危惧しているのか」がわかるものを紹介してきました。
やっぱり今の世界は「アメリカがどうなるか」が何よりも重要で、そもそもアメリカはどんな歴史を歩んできたのか、それが今、どう変化したのかがわかりやすい動画がありましたので紹介します。
問題は「アメリカの大きな変化」はそれは「世界に波及する」ことであって、今回の動画も「アメリカだけの問題」とは思えないし、「日本も同じレールに乗っている」と私は感じるのね。
つまり「今までとは違う生き方」を模索する必要は間違いなくあって、でもそれは「経験したことがない」道でもあって、どうするべきかの「明確な答え」があるわけでもない。ただ「私達も変わらなければならない」のがわかるだけ。
私は過去に「日本を脱出する」「ゴールドコーストからマレーシアに拠点を変える」と大きな決断をしてきたけれど、それは「夢のある新天地を求めたのではない」のね。
私が小心者であるのはこのブログの読者は気がついていると思うけれど、私は「危機を察したら逃げる」ことをしてきただけなんですよ。「日本脱出もマレーシアに来た」のも同じ。
経済的には「全ての円資産を豪ドルに替える」、「全ての豪ドル資産を米ドルに替える」なんて【博打】みたいなこともしたけれど、それも全く同じで「それらに逃げただけ」なんですよ。オーストラリアに住むから「豪ドルに替えた」とか「マレーシアに移るから米ドルに替えた」なんてのは全く関係なくて、日本からオーストラリアに移った時と円を豪ドルに替えた時と「時期的には全く関係ない」のね。それは「豪ドルを米ドルに替えた」のも同じで、マレーシアに渡ったからそうしたわけでもない。当然「住んでいる国の現地通貨をある程度持つ」のは当たり前だけれど、「全資産を替える」のは全く別の話。
そもそも私達が「住みやすい国、場所」があるのと同時に、お金にも「住みやすい場所、通貨」があるのね。それは自分という身体と、お金という実体とは何の関係もなくて、「それぞれが一番住みやすい場所に住むべし」という基本が私にはあります。だからもし日本に住み続けていたとしても「資産を豪ドルに替える、米ドルに替える」ことはしたと思う。私には「住んでいる国の通貨を持つべし」なんて考え方は一切ないし、でもそうする人が世界の大半だけれど「その理由らしい理由は無い」はずなのね。ただ「そうするべきもの」と信じ込んでいるだけだと思う。
ここでハッキリ書いておきたいのは、私がそういう決断をしたのは「逃げ道」でしかないということ。お国替えも通貨を替えるのも「このままでは危ない。逃げよう」と思って変えただけのこと。
で、今が問題なのは「何に変えるべきか」がわからないという点。つまり「逃げ道がない」様に感じるんですよ。これが「今までの大きな決断」とまるで違うところ。
今までは「逃げ回る人生」でどうにかなってきたけれど、今回ばかりは「ガチンコで真正面からぶつかる」つもりで行くしか無いような感じ。
まだ「大津波」は来ていないけれど、それが来たのを視認してから慌てても駄目で、今までは「ノアの箱舟」を作って逃げてきたけれど、今回はノアの方舟を作っても「どこに向かうべきか」もわからない。
「わが人生、最大の危機が忍び寄っている」ような気がして仕方がないのです。
でも逃げ道は見つからないので、「今までの経験と知恵を総動員してガチンコでぶつかる」つもりでいます。つまりゲームで言う「体力値と戦闘能力を上げる」しかない。(笑)
ただちょっと嬉しくてワクワクするところもあるんですよ。
それはその緊張感とやらねばならないという意識を「息子たちと共有できている」ということ。
自分よりも大事に思う息子たちも気がつけば大人になり、そして皆が同じ意識を持ち、一緒に戦えるというのは「何にも代え難い幸せ」だと感じています。
勝ち残れるかどうかなんて全くわかりませんが、息子たちと同じ道を同じ気持ちで歩いていけることが今までの私の人生でも感じたことがない「幸せ」です。
「自分は決して一人じゃない。頼もしい息子たちと共に戦える」なんてこんな幸せがあるとは想像もしていませんでした。
ヨメさんもブツブツ文句ばかり言うけれど、私達男組がきっちり働ける環境を裏方として作ってくれているのも本当に有り難い。それは次男坊のヨメさんも同じでまだ20代なのに昔の「武士の妻」みたいなところがある女性。
一人が皆のために生きる。皆が一人のために生きる。そんな家族を持てたことが本当に嬉しい。
頑張らねば・・・・。